523.貸しと邂逅
「私が来る前に全てが終わってしまいましたね」
まるでタイミングを計っていたかのようにハリとの話が一段落着くと同時に、部屋の扉がノックされてレイが遅れて入って来た。この部屋はかなり強力な結界が施されていて、外からの攻撃を防ぐだけでなく、中の音や様子を伺うことが一切できないようになっている。しかしレイには全てお見通しなのだろうな、と部屋の中にいた人間は全員満場一致で同じことを考えていた。
「お嬢様、寛大なご裁可、感謝致します」
「いつかお返しいただくと言うことで、今回は不問にしただけです」
「それで十分です」
そのままハリを連れて行くのかと思ったのだが、レイはハリが腰掛けている隣にスッと腰を下ろした。まだ何か話すことがあるのかと、ユリは姿勢を正す。
「もう一つ、お嬢様にお願いがあります」
「私に出来ることでしたら」
「それでは遠慮なく」
にこやかなレイの顔に怪しいところは見られなかったが、生きている年数が遥かに違うのでそういった内心を悟らせない技術は右に出るものはそういないのだ。ユリはあっさりと承諾したのは、ひとえにこれまでの信頼からだった。
レイは隣に座っているハリの手を取ると、ユリに向かって差し出した。
「彼の手に触れていただけませんか」
「「え?」」
レイの行動に、ユリとハリは意図せず声が揃ってしまった。そして驚いたようにお互いに目を丸くして見つめ合う。その妙に息の合った行動に、レイは彼らに分からないようにほんの少しだけいつもよりも口角を上げてしまった。
「お嬢様は、お身内かどうかの判別が可能でしたでしょう?それこそ血統鑑定よりも」
「え…ええ…」
レイの言葉に、ユリは少し戸惑った表情になってチラリとハリに視線を送った。
ユリは現在一族の中で最もアスクレティの始祖の血が濃い。正式に鑑定してもらったことはないが、魔力量は王族と比べても引けを取らない。それどころか現在の国王と同等以上かもしれないと予想がつく為に、わざと鑑定を避けている。
元々アスクレティ家の始祖は建国王より魔力が強いと言われていた。それを利用して王位を簒奪するように目論む輩に付け入る隙を与えないように、始祖以降は王家の魔力を越えないように魔力の少ない下位貴族から伴侶を迎えたりしていたのだ。
元々ユリの曾祖父である先代アスクレティ当主ムクロジの弟が受け継いだ侯爵家が、ユリの母方の実家でもあった。ただでさえ始祖の血を受け継いだ直系の本家が分かれた家同士だ。祖父は従兄弟同士であり、祖母も分家や縁戚の家から迎えていた。一応はとこ同士の婚姻は問題はないと言われているが、ユリの両親の場合は次代に問題が起こる可能性が非常に高いと回避されていた筈だったのだ。
けれどその重要さを理解していなかった当時の王太子が進んで協力してユリの両親の婚姻を手助けした為、結果的に王族並みに魔力量の多いユリが産まれてしまったのだ。ただユリの誕生は王家の責もあるということで、存在自体は消されずに済んだ。
そしてユリは血の濃さが本能に影響したのか、触れた相手がアスクレティ家の血を引いているか否かを何となく感知できる能力を有していることが分かった。そのおかげで、当人の意志とは関係なく結ばされた最初の婚約は、実は相手が近しい血統だったと判明して白紙に戻されたのだった。
神殿などで行われる血縁鑑定は、三親等までしか判別が出来ない。それも生存している者の僅かな血液を必要とするもので、亡くなった者の鑑定は出来ない。婚姻が禁じられるのは三親等までなので、それだけ分かれば特に問題はないとされている。もしもっと血統を遡りたい場合は、生存している関係者の血液を全て集めてくればある程度は判別も可能だ。
異種族との混血の場合は、血が近ければ種族の特定が出来るが、遠くなると判別は出来ないと言われている。
ユリの能力は、アスクレティ家のみの判別ではあるが、触れるだけでかなりの遠縁でも分かるものなので、その能力は秘匿されていた。だからこんなにあっさりとハリのいる前で肯定していいのか迷ったのだが、レイのことだから後でハリに誓約を結ばせるか何か対処するのだろうと思ってユリは戸惑いつつも頷いた。
「では…失礼します」
レイに掴まれたままのハリの指先を軽く握るようにユリが触れると、一瞬だがハリの手がピクリと跳ねるような反応を返した。しかしそれ以上は何もなく、ユリはすぐに手を放した。
「いかがでした?」
「…あの…ええと…」
「どうぞ。もう彼も知っていますから」
念の為ユリが視線を向けると、ハリもそれを肯定するように小さく頷いた。
「ハリ様は、我が家の血を引いてはおりません」
ユリは以前に治療ということでほんの少しだけハリに触れられたことはあったが、その時は彼の指の感触の不快感に気を取られて意識が回っていなかった。それにそれよりも前に、ハリはかつて婿入りしたアスクレティ家の縁戚がいたホシノ子爵家当主との血縁であるという鑑定結果を聞いていたので、思わず感じた不快感をそれと勘違いしていたのかもしれない。
「ありがとうございます。このことは、今すぐではありませんが、来る時が来た際にはお嬢様に証言をしていただきたいのです」
「ですがそれは…」
「公表をする必要はございません。ただ、彼の言葉に耳を傾けようとしない頑固者の耳に響けば良いのです」
「頑固者ですか?」
「ええ。貴女の祖父殿と旧知のあの方ですよ」
「ああ…」
レイが示した相手は、戸籍上のハリの祖父であるコールイ・シオシャ公爵だった。彼にしてみれば、どちらにせよハリと自分と血の繋がりはないのだから、聞いたところで意味がないと思っているのかもしれない。
「ハリ殿は加護の力で自身の出自を知ったのですが、あの方は証明するものがないとおっしゃいまして」
「分かりました。その時が来れば口添えさせていただきます」
「感謝致します」
アナカナとの縁談がすんなり進まないのは、未だにハリがアスクレティ家の血を引いていると思われているからだろう。もしそれを覆すことが出来れば、むしろ諸手を上げて縁を結びたがる筈だ。今は子爵に位を落としているが、ホシノ家は古い歴史のある侯爵家だったのだ。少なくともハリは貴族の血を引いていることは間違いないのだ。それに今は戸籍は公爵家にあるのだから、身分や条件としては申し分ない。
そうすれば王家は、少なくともユリに対して強引な縁談を進めて来なくなる。ユリとしては願ったり叶ったりでもあるのだ。
「この借りは、何かの機会に必ずお返しいたしますね」
「ふふ…神官長様と聖人様に貸しを作ってしまうなんて。何でも願いが叶いそうな気がしますね」
「お手柔らかにお願いいたします」
少しばかり大仰にレイは胸に手を当てて、深々とユリに向かってお辞儀をした。その様子は随分楽しげに見えて、ユリは釣られて笑ってしまった。それを合図にしたかのように場の空気が緩んだので、どうやら緊張していたらしいハリも、笑顔にこそなっていなかったがフッと肩を落として力を抜いたのが分かったのだった。
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レンドルフは領境にある集落の宿で、ウロウロと落ち着きなく歩き回っていた。とは言っても安宿の二人部屋なので、ベッドを二つくっつけた状態の部屋の中は大して広くはない為、レンドルフの足では二歩半で壁にぶつかってしまう。それを先程から繰り返しているので、いい加減目が回って来ていた。
(いよいよ明日か…)
魔獣から住民を守りながら街道沿いに避難を完了させ、あとは魔獣が溢れているダンジョンに入ってダンジョンボスを倒せば今回の任務はほぼ終わる。ダンジョンの中で増え過ぎて外に溢れて来た魔獣は、ダンジョンの中の最奥に居るボスを倒せばおさまるのだ。その後は冒険者などに定期的に間引きを依頼しておけば、今回のような騒動になることもないだろう。
レンドルフはダンジョン内でボスの討伐に向かうのは駐屯部隊とオスカー達に任せて、明日はカトリナ領から招待が来た茶会へ赴くことになっていた。
明日皆が向かうダンジョンには何度も潜っているヨーカとレイロク曰く、途中レンドルフが通れる道がないとのことだった。どのルートを通っても必ず通過しなければならない場所があって、そこは横幅も天井も狭く、成人男性一人がやっと通れるくらいだという。どうしても一人ずつ通過しなくてはならないので、そこで詰まってしまっては同行者を危険に晒しかねない。そこで仕方なくレンドルフは一人任務から外れることになったのだが、そのことについては誰も責めたりはしなかった。レンドルフとしても不可抗力なので割り切るしかないのだが、やはり申し訳ないと恐縮するばかりだった。
このままレンドルフは留守番になるかと思っていたのだが、そのタイミングでカトリナ伯爵当主から招待状が送られて来たのだった。
王家を操って国の乗っ取りを目論んだトーカの魔女プロメリアが、今はカトリナ伯爵の愛妾に収まっているという情報を入手し、第三騎士団の団長ダンカンが自ら捕縛に来ていた。プロメリアは魂を別の体に乗り換えては生き続ける厄介な存在で、魅了や洗脳などの魔法や毒物を扱う。行方を掴むのにも苦労させられていて、ようやく手掛かりを見付けてもすぐに雲隠れしてしまうイタチごっこが繰り返されていたのだ。その彼女を捕らえようと長年追って来て、今がようやく訪れた好機だった。
プロメリアが体を乗り換える条件が、同性であり、自身の一族か、或いは血液を摂取させて魔力を馴染ませた体である必要がある。そろそろ次の体が必要となってくるであろうと、一族の女性によく出るピンク色の髪を持つ魔法士が魔獣討伐に来ていると噂を流しておいたのだ。それを耳にすれば、あちらから声を掛けて来るだろうという策だった。
そしてその策に引っかかり、「もしかしたらカトリナ家で面倒を見ている女性の生き別れの妹かもしれない」と伯爵から直々の招待状が届いたのだった。
レンドルフは特殊な魔道具を使って、まだ細身だった頃の姿になって替え玉としてカトリナ伯爵の招待を受ける任務を密かに任せられていた。
「少し、慣らして来るか」
本当はもう就寝時間をとっくに過ぎているのだが、一向に眠れそうになかった。これが通常の任務ならばきちんと休むことも仕事のうちだと思って眠るのは慣れているが、明日の任務は女性のフリをして凶悪な魔女と対峙しなくてはならない。彼女に怪しまれずに接近し、隙を突いて魔力を無効化する加護を有した血を打ち込まねばならないのだ。基本的に力で押し切る方が得意なレンドルフには、権謀術数な任務は得意ではないのだ。しかし覚悟を決めて受けてしまった以上、失敗は許されない。
明日はさすがに愛用の大剣を持って行く訳にはいかないので、服の下に隠せる短剣を用意していた。それにお守りとして持っているユリから貰ったタッセルも付け替えている。レンドルフはどんな武器でも一通りは扱えるが、ただ短剣はどちらかと言うと戦闘よりも獲物の解体によく使っていた。レンドルフからすると狭い場所などでは短剣よりも素手の方が戦いやすいのだ。
ただ明日は今とは力が半減するので、何かあれば短剣を使うことになるだろう。何となく落ち着かないまま部屋をうろついているのも飽きたので、レンドルフは短剣をベルトに差してそっと宿の外に出ることにしたのだった。
他の騎士達は明日に備えて休んでいるので、レンドルフは宿から離れた場所へ向かった。この集落は新たに出来たダンジョンの入口に近いこともあって、魔獣が溢れて来るのが治まるまで集落の住民は避難している。魔獣の危険がある場所に盗賊が来ることはないだろうが、財産になるものも運び出すように指示しているのでその心配もない筈だ。
レンドルフは集落の中央通りまで出ると、太腿にベルトで短剣を括り着けて幾度か抜き差しを試してみた。動きに問題はなかったが、当日はシンプルなものであるがドレスを着なくてはならないし、魔法士がよく着ているローブもその上に纏う予定なので、隠し場所には向かないと思い直す。
やはり胸元に隠しておくのが一番いいかもしれない、と思い悩んでいると、不意にジャリッと石を踏む音が聞こえた。
「誰だ?」
考え事に沈んでいても、いつ魔獣が出て来てもおかしくない区域にいるので周囲への警戒を怠っていたつもりはなかった。しかし相手は一切気配を悟らせず、しかもわざわざ音を立てて存在を知らせて来た。
音のした方に目を凝らすと、何やら黒い塊がいた。身体強化を掛けて更に視力を上げると、どうやら黒いローブを纏った男だということが分かった。
「意外と器用なものだと思ってな。だが、少々惜しい」
「……シオシャ公爵閣下!?」
フードを取り払うと、そこにはコールイの顔が覗く。
全く予想もしていなかった人物との邂逅に、レンドルフは一瞬ポカンとしたものの、反射的に持っていた短剣を抜いてその切っ先をコールイに向けていた。