507.謝罪に来た者
新人達への訓練の騒動から三日が過ぎた頃、レンドルフの中ではもう彼らのことはほぼ過ぎたこととして何とも思っていなかった。ただ訓練場で姿を見かけていないので、まだ反省文を書き終えていないのか、騒動の元になりかねないレンドルフとは顔を合わせないように配慮されているのかもしれない。
今日は来週に急遽入った遠征の準備の為に、レンドルフがあちこちに申請書などを提出して備品の手配をしていた。オスカーとオルトはまだ新人の教育担当を請け負っていたし、ショーキは被験者となっている指の力を補助する魔道具の定期報告に行っているので、手が空いているレンドルフが引き受けたのだ。
先程は水の魔石の保管庫まで確認に行って来たので、いつもより厚着をしていた。よく使用する魔石は充填されて属性ごとに保管されている。魔力が漏れないように保存の付与は掛けられているが、やはり数が多くなると多少影響が出る。今の時期は火の魔石の保管庫への確認作業をしたがる者が多いが、夏になると逆転する。
「あとは携帯食を三日…いや、まだ季節的に雪の可能性もあるから四日分と少しは用意しておくか」
手元のメモを見ながら、レンドルフは無意識的に休憩所の方向へ足を向けていた。その休憩所の向こう側にはキュプレウス王国との共同研究施設があり、その建物との間に小さな薬局がある。その薬局に月の半分程ユリが手伝いに入っているのだが、今日は不在と聞いている。会える訳ではないが、それでもつい習慣的にレンドルフはそちらに向かっていた。
この休憩所は王城に勤める者ならば誰でも利用してよい場所であるが、第四騎士団の訓練場が近い為使用するのは主に騎士ばかりに偏っている。その為、珍しく騎士団所属ではない女性文官の姿があったので、団長、副団長のいる執務室に書類でも届けに来たのだろうと思ってレンドルフは大きく道を譲るように脇に避けた。
「あの…!クロヴァス卿!」
しかし予想に反して、その女性文官は方向を転換してレンドルフに真っ直ぐ向き合って声を掛けて来たのだった。
「はい。あの…何か私に?」
「え、ええと…少し、お時間いただけないでしょうか」
面食らって戸惑うレンドルフに、彼女はほぼ真上を向くくらいにまで近寄って来てそう告げた。その表情にはまるで決死の覚悟というような悲壮感が漂っている。
騎士団には所属している専門の文官がいて、他部署の文官とのやり取りは基本的に彼らがしている。それ以外の騎士と文官は全く交流がない訳ではないが、基本的にやり取りをするのは副団長以上の役職者が多い。レンドルフも副団長時代にはそれなりに文官とのやり取りもあったが、それも付けてもらっていた補佐官に半分は任せていた。文官は比較的女性が多いので、レンドルフの見た目で割と避けられがちだったのもあったのだ。
「それは構いませんが…場所を移しましょうか」
「あ、あの、では、あちらに!」
彼女は休憩所に設置されている小さな四阿を指差した。昼の休憩時にはすぐに埋まってしまう場所だが、今は時間もズレているし季節的にこの休憩所を使用する人間は少ない。周囲には誰もいないが、開けている場所なのでレンドルフとしては女性と話をするのに誤解を招かないことはありがたい。しかし完全に外であるので、レンドルフは寒さは大丈夫だろうかと心配になる。
「寒くはありませんか?少し遠いですが王城内の喫茶室でも…」
「大丈夫です!冬物の制服ですから!」
その女性文官はキリリと顔を引き締めると、レンドルフを先導するように先に四阿に向かった。やけに勢いのいい受け答えをするのは緊張しているからだろうかと、レンドルフは適度に距離を置きながら彼女に着いて行った。レンドルフは顔立ちは柔和だが、その印象を打ち消して凌駕する体格の持ち主だ。女性や子供相手には可能な限り丁寧に接するように心掛けてはいるものの、それで体が小さくなる訳ではない。どうしても初対面の相手には警戒されがちだ。
声を掛けて来た女性文官は、細身で女性の中では長身の部類に入りそうだが顔立ちは幼く見えた。日に当たると白っぽく見える程の淡い茶髪に緑色の切れ長の瞳をしていて、銀縁の眼鏡を掛けて理知的な印象ではあるが、幼く思えるのは顎の辺りで綺麗に切り揃えた丸みのある髪型のせいかもしれない。
「どうぞ。先程倉庫に行ったので埃っぽいかもしれませんが、敷くには大丈夫だと思います」
「あ!いえ、そのような…」
レンドルフはサッと上着を脱いで外側を内に丸めるように畳んで、四阿の入口近くの椅子の上に置いた。石造りの椅子なので冷たいだろうと察して、そこにそのまま女性を座らせることはしてはならないと行動した。特に女性は冷えへの耐性がないと故郷で叩き込まれているおかげだ。
彼女は慌てたように首を振ったが、レンドルフはそのまま先に奥の方に向かって腰を降ろした。いくら外とは言え、レンドルフが入口付近に陣取って無駄に威圧感を与えてしまうことを避けたのだ。先に座られてしまったので固辞するのもどうかと思ったのか、彼女は小さく「失礼します」と呟いてソロリと上着の上に座った。
「お時間取っていただき、ありがとうございます。私は、フラウ・インディゴと申します」
「レンドルフ・クロヴァスです」
彼女、フラウはもうレンドルフの名は知っているだろうが、形として名乗っておく。正面から改めて彼女を見ると、やはりかなり若く、貴族であることは分かった。貴族としては珍しいくらいに髪を短くしているが、所作だけでなく髪の艶や爪の手入れ、何より眼鏡のつるに控え目ではあるが光る石があしらわれているところを見れば貴族出身で、おそらく学園を卒業して成人したてくらいであろうことはレンドルフでも分かる。それに社交をしないレンドルフでも彼女の家名には聞き覚えがあったということもある。
「もしかしてインディゴ伯爵の」
「はい、インディゴ伯爵家当主でございます」
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インディゴ伯爵は、国内でも有数の織物の産地である領地を治める家門だった。王族や高位貴族を対象にするものは他領に一歩及ばなかったが、最も数の多い伯爵家以下の貴族からごく一般的な平民に至るまで幅広く支持を得ていた。価格以上に品質が良く、丈夫なものが多かったのだ。丈夫なものを求めるクロヴァス領でもかなり出回っていた筈だ。
そのインディゴ伯爵家が悲劇に見舞われたのは三年程前だ。
伯爵領は織物業の他に、領内に巨大なダンジョンがあることでも有名な土地だった。ダンジョンから魔獣が溢れて来ないように冒険者ギルドと提携して定期的に間引いていたし、国からもそれなりの規模の駐屯部隊を置いていた。そのおかげでこれまで大きな被害もなく領を治めていたのだが、当主一家が社交の為に王都に向かう道中で突如発生したダンジョンから零れ出た魔獣の襲撃を受けた。どういった条件かは分かっていないが、ダンジョンが突然出現することはそう珍しいことではない。不幸なことにそのダンジョンが発生した場所は観光地としても知られた湖のある場所で、一家で休憩を取っている時に襲われたのだ。
護衛はいたものの不意打ちで防ぎ切れず、その時に当主夫妻と嫡男が亡くなった。そこで生き残ったのは末の令嬢一人だけだったのだ。
まだ未成年だった彼女は後継教育も受けておらず、インディゴ家をどうするかという問題が持ち上がった。縁戚に打診はしたものの、跡を継げる年齢の者は既に他の領を治めているか、他家に仕えていて許可が降りなかった。他に候補がいなければ未成年でも当主にはなれるが、当人が優秀で周囲もそれを支えるだけの分厚い層がいなくては成立しない。
それを解決するには、すぐにでも当主代理を務めることの出来る者を据えることだが、それに目を付けた貴族から彼女に山のような縁談が殺到した。もともと彼女には婚約者がいたのだが、状況が変わったとしてまだ解消もしていないのにその存在がなかったかのように次々と届く釣書や、裏から恫喝とも取れる強引な接触が加熱して行く中、彼女が取った行動は領地と爵位の返還だった。
領地経営も順調で歴史のあるインディゴ家を簡単に手放すとは周囲も思わなかったので、彼女の判断があまりにも迅速で止める工作をする間もなく王家に届けは受理されてしまった。ただ王家はさすがに一人残されてしまった令嬢を不憫に思ったのか、混乱が起きる前に判断を下した行動を評価し、領地は王領にしたが爵位だけは彼女の元に戻して伯爵家当主を名乗ることを許可したのだった。これは彼女がまだ学生であったことを慮って、退学にならないように配慮したこともあった。それに爵位さえあれば、下位貴族程度の生活が送れるだけの年金が国から支給される。
まだ学生の令嬢が伯爵家当主になったというので、当時はそれなりに話題になった。その話題はレンドルフの耳にも届いていたので、その家名とともに記憶にあったのだ。
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「その、インディゴ伯爵は、私にどういったご用向きでいらしたのでしょうか」
「あの…わたくしは名を継いだだけの小娘ですので、一文官として接していただけると…」
「…分かりました。それでは、お話の内容を伺っても?」
「はい。この度はクロヴァス卿にお詫びに参りました」
「お詫び?」
レンドルフは特にインディゴ家と関わりがあった覚えはないし、目の前のフラウも初対面な筈だ。詫びられる理由が分からなくて首を傾げる。
「先日、わたくしの婚約者、ヨーカ・カトリナがクロヴァス卿にご迷惑をお掛けしました。当人はまだ直接お詫びに伺うことが出来ませんので、代わりにわたくしが」
「ああ、あの…」
つい「危なっかしい」と口を衝いて出そうになって、レンドルフは慌てて言葉を濁した。それでもフラウも何となく察したのか、眉を下げて困ったような笑みになった。
「あの件はもう上司に任せてあるし、俺としてはこれ以上何か言うつもりはありませんよ」
「本当ですか!?」
「え、ええ。また何かあったら更に長い反省文と謹慎くらいにはなるかもしれませんが…その辺りは当分顔を合わせない方向で調整してもらっているようです」
「あ…ありがとうございます!」
レンドルフの言葉にフラウは表情を明るくして勢いよく頭を下げた。顔を上げた時には、眼鏡で分かりにくかったが彼女の目が潤んでいるように見えた。こんなに婚約者に思われているのにヨーカの態度はどうかと思うところはあるが、そこまで踏み込んで言う資格はレンドルフにはない。
「あの…クロヴァス卿には何かお礼を…」
「そんな気を遣う必要はないですよ。もう上司が収めた話で、俺もそれでいいと思っています」
「ですが、クロヴァス卿と王家に無礼な物言いを」
「たとえ誰かが王家に注進に及んだとしても、俺が違うと言えば終わりです。心配ならばこれからこれ以上の追求は不問にするとの誓約魔法を魔法士に頼みに行きましょうか」
「い、いいえ!大丈夫です!疑うようなことを申し上げました。申し訳ございません!」
ヨーカは、レンドルフが永年正騎士の資格を授与されたことを実力ではなく依怙贔屓されたからだと断じた。レンドルフとしても内心そう思わないこともないが、それを人前で公言してはレンドルフに授与を決めた王家を貶めているのと同義になってしまう。ヨーカの言動はただの勝手な思い込みに過ぎないが、伝わり方によっては不敬と看做されて罪になる恐れもあった。ただ、直接言われたレンドルフが「王家を貶めるような発言ではなかった」と主張すればそのまま不問にされる可能性は高い。逆に言えば、レンドルフが腹に据えかねていて「王家への不敬があった」と言ってしまえばヨーカは窮地に立たされる。
おそらくフラウはその可能性を予測して、慌ててレンドルフに謝罪に訪れたのだろう。
ヨーカは先日の騒動でしか分からないが、レンドルフからすると随分と短慮で怖い者知らずの子供のようなタイプに思えた。その婚約者のフラウは思慮深い印象なので、何となく彼女の方が苦労していそうだな、とレンドルフは少しだけ気の毒に思ってしまった。
「お時間いただき、ありがとうございました!」
「いや、大丈夫。謝罪は確かに受け取りました」
「ヨーカにはよく言って聞かせます」
「彼はとても腕の良い剣士でした。その才を短気で失うのは惜しいと思いますよ。…まあ、俺に言われても逆に嬉しくないかもしれませんが」
「…時期を見て伝えます」
ほんの少しだけフラウの返答に間があったのは、彼女もヨーカがレンドルフの言葉を素直に受け取らないだろうと予測が付いたからだろう。
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フラウは上に座ってしまった上着をクリーニングに出して返すと申し出たが、レンドルフはこの後も必要なのでと言ってそのまま返してもらった。
フラウは何度もレンドルフに向かって頭を下げながら、休憩所を後にして王城の方へと戻って行った。その姿をレンドルフは見送ってから、ユリはいない筈の薬局の方向に視線を向けてしまった。
(何だろう…このモヤモヤした感覚は…)
誰かに見られたとしても開けた場所で距離を取っていたし、レンドルフには疾しい気持ちは一切なかった。だが、何となく今すぐ薬局に駆け込んでユリに会いたいという気持ちが沸き上がって来る。しかしそもそも今日はユリはいないのだ。
レンドルフはよく分からない感情を抱えたまま、丸めた上着を片手にその場を後にしたのだった。