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505.教育者の苦労


「…それは、最愛の姫君の後継教育にわたくしを据えるということでしょうか…?」


たっぷりの間を置いて口を開いたオランジュに、今度はレンザが目を丸くした。


貴族の後継教育には家庭教師などでは学べない部分が多く、家門の機密なども含まれる為に教育を請け負うのは当主や引退した先代などの身内が担当する。そしてその教育には当主夫人も関わる。近年では女性も当主になる機会も増えて来たので後継教育も出来る同性は貴重であり、そんな才女が寡婦になったり離縁した場合、好条件で後妻として望まれることが非常に多い。


オランジュは夫の生前であったので最初は二人三脚ではあったが、バッカニア公爵家の後継として第二王子エドワードの教育に携わって来た。その教育も半ばで夫が他界した為、半分以上はオランジュが教育を引き継いだのだ。まだ王太子の後継が確定していないために、万一の保険としてまだエドワードは臣籍降下していない。そんな事情もあってバッカニア公爵家は当主不在で一時的に王家預かりになっているが、いつエドワードが当主になっても問題がないようにオランジュが夫の遺言に従って、当分は問題なく領政が回るように全てを整えてから籍を抜いて実家に戻った。今もバッカニア公爵家が当主不在でも問題なく回っているのは、オランジュの成果であり誇りなのだ。

亡き夫の遺言の効果で寡婦となったオランジュにはあからさまな縁談は来なかったが、しつこく実家の伯爵領に戻って来いと父と弟が催促していたのは大方実家に有利な条件の縁談でも持ち込まれたからだろう。オランジュは遺言を盾に一切言うことを聞かなかったのだが。


今のところ、大公家の後継は決定していない。ただ一人の直系の大公女は病弱で家を継ぐことは無理だというのがこの国の貴族の共通認識だ。だが筆頭分家からその候補がいるという話も出ていないので、もしかしたら大公女の婿が実質の大公家を継承するのではないかという噂が最も有力だとされていた。

しかし実際のユリは健康で、オランジュには病弱故に後継になれないとは思えなかった。まだ大公家を受け継ぐには未熟な部分も多いかもしれないが、これまで公爵家の後継教育に携わって来たオランジュの見立てでは絶望的に向いてないという程ではないと感じていた。あの気の強さがあれば、多少の能力不足はそれを補える能力のある周囲が支えればどうにでもなるだろう。


だがもしレンドルフを伴侶として望むのならば、話は大分変わって来る。彼が大公家を支えられるとはお世辞にも思えなかった。人として隣に望む気持ちは分からないではないが、大公家のような最高位の大貴族を継ぐ者としては圧倒的に不向きな人間だとオランジュは直感した。

その為、レンドルフを婿として迎え入れる為にはユリにはもっとしっかりとした後継教育の必要が出て来たのではないかと予測したのだ。


その教育担当をオランジュに任せたいというのならば、大公家の身内に入るとほぼ同義であった。


が、レンザは丸くした目をすぐに細めて、少しだけ眉を下げて気まずそうな表情になった。


「いや、これは失礼しました。つい気が急いて誤解を招くようなことを申し上げました。後継教育をしていただきたいのは私の孫ではありません」

「そうでしたの。いやですわ、わたくしったら。まるで閣下に遠回しに求婚されたのかと思って、浮かれてしまいましたわ」

「こんな年寄りを喜ばせるようなお心遣い、痛み入ります」


互いに先読みが出来るだけに言葉が足りなかったことを自覚して、視線を合わせてどちらともなく笑い合っていた。そのおかげか、どこか緊張感が漂っていた空気が一気に緩んだ。


「それで、わたくしはどなたを教育すればよろしいのかしら」


ひとしきり笑い合ってそれが治まると、オランジュは探るような目でレンザを見つめた。


死期が近かった亡き公爵から全てを叩き込まれて、その後一人で婚家を支えるのは並大抵の苦労ではなかったが、それでも自分が生きて来た中で最もやりがいのある時間であったことは間違いない。その苦労を重ねた成果をレンザが認めてくれたようで、オランジュは心が弾むのを抑えられなかった。そしてその成果が再び後継を育てるという機会を与えてくれたのだ。それはもう心が弾むと言うよりも血が沸き立つような感覚に近いかもしれなかった。


「期限は二年。とある人物に最低限公爵家当主に就けるだけの教育を施して欲しい」


公爵位は、王家、大公家に次いで地位の高い家門の爵位だ。その大半は王家の直系が臣籍降下をするなどして興った家である。その当主を「最低限」などと評した言葉を使えるのは、それこそレンザくらいのものだろう。いかにも簡単な物言いだが、それがどれほど難しく困難であるかはオランジュは誰よりも知っている。しかしレンザの言葉に、オランジュは無意識的に三日月のようにくっきりと口角を上げて、令嬢らしからぬ肉食獣を思わせる表情になっていた。


「そのご依頼、詳しいお話をお聞かせいただいても?」



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レンドルフと新人ヨーカの手合わせは、部隊長のオスカーが移動して来たことで周囲に広まって、別の訓練場にいた騎士達も集まって来てしまっていた。レンドルフとしてはあまり大事にせずに、指導担当として鉄拳制裁を喰らわせた程度に留めるつもりだった。だがヨーカの方が予想以上に癇癪を起こして騒いだので、どうにも止められなかった。


「使用するのは訓練用の模造剣。魔法は身体強化以外は禁止とする。降参するか枠内から出た場合を負けとする。双方よろしいな?」

「はい」

「構わない」


どこまでも尊大な態度を崩さないヨーカだが、実家の爵位はオスカーよりも上かもしれないが、オスカーは当主でヨーカは令息だ。地位としてはそれこそ雲泥の差があるのだが、それを理解しているか大分怪しいとレンドルフはヒヤヒヤしていた。

一応社交界などでは実家の影響はあるが、実質継ぐ爵位を約束されていない令息は何の力もないのだ。生まれが貴族であれば、貴族の家に縁付いて婿入りをしたり叙爵される可能性は平民より高いかもしれないが、身分としては平民とあまり変わりがない立場だ。

そもそも騎士団は身分が多少は影響するが、基本的に実力が物を言う場所だ。ヨーカも剣技は見た限りかなりの実力者なので、どうにも間違った方向に進んでしまったのかもしれない。まだ新人なのでどの団に配属されるかは分からないが、このままではあまり良いことはないだろう。



「始め!」


オスカーの合図で、一気にヨーカが駆け寄って先制攻撃を仕掛けた。レンドルフはあまり大きく動くと枠からはみ出してしまいそうなので、あまり動かずにヨーカの剣を受け止めた。身体強化を掛けている筈だが、思ったよりも軽かったのでレンドルフは却ってたたらを踏みそうになってしまった。腕はいいのだが、圧倒的に鍛えられていない為に力がないのだ。身体強化を使わなくても常人よりも力の強いレンドルフからすると、どの程度手加減をしていいかという方向に頭を悩ませてしまった。


(折角剣術は良い腕なのに、残念だな)


レンドルフは一撃で弾き飛ばして枠の外に出してしまっても良かったが、体力不足を感じて自ら鍛錬をしてくれるようになってくれることを期待して、少しばかり付き合うことにした。視界の端に審判を務めているオスカーが苦笑している様子が見えたので、彼もレンドルフの意図を理解したようだった。


立て続けに数回打ち掛かって来て、レンドルフが受け流すようにしていると、ヨーカはあっという間に息が上がっていた。学園の騎士科でもそれなりに厳しい授業があった筈なのだが、どうしてこんなに体力がないのだろうと首を傾げたくなってしまった。レンドルフは、自分が卒業した後に学園の方針でも変わったのだろうかと疑問に思っていた。


「貰った!」

「っ…!?」


比較的単調だったヨーカの攻撃が、思いもかけない軌道を描いてレンドルフの腕を掠めた。模造剣なので切れることはないが、打撃が入ったような状態になる。打撃と言っても切っ先が掠めた程度なので、痣にもならないだろうが軽い痛みはあった。


魔法は身体強化以外は使用出来ない筈だが、ヨーカの動きはやけに妙だった。まるで見えない壁かなにかを蹴ったかのように、飛びかかる途中で角度が変わった。何もしない体術だけで出来る動きではなかった。


「まだまだ!」


ヨーカは次の攻撃もまた変則的な動きをした。今度はレンドルフも動きを確認してから剣を弾き返したので当たることはなかった。


(何だ…?微妙に動きにくい?)


弾いた勢いでそのまま場外に押し出そうとしたが、どういう訳か完全に腕を振り抜くことが出来なかった。まるで何かが腕に絡み付いているような感覚で、ほんの一瞬だが思うような動きとは違っていた。その隙を突いて、ヨーカは枠ギリギリのところで方向を変える。


(魔法を使っているのか?しかしそれにしては奇妙だ)


もし反則で魔法を使用しているのなら、集まったギャラリーの中で誰かが気付きそうだ。それにレンドルフは魔力探知は得意ではないが、ここまで近ければ相手が魔法を使用しているかどうか程度なら分かる。ヨーカは何か魔法を使っている気配もなく、その魔法を使うタイミングがやけにちぐはぐなように感じられた。分からない程度に魔力を絞ってレンドルフの動きを妨害する魔法を使用しているにしても、もっと効果的なタイミングがある筈だ。確かにヨーカをサポートするような魔法ではあるが、自分の手足のように使っているとは言い難い。


(慣れていない魔法なのか…いや、誰かが協力している?)


やり方としてはどうかと思うが、レンドルフはヨーカにもフォローしてくれる同期がいるのだと少し安心していた。そんなことを考えているのを知られれば、少なくともレンドルフの部隊の仲間は呆れたような目を向けることだろう。かつてレンドルフが騎士団に入って間もない頃の新人向けの御前試合で、対戦相手がルール違反の付与付きの真剣を持ち込んでレンドルフを当分動けなくさせてやろうとした悪質な嫌がらせを計画していたのだが、レンドルフがうっかり得意の武器破壊でへし折ってしまったのを申し訳なく思って凹んでいたことがあった。このまま行けば、その時に向けられた周囲の何とも言えない視線と空気と同じような状況待ったなしだった。


(ひょっとして、糸か!)


目に見えない程細いのか、それとも魔法で作っているからなのか、レンドルフの目にはどう張り巡らされているかは分からない。完全に動きを止められる程の強度はないが、体に絡み付く感覚は多少の不快感を覚える。見えない分、どこにどう絡んでいるか予測出来ないのだ。


さすがに一対一の手合わせに外部からの介入は、騎士の心構えとしては咎めるべき案件だ。これが魔獣や犯罪者ならば容赦する必要はないが、王家に仕える一員である王城騎士団に所属する以上、騎士として正しくあろうとする清廉さは持っていなければならないとレンドルフは思っている。それにこの糸は、ヨーカも分かっていて利用しているのは動きを見れば明らかだ。


その為には証拠となるものを見付けなければならないので、どうしたものかと思案しながらヨーカの剣を受け流していると、不意に自分の剣を持つ手に何かが引っかかったような感覚がした。次の瞬間、レンドルフは反射的にその感覚を頼りに絡めとるように剣を振り回し、更に手応えが重くなったところを一気に引っ張り上げた。


「うわっ!?」


周囲から見れば、随分と奇妙な光景だった。途中まで圧倒的に余裕のある様子だったレンドルフが、ヨーカの攻撃が変化した辺りから動きが鈍くなり、突然何もない方向に向かって剣を振り回したのだ。一体どうしたのかと誰もが思った次の瞬間、集まっていた見物人の一番後方から声が上がって一人の騎士が空中高く放り出された。そして見物人の頭上を飛び越えて、ドサリと手合わせをしているど真ん中に落ちたのだった。


「なっ…!」

「双方、一度待て」


突然の乱入者に、オスカーが二人を止めた。レンドルフはその前から止まっていたが、ヨーカの方はまだこんな状況でも斬り掛かろうとしていた為だ。ヨーカは何か怒りを抑えているような形相になったが、周囲の視線に気付いて仕方なしに動きを止めた。こうして動きを止めると、ヨーカのこめかみからは幾筋も汗が流れ落ちているの比べて、レンドルフは汗一つかいていないので、二人の実力差が如実に見てとれた。


レンドルフは真っ青な顔をして自分の前に座り込んでいる騎士を見下ろした。青年と言うよりは少年のような面差しの彼は、確か先程ヨーカと組んでいた人物だと気付いた。訓練中はあまりヨーカに対して協力的ではなかったように見えたが、やはり仲間意識があったのだろうか、と目を合わさないように地面を見つめている彼を観察する。


「何があった」

「彼の魔法かもしれませんが、妨害がありました」

「それは事実か?」

「そ、れは…」

「どのような妨害か分かるか、レンドルフ」

「何か見えない糸のようなものに絡まれました。それを咄嗟に巻き取って引き上げた結果、このような状況になりました」

「ふむ…君自身が事実を証明するか?」


オスカーは座り込んでいる新人騎士に向かって話し掛けると、彼はいよいよ顔色を失って「あ…うぅ…」と言葉にならない呻き声だけを発して口をハクハクさせた。その様子に、周囲に集まっていた者達もいよいよ疑いの眼差しを向ける。


「言い掛かりだ!私の剣術の腕に嫉妬して、貶めようとこいつを脅しているに違いないんだ!」

「ヨーカ、その…」

「気安く名を呼ぶな!お前なんか私がいないと何にも出来ない落ちこぼれだったくせに!そうやってすぐに強いヤツに媚を売る恩知らずめ!」

「そこまでにしとけ」


ヨーカの爆発したような甲高い声が響き渡り、それを浴びせられた騎士が絶望の表情になった。レンドルフもいくら激昂しているとは言えこれ以上の暴言を放置しておくのはマズいと足を踏み出しかけたが、一瞬早くオルトがヨーカの口元ごと羽交い締めにするようにして動きを封じた。


「いくら親友が助けてくれたからって言っていいことと悪いことがある。それにお前も。()()()()ルールを破ってまで助けてやるのは友人の為にもよくないからな」

「あ、あの…」

「全く、いくら()()()()()()()()に構ってもらいたいからって、悪手が過ぎるぞ。子供(ガキ)じゃねえんだ、突っかかるのは程々にな」

「っ!…っ!!」


ヨーカはオルトの腕に口を塞がれている状態なので、何か文句を言っているようだが内容はさっぱりだった。ただ激怒しているのだけはよく分かった。しかしオルトは暴れるヨーカをものともせず、上手く関節技を掛けて動きを封じていた。これは力の強いレンドルフには出来ない技術なので、つい感心したように状況も忘れてレンドルフはしげしげと眺めてしまった。レンドルフはうっかり力を込めると確実に関節を外してしまうし、最悪骨を折ってしまう恐れもあった。


「それならば仕方がないな。少々説教の後に、特別にレンドルフに稽古を付けてもらうといい。さあ、皆も訓練の続きに戻るように」


オスカーはオルトが色々と穏便に丸め込もうとわざとそんなことを言ったのだとすぐに察して、集まって来た新人達に散会するように指示を出した。


「さて、君にも話を聞こうか」

「…はい」


オスカーはまだ座り込んでいた騎士に声を掛けると、彼は観念したかのように俯いたままゆるゆると立ち上がったのだった。



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