50.【過去編】死に戻りの色
まだお嬢様時代(?)のユリが登場します。
ミスキ達は、アスクレティ大公家別邸の応接室に再び来ていた。
年に一度のタイキの健康診断の時もここではない場所で行われるので、こんなに短い頻度でここに訪れることは初めてだった。
「ねえ、何か息苦しくない?」
お茶を提供してくれたメイドが下がると、クリューがそう呟いた。
「そうじゃな、少しばかり…気温が高い訳でもなさそうじゃが」
「俺も」
ふと珍しく黙っているタイキを見ると、妙に身体を強張らせてダラダラと汗をかいていた。
「タイキ!?具合でも悪いのか?」
「よく…分かんねえ」
クリューが慌ててハンカチを渡すと、タイキはそれを受け取って何度も顔を拭った。それでも次々と額から汗が滲み出て来る。
「『竜化』している訳じゃないから、何か身の危険が迫ってる感じもなさそうだけど…タイキ、今どんな感じだ?」
「暑いのか、寒いのか、よく分かんねえ。でも震えが止まらねえんだ」
「少し窓開けさせてもらう?」
「うん」
クリューの提案に、バートンがすぐに窓を開けに行った。少し外気が入って来て、ミスキとバートンは息苦しさが和らいだように感じた。だが、何故かクリューとタイキはあまり変わらないようだった。
「何かしら…御前のところなんだし、変なモノ仕掛けられてるとは思えないけど…」
彼らの中で魔力量が最も多いのはクリューで、それ故に近くに何か呪詛のようなものがあると何となく気配で察することが出来る。タイキは身体強化以外の魔法は使えないが、おそらく体内の魔力量は高いだろうと思われている。しかし、魔力を検知する魔道具は人間用なので、タイキの魔力量は測定不能なのだ。
その二人が温度でも香りなどでもなく奇妙な感覚を訴えているということは、何かしら魔力の影響を及ぼすものがあると思われるのだが、それが一体何かは見当もつかなかった。
「急に呼びつけてすまないね」
それからしばらくしてレンザがやって来たが、タイキの様子がおかしいことにはすぐに気付いたようだった。
「ああ、これは申し訳なかった」
共に入室して来た従僕が急いで部屋を出て行く。
しばらくすると、フッと空気が軽くなったような感覚がして、タイキの様子も元に戻った。
「今、客人が来ていてね。少々特殊魔力持ちなのだが、遮断が足りなかったようだ」
「いえ…ご配慮ありがとうございます」
特殊魔力とは、通常の人間とは少々異なる魔力を持つ者で、多くは異種族の混血の者などがよく発現する。正式に鑑定してもらったことはないが、タイキもおそらくその該当者だろう。そういった者は、自身で固有の魔法が使える場合もあり、タイキの「竜化」と呼んでいる防御の鱗の発生もその一種と思われた。
混血でなくとも特殊魔力を持つ人間もそれなりに存在するので、それ自体は珍しいものではないが、ごく稀に他者に不快感を及ぼすタイプもいる。そのような者は、日常的に魔力遮断の魔道具などを装着して暮らしている。
「今回呼び出したのは、君達に依頼を頼もうと思ってね」
「ご依頼、ですか?」
「少々特殊な依頼なので、ギルドは通さずに頼みたい。ああ、別に違法なものではないから心配しなくていい」
冒険者に依頼をする時は、基本的にギルドを通すことになっている。そこで犯罪や違法な内容ではないか精査されるのだ。勿論ギルドを通さない依頼もあるが、気を付けないと知らないうちに犯罪の片棒を担がされていることにもなりかねない。レンザはミスキ達に疑われる前に自分からそう告げる。
「言ってしまえば護衛、のようなものだね。君達の都合のいい時で構わないが、依頼主の希望の場所への同行と、必ず日帰りであることを条件としたい」
「御前がご依頼主ではないのですか?それに、場所によっては日帰りが難しいこともあるかと思いますが…」
「私は資金提供者のようなものだよ。遠方の場合はこちらで魔馬かスレイプニルを足として用意しよう。それでも難しい距離ならば断ってくれていい」
ミスキは他の者と視線を見交わせてから軽く頷いた。
「詳細をお聞かせ願えますか?」
「ああ。依頼主は私の孫娘でね」
「ゴホッ!」
レンザから思いもよらない依頼主の詳細情報が出て来て、ミスキは思い切り噎せてしまったのだった。いきなり大公家の令嬢の護衛と言われて驚かない方がどうかしている。
「彼女は薬師になりたいと言っていてね。資格を取る為にはある程度は自分で薬草を採取に行かなければならないものがあるのだが、どうしても一人で行かせるには危険な場所も多い。そこで同行を君達にお願いしたい」
「あの…それでしたら大公家には護衛騎士がいらっしゃるのでは…」
「ここからがもう一つ、君達に依頼をしたい件でね」
レンザ曰く、その孫娘に平民のことを教えてもらいたいということだった。それこそ、平民の言葉遣いから立ち居振る舞い、服装や持ち物、考え方に至るまでの全て。
「平民の全て、ですか…?」
「ああ。それを教え込んだ上で、君達には平民の薬師見習いとして接して欲しい」
「差し支えなければ理由を伺ってもよろしいでしょうか」
「私は、あの子に将来の選択肢を増やしてやりたくてね」
そう言って笑ったレンザの顔は、誰もが今までに見たことがない程優しく甘い顔をしていた。もう知り合って数年来にはなるが、こんな表情も出来るのかとミスキ達が驚いた程だった。
----------------------------------------------------------------------------------
レンザの孫娘は、血筋から行けば唯一の大公家の後継者である。
しかし、現在は様々な理由により貴族として生きて行くことが非常に困難な状況にあった。そこでレンザは、彼女の為に大公家の正式な後継の指名を先送りして、彼女が望む道を選ばせたいと考えているらしい。
そこで彼女に尋ねたところ、「薬師を目指してみたい」という答えを貰ったのだった。レンザ自身も、医療や薬学に精通していて薬師の資格も持っている。その為、喜んで彼女の為にその道を整えようと色々と奔走しているところだった。
「あの、御前と同じく貴族のまま薬師に、というお考えではないのでしょうか…?」
「貴族なら、特に高位貴族であれば、後継を残さねばならないという義務が生じるのは知っているだろう?」
レンザはそう言って、一瞬クリューに視線を向けた。クリューもその意味を分かって、僅かに頷いた。
クリューも元は下位とは言え貴族の出身だ。そして高位貴族の後継問題に図らずも巻き込まれた当事者でもあった。クリューの生まれは隣国ではあるが、基本的な貴族の考えはこの国もそう大きく変わらない。
「私が健在なうちは守ってやれるが、順番で言えば私が先に死ぬだろう。その後、私の後継から外れていようと彼女が貴族のままであれば、望まぬ婚姻を強いられることは目に見えている。それまでに理想的な伴侶を見つけられればいいのだが、それを引き裂いてでも割り込む輩はいくらでもいるだろうね」
国王と同等の権力を持ち、国内の薬草の生産、回復薬の製造、流通にも深く関わる特別な家門である。たとえ彼女が後継にならなかったとしても、そこに縁を繋ぎたい貴族はいくらでもいるだろう。もし彼女の選んだ相手と添わせてやりたいと婿としてレンザが手を回したとしても、大公家を支えるだけの胆力も後ろ盾もない者ではレンザの庇護が消えた後に待ち受けるのは悲劇でしかない。
「それくらいなら、彼女に薬師という職を持たせて市井に降ろすのも選択肢の一つだと思ってね。勿論不自由のないように私も手を尽くすが、その一歩は自身で選ばせてやりたいんだよ」
幸いなことにレンザはまだ健勝であるし、アスクレティ家は歴史の長い家門だけあって、血を引く者の中から後継者を指名するのに困ることはない。分家にも優秀な者は多くいるのだ。勿論、彼女がアスクレティ家を継ぎたいと言うのであれば、レンザは全力で支えることもやぶさかではない。
「あの子は昔辛い目に遭ってね、私もその一因であったんだ。だからこの先、幸せな道を歩んでもらいたい。そう願っているただの孫に甘い爺にすぎない」
そう言うレンザの顔は、本当に孫に甘い一人の男性に見えた。
が、それを聞いていたミスキ達は「ただのじゃないですよね!?」と少しばかり心の中でツッコミを入れていたのではあるが。
「御前、その…平民扱いとなりますと、それなりに荒っぽい扱いになるかと思いますが…大丈夫でしょうか」
「不当な暴力や望まない不埒な行為をしなければ問題ないし、君達が普段通り接している限り不敬は問わないと約束しよう。平民だってそれは犯罪だろう?」
「それは当然です!絶対にそんなことしません!」
「それは良かった。私も君達の人柄を信じているからこその、この依頼だからね」
ミスキの全力の否定にレンザは笑っているが、ミスキは背中にどこかうそ寒い気配を感じていた。おそらくこの依頼自体断れない雰囲気がヒシヒシと伝わって来る。
「あのぅ、御前」
おずおずとクリューが申し出る。レンザは顔を向けて、続きを促した。
「正式にご依頼を受けるかどうかは、お嬢様と一度顔合わせをさせていただてからでもよろしいでしょうか?ウチにはまだ見習いがおりますし、場合によっては護衛が困難になるかと思いますので…」
「それもそうだね。お互いの相性もあるだろうしね」
レンザの話によると、どう考えてもずっと貴族として生きて来た正真正銘のご令嬢の可能性が高い。いくら平民のことを教え込んで欲しいと言われても、性格的に難しい場合もある。クリューやバートンはそれなりに長く生きているので対応も出来るし、ミスキも何年も働いた経験のある大人だ。しかしタイキは外見はともかく中身はまだ子供である。タイキとの相性が悪ければ依頼自体が難しいかもしれない。
ミスキは、そのことを言い出したクリューに心の中で拍手を送っていた。
「それでは早速顔を合わせてもらおうかな」
「はい?」
「今日はここに来ているのだよ。しばらくはこの別邸で暮らしてもらうつもりでね」
まさかこんなに早く話が進むとは思わずにミスキは慌てる。しかし、そんなこともお構いなしに、レンザは後ろに控える執事に呼びに行くように申し伝えていた。
「あ」
不意にタイキが声を上げた。その反応に、ミスキ達は思わず固まる。一応タイキも、レンザは本来ならば口を利くことも許されない程の雲の上の身分の人物であることは分かってはいるが、やはりまだ子供であるので突拍子もないことをやらかすこともある。レンザもその辺りは理解してくれているので、不敬と責められることはないが、やらかす度に周辺は寿命の縮む思いをしていた。
「さっきのだ」
タイキがそう言ったのと、応接室の扉がノックされるのとはほぼ同時だった。
「お入り」
「失礼致します」
扉が開き、そこから可愛らしい声と共に、声と同じように可愛らしい幼い令嬢が入って来た。
「皆様、初めまして。ユリシーズ・アスクレティと申します」
彼女はそう挨拶をすると、大変美しい所作でカーテシーを披露した。
ミスキ達も立ち上がって深く礼をする。
彼女の年齢を聞いてはいなかったが、身長は10歳前後の少女くらいに見えるが、顔立ちはもう少し上の12、3歳くらいだろうか。湖水のように青くけぶるような大きな瞳に長い睫毛が白くまろやかな頬に影を落としていて整った配置だが、小さな鼻と唇が可愛らしい印象を与える。
しかしもっとも彼らの目を引いたのは、その純白の髪だった。腰まである長い髪を、瞳の色と同じ青い色の石の付いた髪留めで軽く束ねている。この透き通るような真っ白な髪は、ある条件のもと生まれるものだ。オベリス王国では、この色の髪は歓迎される場合と、忌避される場合の両極に評価が分かれるものだった。
この白い髪は「死に戻りの色」と呼ばれている。
その名の通り、病気や怪我などで瀕死の状態から辛うじて一命を取り留めた者が、時折この真っ白な髪になって息を吹き返すのだ。この色は、生まれつきや老齢によって白くなる色とは一線を画している。研究者によると、実はこの髪は透明で、髪を構成する物質が光を乱反射させて目には純白に映るのだと言われている。生まれつき白い髪の者はよく見るとほんの少し色味が付いているし、老齢で髪が白くなった者は不透明な白だ。これほどまで透き通る純白の者は死に戻りだけだと一目で分かってしまうのだ。
この死に戻りの白を得た者は、半分程度の割合で「加護」と呼ばれる能力を後天的に得ることがある。「加護」とは、本来生まれつき神から寵愛を受けた者が有している才能と言われている。国によっては神から贈られた「ギフト」と呼ぶこともある。後天的に死に戻った際に「加護」を得た者は、神の寵愛を受けてこの世に戻された者として歓迎される。この「加護」は人により様々な能力があるが、どの能力も国から保護される程の有用で高い力を持つとされていた。
この「加護」を持つ者は、生まれつきも死に戻りも例外なく日の光を受けた時に瞳の色が変化すると言われていた。力の大きな者ほど、その差は大きく出るそうだ。
しかし、この死に戻りでも「加護」を得られない者はいる。そういった者達は、神から死しても拒絶された者として忌避されるのだ。現在は「加護」が付くのは全くの偶然で、その有無で神の寵愛を測るものではないと言われてはいるが、昔から言い伝えられて来たものだけに「加護」のない死に戻りに対する風当たりは今でも強い。
ミスキは彼女の髪色を見ただけで、先程レンザが言っていた「貴族として生きて行くことが非常に困難な状況」の一端が理解出来てしまった。
もし彼女が「加護」持ちならば、薬師になって市井に降ろすことを考える必要もないだろう。この特徴的な白い髪は、変装の魔道具で別の色に変えることは可能であるが、王族が同席する場所では王族の身の安全をはかる為にその魔道具を使用することは法で禁じられている。つまり貴族である以上、彼女は公的な場でこの髪を晒し続けなければならない。平民であれば、生涯隠し続けて生きることも可能なのだ。
それに忌避される「加護」無しの死に戻りだからこそ、レンザという後ろ盾が無くなった瞬間に権力や財産に群がる者達にいいように利用される未来しか見えない。だからこそ彼はたった一人の孫娘の行く末を案じ、歴史ある家門の存続すら望まなければ選ばずに済む選択肢を与えようとしているのだろう。
「この、人、さっきの」
深い礼から顔を上げると、タイキが再び口を開いた。タイキなりに一応言葉を選んだようだが、それでもミスキはヒヤリとした。
「ああ、君にはこれでも分かるのか。先程の特殊魔力の持ち主がこのユリだよ」
「申し訳ございません。一度調整をした際に、遮断の強度を戻すのを失念しておりましたわ。ご負担をお掛けしました」
「い、いえ…もう大丈夫、かと」
彼女に頭を下げられて、慌ててミスキが隣のタイキに視線を送る。タイキも何となく察したのか、ミスキに向かってブンブンと首を縦に振る。
天下の大公家のただ一人の直系に頭を下げられて、気まずくない筈がない。ミスキは、この先この依頼をやって行けるのか、甚だ不安になっていた。
「ユリ、この者達がお前の『平民の先生』だよ」
「まあ。この度はわたくしのお願いを聞いていただきありがとうございます。どうぞよろしくお願いいたしますわ、先生」
そうやって微笑みながら小首を傾げる仕草すら品が良く、ミスキは退路を塞がれた上に前途多難な予感しかせずに、思わず引きつった笑顔になってしまったのだった。
----------------------------------------------------------------------------------
その後、色々と希望と意見の擦り合わせを行い、ユリは一般的な平民よりも、男爵令嬢か裕福な商家のお嬢様を最終目標にしようということになった。本当にそうなるのではなく、あくまでも街中に出た際にそれくらいの身分に見えるようになろうという目安としてである。それくらいの身分ならば、街中で気軽に出歩いてもそこまで珍しいものではない。
まず見た目から、ということでクリューが用意した平民用のワンピースを後日着てもらったところ、数時間で皮膚が赤くなってしまったのだ。そのうち慣れるかもしれないが、今のところは辛うじて下位貴族が着るような上質な綿の服であれば何とか一日くらいは着ていられるような状態なのだ。完璧な平民の擬態には程遠過ぎた。
それに、所作などを教えるには真似をしてもらうのが最も手っ取り早い。その見本になれるのはクリューしかいないからというのもあった。元が貴族出身なので、クリューもちょっと良いところの出の女性と思われることが多い。もしクリューの他に協力を頼める女性の伝手と言うと、ミキタになってしまう。さすがにそこは振り切り過ぎだと全員で却下したのだった。