518.意外な特技
ひとまずは本来の任務である住民の避難誘導と魔獣討伐に集中するとして、レンドルフはエイブリーの加護の遺った容れ物を一旦アイヴィーに返却して退室して行った。
話が長くなってしまいすっかり日が暮れていたのでダンカンがレンドルフを夕食に誘ったのだが、遠慮されてしまった。部屋を出て行くレンドルフの後ろ姿は、心なしかヨロヨロしていたようにも見えた。
「後で隊長殿にも許可を取らんとな」
「よろしくお願いします、ご主人様」
「オスカー・ソルドか…あいつは部下思いなのはいいが頑固者だからな。全部白状せん限り首を縦に振ろうとしなさそうだ。何とか上手い言い訳を考えないとならないか」
「それも含めてお願いいたします」
今のレンドルフの直属の上司にあたるオスカーは、元第三騎士団所属だった。ダンカンが先代団長の元で副団長を務めていた頃に、何度か任務を共にしたことがある。容貌があまり派手ではないので、潜入任務に向いていた。それに真面目で実直な性格故に相手の懐に入ることが巧みで、魔力があまりない分を技術で補う努力を怠らないという人物だったのをダンカンはよく覚えていた。
堅実で優秀な人間と評価も高かった為、子供が産まれたのを機により出世しやすい第四騎士団に異動したのをダンカンは少々惜しく思ったものだった。
基本的に任務に差はあれど、騎士はどの団に属していても危険度に変わりはない。それならば役職に就いて家族の為に残す資産を少しでも多く、という考え方はダンカンとしては好ましいとさえ思ったので、引き留めることもないまますぐに異動届にサインを入れた。実際ダンカンよりも先代団長の方が異動をかなり渋ったらしいが、そこは頑として譲ってもらえなかったと後にダンカンは愚痴を聞かされたものだった。
「…これで、終わりにしたいものだな」
「したい、ではなく、する、のですよ、ご主人様」
「そうだな」
いつもは控え目な態度のアイヴィーから珍しく強い言葉が出たので、ダンカンは楽しげに軽く喉の奥で笑った。これは彼が本当に上機嫌の時に出るものだが、知らない人から見ると魔王が悪だくみをしているようにしか思えないと言われる。
「エイブリー様と兄達の無念、ここで晴らす所存です」
「お前の仇も、だろう?」
「私のことは些末なことです」
「エイブリー殿はそうは思っていなかったと思うが」
そのダンカンの言葉に、アイヴィーは曖昧な笑みを浮かべただけで答えはしなかった。
本当ならば、エイブリーはプラーナを引き取った時点で自身の血液を投与して魔力を無効化させてしまえば良かったのだ。けれどそうしなかったのは、プロメリアを倒す為に血の滲むような努力をして来た幼い双子の片割れの肉体だったからだ。魂を入れ替えることはプロメリアだけが使える禁術だが、更に研究を進めれば追い出されたアイヴィーの魂をアイヴィスの体から戻すことが出来るのではないかという僅かな希望があった為だ。アイヴィーとアイヴィスは融合してしまった互いの魂を引き剥がすことは無理だと語っていたが、エイブリーはゼロではない可能性に賭けていた。
だからこそ準備はしていたが、ギリギリまで様子を見ることにしていたのだ。だが不運にも突如襲った大規模な噴火と地震の影響でプロメリアは姿を眩まし、エイブリーは無理が祟って急逝してしまった。
その後、プラーナの肉体は無惨な遺体となって発見されたが、アイヴィー自身は何とも思わなかった。確かに時が満ちれば生まれ落ちていた自分の体なのだが、自我を得たのが乗っ取られる瞬間にプロメリアの魂に触れてからのものだ。だからこそアイヴィーは元々自分の体だと言われてもその中にいた記憶は一切ない為、全くの他人事でしかなかったのだ。
「…全てが終わって生きていることが許されるならば、エイブリー様の墓前にご報告に参ります」
「許すさ。私が保証しよう」
迷いなくそう言い切ったダンカンにアイヴィーは再び無言で笑みを浮かべたが、先程よりは嬉しそうにダンカンの目には映ったのだった。
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「レンドルフ、大丈夫か」
「オスカー隊長…多分、大丈夫です」
「多分、とは随分心許ないな」
駐屯部隊の騎士達が使っている寮の空き部屋を使わせてもらえるので、レンドルフが入口のところで寮の案内図を確認していると後ろからオスカーに声を掛けられた。
レンドルフは振り返っていつものように答えたつもりだったが、余程疲れが顔に出ていたのか心配そうに言われてしまった。
「先程部隊長から大まかな話は聞いた。それだけレンドルフを買ってくれているのは間違いないようだが…相当な危険が伴うのではないか?」
オスカーは詳細は後日ダンカンの口から直接説明すると言われたが、取り敢えず第三騎士団の団長が直々に追っている凶悪犯罪者の捕縛の為にレンドルフの力を貸して欲しいと告げられたのだ。オスカーも元は第三騎士団にいたので、その話を聞いてかなり特殊で危険な案件であると察したようだった。
「あの方は間違ったことは言わないが、無茶は言うからな…」
「隊長は元第三でしたね」
「数度任務で同行した程度だがな。明日、正式に辞令をいただく話になったが…レンドルフの気が進まないと言うなら私から辞退を申し入れるぞ。遠慮なく言って欲しい」
「いえ、俺は問題ありません。おそらく任務に支障はないと思います」
「お前がそう判断したのなら何も言わないが…まあ、夕食を済ませたら今日は早く休みなさい」
オスカーはまだ納得行っていないような表情ではあったが、それ以上は何も聞かずに労るようにレンドルフの肩を軽くポン、と叩いたのだった。
レンドルフは部屋に戻って上着を脱いで気楽な恰好になってから、寮の中にある食堂に向かった。
ここの寮は常駐の管理人や専門の料理人を置いてはおらず、周辺の住民が交代で通いで来ていると聞いていた。少し遅くなってしまったので、食堂の担当者はもう帰ってしまっているかもしれない。一応任務で遅く帰宅した者や、夜中に空腹になったりする育ち盛りの若い騎士に配慮して、誰もいなくても調理場に食糧は置いてあるらしい。
(すぐに食べられる物があると助かるんだが)
調理済みのものは人気があるらしく、すぐに無くなってしまうと聞いていた。そうなると残っているのは一手間掛けないと食べられない食材のみになっているらしい。レンドルフも簡単な調理は出来るが今はそんな気は起きそうにないので、せめて丸かじり出来る果物でも残っていて欲しいところだ。
そう祈りながらレンドルフが食堂のそばに行くと、フワリと良い香りが鼻をくすぐった。この香りはビーフシチューだろうと思うと、途端にレンドルフの腹がグウ、と空腹を訴えた。ここまで香りが届くということは、誰かが鍋を温めているようだ。それならば一緒に食べる分はあるかと期待する。
「騎士は体が資本なんだからな!残さず食べるんだ!」
「俺は肉だけでいいぞっ」
「駄目だ!野菜も残すことは許さないからな!!」
「お前はかーちゃんかよ!」
まだ大分人が残っているのか、楽しげな笑い声と勢いのあるやり取りが聞こえて来た。その中の一人の声に、レンドルフは聞き覚えがあった。
「あの…」
遠慮がちに食堂の入口からレンドルフが顔を出すと、それまで賑やかだった食堂が一瞬静まり返った。食堂にはレンドルフより年上らしい騎士達が五人程残っていた。そしてカウンターを挟むように厨房の中には、エプロンをして鍋の前に立っているヨーカの姿があった。その意外な姿に、レンドルフは思わず食堂の入口でポカンと立ち尽くしてしまった。
「げ…」
そのヨーカと目が合った瞬間、彼は小さく蛙のような声を出して固まったのだった。
「こ、これを食べられることを光栄に思うといい…だろう!」
「ありがとう。いただくよ」
言葉だけは尊大だが声は弱々しく震えていて、何なら顔を真っ赤にしたヨーカが特大のボウルにシチューをなみなみと注いでレンドルフの前にそっと差し出して来たので、レンドルフは笑ってしまわないように顔を引き締めて礼を言った。ヨーカはそんな反応を予期していなかったのか、更に顔を赤くして「お、おかわりは、一回しか許さないからな!」と言いながらパンが山盛りに入ったバスケットと葉野菜中心のシンプルなサラダも並べて行った。
「さ、冷める前に食べろよ!」
「いただきます」
空腹だったのでレンドルフはその言葉に甘えることにして、早速湯気を立てているシチューにスプーンを差し入れた。中には具材がたっぷり入っているのか、スプーン越しに幾つも手応えを伝えて来る。掬い上げると、ゴロリと大振りの塊肉がブラウンソースに絡んで姿を見せた。じっくりと煮込まれているのか、少し持ち上げただけでスプーンの上でフルフルと揺れていた。フーッと息を吹きかけてハクリと口に入れると、噛み締める前に口の中でホロリと肉の繊維がほぐれてしまう。脂身の部分が口の中でトロリと蕩けて、シチューに甘みとコクを追加してくれる。肉自体は安いものなのだろうが、丁寧な下処理をしてあるのがレンドルフにも分かった。その温かさが空の胃に染み渡り、腹の底から力が湧いて来るようだった。肉を呑み込んですぐ次に掬い上げたのは角が無くなったジャガイモで、これも口に入れると溶けてしまう程柔らかい。
「どうだ、恐れ入っただろう」
「ああ…とても美味しい」
「…っ!」
自分で振っておきながら、レンドルフが素直に答えるとヨーカはワナワナと震え始め、そしてエプロン姿のまま、半ば駆け出すようにあっという間に食堂から出て行ってしまった。その後ろ姿を見送って、何だか小型の野生生物みたいだな、などと考えてしまったのだった。
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「申し訳ありません。ウチの厨房団長が」
「厨房団長?」
「ああ、お食事が冷めてしまいますね。余計なことを申しました」
「お気遣いありがとうございます」
そのまま食べてもいいとは思うものの、ヨーカをどうしたものかと思案顔をしていたレンドルフに、残っていた騎士の中でも年長者と思われる一人が声を掛けて来た。「厨房団長」という耳慣れない単語にレンドルフが首を傾げていると、彼はピシリと美しい姿勢で深々と頭を下げた。その身のこなしは貴族のものとは違っていたが、ベテラン騎士の風格を持っていた。
レンドルフとしてもやはりシチューは温かいうちに食べたいので、ヨーカのことは後回しにしてまず食事に集中することにした。
決してかっ込むことはしていないのだが吸い込むような勢いであっという間にシチューが半分程になり、それからサラダを食べようと皿を手を伸ばすと、食堂に残っていた騎士達がジッとレンドルフを見ていたことに気付いた。
「あの…?」
彼らは別に睨んでいるとか警戒しているような感じではなかったが、何かしたのだろうかとレンドルフの手が一瞬止まる。他国ならば食前の祈りが必須などマナーや文化の違いがあるかもしれないが、ここは同じ国内だ。特に思い当たる節はなかったので、レンドルフは思わず怪訝な表情になってしまった。
「あ、いや重ね重ね申し訳ないです。王都の騎士殿のお口に合うか心配だったもので、つい」
「とても美味しいですよ。このシチューはもしかして…」
「はい、あいつ…いえ、カトリナ伯爵令息殿がお作りになりました。お気に召していただけたようで、安堵いたしました」
「そんなに畏まらないただけると…俺は確かに今は王都にいますが、もとは遠い地方出身ですから」
ふと見回すと、彼らの前にも食べかけと思しき皿が並んでいる。レンドルフが彼らにも食事を続けるように促すと、少しぎこちない空気を残しているものの再び席に着いて食事を再開した。
「こちら、失礼しても?」
「はい、構いません」
その中で、レンドルフに声を掛けた年長の騎士が正面の椅子を示したので承諾すると、彼は両手に皿とカトラリーを持って移動して来た。改めてその騎士に目をやると、身長は平均的だが胸板と二の腕の辺りがはち切れんばかりに盛り上がっているのが服の上からでも分かった。これだけ上半身が鍛え上げられているということは、大きな武器を使うタイプなのだろうかとそっと予測していた。そしてよく見ると顔の左側のこめかみから耳、首筋に掛けて薄く皮膚の色が変わっている。左耳が少し歪な形をしているので、耳が欠ける程の怪我を負ったのだと察しがつく。
「ハーディと申します。僭越ながらこちらで部隊長の職を賜っておりますが、平民なので特に家名は付けていません」
「レンドルフ・クロヴァスです」
「…北の辺境伯のご子息でしたか。大変ご無礼なことを」
「俺は年の離れた弟です。継ぐような爵位もないただの騎士ですから、他の方と同じように扱っていただければ」
「は、はあ…恐れ入ります」
レンドルフは一瞬だけ家名を名乗らずにいようかとも思ったが、ここで告げなくてもどうせどこかから伝わるのだ。その時に恐縮されてしまうよりも自分の口で最初から言ってしまった方が後々良いことはこれまでの経験で知っている。
それでもハーディは最初は少し緊張していたが、目の前で同じものをモリモリと食べているレンドルフにやがて警戒を解いたようだった。レンドルフはまだ皿に熱が残っている状態であっという間に完食して、先程ヨーカが「おかわりは一回」と言っていたので貰っても大丈夫だろうと席を立って厨房に向かう。
それを見てハーディが腰を浮かせかけたが、レンドルフはそれをやんわりと制して自分で鍋の中から同じだけたっぷりと皿によそって戻って来た。それもあって、ハーディはレンドルフは身分に煩い貴族ではないと理解してくれたらしかった。
「気に入ってもらえたようですね」
「はい。意外な特技もあったのですね。ところで、先程の『厨房団長』とは?」
「あ…ああ、ええと…以前、まだ先代インディゴ伯爵様がご存命だった頃に、専属騎士団の団長殿がふざけて付けたものなのです」
「彼は確かインディゴ伯爵の婚約者でしたね」
「はい。当時はお嬢…いえ、フラウ伯爵様に婿入りする予定で…あ、いや、今もその予定です」
もともとこの領地を治めていた前インディゴ伯爵一家は魔獣の襲撃にあって命を落とし、唯一生き残ったのが娘のフラウだったのだ。しかし後継の兄がいたこともあって後継教育は全く受けておらず、当時まだ学生の彼女が伯爵家を継ぐには力も経験も不足していた。そしてインディゴ領はダンジョンが出現しやすい土地柄であるので、とてもではないが未成年の令嬢に支えられる筈もなかった。
遠縁の中に跡を継げないかと打診もしたのだが、すぐに受けられるような該当者はいなかった。その為彼女は国に爵位と領地を返還して、領民の生活の安定を選択したのだ。国も彼女の迅速な判断を評価し、爵位のみを彼女に戻してインディゴ家がこれまで良好に領地を治めて来た報奨として、下位貴族が慎ましく暮らす程度の額の年金を受け取れるように手配してもらったのだった。
「あいつは、義兄にもなる次期ご当主様を支えるつもりでした。まあここはダンジョンがあって、新しいダンジョン発生もしやすい土地柄なので魔獣討伐は重要です。その為、剣の腕前は必須でしたので、それを買われての縁談だったのです」
ヨーカは将来インディゴ領の騎士団を率いる団長になるのだと幼い頃から息巻いていて、それを気に入った当時の団長が色々と鍛えたそうだ。そして腕試しにと幼馴染みのレイロクと共に、冒険者登録をしてダンジョンに挑んでいたらしい。
「腕を上げると泊まりでダンジョンに挑むこともあったんで、必要なことだと簡単な料理を教えたら、思いの外ハマったらしくてですね。よくお屋敷の厨房に来ては料理長に教わっていました」
その内にヨーカは体作りに効果のある食材や、消化の良い調理法などの研究を始めた。どうやら興味のあることにはのめり込む質だったらしく、いつの間にか騎士団の食堂で許可を貰って腕を揮うようになっていたのだった。
そんな経緯があって、当時のヨーカは剣の腕は団長には敵わなかったが、料理の腕前は完全に越えたとして「厨房団長」の名を与えられた。当人は口では嬉しくないと呟いていたが、その様子は非常にご機嫌だったと見ていた者達は口を揃えて言ったのだった。そしてそのまま「厨房団長」の名が定着して行った。
「ここにいるのは、以前のインディゴ伯爵家に仕えていた者達です。あいつが久しぶりに帰って来たのでつい懐かしくなったのか、示し合わせた訳でもないのにこうして…」
「すみません。水を差すようなことを」
「そんなことはありません!あいつはあんな態度ではありましたが、本当は人に作ったものを食べてもらうのがそれはもう大好きなんです」
「それは何となく分かります」
本当に嫌ならこんな風にレンドルフの前にわざわざ皿を並べたりしないだろう。寒い季節に肉も野菜もたっぷりと食べられるシチューは、作った者の気遣いが透けて見えるような気がした。
「あいつの態度はどうにかした方が良いのは分かっていたのですが…色々と複雑な経緯があって、つい甘やかしてしまったのです。きっと皆に迷惑を掛けているのでしょうな…」
眉を下げながら呟くハーディに、レンドルフは咄嗟に言葉が見つからなくて返答に詰まってしまった。しかしそれが答えだと察したハーディは、小さく「申し訳ない」と言って目を伏せたのだった。
お読みいただきありがとうございます!
平民の家名については、任意で付けても付けなくてもいいことになっています。
代々続く商家や、職人などはあったほうが分かりやすいので付けることが多いですが、そこまで家を継ぐことに頓着しない人はそれなりに手続きが煩雑なので付けていません。
基本的に好きな家名を付けることは出来ますが、王家や貴族に既にある家名は認めらませんし、誤解を生じるような紛らわしいものなども却下されます。
大抵一度で決まらない為、じゃあなくていいや、となりがち。そして有料で良い家名を付けてくれる商売も存在しています。