496.広い世界への導き手
「ちょいと失礼するぜ」
レンドルフとユリが立ち去ったのを見届けてから、ステノスはそう言うのと同時にコールイの首に金属のチョーカーを嵌めた。その瞬間、コールイの体がグラリと傾いたのでそれをステノスが支える。小柄な部類だが分厚く鍛え上げられた筋肉の塊の体なので相当重量があったらしく、思わずステノスは「重っ」と声が出ていた。
コールイがすぐに自力で体を立て直したのを確認して、ステノスはそっと手を離して通信の魔道具で副官であるヨシメを呼び付けた。
「あんたの魔法は厄介だからな。封じさせてもらったぜ。…ああ、レンの拘束は俺でも外せねえな。力自慢の部下が来るまで我慢しててくれや。何せあんたが護衛を軒並み戦闘不能にしちまったからな」
ステノスは青くなっている自分のこめかみ辺りを指差して肩を竦めてみせた。
ユリには常に大公家から「草」「根」と呼ばれる影が張り付いている。森に入ることで常に周囲を警戒しているレンドルフにも感知されない程気配を隠すのに長けているだけでなく、遠距離攻撃の可能な魔法士や近接専門の戦士など優秀な者を揃えている。
だが、その優秀な彼らもコールイの闇魔法によってほぼ壊滅させられた。闇魔法は精神に作用する系統の魔法が多い為、不意を突かれると当人も状況を理解する間もなく昏倒させられるのだ。そしてその不意を突くのに有用な幻覚魔法も闇魔法の一つだ。だからこそ闇魔法の使い手は魔力量に関わらず国で把握され、魔力を極端に制限されるか国に忠誠を誓うように誓約を結ばされる。
そのどちらも受けていない闇属性者は、国内ではアスクレティ大公家当主レンザとシオシャ公爵家当主コールイの二人だけだ。両者とも高位貴族の当主であるので魔力の制御は次の世代に影響が出るし、当主である以上国を最優先する誓約も結ばせることは出来なかった。元よりアスクレティ家は権力とは離れた地位を望む研究者気質であるし、シオシャ家は傍系王族で王家への忠臣であることを誇りに思う家門であるので例外的に許されていた。
そしてコールイは、現在国内随一の闇魔法使いとしても有名であった。ただ当人は武門の家系であるので剣を主にする戦い方を好んでいたが、それでもいざという時は躊躇なく魔法を使う。その勝利以外に拘らないコールイの戦い方が、彼を長年英雄足らしめている理由でもあった。
だからこそ、それぞれが卓越した能力を持つ大公家の影でもコールイ一人に制圧されてしまったのだ。幸い死者は出なかったが、それでも数名は重傷を負わされている。おそらくコールイが手加減した結果なのだろうということは彼らも嫌という程分かっていた。
迂闊にコールイをユリに近付けたことでレンザからの叱責は免れないだろうが、レンザ自身もコールイの実力を誰よりも知っているので厳しい罰を科せられることはないだろう。しかし「草」と「根」を束ねる頭からは、今後想像を絶する鍛錬が課せられるのは間違いない。
ステノスはそれを想像して、軽くフルリと身を震わせたのだった。
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レンドルフとユリは、食事をしていた川原に戻って後片付けをしていた。急いで使っていた竈は移動する際にレンドルフが埋めておいたが、それ以外の道具などはそのままにしてあったのだ。幸い食べ物に釣られて獣などが来ていた気配はなく、誰かに荒らされた様子もなかった。
二人はその場で目も合わせず、会話のないまま黙々と片付けをしていた。互いにするべきことは分かっているので、余計に沈黙が続く。作業を始める最初にレンドルフがユリに休んでいては、と提案して、ユリがそれを断った以降の会話がない。
「全部、片付いたね」
「そうだね。あとはノルドで帰ろう」
「そ、そうね…」
行きは二人でノルドに乗って来たので当然帰りも同じようになるのだが、ユリはレンドルフに背を向けたままで顔を見ないでいた。
「…ユリさんだけでもノルドに乗れるよね」
「えっ!?あ、あの、レンさんは」
「俺ならここから走ってでも帰れるから。ユリさんは色々あったから俺とも一緒にいない方が落ち着くだろうし、ノルドなら何かあっても任せておけば逃げ切れるよ。ああ、寒くないように俺の外套で良ければ着て行っても…」
「ち、違う!そうじゃないの!そうじゃなくて…」
レンドルフの申し出に、ユリはさすがに驚いたように振り返ってレンドルフの袖を掴んでいた。そして正面からレンドルフを見上げるような状態になった瞬間、ユリの顔が真っ赤になった。それを自覚して、ユリは再び慌ててクルリとレンドルフに背を向けてしまった。そして俯いたまま小さな声で呟く。
「そ、そうじゃなくて、レンさんが変なコト、言うから…どうしたらいいのか、分からなくて…」
「俺が!?あ、ええと…ごめん、何を言ったか分からないんだけど、そんなつもりはなくて…その、ごめん」
レンドルフとしては何かユリを怒らせるようなことを言ったつもりはなかったのだが、コールイとのやり取りで興奮状態のあまり何か失言をした可能性はないとは言い切れない。
「その…今度から気を付けるから、何を言ったか教えてもらえると…あ!それも嫌なら無理にとは」
「め…」
「め?」
「女神って…幸運の、女神って」
「あー…」
勢い余ってそのことを口にしたことを思い出して、レンドルフの顔も一気に赤くなって片手で口元を押さえてしまった。
「その、勢いで」
「そ、そうよね!勢いで思ってもないこと」
「いや、思ってるのは確かだけど」
「へ…?」
「勢いで、ずっと思ってたことが口を衝いた…というか」
「ずっと…?」
気を取り直したようにユリは再度振り返ったが、続くレンドルフの言葉に、ボフン、と音がしそうな勢いで顔が更に真っ赤に染まる。レンドルフも負けず劣らず赤い顔をしていたので、傍から見れば赤い顔をした二人が向き合いながらも目を逸らし続けるという奇妙な光景だったろう。
「な、何でそんなこと…むしろレンさんに怪我ばかりさせるようなことに巻き込んでるのに」
「そんなことないよ。俺はユリさんと出会ってから、すごく恵まれてる」
「でも」
「俺に広い世界があることを教えてくれて、色々な人との縁を繋いでくれたのはユリさんだ。それに何があってもこうして生きて戻ってるのは、ユリさんがくれた幸運だと思ってるよ」
「で、でも、女神は言い過ぎ…」
「じゃあこれからは思うだけで口にはしないよ」
「それ…」
意味があるのか、と言いかけたユリに、赤い顔を隠すのを止めてレンドルフはユリに手を伸ばして笑いかけた。
「やっぱりノルドで一緒に帰ってもいい?」
「…うん。お願いします」
ユリもまだ赤い顔をしたまま、レンドルフの大きな手に自分の小さな手を重ねたのだった。
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(いつか、私の方が先にレンさんが世界が広くて明るいことを教えてもらったって言わなくちゃ。今は…まだ、だけど。いつか、ちゃんと)
ユリがまだレンザの元に引き取られる前、学生だった頃のレンドルフと出会ったことがあった。加護なしの死に戻りとして周囲から忌避され、引き取られた母方の実家でも疎略に扱われて、ユリは自分が路傍の石よりも価値のないものと刷り込まれていた頃だ。唯一の味方は父の乳母を務めていた侍女だけだったが、それでも使用人として出来ることは限られていたので、最低限身を整えてもらうことが精一杯だった。
その時に出会ったレンドルフはまだ中性的な容姿の騎士見習いとも言えないような新入生であったが、ユリからすると眩しい程に物語から抜け出して来たような騎士そのものだった。
レンドルフからすれば困っていた少女を助けることは騎士を目指す者として当然のことだったのだろうが、ユリの中では他人に大切に扱われる初めての経験だったのだ。そしてそれが切っ掛けで、ユリは虐げられている自覚すらないまま搾取されるだけの人生から抜け出すことが出来たのだ。
その時のユリは、変装の魔道具を使用していない本来の姿だった。それにレンドルフと同じように今と外見も違っている為、レンドルフはその時に出会った少女がユリだとは気付いていない。確認もしていないが、きっとその後も騎士をとして多くの人を助けて来たであろうレンドルフが覚えているかも分からないとユリは思っていた。
レンドルフに話す時は、自分の髪色や身分を全て明かす覚悟が出来た時だろう。彼は嫌なら生涯隠していても構わない、と言ってくれているが、それでも話さなくてはならない日が来るのはユリも分かっていた。
(今は、まだだけど。いつか…)
いつものように手を引いてくれるレンドルフの大きな背中を見上げて、ユリは少しだけ繋いだ手に力を込めたのだった。
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「外れましたぞ、隊長殿!」
「ご苦労さん。じゃ、近くにいる魔馬を連れて来てくれ」
「畏まりましたぞ!」
しばらくして到着した副官のヨシメにコールイの口を覆っている土魔法を砕いてもらって、ステノスは次の任務を命じた。冬場なのに騎士服の前をほぼ全開にしてツヤツヤした胸筋を見せつけながら、ヨシメは無駄に白い歯を輝かせて茂みに分け入って行った。
「さて、と。アンタの魔馬を回収したらとっとと神殿に連れてくからな」
「無駄だ」
「そうは言っても、判断するのは俺じゃねぇしな」
「今ここで首を刎ねれば、貴殿の主人も満足するのではないか?」
「んー…勝ったのはレンだしな。決闘の勝者が神殿で誓約と治療をって望んだんだから、そっちを優先するべきだと思ってるんだがな」
「私の正体を知っているのだろう。知っていて誓約など、無駄なことを」
誓約魔法は闇属性の一つであり、神殿で行われる誓約は闇属性の魔法士が魔力を込めた書類を使用する。もしその誓約魔法を強引に解除するには更に強い魔力で上書きをすることだと言われているので、国内随一と言われる使い手のコールイならば、いくら誓約魔法を使用しても解除することはほぼ可能なのだ。
「貴殿の主家の姫君に害為すものは、物理で排除すべきだろうに」
「レンがそうしなかったんだ。俺が勝手する訳にゃいかねぇからな」
「随分な入れ込みようだ」
「あいつもアンタのことを知っててそう言ったんだろ?だったら尚のこと出来ねえや。あいつは顔や物腰は柔らかいし気配りも出来るヤツだが、辺境伯令息だぜ?その血を引いた獰猛な肉食獣だ。その獲物を奪うなんて、おっかなくてとてもとても」
幾度かレンドルフと共闘をしたことのあるステノスは、レンドルフは懐に入れた者や守護対象にはとことん甘いが、魔獣や敵と認識した相手には容赦がないことを理解している。当人は対人が苦手だと言っているが、近衛騎士だと人を生かして捕らえることは意味が違う。貴人を襲うような相手は、その裏で必ず何者かが紐付いている。そこに辿り着けないように、捕らえられた際に自決することが大抵暗殺者の必須条件になっている。それを阻止しつつ守護対象を守り、更に生かして捕らえるのは殺すよりも遥かに難しい。
そして生かして捕らえられた暗殺者は、殺された方がまだ救いがあると思われるような目に遭わされるのは近衛騎士であれば誰もが理解している。生け捕りにする方が余程胆力を必要とするのだ。ただ苦手というだけで出来ることではないのはステノスも重々承知していた。
「ユリちゃんがいたおかげで血なまぐさい対応を避けたんだろうよ。だが、誓約を破るようなら次はない、ってことくらいアンタにも分かるだろう」
「ありがたくもない気配りだ」
そうステノスの言葉を受けたコールイはボソリと嫌そうに呟いたが、その表情は少しだけ晴れやかにも見えるような色が浮かんでいたのだった。
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ユリとレンドルフの最初の出会いは「144.【過去編】騎士科一年生」で出て来ます。当時のユリは年齢よりもずっと幼く見えていたので、レンドルフは今のユリとは結びついて考えていないので気付いていません。