閑話.プロメリア・トーカ
プロメリアの過去話です。長生きなのでざっくり書いただけでも長くなりました。
現在の時間軸よりも昔なので、男尊女卑、モラハラ、ルッキズムに関する表現があります。ご注意ください。
プロメリアは、地方の子爵家の長女として産まれた。
父は、幼い頃は標準的だったのに成長すると身長よりも横幅の成長著しく、成人を迎えた頃には悪い意味で年に見合わぬ貫禄を有していた。しかし肉のたっぷり付いた顔にも関わらず、その目はギョロリと大きく、鼻も横に広がり口は大きく唇もボッテリと分厚くて、常に脂っこい物を口にしていたせいかテラテラと滑るように光っていた。
この国の美の基準から大きく外れていた父だったが、それでも地位を利用して没落寸前な男爵家の娘を妻に貰い受けた。それがプロメリアの母だった。
母は切れ長の目に鼻も口も小ぶりで、どちらかと言うと地味な顔立ちをしていた。だがあまり表情を変えないことと、学園での成績は上位だったことからクールでミステリアスな女性として憧れていた者もいたようだった。
そんな二人の間に産まれたプロメリアは、母の細い目と、父の胡座をかいたような鼻を受け継ぎ、口元にいたっては父親似の大きな口に母親似の薄い唇という造形を持っていたのだ。それは一般的に醜女と呼ばれる外見だった。そして父方の女性に多く出るというピンク色の目立つ髪色もプロメリアに必要以上に注目を集めた為、外見を揶揄されることなど常のことだった。
それもあってプロメリアも早い内から自身の外見への評価を理解し、それでもたった一人の娘である以上は婿を迎えなくてはならないのだからと学問に打ち込んだ。そして更に魔力量も豊富だったことから高度な魔法も操れるようになって行った。
今の世ならば、長子相続の推奨もありプロメリアの努力は高く評価されたであろう。だが、彼女が産まれた時代は余程の特例がない限り家長になれるのは男子のみで、女性の立場は男性に付随する物とみなす風潮が当然だった。だからこそ、プロメリアは外見だけでなく中身も歓迎されない令嬢として周囲から疎まれていた。
そして彼女の父は、早く良い婿を見付けろと言ってはただただフリルの大量に付いただけの安いドレスを買い与えては夜会に送り込んだ。けれど母に似て切れ長の目をしたプロメリアにはそんな派手なドレスは似合う筈も無く、影でヒソヒソとされて親しい友人を作ることもなく帰って来るだけだった。
「何だ、何だ。どこの道化師かと思ったぞ。いや、道化師の方がまだ見られる顔か。どっちかと言うと化物だな、化物」
暗い顔をして帰ったプロメリアに、その姿で行くように命じたことも忘れて酔いどれた父にゲラゲラと笑われることなど日常茶飯事だった。
それも身内の前だけならまだしも、プロメリアに紹介する為に屋敷に招待した令息達の前でも似たようなことを繰り返した。似合わない場違いなドレスと化粧で彼らの前に引き出されて、挨拶だけすると後は父がプロメリアをこき下ろす独壇場だった。そんな状態で紹介されてもその先に進む筈もなく、プロメリアは気が付けば婚約者もいないまま適齢期を迎えていた。
「俺はいつ孫を見られるのだろうな。ああ、不出来な娘を持つ俺は不幸者だ」
酔うと決まってそんなことを言う父に対して、一体どの口がそれを言うのだ、と心の中で思う度に胸の中の靄が色濃くなるようだったが、娘は家長に逆らう事勿れと教育されたプロメリアはただ黙って呑み込む日々だった。
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そんな折、国内のあちこちで魔獣が溢れるスタンピードが多発した。国の危機に王家からの勅令で、高度な魔法を扱える者や剣の腕が立つ者などが召集され、事態の沈静に駆り出された。それは身分性別も問わず、当然プロメリアも参加することになった。
その時にプロメリアは固有魔法を発現し、魔獣達を操って同士討ちさせるなどで目覚ましい功績を上げた。だがその裏で、前線から遠い領地に引きこもっていた筈の父が夜陰に紛れて愛人宅へ行く途中で魔獣に襲われて命を落としていた。
プロメリアは事態が終息すると、すぐにひとまず領地に戻り母と二人で父の葬儀を執り行った。めざましい活躍をしたプロメリアには望みの報奨を与えることが約束されていて、全てが落ち着いてから王都に出向いて改めて報奨を決めることになっていた。その時にプロメリアは、女性でも父の跡を継いで家が存続出来るようにと願うつもりでいたのだ。だが、それも夜中に聞いてしまった母と叔母の会話でその気持ちも一瞬で霧散した。
「姉さんは偉いわ。あんなみっともない子を人前に出しても言い訳一つしないなんて」
「そんな風に言い訳して回ることだけはしたくないのよ。我慢しなくちゃ」
「みんなそうやって耐えてる姉さんのこと、尊敬してるわ」
疲れ過ぎていたのか眠れなかったプロメリアは、少し温かいものでも飲もうかと厨房に向かった時に、葬儀の手伝いに来ていた叔母との会話を聞いてしまったのだ。
母はこれまで父のように、あからさまにプロメリアを傷付けるような言葉は言って来なかった。止めることもしなかったが、それは父に逆らえないからだと思っていた。だから母だけは自分の味方だと信じていたプロメリアは、足元が崩れるような感覚がした。
そこで本当によろけてしまったプロメリアに気付いた二人は、すぐさま顔色を失った。
「叔母さま、わたくしは言い訳せずにはいられない程みっともないのですか」
「え…いえ、そんなつもりは…」
「お母様、言い訳しないことが美徳に思われる程、わたくしは醜い娘でしたか」
「プ、プロメリア、そんなことは…」
「でももう、我慢することはありませんよ」
「え…?」
「わたくしは明日、王都へ向かい新たな爵位を賜われるようにお願いしてまいります」
プロメリアの言葉に、母はサッと顔を青ざめさせた。
「で、ではこの家はどうなるというの…?」
「後継はおりませんし、国の預かりになるのでは?もしくは国から縁戚の後継を指名されるのではないでしょうか」
母は父方の縁戚とは折り合いが良くない。もしその中から後継が選ばれたなら、血縁ではない母は領地の隅に押し籠められるか追い出されるかのどちらかになるのは目に見えていた。そして実家も既に伯父が継いでいるので、出戻ったところで肩身の狭い思いをするのは確実だ。
「そんな…わ、私はプロメリアと一緒に新しい家に行くのよね?親子ですものね?」
「いいえ。わたくし一人が新たな家を興すのです。貴女はご自由になさればよろしいかと存じます」
「プロメリア…そんな他人行儀なことを言わないで頂戴」
「我慢をしてまでわたくしのようなみっともない女と共にいる必要はございませんよ。ああ、でもこれまでお世話になった分の謝礼金は用意しますわ」
記憶のない赤子の頃は分からないが、物心ついた時には乳母任せ、家庭教師任せであまり母との交流はなかった。嫌がらせはされなかったが、関わっても来なかった。それを自覚しているのか、母が更に顔色を無くしている姿を見ると、プロメリアは少しだけ胸が空くような気がした。それと同時に、自分と母はその程度の間柄だったのだと嫌でも悟った。
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その後プロメリアは王都の近くに領地を賜り、トーカ女男爵として新たな家を興した。そしてその膨大な魔力量と魔法の腕前を認められて、王城魔法師団の師団長に任命された。まだ女性の台頭を快く思っていない貴族が殆どで、プロメリアは苦労はしたものの全て己の魔法の力で捩じ伏せた。陰に日向に外見のことを口さがなく言われたが、逆に言えばそれだけしかプロメリアを責める要因がないのだと理解すると、それは取るに足らない雑音に成り果てた。
女性に身でありながら新たな家を興すことを王家に認められる程出世したプロメリアに、両親の縁戚が擦り寄って来て煩わしいとは思ったものの、世間体もあって程々の距離で関係は続いた。母にもそこそこ栄えている街に邸宅を建てて、一切連絡を取り合わないことを条件に生活を保障した。本当は縁を切ってしまいたかったが、放逐して足を引っ張られるよりはマシだと思うことにした。
しかし数少ないながら、理解者もいた。その中で、伯爵家の三男で副師団長を務めていた男性がプロメリアに愛を囁いた。彼は誰もが振り返る程の美しい外見で魔法の才もあり、王女を娶ることも出来るのではないかと目される程だった。それだけに最初はプロメリアも信じられずに距離を取っていたが、彼はそれにもめげずに時間を掛けてプロメリアを口説き落とし、やがて彼女もそれに応えるようになった。
数年後に彼を婿に迎えたプロメリアは師団長の座を彼に託し、王家直属の嘱託魔法士となった。その中で、永遠とまでは望まなくても若さを保ち、寿命を延ばすような魔法の開発を任された。幼い頃の刷り込みも影響してか、外見を飾ることに抵抗のあったプロメリアにとっては興味のないものではあったが、それでも王家からの命令は絶対だ。
なかなか結果は出なかったものの、その過程で美容に関する知識を人一倍蓄えたプロメリアは特に王妃に気に入られてその地位は絶対のものになった。
私生活でも娘を授かり、プロメリアの人生はその時が最も充実していた。ただ娘の出産は難産を極め、もう次子を望むのは難しいだろうというのが医師の判断だった。ただ娘はプロメリアに似たのはピンク色の髪色だけで、夫によく似た顔立ちで赤子の時から美しいと評判になる程だった。だからこそ一人娘でもトーカ家の存続には苦労しないだろうと思われた。
プロメリアはそれでも娘には最高の知識と教養を身に着けてもらうべく、優秀な家庭教師を手配した。男爵家としては過ぎた環境ではあったが、プロメリアは自身がかつて望んでも叶えられなかったことを全て娘の為に注ぎ込んだ。その為には莫大な資産が必要になったが、プロメリアは娘の為と思えばその苦労をものともせずにひたすら魔法研究に励んだ。まだ完璧には程遠かったが、それでも一定の若さを保つ魔法薬の開発などで功績を上げ、異例の更なる叙爵の決定した。
ただそのせいで家に帰る日は激減し、夫や娘と顔を合わせることも月に数日ということになったが、夫は全てを理解し受け入れてくれていた。
だがやがてそれも、ただの砂上の楼閣だったことをプロメリアは知ることになった。
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「今日も王城で泊まり込みだとさ」
「じゃあこのまま泊まって行っても大丈夫ね」
「ああ。先日入手したエラーニア領のワインを開けよう」
「うふふ、いいわね」
何日も王城に泊まり込みをしていたプロメリアは、自室に置いて来た資料が必要になったので夜半に自宅に戻った。すぐに必要だったが、人に頼むには遅い時間だったので単身で取りに来たのだ。
誰かに見られたら迷惑がかかると思って、静かに帰宅したことが運命を決めた。
明かりが漏れる夫婦の寝室に気付いて、まだ夫が起きているのかとそっと向かったプロメリアは、部屋の中から女性の声が聞こえて来た為に隠遁魔法を使って部屋の中をこっそり窺うことにした。そこにはさも当然のように見知った女性がベッドの上で寝そべって、その側では夫が気怠げにバスローブ姿でワイングラスを傾けていた。そして足元には、王室御用達で非常に高級なワインの瓶がいくつも転がっていた。
彼女はプロメリアの父方の従妹で、プロメリアと違い一族特有のピンク色の髪がよく似合う可愛らしい顔立ちをしていた。幼い頃から自身の可愛らしさを十分に自覚していて、ことある毎にプロメリアを蔑んでいた。その彼女が我が物顔で夫婦の寝室を使用している。プロメリアはそれだけで留守中に夫が招き入れたのだと悟った。
勿論、それなりに腹立たしいと思う気持ちもあったが、物心ついた頃から鏡に向き合う度に夢を見ることも許されないくらい残酷な現実を突き付けられて来ただけに、心の片隅で納得して諦めている自分も存在していた。
「乾杯をしようか」
「何に?」
「俺達が本当の家族となった記念に」
「いいわね」
そこからは、もはやプロメリアにとって悪夢としか思えない会話が続いた。いやいっそ悪夢であったならばどれだけ救われただろうとすら思えた。
プロメリアが溺愛した娘は、この従妹と夫との間に出来た子供であった。
結婚する前から関係を持っていた二人は、プロメリアの産んだ娘と自分達の娘を取り替えたということが会話の端々で分かってしまった。従妹の実家は名ばかりの貴族で、プロメリアの財産を目当てに自分の子を入れ替えたようだった。そしてつい先頃、娘にも本当の母親が自分であると名乗りを上げ、娘もそれを受け入れたと言うのだ。
「プラーナにはちゃんと言い聞かせたんだろうな?」
「勿論よ。すっごく喜んでいたわ。あんなブサイクが母親だなんてずっと嫌だったんですって」
「ははっ、そりゃ当然だ。だが、あいつの稼ぐ金とコネはまだ利用価値がある。くれぐれも悟られるなよ」
「そんなの簡単よ。あれは昔から卑屈で陰気なままだから、ちょっと強く言い張ればすぐに折れるもの」
自分に似ずに産まれてくれたことを感謝しながら、プロメリアは娘に出来る限りのことをして来たつもりだった。けれど両親からの愛情を理解出来なかった為、とにかく娘の望みを何でも叶えようと闇雲に働いた。何が正しいことかは分からなかったが、ただ望みを叶えた時に「ありがとう、お母様」言ってくれる娘の笑顔が何よりの喜びだったのだ。
けれど実際は自分の外見で疎まれていたことに全く気付いていなかった。それだけでなく、自分が産んだ筈の娘でなかったにも関わらず自分自身気付いていなかったことにも衝撃を受けていた。
自分に全く似ていないことを安堵するばかりで、それ以外何の疑問にも思っていなかったことが、プロメリアの心を大きく抉った。容姿を武器にせずに、ただ自身の知識と努力で認められたことをずっと誇りに思っていた。けれどそんな己が最も美醜に囚われて、血を分けた娘かどうかを見抜く目が曇っていたことを突き付けられたのだ。
隠遁魔法で部屋の中に入り込んでも気付かれなかったプロメリアの目が、爛々と発光しているかのように鮮やかな緑に染まった。そして一瞬にして部屋の中を満たした彼女の固有魔法は、夫と従妹に気付かれることなく彼らの心の箍を外してしまった。
「折角高く売れるんだから、死産だったと誤摩化してあの女と何人か子供を作れば良かったのに」
「勘弁してくれよ。あんな醜い女を抱くだけでも大変だったんだからな。どれだけ俺が興奮剤を飲んだと思ってるんだ。それにうまく女が産まれるとは限らないだろう」
「それもそうね。でも、女の赤子はどんなに不細工でも高額で売れるって本当だったのねえ」
「どうせ一度の使い捨てだ。女でありさえすれば顔はどうでもいいんだと」
「変態の考えることは理解出来ないわね」
「だが、そのおかげでこうして良いワインが飲める」
「あははっ、じゃああの不細工な子にも少しは感謝しないとね」
プロメリアの魔法の影響ではあったが、耳を塞ぎたくなるような残酷な内容を明け透けに楽しく話す彼らに、プロメリアは思わず吐きそうになった。しかし見つかってはいけないと全力で押さえ込んだ。その際に息を止めていたので、こめかみの付近がドクドクと脈打つように感じられた。そして目尻に浮かんだ涙が一筋頬を伝った。
楽しげな彼らの笑い声はまだ続いていたが、プロメリアはそっと部屋を後にした。その顔色は夜の闇の中でもはっきりと悪くなっているのが分かるほど血の気が引いていた。だが、まだ隠遁魔法を展開している彼女の姿は誰にも見咎められることはなかった。そしてその目には、いつもの彼女には不釣り合いな程に強い感情が宿っていたのも彼女自身も知る由もなかった。
その後すぐにプロメリアは王城に戻り、王妃に直接長期休暇を申請した。当初は美容に特化した知識や技術を持つプロメリアを側に置きたい王妃はいい顔をしなかったが、密かに衰えない美貌を実現する魔法の理論が構築出来たので一気に実用化に向けて開発に集中したいと言えばすんなりと許可が下りた。
そして領地に研究塔を作り、プロメリアは誰にも姿を見せずにそこに引きこもった。必要な物は外部に通じる唯一の扉の前にメモが置かれ、使用人がそこに置いておくといつの間にかなくなっている、という日々が続いた。
あまりにもプロメリアが引きこもるので、王家から再三登城を促す要請が届いたが、それに応じることはなかった。
そんな状況が一年程続いた頃、領地に気の触れた不気味な女が徘徊するようになった。
その女は絡まって艶のない真っ白な髪を振り乱し、子供のように泣きながら「お父様、お母様」と呟いて歩き回っていた。ひどく痩せた体に、伸びて黒ずんだ爪、黄色い歯を剥き出しにして、擦り切れた粗末なドレスを着ていた。領民の間では幽霊ではないかと噂になったが、しばらくして警邏を身柄を確保して生きているただの狂人であると公表されたので事態は沈静化に向かった。
だが、その正体が知られると再び領内は騒然となった。その幽霊のような狂人が、領主プロメリアだということが判明したからだった。
王都から高名な医師や治癒士が派遣されて、簡単な会話も成立しないプロメリアを診察したが、誰もが原因も分からず治療をすることも出来なかった。ただ、彼女が有していた膨大な魔力が殆どなくなっていたことから、何か大きな魔法の研究をしていたが、それに失敗して魔力の源である魔核に傷が付いたのではないかという結論に辿り着いた。
領主がこんな状態ではこの先どうなるのかと領民達は不安に苛まされが、すぐに彼女の跡を継いだ娘のプラーナがプロメリアの担当していた研究を引き継いたことで王家に認められた。そうしてトーカ家は二代続けて女性当主が誕生した稀有な家門となったのだった。
あくまでもそれは表向きな話で、実際は王妃を始めとする女性王族達がプロメリアに危険を伴う若さと美貌を維持する魔法を研究させていたことへの口止めも含まれていた。プラーナが母プロメリアに匹敵する程の魔力と知識を持ち合わせていたのもあり、魔法の開発を続けることを期待していたこともあった。
プラーナは若いながらも豊富な知識と多彩な魔法、そして父譲りの美しさでたちまち社交界を席巻し、多くの令息を魅了した。最終的に公爵家の次男を婿に迎えるまで、多くの令息が彼女の周囲に侍り、恋多き女性だったと伝えられている。
「本当に義父殿に会わなくてもいいのかい?」
「ええ。父は心から母を愛していましたの。だから母が狂ってしまってから…一緒の世界に閉じこもってしまわれたのです」
「そうか…お気の毒だったね」
「いいえ。それもまた、幸福の形の一つなのでしょう」
前当主プロメリアは療養と称して、かつて研究塔として使われていた場所に幽閉された。そして当人が強く希望して、父も進んで研究塔に幽閉されたのだった。そしてなるべく他の人間に邪魔をされたくないと、母と親友だった従妹だけが身の回りの世話の為に一緒に塔に入った。
仲の良かった彼らは、穏やかに俗世とは隔絶された場所で幸せに暮らしている、とプラーナは微笑んで夫となった男性に語ったのだった。
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「ねえ、アンタが逃がし屋の魔法士?」
顔を合わせるなり不躾に言われて、プロメリアは顔を隠す為に被っていたフードの下で盛大に眉を顰めた。
そう話し掛けて来た女は、プロメリアが頷くと何の警戒もなくつばの広い帽子を外した。隠すように押しこめられていた蜂蜜色の髪がフワリと零れ落ち、濃い紫の目をした美しい顔が露になった。王家特有の色味に近い外見のおかげもあって、黙って少し伏し目がちにしていればどこかの深窓の令嬢と言っても通りそうだった。けれどちょっとした仕草の粗雑さが、その女の出自を如実に物語っていた。
「もうこんな田舎で、大した金もないくせに威張り散らしているヤツの相手はうんざりでさ。王都に戻りたいんだ。アンタに顔を変えてもらって王都に戻れば、すぐに実入りのいい仕事を紹介してもらえることになってるからさ」
聞いてもいないのにペラペラ話し出す女に、プロメリアは途中から内容も聞かずにただ時折頷くだけにしていた。全く時間の無駄だとは思うものの、今はコレで手を打っておくべきだと思ってジッと耐えていた。
女は王都で下位貴族や裕福な商家を中心に、数多の男性を手玉に取って金品を貢がせていた詐欺師だった。しかし調子に乗った彼女は、高位貴族の令息を誑し込んで、家同士で結ばれていた婚約を破棄させてしまった。手も握らせない高慢な婚約者の令嬢を揶揄ってやるつもりでちょっと口付けをしてやったら、責任を取って結婚すると言い出すような真面目な令息だったのが失敗だった。そのことで令息の実家とその婚約者の実家、二つの高位貴族の家から恨みを買うことになって、王都にいられなくなってしまったのだ。
その時は役人を唆して無事に王都から出ることが出来たが、その後罪人として手配されることになってしまった。手配された罪人は、領境に設置されている関所や、大きな街などに設けられている出入口に仕掛けている魔道具で通過すると警邏隊などに通報が行くことになっている。いくら魔法や魔道具で外見を変えてもお構いなしに正体が判明するように作られているのだ。
それは各地の要所に仕掛けられているので、それを避けて人の少ない街道を選べば引っかからないまま移動は出来る。しかしそうすると行ける場所が人口の少ない寂れた土地に限られて来る。そういったところは人々の繋がりが濃く、余所者が来れば目立ってしまうので、逃亡者はどこに行っても心休まる日はないのだ。
女は一度華やかな王都で覚えた贅沢の味が忘れられないらしく、その土地の権力者に取り入ってそれなりに裕福な生活を得ても不満しかないようだった。
そこに誰かからプロメリアが魔道具に一切引っかからずに整形を施してくれる魔法士だと聞いたようで、王都に返り咲く為に別の顔を手に入れたいらしい。
彼女がプロメリアのところに来たのは、闇ギルドからの仲介があった為だ。あらゆる薬草や毒を扱うプロメリアは、闇ギルドの良い取り引き相手だ。それにプロメリアが出自を問わず美しく若い女性を捜していると知った為に女を向かわせたのも分かっている。
(全く好みではないけれど、取り敢えず及第点ではあるわ。もう時間もないし、たまには傾向を変えるのも策としては悪くない)
話は殆ど聞いていなかったが、プロメリアは目の前の下品な女を品定めするように眺め回す。所作はともかく、造形だけで言えば十分美女ではある。ただ顔立ちも体型もプロメリアの好みとはかけ離れていたが、一時的に繋ぎとして体を奪うのは良策だと納得させる。
もうプロメリアはどれだけの時を生きて、幾つの体を乗り換えて来たのか覚えていない。しかも今はプロメリアの王族を自身の傀儡にする目的が発覚したために、体を提供してもらうのに必要なトーカ一族はほぼ絶えている。それでも市井に紛れて遠い血筋は残されている筈だと、プロメリアはずっと探し回っていたのだ。
血縁ではない女の体を乗っ取るには、トーカ家の血を摂取させれば期間こそ短いが可能だった。そうやってプロメリアは次々と他者の体を使い捨てて生き延びて来た。
だが最近になって、どうやらプロメリアが好んで乗っ取る女性のタイプを分析したのか、乗り換えるのに丁度良い女性を見付けたかと思って近付けば、王家に連なる首輪と鎖の付いた者ばかりだった。今のところプロメリアが逃げ切ってはいるが、辛勝と言ったところだ。
そこでプロメリアは完璧に追っ手を撒こうと、敢えて好みではない女の体に乗り換えることで足取りを断つことにしたのだった。
「これからひと月、この薬酒を飲んでもらうわ」
「ええ〜ひと月も!?もっとちゃっちゃと出来ないワケ?」
「嫌ならいいわよ。ずっとこの田舎町で怯えて暮らすだけだもの」
「それはイヤ!…分かったわよ。飲めばいいんでしょ、飲めば」
女はプロメリアが差し出した薬酒の入った瓶を受け取ると、匂いを嗅いで嫌そうに顔を歪ませると一気に飲み干した。あまりにも警戒心のない短絡的な行動にさすがにプロメリアも呆れたが、どうせ体だけ貰えれば元の中身がどうであれ関係ないのだ。
「また明日、ここに薬酒を取りに来なさい」
「はぁ〜い」
面倒そうに女は間延びした返事を返して来たが、最初の薬酒には常用性のある薬草をたっぷり混ぜ込んである。明日になれば、多少面倒に思ってもここに来ずにはいられなくなる。
プロメリアはフードの下で密かに笑みを浮かべていた。
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ひと月後、女は王都に向かう商家の従業員という態で馬車に揺られていた。同乗している二人の男は、同僚と名乗ってはいるが闇ギルドの一員だった。
「うふふふ、久しぶりの王都。楽しみだわ〜」
約束通り全くの別人になった女は上機嫌で浮かれていた。濃いピンク色の髪に、鮮やかな緑の目という派手な色合いになったのには驚いたが、ここまで目立つ色に変えるとは思われない筈だと言われてすっかり納得していた。それに少し垂れた丸い目の童顔にも関わらず、豊かな胸とくびれた細い腰はなかなか気に入っている。
先程通過した関所でも一切引っかかることもなかったので、女は勝手に馬車の積み荷のワインを開けて昼間から祝杯を上げていた。
そんな女の様子を、闇ギルドの二人は胡乱な目を向けていた。
この女は、短期間で狙った相手を確実に落として、破産ギリギリまで貢がせることを得意としていた。当人は目の前の贅沢を楽しんでいるだけなのだが、その手腕は闇ギルドでも一目置かれる程だったのだ。そしてその才能を惜しんだ闇ギルドは顔を変えさせて女を再び王都に戻して、闇ギルドの為に働かせるつもりだった。
しかし高い金を払って顔を変えさせたというのに、どうにも女の軽挙盲動さが目に余った。これでは仕事を回しても成功するのか疑わしいと思っていたのだ。王都で成功していたのは単に運が良かっただけか、長い田舎暮らしですっかり鈍ってしまったか。どちらにしろ、彼らは女が長くは使えないと判断を下したのだった。
「まずはこの五人を落とせばいいのね〜。ふふ、どいつもこいつも女を知らないか、閨教育専門の娼婦しか経験がないお坊ちゃんね。楽しみだわ〜」
女は隠れて目を通すようにと渡された仕事相手の書類を、荷台の上でパラパラと捲っていた。それを咎めると面倒なことになるのは短い道程で既に悟っていたので、男達は風に飛ばされたりしたらすぐに拾いに行けるように目を光らせていた。おかげで気の休まる暇がなく、彼らはあからさまにうんざりとした空気を隠さなくなっていた。
「へえ、あたしと似たような髪色した可愛い男がいるじゃない。ふうん、随分と田舎の出なのね。じゃあ都会の女の味を覚えたら……うふふ、楽しみだわ」
男達の空気にも気付かず、女は愛らしい顔立ちに不釣り合いなニヤニヤと下卑た笑みを浮かべながら馬車に揺られていたのだった。
その後、濃いピンク色の髪をした派手な外見の女が王都入りした頃、同じような髪色の人物が廃鉱になった鉱山の山中で見かけられたが、その後の足取りはプツリと途絶えていた。
お読みいただきありがとうございます!
プロメリアと体を入れ替えた女は、「182.多分、軽く、ちょっとした修羅場」「183.香りの記憶と見知らぬ悪意」に登場しています。ローングパスッ!(笑)
実は彼女はネイサンのエピソードに絡んで来る筈でしたが、ネイサンがラスボス的な立場から被害者ボジションに変更されたので、そのまま使い道もなく放置されていました。どうにかここに繋がりました。頑張りました(笑)矛盾がないかハラハラしておりますが。
ねっとりいつものように全部詰め込むと三倍くらいになりそうなので、駆け足で話自体は軽めに(したつもり)
許されるものではないけれど、プロメリアがそうなった切っ掛けのようなもので、その踏み出した一歩だけは「仕方ない」と感じていただけたらありがたいです。
次回から現在の時間軸に戻って、色々と回収して行きます!多分!
これからもお付き合いいただければ幸いです。