525.姉妹か兄弟か
「見事なものだな」
「…ありがとうございます」
体に合わないダブダブの服を押さえるようにして繭のような魔道具の中から出て来た美女…というより美少女寄りの人物は、手放しで褒めているダンカンに対して完全に感情を捨てた顔と声で礼を言った。
「クロヴァス卿、あちらの部屋に着替えと侍女が」
「侍女殿…でなければなりませんか」
「美しい女性に仕上げるには、女性の手が必要ですので。ご理解いただけますと幸いです」
「……分かりました」
魔道具の近くに控えていたアイヴィーが気遣わしげに隣の部屋に続く扉へと誘ったが、その人物はやや俯き加減にボソボソと呟いて拒否の姿勢を示している。それでもやんわりと、少々強引にアイヴィーが背を押すと、諦めたように小さく頷いた。
魔道具から出て来たのは、成人する前の美少女時代のレンドルフだった。
以前、色々な偶然が組み合わさって起こった奇跡のような現象で、レンドルフが過去の華奢な美少女のような外見に戻ってしまった。そのことは周囲には秘されているが、それに色々と便宜を図ってくれたのがダンカンだった。そしてその現象に興味を持った第三騎士団の団長ダンカンが研究を進め、数日だけ肉体の時間を戻すことを意図的に発生させる魔道具を作り上げたのだ。
今はそのダンカンの正式な要請によって、レンドルフは再び肉体の時間を巻き戻していた。
このままレンドルフをアイヴィーの替え玉の女性魔法士として、悪名高いトーカの魔女プロメリア捕縛の為に囮として近付ける作戦なのだ。その為、レンドルフは相手にも分からないように完璧に女性を装わなくてはならない。
しおしおと隣の部屋に消えて行くレンドルフを、ダンカンは実に楽しげに眺めていた。その様子を見ていたアイヴィーはさすがにレンドルフが気の毒になって、可愛がるという表現を間違えている自分の主人に今日の寝酒にはとびきり苦い薬酒を出してやろうと心に決めたのだった。
「媚薬や自白剤を阻害する装身具の準備はできているな」
「はい、全て。ですが、クロヴァス卿が所持している品だけで十分かと」
「ああ、あいつも高位貴族の子息だったな。その辺りは心得ているか」
「むしろ購入先を今後の為に教えていただきたい程です」
「ほう、それは興味深い」
これからレンドルフが囮となって対峙するプロメリアは、自身の固有魔法や薬などを駆使して相手を操ることを得意としている。固有魔法は装身具で防ぐことが難しいので厄介ではあるが、プロメリアは今の肉体を捨てて新たな若く美しい女性に魂を移し替えて乗っ取る禁術を最優先にしている筈なので、余分な魔力を消費しないと予測していた。だからレンドルフに何かを仕掛けるとすれば、薬を利用すると思われた。それならば性能の良い装身具や解毒薬を準備しておけば問題なく防げるだろう。
念の為、ダンカンが手配してかなり高性能な装身具を揃えておいたのだが、アイヴィーが確認したところレンドルフは用意したものよりも遥かに良いものばかりを身に着けていたのだ。装身具は大量に付けたところで効果が積み重なるわけではなく、却って互いに干渉し合って逆効果になる場合もある。
今回はレンドルフには所持している装身具だけに留めて、回復薬や解毒薬を持たせることにしたのだった。
「ご主人様の方も、くれぐれも警戒は怠りませんよう」
プロメリアは素性を隠して今はカトリナ伯爵の愛妾に収まっている。レンドルフは伯爵から来た茶会の招待に応じてプロメリアと顔を合わせることになっていた。カトリナ伯爵は完全に彼女に洗脳されていると思われるので、おそらくその場には顔を出さないか、すぐに退席するだろう。そのプロメリアと離れた後、ダンカンが伯爵の身柄を押さえて邸内を制圧する手筈だ。
本来ならば「保護」と言いたいところだが、カトリナ伯爵は洗脳される以前から国に納める税を横流ししている疑いがある為、罪人として捕縛対象となっているのだ。他にも叩けばいくらでもホコリが出て来るであろうことは簡単に想像が付くので、これを機にまとめて片付けておきたい合理主義のダンカンらしい策だった。
「分かっている。ここであいつに良いところを見せておかんと、引き抜きに影響が出る」
「そろそろ諦めた方がよろしいのでは?」
「お前にしては珍しくあいつの肩を持つじゃないか」
「あの方がご主人様の団にいるのは不向きかと判断したまでです」
「そうかな。俺は使いようによっては化けるだけの素質はあると思うぞ」
ダンカンはそう言って、常に悪い目付きを更に悪くして喉の奥で軽く笑った。基本的にダンカンは公式の場に出るときは「元々の目付きが悪いだけで中身はそうでもない」風を装ってはいるが、実際は色々と陰謀を巡らせて理詰めて人を追い込むことが大好物な、ある意味見た目通りの人間だ。勿論、懐に入れた者を大切にする情の深さも持ち合わせているが、まるでチェスでもしているかのように喜々としてとことん追い詰めるのも愛情の一種だと考えている節がある。そちらの顔を見ることが出来るのはごく限られた者だけだ。
「あいつの大切な者をこちらに囲い込めば、守る力を攻撃に転じさせるのも容易かろう」
「それはただの脅迫ですよ」
「冗談だ。まあ、相手もこちらに靡きそうにないか」
ダンカンはどんなに外見を変えても、動きやちょっとした仕草の癖、喋り方などで正体を見抜くことを得意としている。さすがにレンドルフが美少女の外見に戻ってしまった時はすぐに分からなかったが、それでも見覚えがあると確信はしていたのだ。
その能力から、ダンカンはレンドルフの側にいる女性が大公女ユリシーズ・アスクレティであることも把握していた。末端とは言え王族に名を連ねているダンカンは、数少ない大公女が参加した夜会で彼女の姿を見ていた。その数年後に変装してレンドルフの相手としてパーティーに参加していたのを目撃して、その時は確信はなかったが、王城の敷地内の研究施設を訪問した際にユリと顔を合わせて繋がったのだ。
ただ大公家と王家の近年の確執は十分に承知しているので、変装までしているのだから分かっていても見て見ぬ振りをすることが最善だということは理解していた。いくらダンカンでも、大公家と敵対することは得策ではないことくらい知っている。
ただ唯一の誤解は、ダンカンはまさかあれだけ距離の近いレンドルフが、ユリの正体を一切知らないという事実だった。
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「…あの…お待たせしました…」
通常の貴族令嬢の身支度の半分程の時間で、奥の部屋からレンドルフがソロリと顔を覗かせた。やはり中身は成人男性なので今の自分の姿に抵抗があるのだろうが、妙にオズオズとした態度が無駄に庇護欲をそそらせていることに当人は全く無自覚だった。
「完璧ですよ、クロヴァス卿」
「これなら未成年には見えんな」
魔道具によって肉体の時間を戻したレンドルフの外見は、年齢でいえば学園に入学する直前くらいの14歳前後くらいだ。身長は同世代の少年より少し小柄だったので、女性だとすれば平均身長よりも少しばかり小さいだけで済む程度だ。たださすがに顔立ちは幼いので、そこは化粧と髪型で大人っぽく見せていた。
特に薄紅色の柔らかな髪はフワリと結い上げて顔の脇にゆるく巻いた束を垂らしてあるスタイルで、それが細くて白い頚を強調しているせいか、見てはいけないものを見ているような気分にさせる妙な色香が漂っている。
そして透き通るような真っ白な肌は、羞恥もあるのかほんのりと赤く染まって可憐さを強調しているかのようだった。
ゆっくりと部屋から出て来て全身が見えると、担当した侍女がどれだけ気合いを入れたのかと感心する程の仕上がりになっていた。ペールグリーンの光沢のある生地で、万一に備えてシンプルなデザインにしたドレスであったが、却って素材の美しさを際立たせていた。胸元に色々と隠せるようにオフショルダーにしてふんわりとレースを重ねてボリュームを出しているおかげで、ただでさえ細い腰がより強調されている。まだ目立ってはいないが、喉仏を隠す為に巻かれている首のシフォンのリボンは、動く度に揺れて儚い雰囲気を演出していた。
ドレスは右側に大きくスリットが入っていて脚の付け根まで届いているが、その上から色の濃い生地をドレープ状にして重ねてあるので肌の露出はない。しかしこれは完全に縫い合わせているものではなく、大きく足を開くことが出来るようにする為の仕掛けだ。当初は護身用の短剣は胸元に隠しておくつもりだったが、このデザインならば取り出すのは簡単だと、太腿にベルトで括り付けていた。
「クロヴァス卿。こちらを」
アイヴィーが、手にすっぽりと入る大きさの細いガラス瓶の形をした魔道具をレンドルフに手渡して来た。これには魔力を無効化する加護を持った者の血液が入っている。この血液にも加護があり、これを打ち込まれれば魔力が消失する。禁術と呼ばれる魔法で他者の体を乗っ取っては若いまま生き続ける魔女プロメリアの凶行を止めるには、これはなくてはならない重要なアイテムだ。
「取り扱いにはご注意ください。もしご自身の身に入れば、取り返しのつかないことになります」
「肝に銘じます」
レンドルフは緊張の面持ちでアイヴィーから魔道具を受け取った。これの蓋を外して相手の体に押し当てると、中から針が出て来て保存されている血液が注入される仕組みだ。一応それなりに強度はあるが、それでも強い衝撃を受ければ割れてしまう。まだ予備はあると聞いているが、その加護を持つ者は既に亡くなっているため無駄には出来ない。
その魔道具を特別な仕掛けがしてあるドレスの胸のポケットに丁寧にしまい込んで、レンドルフは上から軽く手で押さえた。すぐに取り出せる位置でありながら、外から分からないように忍ばせなければならない。これは外からの衝撃を和らげる付与が掛けられていて、更に肌に触れる部分は防刃の生地が使われている。万一ポケットの中で割れてしまってもレンドルフに影響が出ないように、細心の注意が払われていた。
「最終的にはクロヴァス卿の判断にお任せしますが、出される飲食物には口を付けないようにしてください」
「そうしたいと思います」
プロメリアが自身の血縁以外の女性の体を乗っ取る際に、拒絶反応が出ないようにトーカ家の者の血を摂取させる必要がある。拒絶反応が起これば体が崩壊して、魂だけになった存在は長くは生きていられない。摂取させる期間が長ければ長い程、拒絶反応が少なくそれだけ長く体を使えるのだ。
しかしアイヴィー達の掴んだ情報によると、プロメリアの今の体はそう長く保たないらしく、すぐにでも新しい体を欲しているそうだ。だから初対面でいきなり血を混ぜたものを勧めて来る可能性は非常に高いのだ。レンドルフとしては知らないフリをしつつ、如何に怪しまれないように拒否するかが肝になって来る。
プロメリアが乗っ取れるのは女性の体なので、レンドルフがいくら見た目が美少女でも徒労に終わるのは分かっているが、それでも出来れば全力で避けたい。
「私も姿を隠して近くにおりますので、貴方に危害が及びようなことは絶対に阻止します」
「ボルドー団長のお側にいなくてもよろしいのですか?」
「ご主人様はプロメリアの好みではございませんから、アレの毒牙は心配することはございません」
「そうではなく…」
「ああ、イヤーカフが少しズレております。少々触れても?」
「は、はい…」
ダンカンは少数の手勢でカトリナ伯爵家を制圧して、不正の証拠になる裏帳簿などを押さえる役目を引き受けている。カトリナ家には専属騎士団はないと聞いてはいるが、それでも屋敷内の護衛はいる。血筋だけのお飾りの団長ではなく、実力が最優先される歴代の近衛騎士団長と並べても遜色ないと評判のダンカンならばそうそうやられることはないだろうが、それでも甘く見てはならない筈だ。
「くくっ、そうしていると麗しい姉妹のように見えるな」
アイヴィーはスラリとした細身で、今のレンドルフはやや小柄ではあるがやはりほっそりとした華奢な体型だ。濃いピンク色の髪と薄紅色の髪なので、傍目には血縁があるように見えなくもない。その二人が顔を寄せ合うようにして触れ合っている姿は、まるで絵画から美しい精霊が抜け出して来たかのようにも見えるだろう。
「ご主人様、それを仰るなら『兄弟』でございますよ」
「もっともだ」
その二人をソファで寛ぎながら鑑賞していたダンカンの揶揄うような言葉に、アイヴィーは慣れたものだとサラリと返した。見た目は美しい淑女の姉妹のようにみえるが、実際の肉体は両者とも男性なのだから。
「レンドルフ」
「はい」
ダンカンが立ち上がってレンドルフの側に来ると、指先でサラリと顔の脇に流れているレンドルフの髪に触れた。成人後のレンドルフ程ではないが、平均よりもずっと背の高いダンカンが側に立つと、今のレンドルフの視線は彼の口元のところになる。そのダンカンの薄い唇がゆっくりと弧を描く。
「お前には一筋も傷は付けさせるつもりはない。無茶だけはするな」
「は…はい。ありがとうございます…」
外見よりも少しだけ高いいつものダンカンの声とは違い、低く言い含めるような声にレンドルフは戸惑いを隠せず何度か目を瞬かせながら頷いた。しかし少々気持ちが漏れていたのか、真っ直ぐではなく捻るような形になっていた。
「お前に何かあると、怖い御方が出て来るからな。その御方のことを思うと夜も眠れん」
ダンカンは冗談めかしてレンドルフの肩を軽くたたくと、「出掛ける準備を整えておくように」とアイヴィーに命じて部屋を出て行ったのだった。
(…父上のことか…?)
言われた方のレンドルフは、ダンカンの怖がるような人物が思い浮かばなくて脳内に辺境の赤熊と呼ばれた自分の父の姿を思い浮かべていたのだった。
ダンカンの言う「怖い御方」とはレンザのことです。