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504.貴族の裏側


レンドルフと手合わせすることになったのは、カトリナ伯爵家の末っ子でヨーカという名だった。オベリス王国では貴族籍は伯爵家が最も多いので、レンドルフは相手が貴族出身であることくらいはぼんやりと覚えていたが正式な家名は初めて聞いた。それを言うとさすがに更にややこしいことになってしまいそうだったので、敢えて知っていたと言わんばかりに涼しい顔をしておいた。



周辺の王政の国では、貴族は下位になればなる程数が多くなるのが普通だが、オベリス王国は一度国が消滅しかけた際に、貴族が減り過ぎて領地の管理が追いつかなくなった為、片端から下位貴族を陞爵させて伯爵位まで引き上げてそれに見合った広さの領地を与えた時期があった。当時としてもかなり乱暴な政策であったが、跡取りが一人しかいない家門が多かったので、そこの後継同士を婚姻させて領地を併合させる替わりに陞爵という形で凌いだのだ。そして子供が複数生まれた際には領地を元に戻して、陞爵後の爵位で家を再興することも特例として許可されていた。もともと後継教育を受けていた同士が家は一つになったもののそれぞれの領地経営を行ったので、そこまで混乱はなかった。正確には混乱する程の余裕がなかったとも言われているが。

その影響で、オベリス王国は今も伯爵位が最も多いのだ。ただ近年は平民を叙爵することを積極的に行っているので、下位貴族も増えて同数に迫りつつある。



ヨーカが希望したのは、地面にあまり大きくない枠を描いて、その中で手合わせをすることだった。勝敗はどちらかが降参するか、枠の外に出た時点で敗北が決まるということだった。その内容を聞いて、レンドルフは以前出向でエイスの街の駐屯部隊にいた時に行っていた訓練とよく似ていると思った。訓練と言うよりもどちらかといえば駐屯部隊の騎士達の娯楽だったのではあるが、レンドルフもそれを随分楽しんでいた。

その時よりも囲まれた枠は半分くらいの大きさであるが、レンドルフは負ける気はしなかった。



「まさかあいつがあんなに怒るとは思わなかったな…一体どこに怒りのポイントがあるんだか」


オルトは自分が注意をして逆に絡まれたのに、何故かレンドルフが手合わせをすることになってしまったので少々困惑していた。しかしレンドルフもやる気になっていたので仕方なくその場で手合わせの審判役を申し出たのだが、ヨーカが「絶対僕に不利な判定をするに決まってる!」と断固拒否をしたので別の訓練場で指導をしていたオスカーを呼んで来る羽目になった。出来ればこの訓練場にいる人間だけで事を治めておきたかったオルトだったが、こうなってしまうと歯止めが利かない。


「…レンドルフはレンドルフなりにあの新人を庇ったのだよ」

「オ、オスカー隊長!?…すみません、俺が対応を間違いました」

「まあ、こちらの予想を越える矜持の高い若者は毎年数人はいるものだ。ただ人伝に聞いただけだが、あの者は第一王女殿下に不敬をはたらいたと取られかねない発言をしたようだからな。きちんと指導したと報告しておけばちょっと痛い目を見るだけで済む」

「あー…そういや王女殿下の後押しでの授与だとか噂されてましたね」


実際のところは王太子ラザフォードの鶴の一声で強引に決まったのだが、その辺りは周辺には伝えられることはない。ただ受賞の式典で未成年の王族が直々に授けたという異例のことと、自身を愛称で呼ぶことの許諾を宣言したことで、レンドルフの後ろ盾にアナカナが付いていると認識されているのだ。その授与の不服を口にすると言うことは、引いては王家への不満を公言したと扱われかねない。

これが平民ならば厳重注意で済むのだが、貴族になると色々と影響が大きい。直接悪し様にいわれたのはレンドルフであるので、そのレンドルフに謝罪したとなればそこで終了になる。それが引いてはヨーカを助けることにもなる。


「まあそれでも、実家のカトリナ伯爵家には多少の抗議は行くかもしれんがな」

「貴族は大変ですね」

「全くだ」


オスカーも子爵家当主なのだが、しみじみと呟いたオルトの言葉に実感を込めて頷いたのだった。



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オランジュは予想以上に楽しい晩餐を終えて、歓談の為に別室にレンザ自らエスコートされて移動していた。手触りの良い革張りソファに身を預けると、温めた赤ワインにフルーツを沈めたグラスがローテーブルに置かれる。普段オランジュが好んでいる銘柄だが、更に上のランクなのかより豊かな香りが鼻先をくすぐる。


婚姻歴はあるが互いに伴侶を亡くしていて実質独身の男女なので、部屋の隅にオランジュの連れて来た侍女のメリヴィラが控える。メリヴィラは小柄で子供のような外見だが、実は獣人であって、種族的に幼く見えるだけでオランジュと大差ない年齢の立派な成人だ。そして獣人の中でも最強の一族の一つと名高い種族なのだ。

幼い頃に親を失って孤児院に引き取られるところを、オランジュの亡き夫バッカニア公爵が引き取って前妻の為に護衛兼侍女として育て上げた経歴を持つ。後に彼女は後妻として嫁いで来たオランジュに引き継がれ、バッカニア公爵の遺言で家ではなくオランジュ自身に仕えるようになったのだ。バッカニア公爵への恩義もあってかオランジュへの忠誠心も高く、彼女が最も信頼している身内のような存在だ。


「素晴らしい晩餐に好みのワイン。閣下とのお話も刺激的で楽しゅうございましたが、あまり遅くなりますと家の者が心配いたしますわ。そろそろ本題をお聞かせ願えませんかしら?」

「それは失礼いたしました。魅力的なご令嬢の前に、時が経つのを失念しておりました」


互いに貴族の裏を見せない笑みを浮かべつつ、レンザはチラリとオランジュの背後のメリヴィラに視線を送った。それだけで退室を促すようにオランジュに要求したのであるが、オランジュは分かっていながら全く反応を返すことはなかった。レンザはそれだけ信頼している腹心なのだろうと察して、それ以上視線を向けることはなかった。


「まずはパフーリュ嬢にお詫びを」

「お詫び?何かございましたかしら」

「過日、我が一族の領地を通過する際、少々指示を重く受け止めたようで、パフーリュ領の取り引きに影響を出させてしまいました」


パフーリュ領から王都に名産の小麦を輸送する街道に魔獣が出た為に迂回路を利用したのだが、近頃増えていた違法薬物の密輸の取り締まりを厳しくしていた為に、普段道を利用しない商会の荷物の検査に時間が掛かってしまった。まさしくパフーリュ領の品を扱う商会がそれに当たり、各領地を抜ける際に一日程度時間が掛かった為に結果的に王都へ到着するのに10日前後の遅れが出た。その道中の領の大半が、アスクレティ大公家の分家とそれに連なる寄子だったのだ。


「魔獣の出現は天災と同じことですわ。多少煩雑な手続きさえすれば、損害は国から補償されますので問題はございません。…それとも、あれが人災だったと?」


オランジュのオレンジ色の目が僅かに細められて、その奥の色味が微かに燃えるような輝きを増す。それを受け止めるレンザの黒い目には一切の感情は見えなかった。心の片隅で、オランジュは感情が読みにくい黒い瞳を少し羨ましくも思った。


「街道を封鎖する程の魔獣はさすがに配下にはおけませんよ。あれは全くの偶然です。ですが…多少好機だと思って利用したのも否定しません」

「まあ、随分簡単にお認めになりますのね」

「私の最愛に手を出すとどうなるかという牽制は、伝わらねば意味はございませんから」

「ふふ…ではわたくしも謝罪をしなければなりませんわね。姫君があまりにも可愛らしい花のような騎士様を侍らせていたので、つい羨ましくなってしまいましたの。申し訳ございませんでした」

「可愛らしい…」


一瞬、何にも動じた様子のなかったレンザの眉間に、微かではあるが皺が寄った。それを目敏く確認して、オランジュは心から楽しげな笑みを浮かべたのだった。



偶然オランジュは人助けをしていたレンドルフを見かけて、その心意気に興味を惹かれて声を掛けたのだ。その時に割って入ったユリと鉢合わせした。一見大人の女性の余裕を取り繕っていたが、その薄い仮面の下で盛大に威嚇しているのがオランジュには手に取るように分かってしまった。その様子が、仔猫が精一杯毛を逆立てているようでつい揶揄いたくなってしまったのだ。ユリが周囲に大公女であることを隠しているのも分かったので、その後も間接的ではあったがユリにだけ分かるように自分の存在を匂わせた。しかしその行動を彼女を溺愛しているというレンザに知られて、少々手痛い意趣返しを受けたのだった。


今回の謝罪は、互いの手札を知り尽くしているという種明かしの場のようなものだった。



「時折ユリも彼を『可愛い』と評することがありますが…幾つになっても女性の心というのは計り知れませんな」

「うふふ…それは乙女の秘密ですわ。殿方に分かってしまってはつまりませんもの」


確かにレンドルフは顔立ちは母親似で薄紅色の髪色なので、そこだけ見れば「可愛い」と言えなくもないかもしれない。が、やはりどうしても規格外に大柄で筋肉質の体格が真っ先に目に入って印象を決めてしまうので、なかなか「可愛い」とは理解し難いものがある。


「それでは、たがいに謝罪を受け入れる、という形でこのお話は終了でよろしいかしら」

「ええ、そういたしましょう」


オランジュはそっとグラスに唇を付けて、ほんの少しだけ湿らせるように温かいワインを触れさせると、レンザの次の言葉を待つ。


オランジュは伯爵家から公爵家へ望まれて嫁いでも、その道のりは簡単ではなかった。まだ夫が存命の間は防波堤になってくれたが、亡き後は公爵家の利権や資産を掠めとろうとする百戦錬磨の難敵を相手にしなければならなかった。けれど死期を悟った夫に叩き込まれた生き抜く為の手段は、今もオランジュの根底を強く支えている。国王と同等の地位を許され、国内でも揺るぎない権力を持っている大公家当主との対峙は、背筋が伸びる程の緊張感を伴う。けれどそれをうっすらと楽しんでいる自分も自覚していた。


「それでは本命の話をしましょうか」

「ええ、お願いしますわ」


手にしたグラスをテーブルの上に置いて、オランジュは余裕を見せるように僅かにソファの肘掛けに凭れ掛かるように体を傾けた。


「貴女には、後継者教育をしていただきたいのです」


レンザの言葉に、オランジュは思わず目を丸くしてしまった。




メリヴィラの種族はラーテルです。体が頑丈で毒にも強い耐性があるので護衛向きの種族ですが、それが悪用されることも多かったので外見的な特徴が出ないように生まれてすぐ魔法で人族と変わらないようにする風習があります。同種族はフェロモン的なもので判別が付くので問題はありません。

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