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51.【過去編】戻って来る日常


「明日は少しだけ街に買い物に行ってみましょうか?」



ユリに対して平民指導という謎の授業が始まってから、二週間程が過ぎていた。基本的に貴族は足元まであるドレスを着ているのだが、平民は長くてもくるぶし丈、通常であれば膝丈くらいのものが多い。最初はなかなか慣れずに同性のクリューの前に出るのも抵抗があったようだったが、最近はくるぶし丈くらいなら屋敷の中でも歩き回れるようにまでなっていた。そこでクリューは次の段階に進むことにした。もちろん前もってレンザの許可は得ている。


「まあ!わたくし平民らしく見えるようになりましたか?」

「う〜んと…まだちょっと貴族っぽいかな〜」

「そうでしたか…難しいですわ…」

「でもね、他の女の子の様子を見るのも参考になると思うし。実地訓練しましょ」

「はい!よろしくお願いいたしますわ!」


いい笑顔で答えて来るユリに、クリューは唇を噛み締めながら手を周囲でワキワキとさせていた。


「…何やってんだよ」

「いや、つい可愛くって」

「で?大丈夫なのか?あのお嬢様」

「んー…女の子多いとこなら大丈夫かなって。平民の女の子なら、ほぼ野生の勘で絡んで来ない」

「そういうモン?」

「そういうもん。どう見たって貴族のご令嬢だもの。下手に絡むと色々マズいのは分かってるって」

「それでももし絡んで来るのがいたら?」

「その手のお花畑にいる子は長生きしないから無視して放っておくに限るわよ。そういう手合いは、森で赤熊に出会っても挨拶しに行って自ら食われるから」

「それはそれである意味潔いな…」


ユリは早速明日着ていく服を選んでいて、このクリューとミスキの会話には気が付いていなかった。



彼女に色々教えるようになって、関わる機会の多いクリューが今のところ一番距離を縮めている。特に可愛いものに目がないクリューは、ユリを色々と平民風という仮装感覚で着飾らせる楽しみに目覚めてしまったようだ。あちこちに出掛けては、彼女に似合いそうな服や装飾品などをせっせと買い込んでいる。既に彼女のクローゼットには、平民風の衣装が平民とは思えない量で並んでいた。



ユリは、ミスキ達がイメージしていた貴族令嬢とは違い、平民の自分達にも丁寧に接してくれた。決して威張ったり、理不尽なことを言い出したりはせず、平民の在り方を真摯に学ぼうとする姿勢が真っ直ぐで好感が持てた。


しかしクリュー曰く「あれじゃ御前が心配するの分かる」とのことだった。ミスキの目から見ると、真面目で上品な何の問題もない令嬢に思えるのだが、クリューから見ると「自己評価低過ぎ。あれはダメ男を吸い寄せる典型だわ」と少々辛口の評価だった。



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ユリの指導が始まると同時に、レンザに頼んで手配してもらった家庭教師からタイキは試験対策の勉強を教えてもらうことになった。さすがに教える専門家だけあって、これまで進捗が悪かったタイキの勉強も見違える程進んでいるようだ。


更にレンザの勧めで、魔力制御も教えられる魔法士も付けてもらい、こちらも目に見えて効果が現れていた。完全にではないが、鱗の鎧を発生させる「竜化」を自分の意志で出せるようになっただけでも大きな進歩だった。どうしても本能的に攻撃に対しての自動防御反応は出てしまうが、それでも自分で制御可能なのは有用性が大きい。

そして、この「竜化」の制御を始めた頃から、感知能力もある程度抑えられるようになって来たのは予想外の僥倖だった。タイキが言うには、悪意も嘘もこちらに向いていないものは布を被せたような遠い感覚、ということだった。それが判明してから、近しい人間への感知を鈍らせる魔道具を装着はしているものの、少しずつ出力を少なくしている。この魔道具はタイキの精神的な成長を僅かに阻害する副作用のあるものなので、これを装着しなくても生活出来るのならそれに越したことはない。



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「クリュー先生!明日はこれを着ようと思いますが、いかがかしら?」

「んんん〜まだそんなに暑くないから、上に羽織れるものがあった方がいいんじゃないかしら」

「そうですわね。探してみますわ」


ユリが選んだのは臙脂色のワンピースで、デザインはシンプルではあるが、明らかに光沢のある上質の素材が使われているのが一目で分かってしまうものだった。勿論普段大公家で着ているものに比べれば、普段着以下の品ではあるのだが、街中に着ていくには少々目立ち過ぎる。そして半袖のデザインであったので、それも隠す為にクリューはさり気なく提案したのだった。何せ生まれついての貴族であるので、圧倒的に肌の白さやキメ細やかさが違う。それに魔力制御や防毒防刃など、レンザが力の限り用意した強力な装身具を大量に付けている。そんなものを見えるようにして街中を歩いていたら、ほぼ誘蛾灯状態である。


「あの、こちらはいかがかしら?」


ユリが追加で選んだのは淡いグレーのカーディガンだった。色は地味だが、ゆったりとした袖の膨らみと軽やかな波のように広がっている裾が可愛らしい。ストンと下に落ちるタイプのワンピースと良く合っていた。


「あら〜素敵だわぁ。うん、いい感じ。明日は午後に出掛けて買い物して、余裕があったらカフェでお茶でもしましょう」

「はい!よろしくお願いします、クリュー先生!楽しみですわ」


小柄で可愛らしいタイプの彼女はもっと淡い色でも似合いそうなのだが、普段でも地味目の色を好むと聞いていた。初めて顔を合わせた時は10歳前後なのかと思ったが、確認してみたらなんと15歳だったのだ。当人も体の小さいのを気にしていて、外見に似合うものよりも少しでも大人っぽく見えそうなものを無意識的に選んでいるようだ。



貴族であれば必ず通う学園の入学は15歳からなので、一度そちらへ通わなくても大丈夫なのかとレンザに聞いてみたところ、既に彼女は卒業試験に合格していて、籍は置いているものの実質通う必要はないという答えが返って来た。幾つか実技はあるそうなのだが、それも色々と免除してもらった、とレンザがいい笑顔で言ったので、聞いた方もそれ以上は聞けずに頷くしかなかった。

それに、彼女の二学年上と一学年下に王族がいるので、学園にいる間は変装の魔道具を使用することが禁じられる。既に貴族の間では大公家息女が「加護」なしの死に戻りという事実は知れ渡ってはいるが、実際に目にすればまた新たな火種を生みかねない。


「明日着替えたら御前に見せましょうね〜。きっと褒めてくださるわよ」

「はい!」


そう言って屈託なく笑うユリの姿は、年相応の少女にしか見えなかった。



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「はい、お疲れさん」


コトリと目の前に置かれた皿の上には、揚げたてで表面がまだシュワシュワと小さな音を立てているフライがドンと乗っていた。


「ああ〜旨そう〜〜」

「タイキ、ちゃんと手を拭く!」

「分かってる!」


涎を垂らしてすぐにでも齧り付きそうなタイキに、ミキタはお手拭きを手渡した。


連日の勉強漬けに体を動かせないタイキは、帰って来るといつもシオシオになっている。だがこうして目の前に料理の皿を並べてやると、すぐに元気を取り戻すのだ。体は大きくなっても行動は変わらないことに、ミキタは少しだけ困ったような嬉しいような気分になる。


「「「「いただきます」」」」



アスクレティ家別邸から戻って、夕食をミキタの店で食べることが最近すっかり習慣化していた。

当初は、駐屯部隊からあることないこと聞いていた客がチラリとタイキの姿を見てそそくさと帰り支度をしていたこともあった。さすがにタイキも遠慮がちに食事を早々に切り上げようとしていたが、ミキタが全部食べ終わるまで帰さないと圧を掛けてデザートを食べるまでタイキを席から立たせなかった。そんなことを繰り返すうちにかつての常連客も戻って来て、店の隅とは言え美味しそうに食事をしている彼らの姿を見て釣られて追加注文する者も出て来るようになっていた。



粗目のパン粉でキツネ色にサクリと揚がったフライにナイフを差し込むと、ふっくらとした白身の魚が現れ、もうもうと湯気を立てる。少し冷たいタルタルソースを乗せて口に入れると、最初はヒヤリとしたソースが舌に触れるが、すぐに熱々の身から汁気が溢れ出る。


「熱っ!!」


サクサクした衣とホロリと崩れる柔らかい白身に舌が焼けそうになって、慌てて息を吸って冷まそうと試みる。少し温度が落ち着くと、ようやく白身魚のあっさりとした甘みと濃厚なタルタルソースの酸味が丁度良く味わえるようになるものの、それが喉の奥に滑りこむとまたすぐに次の熱い塊を口に入れたくなってしまう。


全員しばらくの間、時折小さく「熱!」「旨!」と呟くだけで無言で黙々と食べていた。その様子を見て、店にいた半数以上がフライの追加を申し出たのだった。


「タイちゃん、あたしのフライ一個食べる?」

「食べる!」


タイキの皿の上には最初から他の人よりも一切れ多くフライが乗っていたのだが、クリューの申し出に一切の躊躇なく答える。差し出された皿の上にあるフライをフォークで豪快に突き刺して自分の皿に喜々として引き取った。


「ありがと!」

「大きくおなり〜」

「いやもう既に俺よりでかいし」


ミスキは身長も体格も平均的だが、成長後のタイキはミスキの身長をすっかり追い抜いていた。しかし余分な肉の付いていない細身の体型なので、体重はまだタイキの方が軽かった為、ミスキは「解せぬ…」とことあるごとに呟いていた。


「あ、これユウ兄ちゃんのパンだ」


篭に盛られた丸いパンを手に取って匂いを嗅いだタイキが気が付いた。次男のユウキはあれから更に腕を上げて、基本的なパンの幾つかは店に卸すようになっていたのだ。


「え?どれ?あたしのもユウちゃんのパン?」

「クリューのは親方の」


クリューが手に持っていたパンを指してミスキが言う。そう言われてクリューは自分の手にしていたパンと、タイキが二つに割ってフライをせっせと挟み込んでいるパンを見比べたが、さっぱり違いが分からなかった。


「…バートン、分かる?」

「いや、ワシにもさっぱり」


クリューが隣のバートンに尋ねたが、バートンも首を傾げていた。


「バートンのはユウキの」

「うん」

「何なの、その家族特定能力」


バートンが手に持っていたパンを見てミスキが指摘して、フライを挟んだパンを口いっぱいに頬張りながらタイキも頷いた。その顔は美味しかったからなのか、クリューの言葉が嬉しかったからなのか、モグモグしながらもタイキは満面の笑顔だった。


クリューはその後強引にバートンからパンを毟り取って食べ比べてみたが、どちらも美味しいということ以外さっぱり分からなくて首を傾げたのだった。



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食べ終わった後、満腹で眠くなってしまったタイキを連れてミスキとバートンが店から出たので、クリューはカウンターに席を移して一人でのんびりと作ってもらったカクテルを楽しんでいた。

今日はミスキお気に入りのオレンジジュースを貰って、少し苦味のあるハーブを漬け込んだ酒と混ぜてたっぷりの氷で冷やしたものだ。ゆっくりと呑むと氷が溶けて味わいが変化するので長く楽しめる。


以前ならば眠くなったタイキをおぶってミスキが連れ帰っていたのだが、大きくなってしまったタイキをおぶって行くのは今はバートンの役割だった。一応身体強化も使えるのでミスキも運べなくはないのだが、重さよりも身長的におぶって行くのは大変らしい。横抱きにしてしまえば問題ないと提案したが、そこはミスキに断固拒否された。よく分からない拘りである。



「どうなんだい?そのお嬢様の様子は」


まだ閉店時間までには少し時間はあったが、客はクリューだけになってしまったので外の看板を「閉店」に差し替えて来たミキタが自分のグラスを出しながら聞いて来た。


「んー、素直でいい子よ。でもねえ…」


カラカラとマドラーで氷を回す音を聞きながら、クリューは少し言葉を探した。


「何か、色々抱えちゃってちょっと可哀想」

「そうか…」

「立場上、背負ってるものが多いから、それは仕方ないんだろうけどねぇ」



クリューは以前に変装の魔道具で髪と瞳の色を変更する際に、黒髪と濃緑の選んだ彼女の表情を思い出していた。もっと平民に混じりやすい髪色にした方が良いのではないかと言ったのだが、一瞬の間の後に「昔はこうだったらしいので」と困ったように笑っていた。

彼女が死に戻ったのは、その言葉から察するに記憶にない程幼い頃だったのだろう。今は白髪混じりになってはいるが、レンザも黒髪だ。きっとその血を引いていたのだろう。当人の記憶のないことで髪を揶揄されて来たのだろうと思うと、まだ少女と言ってもいい彼女の抱えているものは計り知れない。



「外見で色々苦労して来たみたいだから、あたしたちを御前が指名したのかもね」


外見で苦労して来たのはタイキもそうだった。幸いにもミキタをはじめ理解のある大人や兄に恵まれたが、陰で色々言われていたのはタイキ自身も知っているだろう。ユリも平民から見ると最高峰の権力と財力を持つ貴族に産まれて恵まれた環境にいると思われるだろうが、貴族社会は貴族社会で想像もつかない苦労があったろう。完全にお互いを理解することは出来なくても、そこに痛みがあることは認識しているだけでも違う筈だ。


「タイキみたいな頑丈な子と、繊細な貴族のお嬢様と一緒に扱っちゃ駄目だろうけどね」

「一緒にはしてないわよ。そんなことしたらあたしの首が飛ぶわ」

「気を付けとくれよ」


ミキタが笑いながらグイ、とグラスの中身を半分程空けた。中身に色は付いていないので水のように見えるが、確か先程火酒の瓶から注いでいた筈だ。


「そのうち薬草採取まで出来るようになったら、ここに連れて来るわ」

「あらやだ。そうしたらうんと良い食材用意しなくちゃだわ〜」

「あら〜そうしたらあたし達は毒味しなくちゃだわね〜」


ミキタとお互いケラケラと笑いながら、クリューはツマミに出されたピクルスを指で摘んでパクリと口に放り込んだ。しっかりと漬け込まれて塩味の利いているピクルスは、今呑んでいる甘めのカクテルに慣れた舌をキリリとさせてくれるようだった。



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