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510.手の差

諸事情により、今後はしばらく更新が不定期になります。よろしくお願いします。

また定期更新になる際には改めてお知らせします。


今後もお付き合いいただけたら幸いです。


「この前買ったのが美味しかったから追加しようと思いまして…」


ヒスイの予想通り、ユリが薬局勤務の二日後に少しだけ恥ずかしそうにしながらレンドルフが訪れた。しかも言い訳も完全に予想通りだ。ヒスイはつい満面の笑みでレンドルフを出迎えてしまった。


「はい、お待ちしておりました!今ユリちゃん呼びますね」

「あ、ありがとうございます」


ちょうど昼休憩も終わりで薬局を閉める直前だったので、他の客もいなかった。ヒスイがレンドルフの顔を見るとすぐに奥の方に引っ込んでユリを呼びに行ってくれた。


少しソワソワとした様子で、レンドルフは片手に紙袋を抱えたまま店内の棚を眺める。先日購入した飴は補充されて十分な量が並んでいる。レンドルフはどの飴も美味しかったので、追加でどれを買おうかと考えながらユリを待っていた。


カウンターの奥から二つの足音が聞こえて来たと同時に、レンドルフの背後で入口の扉が開く音がした。


「い、らっしゃいませ」


一瞬言葉が詰まったようなヒスイの声にレンドルフが振り返ると、黒い文官の制服を来た若い男性が立っていた。年齢はレンドルフと同じくらいに見えたが、騎士と文官の体格差は歴然だった。確か黒い制服の文官は通称「ブラックドッグ」と呼ばれる内部監査室の所属だったな、とレンドルフは目の前の男を珍しげに眺めてしまった。内部監査室の文官は王城の中央に近いところに執務室があるので、王城の端の第四騎士団で見かけることは少ないのだ。


「その傷薬をもらおうか」


彼が顔を向けたのは、ヒスイのいる方向とは違う場所だった。レンドルフがその方向に視線を向けると、ちょうど奥から出て来たユリが立っていた。彼の存在に気付いたヒスイが一歩前に出ていたにもかかわらず、あからさまにユリに向かって言っている。


「どうした。その棚にあるのは見本か」

「い、いえ…ただいまご用意します」


彼はヒスイを無視してユリの正面に立つと、不機嫌そうに眉間に皺を寄せてより一層声を低くした。レンドルフ程ではないが長身な男性に見下ろされる状態になるので、ユリとしてはあまり良い気分ではない。しかも彼の態度は不愉快な苛立ちの感情を隠そうともしない。



彼は最近妙な時間にやって来るニーノ・ブライトだった。以前に何度か閉店後に強引にやって来て、大して必要とも思えないものだけを購入して帰って行く謎の人物だった。一応閉店後は余程の緊急でなければ対応しないということになっているので、レンザから王城に苦情を申し立ててからはなくなったが、その代わりに誰もいない時の閉店ギリギリを狙って来るようになっただけだった。

それなら別に問題はないのだが、どうにも彼はあからさまにユリが目当てだという態度を取っている。ヒスイだけの時は「他にいないのか」と詰まらなさそうに確認して、何も買わずに帰るのが常だ。しかしユリが応対に出ても、今のように尊大な様子で見下して来るので、ユリからすると一体何を考えているのか理解し難い。もう閉店も近く誰も来ないと思って在庫確認をしている時に何度か遭遇してしまったので、ユリも用心して最近では完全に時間を過ぎてからしか表に出ないようにしていた。

だが今日はレンドルフが来ていたので大丈夫だと思っていたのだが、まさかの鉢合わせになってしまった。


一瞬、レンドルフが間に入ろうとする動きを見せたので、ユリはレンドルフに視線だけを向けて微かに首を横に振った。それだけでレンドルフは察してくれたのか、その場で踏み止まる。だがそれでもニーノの行動に気を張っているのがすぐに分かって、ユリはそれだけで絶大な安心感に包まれるような気がした。


「お待たせいたしました」

「おい」


ユリがニーノとは目を合わせないように傷薬の瓶を紙で包んで袋に入れてニーノに差し出すと、彼は紙袋ではなくユリの手を強引に掴んだ。


「何をしている」


ニーノがユリの手を掴んだのはほんの一瞬で、すぐにレンドルフがニーノの手首を掴んで軽く捻るようにして手を開かせた。レンドルフが本気を出せば骨を折るくらいのことは出来るが、そこは加減しておいた。しかし多少痛みが伴うように捻り上げたので、ニーノは顔を顰めてレンドルフを睨みつけた。レンドルフの手を振り解こうと抵抗しているようだが、そもそも鍛え方と場数が違う。まるでニーノが無抵抗なように見える程レンドルフの手はピクリとも動かなかった。


「そちらこそ何をするんだ」

「許可なく女性に触れるのは止めるべきと思ったからだ」

「これだから騎士というものは。すぐに腕力に訴えた蛮行に及ぶ」

「貴殿の行動が蛮行ではないとでも?」

「……ちっ」


ユリが数歩下がって、その前にヒスイが立ち塞がったのを確認してからレンドルフはようやく手を緩めた。ニーノは忌々しげな表情を隠しもしないで、軽く舌打ちをするとレンドルフの手を振り払った。


「俺は、保湿クリームを扱ってる店の店員が、あんなにカサ付いた手をしているから問い質そうとしただけだ」

「だからと言って、手を取る必要はない」

「いい加減な商品だったかと思って少しばかり腹が立っただけだ。……それについては謝罪しよう」

「…謝罪を受け取ります」


ニーノはヒスイの後ろにいるユリに向かって、あまり済まないと思っているような態度ではなかったが一応謝罪を口にしたので、ユリもこれ以上は関わる気はなかったのでそれを受け取った。


「もし先日お買い上げいただいた商品で効き目が実感出来ないようでしたら、返品していただいて構いませんので」


ヒスイは背後に庇ったユリから包みを受け取って、地を這うような低い声と共にニーノに差し出した。そのヒスイも腹に据えかねているのか、笑顔ではあるが目が笑っていない。ニーノはさすがに気まずげに、それでも仏頂面はそのままでヒスイからぞんざいに受け取ると、小さく「また来る」と呟いて扉の向こうに去って行った。


「また来るんだ…」


ニーノが去った後、思わずといった風にヒスイがポツリと呟いたが、それはこの場にいた全員の総意で間違いがなかった。



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「あ、そうだ、これを。ユリさんとヒスイさんとで食べてくれますか」


レンドルフが我に返って、抱えていた包みの中から紙製の箱を二つ取り出しカウンターの上に乗せた。袋から出すと、フワリと香ばしい焼いた肉の香りが広がった。


「え?これはユリちゃんと食べるランチじゃないの?」

「そのつもりでしたが…さっきのヤツがどこかで見ていないとも限らないので」


たまにではあるが、レンドルフはこの薬局の裏手にある休憩所でユリと一緒にランチをとることがある。しかし表向きはレンドルフは薬局の受付の女性にフラレている態であるので、ここに来るまでに誰にも会わないことが条件のようになっている。今回はニーノと鉢合わせしてしまったし、レンドルフの言う通りどこかで見ていないとも限らないので、あまり長居してしまうとニーノが誰かに苦情として訴え出るかもしれない。


「手ぶらで出るとおかしいと思われそうですし、あの棚の飴を全部買うので、この紙袋に入れてもらえませんか」

「でも…レンさんのご飯が…」

「俺なら外で食べて来るから。今日は厚切りポークソテーだから、是非ユリさんに食べてもらいたいんだ」

「それでも…」


レンドルフは団員寮に併設されている騎士団向けの食堂で、こうして時折テイクアウトにしてユリに持って来てくれるのだ。量と味が評判の食堂は人気があるが外部の者は利用出来ないので、こうして機会があるとレンドルフがお裾分けしてくれていた。ユリもそれを楽しみにしているのではあるが、レンドルフの分が無くなってしまうようなことはしたくなくてかなり渋っている。


「お待たせしました」


テイクアウト用のランチボックスが入っていた紙袋に、飴の瓶を詰め込み終えたヒスイが両手に抱えてレンドルフに手渡す。


「金額は…」

「この二人分のランチ代と相殺で。そのままお持ち帰りください」

「え!?ですが量が」

「普通では食べられないメニューをいただく訳ですし、ちゃんと二人分のランチ代くらいに釣り合うように調整してますから」

「騎士団でも補助があるので、一般的な金額とは…」

「ほら、レン様!あまり長居しない方がよろしいのでしょう?ユリちゃんとはまた伝書鳥で機会を作ってくださいな」

「は、はい。あ、あと少しだけ。…ユリさん」


ヒスイから受け取った紙袋を来た時より倍以上重くなっているのだがまったく変わらぬ様子で片手に持ちながら、レンドルフは後方の壁際でひっそりとした様子で佇んでいるユリに向かって一歩踏み出した。レンドルフの遠征前にきちんと会える機会は今回だけだったので、ユリは相当に悄気ていたのだ。


「ユリさん、手に触れても?」

「え…う、うん。いいよ」


ニーノとは違いきちんと許可を取ったレンドルフに、ユリは少々戸惑った様子でそっと手を差し出した。そのユリの小さな手をレンドルフは優しく包み込む。力を入れずにただ触れるだけだが、ユリは先程強引に掴まれた感触が消えて行くような気がして、安堵のあまり目の奥がじわりと温かくなるようだった。


レンドルフが不意に身を屈めたので、顔がいつもよりユリに近付く。ユリは驚くよりもレンドルフの柔らかなヘーゼルの瞳に思わず見入ってしまう。


「薬品を扱う人は、薬を手に付けて作業は出来ないことを俺は知ってる」

「うん…」


レンドルフはユリの手を包み込んだまま少しだけ親指を動かして、ユリのカサついている指先を軽く撫でた。そのまま指先に視線を落としたレンドルフの目が、甘さを含んで柔らかく緩められた。


「ユリさんの手は綺麗だよ」


ごく小さなレンドルフの囁きはユリの耳にやっと届く程だったが、ユリは胸が震えるくらいの感覚に陥った。


レンドルフが屈んでいたのはほんの一瞬で、彼はすぐに体を起こして手も同時に離してしまった。温かさに包まれていた手の感触がすぐに消えて、ユリは少しだけその手を追いかけたくなってしまった。


「また、連絡するよ」

「うん…待ってるね」


レンドルフは紙袋を抱え直して、ヒスイにも挨拶をして足早に薬局を後にして行った。



「さて、と。外に閉店の看板出して来ちゃうね!」

「よろしくお願いします。私は裏でお昼の支度しておきますね」


切り換えるようにわざと明るい声を出したヒスイの気配りに応えるように、ユリもいそいそとランチボックスを二つ重ねて抱えてカウンターの奥に続く扉へと消えて行った。それなりに一緒にいる時間を重ねて来たヒスイは、ユリが見た目よりも遥かに落ち込んでいることに気付いていた。レンドルフを敢えて早く出るように勧めたのも、結果は変わらないのだから少しでもユリの愚痴を聞いて励ましてやろうと思ってのことだった。けれどヒスイの耳には届かなかったが、レンドルフの一言があっという間にユリを立ち直らせていた為に、どうやらヒスイの出番はなさそうだった。

ヒスイはその後ろ姿を安心した顔で見送ってから、閉店を知らせる看板を片手に外へ出た。


ヒスイが扉の外に看板を掛けると、王城の休憩所になっている広場に植えられている木の影に黒い服の人影がいるのがチラリと目に入った。ハッキリと誰とは確認出来なかったが、ヒスイは何だか嫌なものを見たかのように軽く身震いして、慌てて薬局へ引っ込んだのだった。


(これは、ユリちゃんには言わないで、副所長に直に報告しておこう…)


副所長でユリの祖父であるレンザからユリには何故か厄介な男性ばかり寄って来るとは聞いていたのだが、その本領を垣間見た気がした。



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