529.危機に次ぐ危機
「ふふ、可愛らしいお顔が台無しでしてよ?もっと肩の力をお抜きになって、楽しく生きればよろしいのに」
「ふっざけ、るな…!」
ヨーカは剣をプロメリアに向けてはいるものの、やはり丸腰の女性には斬り掛かれないようでただその場で留まっているだけだった。しかしヨーカには彼女が仕掛けていると思われる魅了魔法は効いていないらしい。
魅了魔法は闇魔法の一種で精神に影響を及ぼす類のものだが、術者と掛けられる相手の相性によって大きく効き目に差が出る。掛けられる側が相手のことを全く好ましく思っていないことや、既に他に強く思いを捧げている者がいると特に効果が得られない。だからその効き目をより高める為に薬物と併用されることが多いのだが、今は急遽飛び込んで来た形になったヨーカに対して薬物を利用する時間はなかったのが幸いしたようだ。
ヨーカが間に入って来たことで時間を稼げたレンドルフは、まだ動きにくさはあるものの手足に力が戻って来ていた。魔力の方がまだ戻っていないのは、「魔法士レンカ」という身分で来訪したので、魔法を封じることをメインにした薬物を投与したからだろう。念の為に解毒薬は隠し持っているが、毒や痺れ薬、媚薬の類に対応するものなので、魔力に干渉する薬に対して使うとどんな副作用をもたらすか分からない為使えないでいたのだ。
こうしてヨーカに気を取られている隙を突いてどうにかプロメリアに魔力無効化の加護の血を打ち込むことが出来ないかと、レンドルフはまだ動きが取れない態を装って彼女の動きを注視する。ただ間に立っているヨーカがレンドルフを庇うような動きをするので、視界を遮られるのが少々厄介だった。
「純真な坊やにはまだ早かったかしらね」
「何だとっ!!」
プロメリアは魅了魔法が効かないことで作戦を変更したらしい。口元に手を当てて笑みを隠すような仕草と同時に、彼女の長い爪がネックレスを引っ掛けて糸を切った。小さな光る石が並べられていた派手な意匠のネックレスが、キラキラと乱反射しながらガゼボの床に音を立てて広がった。
「魔力霧散草」
その石全てが魔道具なのか、散らばった石から植物の枝のようなものが飛び出して来て、一瞬で網状に広がってヨーカに襲いかかった。ヨーカは一瞬だけたじろいだようだったが、すぐに反応してすぐさま植物の網を斬り落とした。一つ一つは大して強度はなさそうだが、とにかく数が多い。一度切った枝も、すぐに復活して網を広げてヨーカを押さえ込もうと迫って来る。
(駄目だ、アレは距離を取らないと…!)
プロメリアが石の中から出した植物「キルケ・ヘンルーダ」は、魔力を打ち消す効果のある植物系の魔物だ。あれほど小さな石の中に何かを入れておく為には、相当な力のある空間魔法を使える魔法士が付与する必要があるが、空間魔法は生物を収納しておくことはどの国でも禁じられていた筈だ。少なくともオベリス王国を含む周辺国では国全体に実行不可の誓約を掛けているし、そうではない国から魔道具を輸入することは厳しく制限されている。それでもいつの世にも抜け道というものはあるので、一体どのような方法を使ったのかは不明だが、違法なことをしているのは間違いない。
キルケ・ヘンルーダは辺境領にも棲息しているもので、本来はそこまで脅威ではない魔物である。だが、駆除が長引くとこちらが魔力切れを起こして動けなくなってしまうのだ。そして動けなくなったところを容赦なく包み込んで完全な魔力枯渇を引き起こさせて絶命させ、絶命した獲物をそのまま養分として吸収する生態を持つ。基本的に植物系の魔物は移動が得意ではない為、距離さえ取れば魔力切れは防げるので対処はそこまで難しいものではない。
レンドルフを始めとする辺境の騎士達は、これに遭遇したら身体強化魔法すら使用せずにひたすら毟ることを徹底していた。通常の人間ならば身体強化を使わないと素手で毟るのは難しいのだが、クロヴァス家の者達はものともせずにバリバリと駆逐していた。
しかしヨーカはそこまで力のあるタイプではない。剣を振るう際に身体強化を使っているので、長引けば不利になる一方だ。
(俺がここにいるから退けないのだろうが、視界が遮られる。だがこれ以上あの女から距離を取るのもマズいな…)
騎士として正しい行動をしているヨーカに文句を言う訳にはいかない。プロメリアを狙うとしたら最初の一度が最大の好機だ。それを逃せばこちらの分が悪くなるのは目に見えている。レンドルフは慎重に胸元に隠しておいた魔道具を手の中に滑り込ませて、いつでも行動に移せるように体勢を整えた。
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「観念しろっ!」
一見ヨーカが押され気味に思えたが、どうやら確実に一つ一つを倒していたからだったらしく、半分以下になると見る間にヨーカが優勢になった。そして最後の一体を切り伏せると、一気にプロメリアに駆け寄ってその腕を取った。自身の力を過信していたのか、次の手を打つのが遅れた彼女の顔が歪んだ。そのせいで彼女の動きが止まった。
(今だ!)
相変わらず魔法は使えないが、体の方はほぼ痺れが取れているレンドルフは、この機会を逃すまいと座っていた椅子を蹴ってプロメリアとの距離を詰めた。その一瞬で片手で魔道具の誤作動防止の為に付けられていた蓋を外す。あとはプロメリアの体にこの魔道具を押し当てれば、針が飛び出して中に入っている魔力無効化の加護を持った血が自動的に注入されるようになっている為、難しい技術は必要ない。
レンドルフは押さえ付けられているプロメリアに向かって魔道具を押し付けようとした。が、その刹那、考えるよりも早く本能的な何かが頭の中を駆け巡った。意識しない程に小さな違和感が弾け、それはまるで小さな雷が駆け抜けたような感覚に近い。そしてレンドルフは、今まさにプロメリアに触れそうになっていた魔道具を持つ手を強引に止めた。
「あら、やっぱり」
楽しげなプロメリアの声がすると同時にレンドルフが顔を上げると、レンドルフの目の前には顔を引きつらせたヨーカがいた。そして彼を後ろから羽交い締めにしているプロメリアが、肩越しに三日月のように口角を上げた笑みを浮かべているのが見えた。
「なっ…!?」
直前までヨーカがプロメリアを押さえ付けていた筈だったのに、今はその位置が入れ替わっている。そしてレンドルフの握り締めていた魔道具は、ヨーカの腕に触れる直前で止まっていた。もし少しでもズレていたら、ヨーカに魔道具を使用するところだったのだ。
レンドルフはその場から飛び退こうとしたが、一瞬早くキルケ・ヘンルーダが手足に巻き付いて地面にうつ伏せに押し付けられた。
「まあ、懐かしい。あの忌々しい男の加護の気配がするわ。とうの昔に死んだ老いぼれが、こんな物を残していたなんて」
プロメリアはクスクスと笑いながら、どうにか拘束から抜け出そうとしているレンドルフの手から魔道具を奪い取った。しかし顔は笑っているが、その目には昏く悼ましい憎しみが燃えて揺らいでいた。
魔力無効化の加護を持っていたエイブリーは、その加護を使って一時期プロメリアを幽閉していたのだ。天災による混乱のどさくさに彼女は逃げ出して、それから行方が分からなくなっていた。彼女からすれば、エイブリーは恨み骨髄に徹する相手なのだろう。
「目の前のことに気を取られて、幻覚の香を焚いていたのにも気付かなかったのは迂闊だったわね。この坊やも、行動制限付きの魔道具を装着しているのに飛び込んで来るなんて。ふふっ。そんな詰めの甘さも愛らしいこと」
奪い取った魔道具を目の前に翳して笑うプロメリアに、レンドルフは背筋が凍り付くような思いで見上げる。もしこれを使われれば、生涯魔法が使用出来なくなってしまう。自分も寸でのところでヨーカの人生を滅茶苦茶にするところだったと思うと、冷や汗が止まらなかった。
「さぁて」
プロメリアは片手にレンドルフから奪った魔道具、もう片方には黒い液体の入った注射器を手にして見せびらかすように目の前に立った。レンドルフもヨーカも網状の枝に絡めとられて、プロメリアの前に跪かされたような体勢になっている。
「貴方達に選ばせてあげようかしら。こちらをレンカ嬢に、こちらをその坊やに。自分から進んで受ければ、片方は見逃してあげる」
そう言ってプロメリアは、注射器をレンドルフに、魔道具をヨーカの方に差し出した。ヨーカは自分に投与されようとしているものが何だか分かっていないので拘束から逃れようと騒いでいるが、レンドルフからするとこれ以上プロメリアを刺激しないで欲しいと祈るような気持ちだった。
「…わ、私が、それを受けます」
「うふふ、良い判断ね。これは極上の快楽をもたらしてくれる幸せのお薬だもの。貴女の体には一切傷は付けさせなくてよ。沢山の男達に与えられる快楽の中で、貴女の心も尊厳もぜーんぶトロトロに蕩かしてあげる」
自ら申し出たレンドルフに、プロメリアは愉悦の笑みを浮かべて爪で軽くレンドルフの唇を撫でる。明らかに獲物をいたぶる愉悦に満ちた顔に、レンドルフの背に怖気が走る。その言葉から、注射器の中のトーカの血には色々な薬物が混ぜられていることが察せられたから尚のことだ。
(おそらくアイヴィー殿は来られない。動きを予測されていたか、想定外のことが起こったか)
アイヴィーだけでなく、その上司のダンカンもはっきりとレンドルフの身の安全は保障すると言い切っていた。その言葉通りはなかなか難しいにしても、レンドルフが初撃に失敗した時点で介入して来てもおかしくない。しかし未だに来ないことを鑑みると、何かあったと考えるべきだ。
その瞬間こそ見ていないものの、突如ヨーカが乱入して来ること自体が有り得ないことなのだ。本来ならば、オスカー達と共にダンジョンボスの討伐に向かっている筈だ。助力がない以上、自分でどうにかするしかない。
レンドルフは身動きが取れない中で必死に打開策を考えていた。
プロメリアの魂の入れ替えの禁術は女性のみに有効で、男性の体に入るとそこから出られなくなってしまうと分かっている。だからレンドルフがトーカの血を摂取させられても最終的に乗っ取られることはないので、最悪血を摂取するのまでは受け入れる覚悟をしていたが、ただ血を入れられただけで済むものではなかったようだ。それにここで男とバレればその怒りを向けられて、このままではヨーカも巻き添えになってしまう。
(ほんの僅かでも耐えることが出来れば、その隙に…!)
いくら力を込めても魔力が全く自由にならない現状、自分の体を拘束している枝を千切ることは出来そうになかった。体の成長と共にどんどん強くなって行った力があれば魔力を使わなくても引きちぎることは容易いが、今のレンドルフはまだ非力だった頃の体なのだ。
もはや頼るのは根性論しか手段のなくなったレンドルフは、ギュッと歯を食いしばって近付いて来た注射器の針先が刺さるのを覚悟した。
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「ウィンドカッター!!」
あと数センチで針先がレンドルフの首に触れるところで、そこを掠めるように魔力を持った鋭い風が走り抜けた。その魔法の風は僅かにレンドルフの薄紅色の髪の先を数本落としたが、皮膚に触れることはなく的確に注射針を切断した。
それからすぐさま全身を拘束していた感覚が緩んだかと思うと、レンドルフはプロメリアと大きく距離を取る位置まで運ばれていた。
「遅くなったな」
「ボ、ボルドー団長…」
完全に横抱きにされたレンドルフが顔を上げると、そこには随分煤けた様子のダンカンがいた。着ている服は遠征時の正装になる長いマントを纏った騎士服であったが、埃のせいで全体的に白っぽくなり焦げ臭い匂いもしていた。いつもきちんと髪を撫で付けているダンカンだが、今はすっかり乱れて前髪が半分額に掛かっている。
「まあ、ステキ。王子様の登場ね」
「残念ながら王子ではないがな」
急な乱入にもプロメリアは動じた様子はなく、クスクスと笑いながら針の折れてしまった注射器を軽く振った。するとあっという間に針は元の長さに戻った。
「団長、降ろしてください」
「立てるか」
「何とか」
まだレンドルフの正体はバレていないことを察したのか、ダンカンは丁寧にレンドルフを地面に降ろした。そして先程プロメリアに飛びかかった際に落ちてしまったヨーカの外套の代わりに、自身の纏っていたマントを巻き付けるようにして身を隠してくれた。
ダンカンに横抱きにされて顔が胸に密着していたせいで、レンドルフは彼の呼吸が荒いことに気付いた。一見すると平然として見えるのだが、大分体力を削られているように思えたのだ。ダンカンはレンドルフがプロメリアを引き付けている隙に、カトリナ伯爵と伯爵邸を制圧する手筈になっていた。そこで何が起こったかは分からないが、歴代団長の中でも手練と名高いダンカンがこれだけ疲弊しているということは、余程の抵抗を受けたか罠を張られていたのかもしれない。
「貴様がトーカの魔女か。やっとお目にかかれたな」
「うふふ、お会い出来て光栄ですわ。つい追いかけられると逃げたくなるものですから」
普段でも目付きの悪いダンカンの三白眼が、更に鋭さを増した。が、プロメリアはまるで世間話でもしているかのような軽やかさで答えを返した。
「こちらも力ずくは好まん。さっさと投降した方が合理的だぞ」
「強引な殿方は嫌いではありませんけど、口説き文句としては不合格ですわね」
「それは申し訳ない。なにぶん無骨な性分でな」
口調は軽いが、ダンカンの目付きが更に剣呑なものになった。そして佩いていた細身の長剣を抜いて切っ先をプロメリアに向けた。そしてジリッと足を横に滑らせてプロメリアの位置を意図的に動かす。
プロメリアの近くにはまだ拘束されたままのヨーカがいるのだ。彼はダンカンが来たことで潮目が変わったのを理解したのか、今は騒ぐのを止めて目だけでプロメリアとダンカンの動きを追っている。ヨーカは感情に左右されやすく短絡的なところはあるが、戦闘における目の良さはずば抜けているのをレンドルフも知っている。このまま上手くプロメリアの注意が逸れれば、隙を突いて距離を取ってくれるだろう。
ダンカンの誘導で、プロメリアが数歩、ヨーカから離れる。
「アイヴィー!」
そう叫んだダンカンの視線が微かに右側に動く。プロメリアもそれに気付いて、その方向に一瞬だけ首を傾けた。
次の瞬間、プロメリアの頭上の空間が歪んで、アイヴィーが飛び出して来たのだった。
お読みいただきありがとうございます!
未だに不定期更新で申し訳ないです。ちょっと動きのあるところで切れたのでなるべく早くアップ出来るように頑張ります…
当初の予定ではレンドルフを救出するのはアイヴィーの予定でしたが、ダンカンの方が見映えが良さそうなので変更になりました。
中身はともかく見た目は儚げな美少女(服破れて露出あり)のピンチに駆け付ける目付きは悪いが有能長身騎士団長という構図をご想像いただければ幸いです。