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524.手合わせと利き手


「何故、閣下がここに?」

「そういきり立つな。もう貴殿と戦う気はない」


すぐさま臨戦態勢を取るレンドルフに、コールイは苦笑混じりに両手を挙げて敵意のないことを示した。しかし前回の決闘で手段を選ばない戦い方をするコールイを分かっているだけに、レンドルフの警戒は解かれないままだった。それはコールイも承知の上だったのか、それ以上はレンドルフに近寄らずに両手に何も持っていないことを見える位置に手を下ろした。


「人を捜していてな。この辺りで見かけたという話を聞いてやって来たまで」

「この周辺はダンジョンの入口が出現したので、住民は避難しています。閣下のお探しの方はもう既にいないのではないでしょうか」

「かもしれんな。しかしもう少し周囲を探すつもりだ」

「魔獣がどこから出没するかは分かりません。お勧めは致しかねます」

「私を誰だと?」

「それでもです」


若い頃は他国にも英雄の名を冠する程に前線で功績を上げたとは言え、コールイはもう老境に入っていると言ってもおかしくない年齢だ。人を守ることが騎士の本分だという教えが芯から染み付いているレンドルフからすると、コールイとてその対象に入る。以前、ユリに対して失礼なことを言ったらしいことは未だに燻っているが、それとこれとは別物だ。


「では私と手合わせしてみるか?」

「戦う気がないのでは?」

「戦いと手合わせは違う」


そう言いながらコールイは纏っていたローブをバサリと地面に落とした。その下からは、黒い革の防具とその上からでも分かる分厚い体が現れた。先日の決闘の時でも思ったが、コールイの放つ圧倒的な威圧感は現役の騎士でも中々出せるものではない。多少白髪は混じっているが黒い髪に浅黒い肌、そして体を二回りは大きく見せる空気感は、さすがに往年の英雄と言った貫禄だった。


コールイは腰に佩いていた長剣を無造作に足元に落とすと、残しておいた短剣の鞘を払った。


「!?」

「脇が甘い」


レンドルフがどうしたものかと思案していると、コールイは何の声もなくレンドルフに向かって一直線に走り込んで来た。反射的に手にしていた短剣で受け止めたが、レンドルフの脇腹に刃が入る直前にコールイの手が止まったのは分かった。もし本気で戦う気ならば一瞬で勝負はついていただろう。本当に手合わせなのは理解したが、レンドルフはそれでも背中に一気に汗が噴き出すのを感じていた。


「そこで後ろに引くな」

「はっ…」


明らかに手加減されているのは分かるが、身長があまり高くないコールイが繰り出す剣技はとにかく死角を狙って厄介な場所から突き出されて、レンドルフとしては捌くのに手一杯だった。しかも僅かに服が切れる感触はあるが皮膚には届いていない。コールイの動きは一切の無駄がない上に速く、レンドルフの長い手足が追いつかなくなってまるで自分のものではないように思えた。


レンドルフの対人戦闘スタイルは、大きな体と長い手足を生かして大剣で間合いを大きく取って相手の攻撃が届く前に制圧するものだ。剣の間合いから外れたところは魔法を併用しているので、懐に潜り込まれる相手とは相性が悪い。


本気でコールイを退けるのならば魔法を使えばいいだけなのだが、レンドルフは彼が稽古を付けてくれているのだと悟ったので、敢えて自ら魔法を使わずにいた。そこまで信頼していい相手なのかはレンドルフ自身も心の片隅で疑惑は拭えないままだったが、それでも必死にコールイの猛攻を自分の身一つで躱していた。


「振り幅が大きい。その獲物なら最短で繰り出せ」


レンドルフの倍近い手数で攻め立てて来るコールイは、一体どういう体力をしているのか息の乱れ一つない。その中で、ギリギリのところで対処しているレンドルフにも的確な指示を飛ばして来る。必死で気付いていなかったが、指摘されると確かに短剣を振りかぶる動作がどうしても大きくなっていたことを自覚した。いつも規格外に長い大剣を振り回しているので、無意識的に一度大きく後ろに引く癖がついていたらしい。


それに対してコールイの動きには一切の無駄がない。彼は長さの違う二刀使いだ。瞬時に武器の間合いで体の使い方を変化させているのだ。しかもコールイの重心は低く、足の動きもほぼ摺り足で移動している。その動きがまるで地面に根を張る大木の如く、恐ろしい程の重みを持っている。レンドルフがいくらコールイの短剣を弾き返しても、逆に跳ね返されて自分の上半身が揺らぐ。ただ単純に力だけの真っ向勝負ならばレンドルフの方が上なのは分かっているが、コールイは絶妙に力を逃がして更に一瞬でレンドルフの力を利用して返している。幾度も攻撃を凌いでいてそれを理解したが、だからといってそれにすぐに対処出来るかというとそう簡単なものではない。


前回の決闘は自分の得意の武器を持っていたから拮抗出来ていたが、今のレンドルフは明らかにコールイに翻弄されている。深夜で空気も冷えている中にも関わらず、いつしかレンドルフの額に汗が浮かぶ。


額の汗が流れて目に入る前に、一瞬でも手の甲で拭えないかと剣を持っていない左手を意識した瞬間、それを目敏く見抜いたのかコールイが下から上に突き上げるようにレンドルフの喉元に向かって腕を伸ばした。無理な体勢でそれを防いだので、握り締めていた手が痺れて短剣が一瞬宙に浮いた。


「くっ…!」


レンドルフは咄嗟に額に伸ばしかけていた左手で短剣を掴むと、そのままコールイに向けて横凪ぎに払った。利き手ではないのでただ力任せに振り抜いたのだが、狙ったわけではなかったことが功を奏したのか、コールイの短剣にまともにぶつかって今度は向こうの剣が弾き飛んだ。指先と耳に嫌な感覚を残してレンドルフは思わず顔を顰めたが、それでも左手に力を込めて柄だけは放さなかった。


「…悪くない」

「お怪我は」

「少々手が痺れているだけだ。慣れていない分、制御が利かないようだが、力も速さも右の比ではない。もしや生まれつき左利きだったのではないか」

「…それはよく分かりません」


物心ついた時には右手で剣を扱っていた。それは周囲の教える人間も右利きだったので、誰も、レンドルフ自身も何の疑問にも思わなかった。文字を教えてもらうのも、カトラリーの扱いも全てがそうだったので、今になってそう言われても実感は全くなかった。ただ筋力に左右差があると後々影響が出て来ると言われているので、意識的に両方とも鍛えてはいた。それでもやはり右手をメインに使用するので、比べると右腕の方が全体的に太い。

コールイにそんなことを言われたのが不思議な気持ちで、レンドルフは短剣を握り締めたままの左手をジッと見つめてしまった。


コールイの短剣は数メートル離れたところに飛んで行って、サクリと地面に突き立っていた。そこでコールイもそれ以上は続ける気はなかったようで、降参の意志を示すように軽く両手を挙げた。が、すぐに顔を顰めて防具の上から腹の辺りを手で押さえた。


「閣下」

「いや、少しばかり息切れがして胃の腑が痛んだだけだ。貴殿の刃など掠ってもおらぬ」

「…ありがとうございました」

「私が勝手に吹っかけただけだ。感謝される謂れはない」

「それでも、良い学びとなりました」


真っ直ぐな言葉を返すレンドルフに、コールイは視線を逸らせて脱ぎ捨てたローブを拾って無造作に纏った。その動きは先程までとは違いひどく緩慢で、まるで疲れが一気に襲って来ているかのようにも見えた。


「閣下、少し宿で休まれてはいかがでしょうか」

「いや。あまり時間がない」

「病がお辛いのでは」


そう言いかけた瞬間、コールイは突き刺すような視線をレンドルフに向けた。その目は、手負いの魔狼を思わせた。レンドルフもその圧力に押されて、反射的に言葉を呑み込んでしまう。


以前コールイと会った後に、ユリからおそらく彼は病を患っているのだろうと聞いていた。そしてあまりよい状態ではなく、おそらく違法薬物を使用して痛みを抑えているのではないかという見解だったのだ。レンドルフはその反応から、ユリの言ったことは間違いがないのだと確信を持った。



「シオシャ公爵閣下、差し出がましいことを申しますが」

「いらぬ」


レンドルフの言葉を承知していると言わんばかりにコールイは最後まで言わせず、キッパリと断ち切るような強さで言い切った。そしてゆっくりとコールイは突き立っている短剣を拾い上げると、軽く親指で刃の辺りを確認してから革製の鞘に納めた。その横顔は、夜目でも拒絶の意志が明らかに察せられた。


「その左手、活かさずにいるのはあまりにも惜しい。良い指導者を探すと良かろう」

「心に留めて置きます」

「その若さで剣も力も、その上魔法も長けている。身分も人柄も申し分なし…悪いのは女運だけか」

「過分のご評価はありがたいですが、そちらの運を悪いと思ったことはございません」

「ほう。あのお嬢さんといてもそう思うか」

「むしろ良い方だと自負しております」


コールイは以前ユリのことを「悪女」と評したが、レンドルフはそのことに関しては全く納得していない。レンドルフからすれば、今まで騎士として生きることしか考えておらす視野狭窄に陥っていた自分に新しい世界を示してくれた大切な存在だ。何故コールイがそのように言うのかは問い質してみたいところではあるが、全く分かり合える気はしなかった。


そんなレンドルフの剣呑な空気を感じたのか、コールイはレンドルフに背を向けて落としておいた二本の長剣を拾い上げた。その際に僅かに肩が動いたのは、嘲笑だったのか溜息だったのかレンドルフには判断が付かなかった。


「…辺境伯殿は、良いご子息を持ったものだな。羨ましい限りだ」

「そう、でしょうか」


まだ背を向けたままのコールイがポツリと零すように呟いたのだが、レンドルフにはその表情は全く予想も付かなかった。ただその呟きには苦いものが含まれているような響きがあった。


「父の攻撃力も母の癒しの力も受け継がなかった不肖の息子だったので、幼い頃は大分拗ねて育ちましたが、それでも浴びる程の愛情を掛けていただいたおかげだと思っています」

「……愛情、か」


その言葉はコールイ自身も意図せずに漏れていたのかもしれない。それはあまりにも小さく、殆ど声になっていなかった。



レンドルフは兄二人が既に伴侶を迎え、後継である嫡男をもうけていた後に誕生した年の離れた末弟だ。周囲にも娘がいなかったので期待されていたが、産まれたのは母に似た女の子と見紛うばかりの美しい男児だったのだ。そして辺境では尊ばれる攻撃力の強い火魔法や、傷や病を治癒する水魔法や聖魔法ではなく、あまり辺境では見かけない土魔法を発現した幼いレンドルフは、そんなことは関係なく周囲から愛されていたことに気付くことが出来ず一人孤独を深めていた。

家族に対する愛情と、娘ではなかったことへの申し訳なさと、役に立つ属性を発現出来なかったことへの後ろめたさの狭間で、幼いレンドルフは無茶な方法で強引に火魔法を発現させた。今思うと到底実行出来るとは思えない程の無謀なやり方であったが、幼いが故の視野の狭さがそれを実現させたのだ。ただそれと引き換えにレンドルフは瀕死の重傷を負い、ひどく家族を悲しませてしまった。


大人になった今となっては過去の自分の過ちを理解し、家族とも蟠りはないと思っている。だが、家族にはどこか後悔が残っているのか、成人した今でもレンドルフに対して随分と甘やかそうとする。それがありがたくも少々複雑な思いになるのも事実だった。



「本当はそのまま悟られぬうちに退散するつもりだったが、つい血が騒いでしまった。すまなかった」

「いえ…ご指導感謝します」

「ははは、どこまでも人の良い」


レンドルフとしても複雑な気持ちであるのは否定出来ないが、得意ではない武器の扱いに新たな可能性を感じられたのも確かだった。


「閣下、どうぞご自愛ください」


その場を立ち去ろうとするコールイの背中が、何故か一気に年齢以上に老け込んだように見えてしまってレンドルフは思わず声を掛けていた。やはり重い病だとユリから聞いていたことがそうさせたのだろう。


その言葉にコールイはレンドルフに背を向けたままピタリと止まった。そして不自然な程長い時間、その場から動かなかった。

レンドルフは何かあったのだろうかとしばらく逡巡していたが、再び声を掛けようと口を開きかけた瞬間、コールイが振り返った。


「気に留めておこう」


静かな低い声でそれだけをレンドルフに告げると、コールイは何事もなかったようにそこから立ち去り闇の中に消えて行った。


彼が消えた闇はいくら目を凝らしても何も見えず、レンドルフはまるでコールイが闇に喰われたかのような錯覚に囚われてしまい、しばしその場に立ち尽くしていたのだった。



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