493.コールイ・シオシャの本音
コールイの剣を受け止めると、予想よりも遥かに重い一撃にレンドルフの喉の奥で微かに声が漏れた。レンドルフも身体強化魔法は使い慣れているし、自分の手の延長のように持っている武器にも強化が発動しているが、コールイの一撃はそれを加味していても更に手が痺れる程の衝撃だった。彼自身も身体強化を発動しているだろうが、それ以上に長年の経験がコールイの剣をとてつもなく重くしている。
「体格差は埋められぬとでも思ったか?」
「…考えを改めますよ」
レンドルフはクロヴァス家の血筋もあってか、身体強化を使わなくても基礎体力と腕力は騎士の平均を遥かに上回る。その基礎力のおかげで、同じ程度身体強化が出来る相手には負けることはない。それに誰よりも体格にも恵まれているということは、それだけで戦いにおいて有利なことは多いのだ。しかしコールイはレンドルフよりも体格は劣るが互角、或いはそれ以上に圧力をかけて来る。決して侮るつもりはなかったが、正直ここまで真っ向勝負で圧されるとは思ってもみなかった。
レンドルフはその体格に見合った規格外の大剣で、コールイは通常より少し短めだが幅が広く分厚い刃渡りの二刀使いだ。どうしても長さがある分レンドルフの方が大振りになり、懐に潜り込むように切り込んで来るコールイの攻撃は厄介だった。それに二刀でも微妙に長さが違うため、攻撃の間合いが不規則で掴みにくい。
かつて共に冒険者仲間として一緒に魔獣討伐に赴いた仲間のタイキも、全く違うタイプの二刀を扱う戦闘スタイルだった。速さを最大の武器にしていたので重みはないが、彼と幾度も手合わせをしていたのでコールイの間合いの異なる攻撃にも対処が出来ていた。むしろやりにくさはタイキの方が上だろう。
レンドルフも防戦一方ではなく、片方を受けたところを反対側の剣が斬りつけて来るという僅かな時間差を突いて、腕の長さを活かして剣を突き出す。コールイも攻撃を見切って背後に飛んで躱したが、レンドルフの踏み込みの大きさを見誤ったのか、肩の防具に切っ先が掠めた。体にまでは到達しなかったが、先に傷を付けたのはレンドルフだった。
「やるな、若造」
「どうも」
短い時間とは言えかなり苛烈な攻防であったが、コールイの息は乱れがない。レンドルフも息が上がっている程ではないが、返す言葉が短くなる程度には肺の中の酸素を消耗している。
「しかしまだ甘い!」
コールイは地面を踏む込むと、一気にレンドルフとの距離を詰めて来た。下の方から突き出される剣を受けようと構えると、反対側の剣が地面を抉って土がレンドルフの顔を狙って叩き付けられた。
「くっ!」
反射的に顔を傾けて直撃は避けられたが、片目に砂粒が入ってしまった。その痛みでレンドルフの片目が閉じられる。その一瞬出来た死角を目掛けてコールイの剣が振り下ろされる。しかしレンドルフは地面に伏せるように体を倒すと、かなり無理な姿勢のままで回し蹴りを繰り出した。その蹴りを防ごうとしたコールイの剣の片方をレンドルフが左手で掴んで動きを止め、コールイの脇腹に踵がまともに入った。その勢いで地面を抉りながらコールイが後方に滑って行く。
距離が開いた隙に、レンドルフは顔に魔法で生成した水を掛けて目の砂を流す。
今のところコールイに二度攻撃が入ったが、レンドルフの動きの大きさの割りに与えたダメージは小さいようだった。目立つ怪我はしていないが、明らかに体力的に削られているのはレンドルフの方だった。
「なかなか良い腕だ」
妙に楽しげな様子で、コールイは踵の跡が付いた自身の防具を手の甲でグイ、と拭った。
「しかし女を見る目が無いのは惜しいな。悪縁ばかりを寄せて男を破滅させる魔性の女にすっかり骨抜きにされるとは、この国の騎士も堕ちたものだ」
「そんな女性に心当たりはない!」
レンドルフは眉を釣り上げて、再びコールイに向かって剣を突き出した。手数が多く懐に潜り込んで来るコールイの攻撃に、レンドルフの大剣は振り下ろしたり振り抜いたりするのは悪手だ。距離を詰められないように、レンドルフの攻撃は突きを中心に攻撃を仕掛けていた。
「そもそも、彼女が産まれただけで両親に死を招いた。しかも当人は生き延びた」
「産まれた赤子に罪などある訳がない!」
「その後引き取られた家は彼女のせいで取り潰され、婚約者もその家族も二度と日の目を見られぬ地の底に落とした。あのお嬢さんは、災いを呼び寄せるのだ。貴殿にも心当たりはあろう」
「婚約者、だと…」
「ははは、動揺したのはそちらか」
レンドルフの太刀筋が僅かに乱れたのをすぐに察知して、コールイはたたき落とすような勢いでレンドルフの剣の根元付近を打ち据えた。手に近い場所だったので衝撃がそのまま伝わったのか、レンドルフは思わず顔を顰めて落とさないように両手で柄を握り締めていた。
「男前が台無しだな。全く、罪深いお嬢さんだ」
「彼女は俺の恩人で、幸運の女神だ!」
珍しく頭に血が上っていたレンドルフは、少し離れたところにいるユリにも筒抜けになるような大きな声で吠えたのだった。
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「シオシャ公爵殿は、大公家に恨みでもあるのかの?」
「…どうしてそう思われるのですか」
「その顔では『はい』と答えたに等しいの。その理由は分からぬが、復讐を果たす為にユリ…大公女に近付いて、大公家当主を害する…と、わらわの読んだ書物にあったのじゃ。もっとも、その内容は現在とは大分違っておるからその通りになるとは限らぬが、止められるものならば防ぎたい」
アナカナの知っているゲーム内で、大公女ユリシーズは幾つかのルートで悪役令嬢として登場するものがある。その中でもっとも多かったのが、第二王子エドワードと恋に落ちて彼を王座に就けようと画策するルートだ。そこからヒロインの選択によってパターンは多岐に渡るが、王族との婚姻が許されない大公女が闇堕ちして大きな事件を起こすのはほぼ共通だ。しかしこれに関しては、現実のユリはエドワードに一切興味はなく、レンドルフとの仲を順調に深めている。アナカナの記憶では、その二人が好感度の高い状態になったルートはない。だがただやり込み不足か、記憶が曖昧になっているかのどちらかなのかもしれない。どちらにしろ、ゲームにあろうがなかろうが、今ここで生きている現実には変わりなく、問題が起こらないのはアナカナにとっても良いことだった。
しかし、最近になってアナカナは大公女闇堕ちの別ルートを思い出したのだ。
そのルートは、結婚に反対されて大公家から追放された両親の死後、仕方なく引き取られた大公女が祖父に冷遇されて次第に大公家を恨むようになり、同じように大公家を恨んでいたコールイに唆されて当主の座を奪い、その後はコールイも手が付けられない程になった彼女が暴走して行くのだ。そのルートが発生するトリガーが、公式の攻略対象者であるレンドルフかタイキがヒロインと一定以上の好感度を越えると起こると思い出したのだ。それは比較的初期の頃に発生して、決定的な被害が出る前に防がれて大公家が関わっていたことすら表に出ずに収束する。が、選択肢を間違うと静かに気付かれないまま事態は進行し、発覚した頃には国が半分滅びかねない大事件に発展する危険をはらんでいた。
今のところ、ユリと祖父レンザの関係性は極めて良好であるし、ヒロインと思われるポジションにいる人物も攻略対象者と交流している様子はないので、そのルートは開いていない筈だ。その為忘れていたのか、それともアナカナ自身に何らかの記憶のトリガーがあるのかは分からないが、ハリがユリに近付くようにコールイが手を回していると知った瞬間に色々と蘇って来たのだった。
大公女がコールイと手を組む切っ掛けが、ハリとの出会いだったのだ。何故か大公女がハリを気に掛けていたのを知ったコールイが、繋がりを持つ好機とばかりに見合いの場を設定したのだ。そこから婚約者としての関係ではなかったが、まるで弟のようにハリを可愛がっていた。そのハリが聖人として名声を上げられるようにコールイから密かに大公女へ毒草を渡し、それを大公領に流すことで病を蔓延させたように見せかけて、ハリにそれを治療させたのだ。
その毒草は人の思考を緩やかに奪い、最終的には思考の及ばない廃人になって毒を与えてくれる人間の言うことしか聞かなくなる、いわば洗脳の効果がある禁忌の薬草だった。大公女はそれを使って祖父をも隠居させて自らが女大公として当主となり、やがて自身も毒に溺れてコールイが気が付いた時には手遅れであった。そして結果的に大公家もろとも公爵家も滅亡し、国民の半数近くが巻き込まれて亡くなるという最悪の展開があったのだ。
アナカナの前世はハピエン至上主義だったので、そのルートは実際にプレイしたのではなく、鈍器と呼ばれる攻略本を読み込んだ際に知ったらしかった。そのせいか、何故そうなったのかの詳細は全く覚えていないのだ。
(覚えはないが、もしかしたらゲーム内ではハリ殿は加護なしだったのかもしれぬな。大公女は自分と同じだと知って同情をしたのやも…)
この国に限らず、少なくともこの大陸では加護を持たずに死に戻った者を「神から拒絶された」と見なす意識が根強く残っている。最近では加護を得るか得ないかは全くの偶然であるという考えが神学者の間では主流になりつつあるが、それも完全な確定事項ではない。
表面上は何事もないように扱われるが、ふとした折りに触れ侮蔑を感じることは日常的に遭遇するだろう。特に貴族は王族の前では変装の魔道具を禁じられるため、多くの貴族が集まるような夜会にはその死に戻りの髪色を晒さねばならない。どうしてもその状況から逃げられないのだ。
「シオシャ公爵殿は、かつて同盟国の内乱を平定する為に戦場に長く身を置いていたそうじゃな。その為に異国との繋がりも強く、戦乱時に開いた補給路を、平定した現在は交易路としてシオシャ家が優先権を持つと聞いておる」
「私は公爵家の政務には一切関わっておりませんが、そのような話は神殿でもよく耳にします」
「アスクレティ大公家は国内の薬草の流通を担っているだけに国内の販路には強いが、国外はミズホ国との交易以外はシオシャ家の方が強い。それに公爵殿個人に恩義を感じている国も多いでな。その公爵殿を大公家が害を為したとすれば…正直交易に影響が出るのは避けられぬであろうな」
シオシャ公爵家はもともと軍の補給路だった道を使って、他国との食糧の交易を主にしている。大公家は薬や薬草、医薬品の扱いをしている家門で、国内は独自の販路があるが異国へはシオシャ家が開いた交易路を利用している。どちらも人々にとっては必需品であるので、滞りが出ないように家同士の契約はかなり細かく制定されているが、そのおかげが大きなトラブルもなく流通していた。だが、そこでシオシャ公爵家への恩義として、敵対する大公家の販路を停止することも難しくないのだ。薬は国や権力の影響を受けないように薬師ギルドという独立した形態を取ってはいるが、全ての交易路の優先権をギルドが持っている訳ではない。薬が必要な場所に速やかに届けることが出来なくなった場合、人々の恨みが向くのは大公家になることだろう。
更にもしここで公爵家当主のコールイに何かあれば、後継が決まっていない状態なのでその交易路の優先権も宙に浮く。ひとまず王家が吸収するかもしれないが、すぐに跡を継げるような者は今の王家の縁戚には存在しない。確実に混乱が起こるのは間違いないだろう。
「それが分かっていても尚、大公家と敵対しようとする程の恨みとは何なのじゃ」
「…もし、それをお話しすれば、公爵閣下を助けていただけますか?」
「……手は尽くそう」
「そのお顔では『出来ない』と答えたのと同じですよ、殿下」
先程アナカナがハリに告げた言葉をそのまま反転させて言われてしまい、アナカナはグッと唇を引き結んだ。もう少しアナカナが成長して、王太子の次の後継に指名されていたならば動かせる手駒もあっただろうが、今のアナカナにはそこまでの力はない。前世の記憶から導き出した厄災などを予想すればいくらでも動いてくれる者はいるが、裏で秘密裏に動いて汚れ仕事をこなしてくれるような者はアナカナには付けられていないのだ。
そんなアナカナの様子に、ハリは半分泣きそうな顔で微笑んだ。
「私が辛うじて『見る』ことが出来たのは、閣下は大公家だけでなく王家も恨んでいて、そしてもう、命が長くないということです」
ハリの口調は静かで淡々としていたが、アナカナの耳にはそれがまるですすり泣いているかのように響いたのだった。
お読みいただきありがとうございます!
ユリの闇堕ちルートのエピソードも一応考えているのですが、完全バッドエンドのifルートなので本編とは全く関係ないのと、内容的に救いがないのでどう扱うか考慮中です…