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閑話.ニーノ・ブライト


ニーノ・ブライト伯爵令息は、幼い頃から表情筋があまり仕事をしないタイプだった。成人を迎えて社交界に出る年齢になればそれは長所にもなり得たが、子供の頃は友人らしい友人もおらずに遠巻きにされていた。今も親しい友人と言える存在は一人も心当たりがないという残念ぶりだ。


それでも別に気に留めてなかったのは、ひとえに彼が異世界の記憶を持った転生者だったからだ。


そうは言うものの、ニーノが記憶をいつ取り戻したのははっきりしていない。切っ掛けとしては、自分の予言の能力の使い方を誤って一人の女性を不幸にしてしまったことだったが、それ以前からこの世界がどこかで読んだ物語のような感覚があることに薄々気付いていた。

ブライト家では時折弱い予言の能力を発現する者がいたので、ニーノもその家系の影響だと思っていた。頭の中に前触れなしに、見たことのない風景の断片が浮かぶことがあったのだ。それはまるで芝居でも観ているような距離感で、主観のものではなく必ず俯瞰の切り取られた一部の光景だった。かつて能力が発現した者の手記などを調べてもニーノのような視点で未来視をする者はおらず、まるで神の視点だと奇妙な万能感を覚えたものだった。


だが前世の記憶を自覚すると同時に、それはゲーム画面だったことに気付いた。



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この国にも前世で言うところの異世界転生をして来たらしい者の記録も幾つか残されていて、ニーノは自分の家の力を利用して可能な範囲で目を通した結果、その内の数名は本当に異世界の記憶があるのだろうと思われる功績を示していた。そういった人物はこちらでは「異界渡り」と呼ばれていた。

しかし近年では異界渡りは、これまで国交のなかった異国の人間がたまたま流れ着いてこの国にない知識をもたらした渡来人の扱いと同等になっていた。実際そういった人間の方が多かったからだろう。


ニーノの前世の記憶はそこまで詳細ではない。ただ「日本」という国に暮らしていて、話題になっていた「キミシロミ2」というゲームに夢中になっていたことと、最後の記憶が夜中にふと目が醒めて「こんなに暑いのに汗が出ないな」と思ったことだけを覚えていた。年齢も性別も、家族構成も記憶にない。ただ、ゲームの中の女性キャラを熱心に追いかけて好感度を上げようとしていたので、男性だった可能性は高いというふんわりとした予測くらいだ。

その前世のいわゆる「推しキャラ」が殆どのルートで闇落ちか非業の死を遂げるという、ファンの間では通称「悲劇のヤンデ令嬢」と呼ばれるユリシーズ・アスクレティだったのだ。


そこでニーノは自分が「異界渡り」であることは言わずに、予言の能力がある家系を利用してゲームの記憶を頼りに前世推しキャラのユリシーズを救うことに使おうと思い立ったのだった。



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ユリシーズの重く暗い人生は、生まれた瞬間から始まっていた。作中では親密度を上げると過去のこととしてポロリと漏らす程度で詳細までは語られることはないが、駆け落ち同然で家を出た両親の間に生まれたということだった。だが、重い悪阻と酷い難産だった為に母親から疎まれ、妻最優先な父親も無関心という家庭で育った。その後彼らは金に困り、彼女を金銭と引き換えに実家のアスクレティ大公家に押し付けようと王都に移動中に事故に遭ってユリシーズ一人が残されたのだ。

そもそも彼女に「ユリシーズ」という男性名が付けられたのは、両親の死後名付けすらされていないことが判明したのだが、厄介者を仕方なく引き取ることになった大公家の存命だった先代当主(曾祖父)が、面倒だった為に父親の名を継がせるという態でそのまま届けを出しただけ、という粗略な扱いの結果なのだ。


ゲーム開始時のユリシーズは、引き取る予定だった大公家から養育費だけを渡されて、母方の実家や縁戚をたらい回しにされていた。その上、養育費に目が眩んだ親戚に勝手に政略の婚約者まで決められていた。成人後に登場したユリシーズは、幼い頃から栄養状態も良くなかったせいなのか、小柄で痩せた顔色の悪いオドオドした自己評価の低い令嬢だった。プレイヤーの選択次第では当て馬的に登場したりするが、進め方によっては表に出て来ないまま終わることもある。


ユリシーズが初めてゲーム内で登場するのは、とある商会の創立記念パーティーだ。それ以前に彼女と出会う機会がどこかにいないかとディープなファンが探し回ったらしいが、見つかったという話は聞かなかった。そこで彼女は、密かに売買されている違法薬物を入手する為に招待状を偽造して変装して潜り込んで来るのだ。それを入手した後の使い道は幾つかあるが、どれも良い結果にはならない。ゲーム内ではそのパーティー中に彼女に話し掛けるタイミングを間違うと、それ以降は人伝に噂を聞くだけで一切表舞台から姿を消す。上手く行けばその後も偶然を装って親交を持つことが出来るようになる。

しかしどれだけ頑張っても友人留まりで、ユリシーズの人生を変えるようなルートは見つからなかった。


最も多いのが、そのパーティーにお忍びで来ていた第二王子エドワードに恋に落ち、彼に玉座を献上すれば気持ちに応えてもらえると思い込んで王太子を始め王位継承権のある王族を次々と手にかけるルートだ。最終的にそのルートでは彼女は断罪されて処刑に至る。


そこにエドワードが来ていなければ、代わりに大公家に個人的な恨みを持つ高位貴族が接触して来る。その貴族と手を組んで、自分を虐げて来た大公家の面々に毒を盛り、彼女は女大公にまでなる。その地位を得るまでに使用した毒薬はパーティーで入手した違法薬物なのだが、いつしか自身もそれに溺れて行くのだ。そして潜在的に溜め込んでいた世間に対する恨みを暴走させて、周辺国を巻き込んだ禁術を用いて自滅してしまう。最悪の展開は、その被害が甚大で国が滅びかけるのだが、最善でも彼女一人だけが命を落とす。


他にも婚約者と結婚はしたものの他に恋人がいた為にお飾りの妻として大公家の財産を毟り取られた挙句、いつの間にか消息不明になっていたルートもあった。しかし話の展開で、おそらく生きてはいないであろうことは仄めかされていた。


辛うじて生存するルートもロクなものではなく、幽閉や特殊魔力の研究の為の被検体など、制作陣は彼女に何か恨みでもあるのかと思った程だ。

それでもユリシーズのキャラクターデザインを担当していた絵師が、薄幸の美少女を描かせたら超一級と評判の人物だったので、非公式の人気ランキングでも常に上位に入っていた。



ニーノはうっすらとではあるが、誰かがSNSで「ようやくユリちゃんを幸せにするトゥルーエンドの攻略ルートを見付けた!あんな細かい条件、攻略マニュアルもなしにどうしろと」と呟いたのを確かに見たという記憶が残っている。その後にかなりの量の攻略方法が続いていたのだが、時間がなかったので後でじっくり読もうと思っていたら読む前に消されていた。もしかしたら公式から注意が行ったのかもしれないが、ファンの殆どが未読だったらしくかなり残念がる声で埋め尽くされていた。その呟いた人物もアカウントを消してそのまま行方が分からなくなってしまい、ファンの間では「ヤバい、消された?」などと冗談でやり取りされていた。それでも少ないながらも最後まで目を通したファンもいたようだったが、その後ユリシーズのトゥルーエンドを見たという人物は現れなかった。結局その話は嘘だったのだろうと認識され、彼女を悲劇から救うルートは存在しないと断言までされたのだった。



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「何がいけなかったんだ…?いや、まだ失敗した訳じゃない」


ニーノは文官用の寮に戻りながら、小さくブツブツと呟いていた。その様子は他人に見られたらドン引きされそうなのだが、幸いにも周囲には誰もいなかった。ニーノは整った顔立ちで表情筋が仕事をしないせいか、常に近寄り難い雰囲気を醸し出している。そんな彼がより一層険しい顔をしているのだ。視界に入った瞬間に相手が別の道を選んでいるので、近くに来る筈もない。


前世で最初だけ読んだ幻のユリシーズの攻略ルートは、彼女が強引な俺様系に弱いと書かれていたのをニーノは確かに覚えている。虐げられ続けて来た為に自己評価が低く、環境から逃げるという選択肢すら思い浮かばない彼女は、そこから強引に連れ出してくれる相手が必要だということらしい。言われてみれば、エドワードと起こるイベントは彼が強引にユリシーズを振り回していることが多く、その度に彼女がエドワードに深く傾倒して行くのだ。


それ以降の攻略方法は読めなかったが、切っ掛けの傾向さえ分かればユリシーズの興味を惹けるのではないかとニーノは考えた。ゲーム内では、彼女がエドワードへの想いを自覚してからは坂を転げ落ちるように凶行へと走るのだ。それは王族と大公家では決して結ばれることはない呪いのせいであったので、その相手が自分になれば何の障害もない。人との付き合い方を知らなかった彼女が加減を知らずにエドワードを振り向かせようと暴走するので、早い段階で彼女の気持ちに応えればトゥルーエンドとまでは行かなくても、それなりに幸福なラストを迎えられる筈だ。ニーノならば、彼女に気持ちに応える気は前世から引き継がれた記憶のおかげで十二分に持っている。


だからこそニーノはエドワードをイメージしてユリに近付いたのだが、現実はなかなか簡単には行かなかった。


「ようやく見付けたんだ…何としても闇堕ちは防がないと」


ユリシーズは本来は「死に戻り」と言われる真っ白な髪をしているが、目立ち過ぎるのでいつもはアスクレティ家によくある黒髪にしている。それから金の虹彩を持つ小柄な女性という条件で絞ってやっと見付けたのだ。アスクレティ家の後継者の証と伝えられる魔道具の影響を受けない金の虹彩は、そこまで目立つものではなく真正面から視線を合わせないと光の加減で分かりにくい。ニーノが前世の記憶で彼女の行動範囲を多少予測出来たことも役に立った。「医療の」と二つ名で呼ばれる大公家なので、大公家と関わりの深い薬師ギルドや治癒院周辺を見張って該当者を絞り込んだのだ。


ゲーム内でもユリシーズは薬草の研究施設に出入りしているパターンもあったが、施設が王城の敷地内でしかもその一角の薬局にいるというのはなかった。けれどゲーム自体が選択次第でそれこそ無限のパターンがあることがウリだったので、多少の差異は想定済みだ。


そこで初めて実物と相見えたニーノは、画面で見ていたユリシーズよりも遥かに可憐で美しい存在に息を呑んだ。化粧っけもなく大公女とは思えないくらい質素な出で立ちだったが、最も目にしていたイメージ画よりも健康的でふっくらとしている。イメージ画は今にも消え入りそうで儚い危うげな雰囲気が魅力的だったが、目の前の彼女は現実にその場にいて、血の通った人間の眩しさと生命力に目が離せなくなった。


ニーノは熱くなる頬を自覚して、心の中で「これが一目惚れと言うやつなのか」ともう一人の自分が笑い含みに呟いていた。


「あのヒスイって女、いつも邪魔するんだよな…しかも今日はデカい騎士まで」


思い出すと掴まれた手首が痛むような気がして、ニーノは思わず反対の手で自分の手首をさすっていた。痣まではなってはいないと思うが、赤くなっているかもしれない。そのまま王城内の医務室に向かって診断書を取るのもありかと思ったが、相手の騎士には上司経由で注意が行く程度だろう。むしろ何故そのような事態になったのかと知られれば、あちらが有責だったとしてもニーノの方が不名誉なことになる。


「あそこで手荒れが心配だった、って言っておくべきだったか?いや、しかしデレるにはまだ早い…」


本来ならばあんな小さな薬局で働く必要はなく、多くの使用人に傅かれて丁重に扱われるべき身分の姫君なのだ。それが下位貴族か平民のような服を着て、安っぽい宝飾品と手入れのされていない指先であっていい筈がなかった。

ニーノが思わず手を取ったのは、それほど虐げられているのに態度に出さない彼女が健気でどうにかしてやりたいと思ったからだった。しかし冷静に考えてみれば、未婚の令嬢に許可なく触れることは貴族としてさすがに咎められても仕方がない行為だった。


しかしあそこで理由を告げる前に引き離して来た騎士がいなければ、もっと上手く立ち回れて彼女との好感度も上がっていた筈だ。


「次は、貴族向けの保湿クリームでも持って行くか…いや、まだ施しと取られかねないか」


エドワードのイベントで、いつも同じ質素な髪飾りを付けていたユリシーズを見兼ねたエドワードが、小さな宝石が敷き詰められたようなバレッタを贈る場面があった。それを彼女は涙が出る程嬉しい反面、見窄らしい自分に施しをくれただけではないかと思い悩む心情が綴られていた。

それが出てしまうと、エドワードとのイベントはほぼ出現しなくなり、彼女は初恋を思い切るようにバッサリと髪を切って姿を眩ましてしまう。そこから別のルートで登場することもあるが、そちらの方がより規模が大きく厄介な事件を引き起こすのだ。


自分とエドワードは違うのは分かっているが、万一似たような状態になって別ルートに入ってしまった場合、一介の文官ではとてもではないが止めるどころか関わることすら出来なくなる。それならばまだ彼女に手が届くうちに、ゲーム内では確認出来なかった「ニーノルート」に引き込んで彼女を幸せに導きたい。



ニーノはまた閉店ギリギリに突撃してユリシーズと少しでも接点を持とうと、次の予定の算段を立てながら歩いて行ったのだった。



お読みいただきありがとうございます!


評価、ブクマ、いいね、誤字報告などありがとうございます!色々気にしちゃうので書き続ける為に感想欄を閉じていますが、反応をいただけるのは心から嬉しいです。ありがたや。


ニーノは傲岸不遜キャラと見せかけて、割と陰キャコミュ障の異世界転生者という話でした。一応そこそこ前世オタクだったので、現実世界とゲーム世界に差異があるパターンは知識として分かっているけど、どうにも前世に振り回されがち。

見た目はミステリアスクール系イケメンの部類なので遠巻きにされているけれど、当人はあまり自覚なし。

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