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521.パープルアイでの話し合い


テンリの言葉にレイは一瞬だけ目を丸くしたが、すぐにいつもの冷静な眼差しに戻った。


『あちらで言うところの「神」でしょうか。それとも』

『天帝』

『なるほど』


ミズホ国は他の大陸から遠く離れた島国である為、長らく他の国との交流が殆どなく、独自の文化が発展した。特に国の制度や信仰などの歴史のあるものはこのオベリス王国を含む大陸には存在しない場合もあるので、強引に翻訳しようとすると微妙に違ったものになる。レイはそれを理解した上で、改めてミズホ国の言葉で再度テンリに尋ねた。

そして返って来た答えで、レイは得心が行ったように頷く。


この大陸で言われる「神」は、確かに存在しているという足跡はあるものの実体としてはっきりと示すものはない。共通する言い伝えなどはあるので、ごく稀に実体を持って顕現しているのだろうと予測されているが、やはり多くは概念的なものとして認識されている。


しかしテンリが言った「神」であり、ミズホ国で言うところの「天帝」は実在している。


ミズホ国の頂点にいて国を治めているのは皇王で、その下にいる宰相が実質的な政を行っている。時代によって宰相を置かずに摂政や大臣がその任を務めることもあったが、現在は宰相の力が強く国内は安定している。


それらとは全く別の系譜で、人々の信仰や精神的な柱として存在しているのが「天帝」とその一族である。天帝は人とは一線を画した力を持ち、天候や天災などに影響を及ぼす程だと伝えられている。だからこそオベリス王国では「神」と翻訳されるが、実際は強大な魔力を持つ魔法士の一族ではないかと言われるものの、実在する人物だという以外は秘匿されて詳細は分かっていない。


天帝の地位は皇王の上に位置するものの単なる象徴的な存在で、実際に政に関わることはない。過去に何度か表舞台に出ようとした記録もあるそうだが、その度に国内は混乱を極め大きく荒れたと残されている。だからこそ天帝は大きな力を持ち人々に崇められているものの、あくまでも精神的支柱、宗教的な象徴であって政治的な力を持つことはない。


『私は流れ巫女の一族だった。一族の奉納する芸事は非常に好評で、その内に都…「王都」に招待されて、天帝に奉納する一門として内裏…ええと、こちらで言えば「王城」だろうか。そこに居を構えて天帝の為に芸を捧げるようになった』

『流れ巫女というと、各地の神殿に出向いて舞などを奉納する人々、でしたね』

『良くご存知だ。コクダン殿に聞いていた通り、広い知識をお持ちな神官殿だ』

『ありがとうございます』


オベリス王国や周辺国は比較的多神教が多く、ミズホ国も多神教の国だ。ただミズホ国の神は非常に数が多く、少なくともオベリス王国より二桁どころか三桁以上多く存在している。そのミズホ国の神は享楽的な事を好むものが多い為、舞や歌謡、芝居などの芸事を奉納されると喜ぶそうだ。テンリの一族は特に拠点を持たずに、旅をしながら移動しては各地で芸事を奉納して稼いでいた。オベリス王国で言えば宗教的な意味合いの強い旅芝居の一座、と言ったところだろう。


『天帝に奉納が出来る一族の特に優れた者は、時に天帝の一族の伴侶として召し上げられる。私も託宣を受けて、天帝の御子の伴侶の一人に指名された』

『そのように重要な方が、よく国を出られましたね』

『私の伴侶は、葦原の揺りかごから零れ落ちた種、なのだそうだ。要はミズホ国から何らかの要因で外に出てしまったのだと。だから最短で国から出られたのだ』


本来天帝の一族は決して国外に出ることはないとされていた。しかし数十年前に皇王が兄弟で後継争いを起こし、その影響で国内で幾つもの豪族が覇権争いをして最も激化していた時期に、天帝の一族から産まれて間もない子を攫った者がいたのだ。どちらの派閥かは不明だが、おそらく天帝の一族を旗頭に擁して皇王の正当性を主張するつもりだったのだろう。けれどその動乱の中、その子が国外に連れ去られてしまったのだ。何故そうなったのかは不明だが、天帝は一族の者が連れ去られた方向だけは追うことが出来たらしく、その伴侶であるテンリはすんなりと国を出ることが許されたのだ。


『テンリ殿はそのお相手の居場所が分かるのですか?』

『いや、私にはさっぱりだ。だが、御子からは分かるので、近くにいればあちらから近寄って来ると』

『そういうものなのですか』


レイはその話を聞いて、もしかしたら天帝の一族は獣人なのかもしれないと見当を付けた。獣人の中には運命的な伴侶の番という存在があり、本能的に分かると言われている。今は獣人の血も薄くなって、番の見分けが付く者はあまり多くない。

ミズホ国の神話の中で、創世史に四神と呼ばれる伝説の四体の神獣が出て来る。その神獣は血が濃く力の強い獣人ではないかという学説もあるので、その神獣の子孫が天帝の一族である可能性は高いと思ったのだ。閉ざされた島国で血を保っていたのならば、天帝の一族はまだ獣人の本能が色濃く残っているのかもしれない。


『私は天帝の血を引く子を産まねばならない。それが可能だろうか』


テンリの目は真っ直ぐで真剣なもので、彼女よりもずっと長く生きているレイですら気圧されるようだった。


『…それならば、少なくとも三年はこちらの水と食事に体を慣らした方がいいでしょう』

『……やはりそうなるか』

『心当たりがあるなら、尚のこと食生活に気を付けてください。()()()()の薬湯などはムラサキ嬢から紹介をお願いするといいでしょうね』

『分かった』


レイが言葉を選びながら告げると彼女にはすぐに伝わったらしく、神妙な表情になってコクリと頷いたのだった。


レイ自身はミズホ国に足を踏み入れたことはないが、長い時間を持て余す中で多くの書物を読み解いて来た。その中で、神への献上品は一度浄化の過程を経て穢れを落とす必要がある、という伝承を目にしていた。その穢れのまま神に献上すると、神自身が穢れそのものになると言われていた。

穢れと言うのは、恨みや憎しみなどの負の感情や、腐敗したもの、魔獣などを指すらしい。そしてその中に動物の血というのも穢れの一つとされてた。だからこそ神への奉納の芸事を献上する女性は、月のものをずらす為の薬草を常用していることが多い。それはあまり体に負担が掛からないように調整されてはいるが、長年に渡ればやはり影響は出て来る。


テンリもそのことが気がかりだったからこそ、健康状態を調べてもらいたかったのだろう。レイとしては、確実ではないが懸念も残ると判断して、体質改善という名の毒抜きを勧めたのだった。後でムラサキにも告げておけば、アスクレティ大公家から良い医師か薬師を紹介してもらえるだろう。レイも当然口添えをすることは決めていた。


『他に何か気になることはございますか?』

「大丈夫だ」


テンリはもう聞きたいことは聞いたとばかりに、すぐに言葉を切り換えて艶やかに笑ったのだった。



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ハリは言われた通りに薄暗い通路を通って、何の変哲もない扉の前に立った。そしてノックしようと手を上げたものの、その直前で手を止めてしまった。そして二、三度手を上げ下げした後に、ギュッと目を瞑ってようやく扉を叩いた。そのせいで目測を誤ってしまい、一度目のノックはゴッと妙な音がしてしまった。


ノックをしてから何か後ろの方で微かな擦れるような音が聞こえて来て、それから扉の上の方が僅かに開いて人の目がハリを見下ろしていた。その探るような冷えた目に、ハリは思わず背筋を反らす程に伸ばしてしまった。

そしてその目が体を引いたのか扉に向こうに引っ込んで消えると、カチャリと扉が開いた。


「お待ちしておりました」

「し、失礼します」


見上げるような大男がハリを招き入れた。神殿や王城にいる騎士にもっと大柄の者はいるが、目の前の男の威圧感は実際よりも更に大きく感じさせた。声は風貌から想像するよりも高めで柔らかいが、大公家の護衛だけあって隙のない立ち居振る舞いに、ハリはまるで武器を突き付けられているかのようなヒヤリとした感覚を覚えた。


部屋に入ると、窓のない部屋に古ぼけたソファとテーブルが置かれていた。きちんと手入れはされているようだが、そこまで上等な品ではなさそうだった。どこか擦り切れたような絨毯も、おそらく毛足が半分くらいになっているだろう。

その一番奥のソファにちょこんとユリが座っているのは、ハリの目にはどこか場違いなようにも見えた。


「大公女様には、面会の許可を賜り…」

「今日はあくまでも薬師見習いとして納品に来ているだけです」

「は、はい…」

「どうぞお座りになってください、()()()()()()


あくまでもこの対面は非公式だという態度を崩さないユリに、ハリは一歩だけソファに歩み寄ったがすぐに後ろに下がって、その場に膝を付いた。そして止める間もなく、流れるように床に額を擦り付けて頭を下げたのだった。


「ちょ…ハリ様!?」


色々とあるにしろ、ハリは公爵令孫だ。ユリの方が家の爵位は高いが、だからと言ってハリがこんな風に罪人のように頭を垂れていい筈がない。さすがにユリの方が慌てて取り繕うことをすっ飛ばした。


「顔を上げてください!」

「私は、重い罪を犯しました。大公女様を意図的に害しようとしました。処分は如何様にもなさってください!」

「…ええと?」


ユリが毒にあたって意識を失っていた時、ハリが密かに病室に侵入して勝手にユリに治癒魔法を掛けて恩を売り、縁談を取り付けようとしていたという話は聞き及んでいた。確かに治療方針を無視して勝手に依頼されていない治癒魔法を掛けることは、一歩間違えれば命に関わる。しかしそうならないように事前に十分な警戒をしていたおかげで未然に防げたのだ。


「顔を上げてくださいませ。このままでは困ります」


ユリの言葉にハリは一瞬だけ肩を震わせたが、一向に顔を上げようとしない。


「…それは謝罪ですか?それとも嫌がらせですか?」

「そのようなことは…!」

「このままですと、嫌がらせと受け取りますが?」

「……申し訳ございませんでした」


少し強めの口調でユリが言うと、ようやくハリは顔を上げてゆるゆると立ち上がる。そしてユリの正面のソファに遠慮がちに腰を下ろした。座っているユリの隣と背後にはフェイと女性護衛が控えているので、一見するとまだ幼い子供を脅している構図にも見えてしまうのではないかとユリは的外れな方向で心配になっていた。


「恩を売る為に私を治療しようとした、と伺いましたが?」

「それは…それ、も、ありましたが…それよりも前に…大公女様の防毒の装身具をこ…壊し、ました」


まだ寒い日の続く季節で、室内を適温にしてあるにもかかわらずハリの額には汗が浮かんでいた。そして極度の緊張からか、乾いた唇が張り付くのか幾度も口ごもっていた。


「フェイ、待って」

「しかし」

「まだ駄目。きちんと話を聞いてから私が報告するから」

「…畏まりました」


ハリの報告にユリは一瞬息を呑んだが、すぐにフェイがカサリと片手の袖の中に隠し持っていた物に触れた音がしたので、ユリはそちらの方を優先的に止めた。これはレンザにこのことを知らせる魔道具で、その場の声を録音して相手に飛ばす物だ。録音タイプの伝書鳥のようなものだ。


この魔道具は大公家で開発したもので、まだ試作段階なので一般には出回っていない。一般に使用するには犯罪などに転用されないように多くの誓約を設ける必要がある為、あらゆる場面を想定して調整するのに未だ苦労している為だ。


大公家では特に信頼されている諜報員や、分家の当主などに渡されている。フェイもその一人なのはユリも知っていた。


もし先程のハリの発言をレンザが聞いたならば、彼は幼いハリでも容赦なく叩き潰しに掛かるだろう。下手をしたらこの店から出ることも叶わなくなる可能性もある。ハリに対しては色々と思うところはあるが、存在が消えて欲しいと思っている訳ではないのだ。


「詳しいお話をお聞かせいただけますか?」

「は、はい…」


ユリの隣に立つフェイと後ろに立つ護衛の隠す気のない殺気を正面から受け止めているハリは、ゴクリと生唾を呑み込んでから震える声で頷いたのだった。



何度か内容が行きつ戻りつしながら、ハリはアスクレティ大公家に恩を売る為に軽率に装身具を分からない程度にわざと狂わせたことや、まさかユリが死にかけるような重体になるとは思っていなかったことを説明した。

それを聞きながら、ユリはどうしたものかと頭の隅の冷静な部分で思案していた。ハリのしたことは、医療行為に携わる者としては決してしてはならないことだ。けれどそれがシオシャ公爵の望みであったならば、まだ子供のハリに拒否出来るものではなかっただろう。ハリが賢く自分の置かれた立場を理解していれば尚のこと、シオシャ公爵の血を継いでいない彼には逆う選択肢はない。


「…何故、その話をする気になったのです?より罪が重くなるでしょうに」


ハリが恩を売る為にユリを治療しようとしたことは大公家側でも掴んでいたが、その切っ掛け自体もハリが仕組んでいたことまでは把握していなかったのだ。もしその情報を大公家に知られていれば、とうにレンザが動いていることくらいユリにも分かる。


ユリの質問に、ハリは少しだけ視線を彷徨わせて大きく息を吸った。どう言うべきか迷っているようで、ユリは敢えて口を出さずにハリの言葉を待った。


「その…第一王女殿下の、為、です」


長い沈黙の後、ハリは口の中でモソモソと呟くようにやっとそれだけを答えたのだった。



お読みいただきありがとうございます!


不定期更新ですが、評価、ブクマ、いいねなど反応をいただけるのは大変ありがたいことです。ありがとうございます。

もう少ししたら落ち着いて更新も戻せるかと思いましたが、全然落ち着く気配がありません…当分は不定期が続きます。よろしくお願いします。


天帝の一族のことは「【過去編】建国王アキメイラ」からの過去編で断定はしていませんが一応示唆しています。その辺からテンリのお相手を予測してもらえたら…いいなあ。テンリの本格的に絡むエピソードはもう少し先になりそうです。いつものことですが、その時に覚えていてくれたら嬉しいです。


作中「葦原の揺りかごから零れ落ちた種」というのは「豊葦原の瑞穂の国」という日本の異称を元に、ミズホ国から出てしまった天帝の一族を指しています。

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