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498.猪騎士道


「其方から会いたいと申し出が来るとはの」

「申し訳ございません」

「別に責めている訳ではない。わらわでなければ出来ぬことがあるのであろ?」


ハリとの顔合わせが終わり婚約までは漕ぎ着けられなかったが、アナカナはまだ幼いということで今後も定期的に交流を続けて、その上で婚約を望むであれば改めて機会を設けるという方向で決まった。アナカナとしては確定まで持って行くのは難しいと思っていたので、まずは上々の結果だろうと考えていた。


その翌日、レナード経由でレンドルフからアナカナへの面会の打診が来た。本来ならば近衛騎士でも難しいのに、一介の平騎士がそんなことをしようものなら不敬罪に問われかねない。それを覚悟での申し出であるとアナカナも察して、その日のうちにレナードの執務室で極秘裏の面会を許可したのだった。


「して、レンドルフの用件とは何じゃ」

「はっ。その、シオシャ公爵閣下のことで、アナ様にお頼みしたいことがございます」

「シオシャ公爵…」


レンドルフの口から聞かされた家名に、アナカナは変装の魔道具で変えてある赤紫色の目をキュッと細めた。まだ幼いアナカナは基本的に業務も割り振られていないので、王族の居住地区から滅多に出ることはない。変装して頻繁に抜け出してはいるが、それはバレていないので数に入らないことにしている。

昨日は非公式の見合いということで、王家の許可を得て中央神殿にまで出掛けていた。あまり立て続けに外に出ているのを見咎められると色々と煩いので、今日は侍女見習いとしてアナカナに仕えている「リョバル」としてこの場に来ていた。


「先日、非公式ではありますが閣下と決闘の運びとなりまして…」

「待て、何かおかしくないか?」


アナカナよりも先に、この部屋の主人であるレナードが声を上げた。アナカナが答えられなかったのは、ちょうどおやつに出されたクッキーを口に入れた瞬間だったからだ。危うくクッキーが妙なところに入りそうになったが、そこは勿体無い精神を発揮してどうにかゴクリと呑み込む。


「その、知り合いの薬師見習いの方と薬草の採取に行きまして、その際に変装して偽名を名乗られた閣下に勝負を申し出られました」

「ぼかさずとも良い。ユリとピクニックデートじゃろ」

「あ…ええと、それは…」

「殿下、話が進みませんのでそこは一旦触れずにおきましょう。それで、お前はその勝負を受けたという訳か」

「はい。どうしても引いていただけませんでしたので」

「それで?当然レンドルフが勝ったのじゃろ?」

「一応は」


何故か興奮した様子で身を乗り出して来たアナカナに気圧されるようにレンドルフが頷くと、アナカナは妙に得意気な顔になって「そうじゃろう、そうじゃろう」と相槌を打っていた。


「ですが、敗者が負う条件の履行が為されてないと言いますか…」

「何じゃと!?それはあってはならぬことではないか!非公式とは言え、貴族としてしてはならんことじゃ」

「そこがまた、微妙なところでして」


どうにも奥歯にものが挟まったような物言いをするレンドルフに、アナカナは目を瞬かせてレナードに視線を送った。しかしレナードも分からないのか、軽く肩を竦めただけだった。


非公式であれ何であれ、決闘のような体裁の戦いを挑んだ者も受けた者も取り決めた約定を必ず守ることが暗黙の了解になっている。もしこれを守らなかった場合、具体的なペナルティが課せられるものではないが、後日必ずと言っていい程不幸な出来事に見舞われる。これは戦いの神が清廉であることを求めるからだと言われている。必ずしも不幸が降り掛かる訳ではないが、偶然というには看過出来ない確率で不幸になる。しかもその不幸の程度は不思議な程当初の約定と似たような形で帰って来るのだ。人々は嫌でも神の存在を感じずにはいられないのだ。

それに貴族は家名や名を重んじるので、そのような約定を破って神の罰を受けたと知られれば、少なくとも数年は社交家に出ることもままならなくなるだろう。家門によっては大打撃になる


「閣下は、ユリさんへの暴言に加えて彼女の名誉に関わるような話を広めると言いましたので、負けた際はユリさんへの接近と彼女に不利な言動の禁止の誓約を求めました」

「なるほどの」

「誓約か…公爵閣下の属性魔法はお前も知っているだろう?」

「はい。ですがそのまま神殿で誓約魔法の結ぶのならば、そこで不問にしようと考えておりました」


コールイは強力な闇魔法の使い手で、闇魔法の一種である誓約魔法を掛けられたとしてもその気になれば解除することは容易いのだ。レンドルフもそれは承知していたが、形だけでも敗者として従う姿勢を取るのならそれで手打ちにするつもりでいた。その後解除するかもしれないが、神殿で誓約を交わした事実は記録されるので、貴族としての最低限の矜持は守ると思ったのだ。だが実際は、神殿に入ることもなく迎えに来た公爵家の護衛と共に帰って行ったと聞いた。


「昨日の今日ですから、動きはないと思われますが、今後もそれが維持される保証はございません」

「相分かった!わらわが公爵を呼び出して直々に説教を」

「違います」

「何じゃ、つまらぬ」

「アナ様には、非公式であれ公爵閣下とは決闘を行い、間違いなく俺が勝ったことの口添えを賜りたく存じます」

「口添え?」

「もし立ち会いの証人に聞き取りをするのであればユリさんになりますが、そのユリさんの名を表には出ないようにしたいのです。そうなりますと、公爵家相手では俺の身だけでは完全に守れるかは分かりません…というより無理でしょう。ですからアナ様に口添えをしていただければ、少なくともユリさんへ及ぶ害は最小限に抑えられるかと」

「それは…構わぬが、そんなことで良いのか?」


正式な決闘には中立の立会人が必要になるが、その場で成立したような非公式の決闘ではその場に居合わせた者が証人として立会人の役割を負う。それでどちらかに有利な証言に偏らないよう、第三者が聞き取りを行って正当性を確認する。それが決闘とは無関係の通行人になる場合もあり、巻き込まれて恨みを買ったりしないように希望をすれば詳細は当事者には身分を伏せられることも出来るのだ。

レンドルフとコールイの戦いの場にいたのはユリであって、その勝者がどちらであったか、互いに交わした敗者への条件などを聞き取ることになる。ユリの正体を知らないレンドルフは、公爵家とは身分差があり過ぎて何らかの圧力が及ばないとも限らないので、それを抑える為に正当性をアナカナに保証してもらいたいと希望していた。実情としては何かあっても、ユリと言うより大公家当主のレンザが蹴散らすのではあるが、レンドルフとしては自分の打てる手の中で最も身分の高いアナカナに頼ったのだった。


「はい。閣下とのことは俺自身の手で決着を付けますので。()()()()()()そこに正当性があると分かれば、ユリさんに害は及ばないでしょう」

「ちょっと待つのじゃ。レンドルフ、お主は何をするつもりじゃ!?」

「あー…お前、普通に見えてかなり本気で怒ってるな」


普段と変わらない穏やかな笑みを浮かべているようにしか見えないが、その僅かな差異にずっとレンドルフを見守って来たレナードが気付いた。


「怒って…?え?怒っておるのか?」

「多少は腹に据えかねております」

「成る程、怒り方は母君の血筋なのだな」

「顔は母似ですから」


アナカナはレンドルフとレナードの顔を交互に見比べて、明らかに顔中に疑問符を浮かべているような表情になった。基本的に穏やかで、近衛騎士時代にいくらアナカナが我が儘を言おうとも怒るどころか不機嫌な気配を出したこともなかったレンドルフなので、すぐには納得が行かなかったのだ。


レナードは学生時代からレンドルフのことは把握していたし、彼の兄二人も両親が出会う前も知っている。クロヴァス家は性格も見た目も無骨を絵に描いたような武門の家系なので、怒りの感情はそれこそ烈火の如く激昂する表情に出る。レンドルフの場合はそこまでではないが、それでも人並みに怒ることもあった。だが、本気で怒っている時は、どちらかというと貴族寄りの冷え冷えとした静かなタイプだとは認識していなかった。

顔が似ているのもあるが、その昔レンドルフの母アトリーシャの令嬢時代に夜会で質の悪い異国の外交官に絡まれていたのを見かけて助けに入ろうとしたところ、彼女は花の(かんばせ)に切れ味鋭い言葉の刃で相手をぐうの音も出ない程やり込めていたのを目撃している。レナードは中年の外交官相手に臆することはなく言葉だけで戦う少女のような令嬢の姿に、今後の王家の安泰に確信を持ったものだった。しかし結局は彼女は辺境の赤熊にかっ攫われて、それ以来王都には一歩も足を踏み入れていないのではあるが。

その時に目撃した彼女の顔と、今のレンドルフの顔は親子だけあって良く似ていた。


「その、何を、する気なのじゃ…?」


恐る恐る聞いて来たアナカナに、レンドルフは少しばかり困ったような顔になった。アナカナからしてみれば、そんなに言えないことなのかとますます戦々恐々となった。


「少々物騒な話になりますが、よろしいでしょうか」

「うむ、構わぬ。わらわはこう見えて雑食と名乗れる程度には耐性はある」

「殿下、人間は雑食です」

「そう意味ではないが、まあよい」


つい前世のオタク向け用語が出てしまったが、それを知らないレナードが律儀にツッコミを入れる。


「閣下の喉を潰しに行こうかと思っております」


まるでちょっとそこまで、と言うようなサラリとした口調で、レンドルフが平然と答えたのでアナカナはピシリ、と固まってしまった。



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「騎士の中でも、貴人の護衛に携わるものは必ず学ぶ技術ですから」


騎士の護衛を付けるような身分の者は、大なり小なり重要な機密事項を胸に納めている。それが漏れないように黙秘の誓約魔法を掛けておくものだが、場合によっては誓約を結ぶ前を狙って襲撃されることがある。その際に捕まって、万一自白剤や拷問などで重大な機密が漏れてしまっては大変なことになる。それこそ機密漏洩の罪で一族郎党が壊滅しないとも限らない。隙を突いて自害の手段を取れればいいが、大抵の襲撃者は捕らえた相手には真っ先に自害防止の魔道具を装着する。そうなってしまった場合、護衛は主人の喉を潰して声を奪うのだ。


その技術は騎士団ではかなりの時間を掛けて学ぶものであり、精巧に人の頭部を模した魔動人形で練習もする。その傷は決して致命傷にはならないが、治療にはかなりの技術を要するものだ。回復薬で治すには上級以上が必須であるし、それでも声が出るようになるとは限らない。治癒士や神官に頼るにも、上位の治癒魔法が使える者でなければ対処出来ないので、そこから居場所が辿られる危険がある。ただの怪我として治癒院に担ぎ込んでも、その特殊な傷で訳ありと看過されるのだ。


王家の護衛を中心に担っている近衛騎士ならば必ず習得する技術である。



「い、いや、そういった技は知っておるが…それを公爵に使っても良いものなのか?」

「あまり歓迎はされないと思います。こちらも只では済まない程度に痛めつけられるのは覚悟の上です。ですが誓約魔法の替わりに使われるのは一部では有名ですし、治癒士や神官に治療を任せれば理由も外部に知られるでしょう」

「…怒っておるのだな」


昨日の出来事なので、レンドルフとコールイの対戦情報はアナカナの元には入って来ていない。おそらくユリに付けられた護衛の「影」が大公家には余すことなく報告しているだろうが、ある程度の情報がアナカナの元に届くのはもう少し先だろう。しかしレンドルフがそこまで腹に据えかねているということは、コールイは余程ユリに対して失礼なことを言ったのは予測が付く。そして不名誉な話を広めてユリの瑕疵にならないように、魔法で止められないなら物理で止めようとしているらしい。


「それに、閣下は一度診察を受けた方がよい状況だと聞きましたので、さすがに喉を潰されれば診察を受けざるを得ないかと」

「え…お主も知っておったのか?」

「知って…?アナ様は閣下のご病気のことをご存知で?」

「昨日ハリ殿に聞いたばかりじゃ。見合いだったのでの」

「どんな見合いですか」


互いの話を摺り合わせたところ、コールイの病はかなり進行していて、当人が頑なに治療を拒んで違法薬物に手を出しているのは共通していた。


「しかし、公爵閣下ともあろう御方が、何故そんなことをするのか」


世代が違うので、レンドルフは異国でも英雄と名高いコールイと同じ戦いの場に居たことはない。けれど人伝にコールイの戦場での強さと手段を選ばない戦い方の話は聞いている。戦いは常に清廉であれと掲げる家門などは影で眉を顰めていたが、常勝し功績を重ね続けるコールイには面と向かって何かを言える者は皆無だった。それにそのように勝ちを取りに行くのは戦場のみのことで、捕虜や非戦闘員に対しては誰よりも紳士的だと共に戦った者達は口を揃えて語っていた。

レンドルフとしては、故郷で魔獣を相手にすることが多かっただけに、手段に拘るあまり目的を見失うようなことはしてはならないという教えを受けていたので、コールイのことはよく知らないながらも敬意を抱いていた。幼い頃にほんの少しだけ言葉を交わしたことも、未だにしっかりと覚えているくらいに尊敬していたのだ。

しかし昨日相対したコールイは、戦いとは無関係なユリまで巻き込んでレンドルフの隙を突くような行為に出た。レンドルフとしては、越えてはならない一線を越えられたような思いだった。


「当人に聞かねば分からぬが、聞いたところで話すかどうかも不明じゃな」


アナカナはハリからコールイが大公家と王家に恨みを持っているらしいという話は聞いていた。その為、コールイがユリを巻き込んだのも分からなくはないが、何も知らないレンドルフからすると不可解なことだろう。しかしユリが大公女であるということについては、内密にするようにとレンザにも言われている。今はそこからレンドルフが不審に思わないようにアナカナは黙することにした。



「ひとまずレンドルフは落ち着きなさい」

「ですが…」

「お前のことだ。殿下から言質を取ったとばかりに、この後公爵家に殴り込みに行く気だろう」

「そ、んなことは」

「バレバレじゃ…」


レナードに指摘されて、途端にレンドルフの視線が泳いだ。あまりにも分かりやすい様子に、アナカナは思わず溜息を吐いた。


「まだここだけの話ではあるが、近いうちに大公家が動く」

「…っ!?まさか」

「殿下に使われユリ嬢が代わりに受けた毒は、公爵家の管理下にある販路から流れて来たものと判明している。そこに直接関わっているかまではまだ調査中だが、それでも公爵家に責任は生じる。あの件に関しては、大公家が総力を上げて追っているからな。だから今は騒ぎを起こさないでくれ」

「ですが…」

「ユリ嬢もあの研究施設に所属している以上、大公家の庇護下だ。悪いようにはならない。だから短慮も程々にしろ」

「…はい。申し訳ありません」


レナードの言葉に、レンドルフは肩の力を抜いて項垂れるように頭を下げたのだった。



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