表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
569/626

512.共有する気持ち


「以前、手合わせを妨害したのって、僕の使役している蜘蛛なんです」


何となく話し始めるとレイロクは存外話しやすく、他愛のない内容ではあったが気が付くと色々な話をしていた。その流れで、レイロクは自身の使用している魔法についてサラリと口にした。


魔法は基本的にそう隠すものではない。騎士団や魔法師団などでは団員が互いの属性と能力を知っていないと連携が取れずに自滅するので、同じ任務に就くもの同士の情報は共有されているし、鍛錬などで技を見る機会も多いので、自然に団員の主な属性魔法は何となく周知されているのだ。

けれど属性魔法を持っていても得意でない魔法などは人前で使用しないので、知られていないこともある。他にも、あまり人前に出したくない魔法持ちなどは意図的に隠すことも多い。

レンドルフも一番自分に合っている土魔法と攻撃に特化した火魔法を使用する頻度が高いのでそちらは周知だが、水魔法も使えることを知っている者はあまり多くない。


「使役しているということは、君はテイマー能力者なのか」

「テイマーと言っても、僕は虫使い…というか、蜘蛛系のみしか効果がない上に、小型なものしか使役出来ない役立たずなんで」


テイマーは魔獣を従えて使役する能力である。しかし全ての魔獣に効果がある訳ではなく、術者の魔力属性や個人の相性というものがある。例えば水属性の術者は同じ水属性の魔獣を使役しやすいなどといった具合だ。レイロクのように蜘蛛系だけと定まっているのは稀だが、虫系のみや鳥系のみに力を発揮するテイマーならばそれなりに存在している。

レイロクはその蜘蛛を使って、レンドルフとヨーカとの一対一の手合わせの際に糸を張り巡らせて、ヨーカがそれを利用して空中で軌道を変化させたように見せたり、レンドルフの体に巻き付けて動きの妨害をしていたのだ。


「なかなか珍しい能力だと思うよ。それに、あの時はちゃんと効果的な使役をしてたじゃないか」

「それは…申し訳ありません」


そう言われてレイロクは再び頭を下げたが、話しているうちに気持ちの距離が近くなったおかげか、最初の頃のようにひたすら縮こまるようなことはなかった。レンドルフの口調もすっかり軽くなっていたのもあっただろう。


「確か今は魔力を制限されているだろう。その蜘蛛もどこかへ行ってしまったのか?」

「幼い頃から一緒に育ったヤツらなんで、使役は出来ませんが近くにいる筈です。あまり信じてもらえませんが、蜘蛛も懐くんですよ」

「へえ。初めて聞いたな。いや、でもスレイプニルなども人慣れするし、蜘蛛もないとは言えないか」

「向こうも僕に寄って来るノミとか蚊を補食するんで、良い囮だと思ってるかもしれないですけど」


レイロクが使役している蜘蛛は三匹いて、一番大きな個体でも子供の手くらいのサイズらしい。そして一番小さな個体になると、せいぜい小指の先程度の大きさだということだった。大きな個体が主に糸を出して、一番小さな個体は毒を持っているそうだ。ただ毒と言っても、小さ過ぎて人にはほぼ利かない。噛まれた箇所がほんの少しだけ赤くなるくらいで終わってしまう程度の弱毒性らしい。


「真ん中の大きさのヤツが俺と感覚を共有出来る特殊能力持ちで、一番付き合いの長い相棒なんです。あいつの能力で視力を補ってもらっているので」

「それで今は視力が落ちている訳か。しかし蜘蛛の視覚は人とは違うような気がするが、不都合はないのか?」

「どうなんでしょう。僕にはそれが当然なので、誰かと比較することは出来ません。感覚的なことですし、他人がどう見えているかは分かりようもないことなので。一応今のところは不都合はないですね」

「言われてみれば確かにそうだな」


人の間で共通認識として把握していても、それが同じように見えているとは限らない。先天的に色の捉え方が他者と違っていても、物心ついた時から馴染んだ視界なのだからそれがおかしいと自身で気付けるものはごく稀だ。レンドルフは人間とは全く構造の違う目を持つ蜘蛛の視界というのはどんな風に見えるのだろうかと純粋に興味を惹かれていた。


「俺もどんな風に見えるのか体験してみたいものだな」

「随分と珍しい御方ですね、クロヴァス卿は」

「そうかな?」

「蜘蛛はあまり人に好かれませんし、何より魔物と感覚を共有している訳ですから。大抵の人は気味悪がりますよ」

「小さな隙間にも入れるし、人の行けない場所からの景色も見られるのは興味深いと思うんだがな」


納得行かない様子で呟くレンドルフに、レイロクはほんの少しだけ目を潤ませたが、それを誤摩化すように慌ててカップの紅茶を飲み干したのだった。



------------------------------------------------------------------------------------



レイロクが商家の養子になったのは、この能力が遠因であった。


レイロクの母と上の姉が虫を大の苦手としていて、殊に上の姉の蜘蛛に対する拒否反応は尋常ではなかった。レイロクが蜘蛛に特化した虫使いだと判明した時は大声で泣き叫んでレイロクを拒絶し、最終的には引きつけを起こして神殿に担ぎ込まれた。それからはレイロクの姿を遠目から見かけただけでも姉は騒ぎを起こし、虫の苦手な母や使用人などにもやんわりと距離を置かれた。


上の姉ほどではないが、兄や下の姉もどこかよそよそしくなり、それを見た父はレイロクをヤンソング子爵家から養子に出すことを決めた。そして幾つかの候補の中で選ばれたのが現在レイロクが籍を置いている商家だったのだ。

レイロクを引き受けた商家の主人は、子のないまま妻と離縁していて跡取りがいなかったので、ちょうど縁戚から後継を迎えようとしていた時だった。その為、血縁ではないが貴族と縁を繋げるのならばと彼を迎え入れたのだった。


当初はそれで上手く治まったように思えたが、しばらくして養父の元に一人の子供が訪れたことから事態は急転した。その子供は離縁した妻の子で、元妻は病でこの世を去ってしまい、遺された子が商家を頼って来たのだった。それだけならばどう扱うかは養父の気持ち次第ではあったが、その子が彼の子であったと判明してからややこしくなったのだ。

もう既に後継として養子で迎えたレイロクがいる中で発覚した実子である。レイロクには詳しい話はされなかったが、どうやら元妻とは当人達の心情よりも環境が影響して離縁せざるを得なかったらしい。その元妻の忘れ形見ならば、と養父の気持ちは既に傾いていた。その上自身の子であると判明したのだ。あからさまに態度に出すことはなく変わらず接してくれていたが、それでも気持ちが他に向いてしまっていたのはレイロク自身が感じていた。


しかしレイロクの実家のヤンソング家とは、レイロクを後継にするという約定が存在している。レイロクとしては養父の気持ちを汲んで後継を譲りたいと思うものの、実父の子爵が決して首を縦に振らず、その約定がある以上レイロク自らがその座から降りることも出来ずにいた。


そんな折、幼馴染みとして親しくしていたヨーカが唐突にレイロクを将来自分の側近にしてインディゴ家専属騎士団の副団長にしてやると宣言した。婿入りする立場な上に領主に仕えることになるヨーカには何の権限もないのだが、ヨーカの婚約者でやはり幼馴染みだったフラウが両親のインディゴ伯爵夫妻に頼み込んでくれた。彼らは愛娘の願いを聞き入れて、レイロクは将来的にヨーカの片腕になる実力があると主張して、ヨーカの実家を通じてレイロクの実父を説得してくれた。


さすがに寄親で爵位も上のカトリナ家からの打診に、子爵は商家の主人にレイロクの籍はそのままで成人までの生活を保証するという確約を取り付けさせ、レイロクは後継の座から降りることを許されたのだった。


話の概要だけ聞けばレイロクは二人の父から見捨てられたと思われることもあったが、彼は二人がとても優しい人物だということを知っている。実父は家族を愛する人で、互いに傷付き合わせないように適切な距離を置くように奔走していたし、養子先も幾度も吟味を重ねてくれていた。養父も、子爵からの申し出があるまで一度もレイロクを後継から降ろすことは口にしていなかったし、後継を実子と交替した後も、生活の保証だけでなく、将来貴族に仕えるのだからと戸籍上は平民になっているレイロクを貴族の子女が必ず通う学園に通わせてくれたのだ。


レイロクは色々と振り回されている半生ではあったが、人には恵まれていると自信を持って言えると思っている。



------------------------------------------------------------------------------------



「さて、あと少し俺は確認をするから、もう休むといいよ」

「ですが…」

「明日も一日馬車で移動だ。休憩も少ないから、慣れない新人は体調を崩しやすい。休めるうちに休むのも任務のうちだ」

「はい…ありがとうございます」

「カトリナ領に入れば案内を頼むよ。俺達は通り一遍の地形くらいしか頭に入ってないから、色々と頼りにしている」

「はい!頑張ります!」


急遽決まった遠征なので、レンドルフ達はじっくりと策を練っている時間はなかった。ある程度これまでの経験で対処は出来るだろうが、やはり詳しい者がいれば安全面でずっと有利になる。


レイロクはレンドルフの言葉に頬を紅潮させて勢い良く頭を下げた。が、距離感が掴めなかったのかそのまま額を勢い良くテーブルにぶつけて鈍い音を立てていた。声は出なかったものの、頭を上げたレイロクは完全に涙目になりながら、それでも必死に堪えて食堂を後にして行った。


その後ろ姿を見送りながら、レンドルフは「目的地が近くなったらオスカー隊長に彼の魔力制限は解いてもらった方が良いかもしれない」と考えていたのだった。



------------------------------------------------------------------------------------



「ねえミリー。複眼の視界ってどんな感じだと思う?」

「複眼…で、ございますか?」


就寝前に専属メイドのミリーに髪を梳いてもらいながら、ユリは唐突にそんなことを言い出した。正面の鏡台の鏡越しに見つめて来るユリの表情は期待に満ちていて、ミリーは何とか仕える主の期待に沿うような答えを模索したが、いくら考えても正解は導き出せそうになかった。


「複眼というと、虫などの、でしょうか」

「そうよ。その虫の視界よ。その視界を体感出来るとしたら、どんな風に見えるのかしら。視野が広いとは聞いているけど、実際はどの程度なのかしら。色や他の虫はどう見えるのか…ああ、小さな虫ならマイクロモスキートの口も見られるのね…何て羨ましい」

「そこ、羨ましがる要素がございますか?」


うっとりした様子のユリの口から出て来る言葉が全く合っていないので、ミリーは呆れてすっかり塩対応になっていた。しかしユリは全く気付いていない。


ユリが例に挙げたマイクロモスキートは、ギリギリ肉眼で見ることの出来るくらいのとても小さな蚊だ。彼らは血に毒性のある魔獣を好んで吸血する習性があるのだが、その体に毒耐性があるわけではないのだ。吸血する為の口にあたる器官に濾過装置のようなものが付いていて、そこで毒性を除去して血を吸っているらしい。そして濾過装置に残った毒は一時的に保管しておいて、何かあった際に敵に注入して身を守る為に使用すると言われている。

だがそれはあくまでも研究者が論理的に導き出した予測の範疇で、実際はあまりにも小さ過ぎて誰も実物を検証した訳ではないのだ。しかしこの構造が解析できれば、医療に大きく寄与することが出来るとして熱心に研究が続けられている。


ユリも薬師見習いとは言え、その謎の構造には非常に興味があった。


「レンさんの手紙にね、虫使いのテイマーと会って、使役する虫と感覚を共有出来る能力があるって聞いたんですって!ミリーは聞いたことある?」

「い、いいえ…初耳でございます」

「そうよね!私も初めて聞いたもの。おじい様ならご存知かしら。すぐに手紙で…」

「明日にしてくださいませ」

「ええ…でもおじい様ならまだ起きてると」

「お嬢様がまだお休みになっていないことの方が問題です」

「うっ…」


鏡台の前から立ち上がりかけたユリの肩をミリーは押さえるようにして、スツールに座り直させる。折角寝る為の支度を終えるところだったのに、そのまま机に向かってしまいそうだったからだ。いくらほぼ日常生活に戻るくらいまで回復していると言っても、まだ無理はさせないようにと主治医のセイナから厳命されているのだ。


「旦那様へのお手紙は明日の朝食後に準備いたします」

「…分かった」


渋々といった様子を隠さずにユリが頷いたところで、ミリーは手にしていたブラシをそっと置いた。


「さあ、もうお休みください」

「ありがとう、ミリー。あ、そうだ。そろそろ新しい便箋が欲しいから、一緒にカタログも用意しておいてもらえる?」

「畏まりました」


ベッドにユリが横になるのを確認してから、ミリーは部屋の明かりの光量を落とす。そしてさり気なく部屋の隅に配置されている魔道具がきちんと動いているかも目を配っておく。この魔道具は、ユリが就寝時には魔力制御の装身具を外しているので、無意識の魔力暴発を防ぐ為に魔力を吸収するものだ。


「明日はレンさんに送る粉末スープの在庫も確認して…」

「お嬢様」

「…分かってるわ。おやすみなさい、ミリー」

「お休みなさいませ」


呆れた表情を隠すことなく部屋を出て行ったミリーを見送ってから、ユリは仰向けに横たわったまま胸の上で手を組んだ。


(レンさんが無事に帰って来ますように…)


まるで祈るような姿で、ユリは目を閉じてレンドルフの無事の帰還を願っていた。無事に任務を終えて帰って来たら、いつものように帰還を祝う場を用意しておきたい。何でも喜んでくれるレンドルフだが、ユリとしてはその中でも特に喜んでもらえる形で出迎えたいといつも思っている。そんなことを考えながら、ユリはじきに夢の中に引き込まれて行ったのだった。



------------------------------------------------------------------------------------


レンドルフが湯浴みを済ませて髪を乾かしていた時に、ユリからの伝書鳥が届いた。


レイロクの蜘蛛の視界を共有出来る能力が羨ましく思ったことを書いて送ったのだが、ユリからの返事も完全同意で、しかも文字から前のめりな勢いまで伝わって来るようだった。普通ならば女性との手紙のやり取りで蜘蛛の話題はあまり相応しくなさそうなものなのだが、レンドルフはユリならば絶対に興味を惹くと確信していた。そしてその確信は間違いなかったらしい。


小さなことでもユリと共感出来たことが嬉しくて、レンドルフはつい頬が緩んでいた。その締まりのない顔が夜の窓ガラスに映っていたことでようやく自覚して、レンドルフは今日の宿は誰かと同室ではなくて良かったと心から思ったのだった。


いつものようにユリの手紙はレンドルフの無事を祈る言葉で締めくくられていて、レンドルフはその部分を三回読み直してそっと指先で文字に触れた。ただの錯覚と分かっていても、その指先にほんのりと温かさが宿っているような気がして、レンドルフは更に笑みを深くしたのだった。



お読みいただきありがとうございます!



この先も出て来ないかもしれないので、レイロクのこぼれ話的な過去を。


レイロクは元々幼い頃から眼鏡をかけていたのですが、蜘蛛嫌いな上の姉と鉢合わせして出会い頭に突き飛ばされ、それが元でほぼ片目の視力を失っています。その後もう片方の目に負担を掛け過ぎた為にどんどん視力が落ち、現在は魔道具と蜘蛛の補助がなければまともな生活も困難なほどになっています。

レイロクの父は、このままではもっと取り返しのつかないことになると判断して、上の姉には来ていた縁談の中で最も遠方の家に嫁すことを定め、レイロクはきちんと環境の整った養子先を厳選して家から出す形を取りました。

養父は実子を後継者に変更した後もレイロクのことを心配していて、商会の支店の一つを任せる準備を整えていつ戻って来ても良いようにしています。養父の実子も、レイロクを実の兄のように慕っているので、どちらの家とも関係は悪くありません。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ