501.気がかりの多い酒場にて
その日は兼ねてより目を付けていた酒場に来ていた。騎士仲間からミートボールのトマト煮込みが絶品と聞いて、レンドルフがトマトが好物なユリを誘ったのだ。何でも深目のスキレットに入ったままサーブされて、熱々のものをテーブルでパンに乗せたりパスタやジャガイモを追加注文したりして好きにアレンジして楽しむのが人気らしい。
王城の近くで変装したユリと待ち合わせて、いつものように手を繋いで並んで店に向かう。目的の店は客層が平民中心の大衆向けなので、ユリは顎の辺りで切り揃えた金髪の冒険者風の出で立ちをしていた。体の線を出さないようにオーバーサイズの服を着て、動きやすいヒールのないブーツを履いているので、いつもよりも幼く年齢不詳な印象になっている。
いつものようにユリは酒場の入口で年齢の分かる身分証の提示を求められたが、ギルドカードがあれば何の問題もない。ユリも慣れたもので、むしろ「そう言ってくれた店の方が信頼できるよね」と笑っていた。
「レンさん、体調悪い?」
「え?いや、そんなことはないよ」
「そう?でもいつもより顔色が悪いし、目の下にも隈ができてるし…もしかして眠りが浅いとか?」
席に着いてすぐに、正面に座った変装したユリの青い瞳がジッとレンドルフに向けられる。あまり広くないテーブル席なので少し身を乗り出すだけでかなり顔が近くなるので、レンドルフは少しだけ誤摩化すように顔を背けてしまった。しかしユリは容赦なく半ば腰を浮かせて更に顔を近付けて来る。
「よく眠れるハーブティーとか作ろうか?あんまり翌日に響かないように調整して…」
「だ、大丈夫だから」
「そうだけど…」
「ありがとう。でも気持ちだけで」
落ち着くようにレンドルフが軽く手で制するように宥めると、ユリは少々不満そうな顔はしていたがストンと座り直した。
ちょうどのそのタイミングで、最初に注文したグラスと前菜の盛り合わせが運ばれて来た。細かい泡がふんわりと上に乗ったよく冷えたエールと、ベリーや黒スグリなどがたっぷり入った甘いカクテルが並ぶ。相変わらずエールはレンドルフの前、カクテルはユリの前に置かれたので互いに笑いながらグラスの位置を交換する。
「これで10回目ね」
「じゃあ後で一番高いメニューを注文しよう」
甘い物がそこまで得意ではないユリと大の甘党のレンドルフの注文は、高確率で見た目から逆に置かれる。それも楽しみの一つにしてしまおうと、トータルで10回間違われたらその店で一番高いメニューを注文しようと決めていた。
この店は肉料理を看板メニューにしているだけあって、前菜の盛り合わせもハムやサラミなどの肉系が中心に並んでいる。
「あ、このベーコン、甘い香りがする。何で燻してあるんだろう」
「メープル、かしらね。ほらシロップの。レンさん好きそう」
他愛のない話をしながらグラスを傾ける。こんな風な日常が随分久しぶりな気がして、ついユリはいつもよりも早いペースでグラスを空けていた。ユリは元々普通よりも酒に強く、万一に備えて外で飲む時は深酔いしないように調整した装身具も身に着けているので酔い過ぎることはないが、それでもいつもよりフワフワした心地好い気分になっていた。
「ねえ、レンさん何か気になることでもある?」
「え!?気になること…?」
ほんの少しだけトロリとした目でユリに見つめられて、レンドルフはやや挙動不審になりかけた。
「ない…と思うけど」
「でもこないだから何か言いたそうにしてる」
「あ…その…ええと」
「ほらぁ。ね、私にも分かること?相談に乗るよ?」
空になったジョッキを店員に渡して次の注文をすると、ちょうどそのタイミングでテーブルの上が空になった。そこでユリは遠慮なくテーブルの上に身を乗り出すようにしてレンドルフの顔を覗き込んだ。レンドルフは困ったように視線を泳がせている。職務や貴族の面を被ると人並みに取り繕うことが出来るのだが、どちらでもない状態のレンドルフは嘘や誤摩化しが表情にすぐに出る。その表情は間違いなく誤摩化そうとしている時のものだった。
「気になること、はあるけど…その、気にしちゃいけないと言うか…」
「余計気になる!私には言えないこと?言ってみたら解決するかもよ?」
「…ユリさん、ちょっと酔ってない?」
「全然!」
グイグイと乗り出して来るユリに、レンドルフは眉を下げながらも笑うという器用な顔になり椅子の背もたれに背中を押し付けた。更に迫ろうとするユリに、助け舟のようなタイミングで次の料理とグラスがサーブされた。それはメインのミートボールのトマト煮込みで、スキレットの余熱でまだ火に掛けられているかのようにソースにクツクツと小さなあぶくが立っている。さすがに危ないので、ユリも体を引いて椅子にきちんと座り直す。
その隣には柔らかいキメの細かい白パンと、固めで少し酸味のある褐色のパンが盛られたバスケットが添えられた。その他にも追加で注文したパスタと茹で卵、茹で野菜も置かれる。
「まずは熱いうちに食べよう」
「うん…」
ユリは少しだけ不満そうな表情を見せたが、やはり美味しいものの優先順位には勝てない。それぞれの取り皿に分けて、まずはそのままミートボールを割って息を吹きかけながら口に入れた。ミートボールは一度油で揚げ焼きにして表面がキツネ色になってからトマトソースで煮込んでいるようで、芯まで熱くなっているが閉じ込められた肉汁がドッと溢れて来る。ナイフで割ってもまだ噛み締めると口の中に肉の旨味と外に絡めた濃厚なトマトソースの甘味と酸味で一杯になる。肉の中に練り込んであるナツメグが良いアクセントになって、トマトの中に入っているバジルが爽やかさを加えているのでいくらでも食べられそうだ。
「ん〜、このパン、チーズブレットなのね。トマトによく合う」
「チーズも追加で頼む?」
「うん、そうしよう!」
白パンの方は中にチーズを練り込んであったので、トマトとの相性は言うまでもない。トマトとチーズが好物のユリは、ホクホクした顔でソースを絡めて頬張っていた。色々な味の変化を付けつつ完食し、次にメニューの中で最も高かった魔牛の串焼きを待っている間に、ユリは赤ワインのグラスを傾けつつ、改まったようにレンドルフを見つめた。
「それで、レンさんの気になることって何?」
「う…」
そのまま誤摩化せるかと思ったレンドルフだったが、やはり話を戻されてしまった。確かに気になっていたことをユリに関することなのだが、それでも聞くことに躊躇してしまう。
「ええと…その、この前、閣下…あの方が言ってたことなんだけど」
「え…」
「ああ、やっぱり止めとくよ!俺が言いたくないことはずっと黙ってていいって言ってたのに、それを気にするとか最低だし」
一瞬にしてユリの表情が強張ったのを見て、レンドルフが必死の形相で首を横に振って言い募る。実際最近の寝不足の原因は先日コールイに言われたことを考えていたからなのだが、それをユリに問い質したい気持ちと、聞いてはいけないという思いに悶々としていたのだ。
「ごめん!もう忘れるから!」
「レンさんが謝ることなんてないから!言うように迫ったのは私なんだし。それに…聞いちゃったのはもうどうにもならないし」
「それでも…」
「ううん、レンさんは悪くない。いつかちゃんと話さなくちゃいけないと思ってたから。それが、早まっただけ」
何となく謝罪合戦になってしまい、二人の間に固い沈黙が流れた。
「大こ「婚約者が」…え!?」
ユリが覚悟を決めて口を開くのと同時に、レンドルフも口を開いた。二人の声が重なって、一瞬目を丸くしてお互いに顔を上げた。
「ええと…レンさん、今何て?」
「その、あの方が、ユリさんに婚約者がいたって」
「そ、そのこと!?」
「ユリさんからそういう話は聞かなかったし、あの方も過去形みたいに言ってたから今はいないのかな…って思ったんだけど、でもそれを確認していいのか止めるべきなのかって…」
「そ、そう、だったの…」
シオシオと背を丸めて俯いて行くレンドルフの旋毛を眺めながら、ユリは呆然とした後にドッと冷や汗が吹き出るのを感じていた。
ユリはてっきり、コールイがユリの正体がアスクレティ大公家の唯一の直系ユリシーズだと叫んだのを聞いてしまったのだと思い込んでいたのだ。あのとき咄嗟に土魔法で耳栓をして聞こえなかったと言ってくれたが、完全な防音が間に合わなかったのではないかと感じていたのだ。ただ以前言ってくれた言葉を守る為に聞こえない振りをしてくれているのだと誤解するには十分な程、あの日からのレンドルフの様子はおかしかった。しかし蓋を開けてみれば、レンドルフが気にしていたのはそれよりもずっと前にコールイが口にしたことだった。
危うく自滅するところだったことに気付いて、ユリはひたすら動揺を表に出さないように音を出さないように深呼吸を繰り返した。
そんなユリの内心の大恐慌には気付かず、レンドルフはひたすら反省をしているようだった。そんなレンドルフの様子を見て、ユリは胸の奥からジワジワと温かい感情が広がって行くのを感じていた。ションボリと耳と尾の垂れた大型犬にも見えてしまって、つい口角が上がりそうになってユリは慌てて表情を引き締めた。
「あー…あの、昔、ね。知らない間に勝手に決められて、気が付いたらいなくなってた?みたいな」
「昔…じゃあ、今は」
「どこにいるかも知らないの。もう、二度と会うこともないし」
ユリが視線を彷徨わせながら言葉を選んで答えると、レンドルフはパッと顔を上げて再びユリに視線を向けた。その仕草に、ユリはレンドルフの頭の上でピンと立った犬耳の幻を見たような気分になった。
「両親が亡くなった当時は、おじい様は殆ど家にいないお忙しい方だったから受け入れ態勢がなくて、しばらく母方の実家にいたの。替わりにおじい様は養育費を支払っていたらしいんだけど、その大半が私には使われなくてね」
「横領…?」
「うん、そう。私は小さな小屋に住んで、一人だけ世話係がいた環境でしばらく過ごしてた。その時に、知らない間に婚約者も決められてたの。でもその人、他に恋人がいたのに、やっぱりお金に目が眩んで私の婚約者に望んでなったらしい」
ユリの母方の祖父は、今は消失した侯爵家であった。かつて祖父レンザが多忙で無関心なのをいいことに、幼いユリには家族が必要、と言いくるめて養育費だけをことあるごとに大公家本家から引き出させていた。そしてそれをユリには使わず自分達の奢侈に消費していた。
いつの間にか決められていた婚約者も、戸籍上は従兄に当たるが後妻の連れ子で血縁はないと王家に申請して結ばせたものだった。ユリの両親の血が近かったせいで生まれたユリは王家直系を超える魔力量になってしまい、これ以上血を濃くしないように血縁のない縁組が必要だったのだ。
しかし異変に気付いたレンザが介入してみると、養育費は真っ当に使われず、婚約者は巧妙に隠されてはいたが実はユリとは叔父と姪の間柄だったことが判明した。
そのことで王家と大公家から罰を受けて侯爵家は取り潰しとなり、関係者は王領の一部に押し込められて幽閉状態になった。
その話はユリがレンザに保護されて数年経ってから聞かされたので、彼らが今どうしているかは知らないし知りたいとも思わなかった。ただ、王家と大公家を騙していたのであるから、おそらく無事では済まされないだろう。
「でも気付いたおじい様が全部解決してくれて、もう今はそういう相手は全然いないの。私が原因で、って言われると違うとは言い切れないんだけど…」
「ユリさんのせいじゃない。彼らは自滅しただけだ。ユリさんが悪いことなんて一つもないよ」
「うん…そう、だね」
「ごめん。俺が嫌なこと思い出させた」
「そんなことないよ」
ユリの話を聞き終えてますますしょんぼりして、垂れた犬耳どころか濡れてペショリとなった毛皮の幻影まで見えそうなレンドルフに、ついユリは手を伸ばして頭を軽く撫でてしまった。レンドルフは一瞬驚いて顔を半分上げかけたが、何故かユリが妙に嬉しそうに頭を撫でていたので、そのままの姿勢で固まってしまった。
「…今は優しくて頼もしい人達に恵まれてて幸せだから」
「そっか…」
「レンさんもだからね」
クスクスと笑いながらまだ頭を撫でているユリの声が本当に幸せそうに思えて、レンドルフはしばしされるがままになっていたのだった。
そんな二人のやり取りに、魔牛の串焼きを運んで来た店員が困ってしばらく佇んでいたのに気付いて、互いに赤い顔で串焼きを食べることになるまであと少しだった。