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490.コールイとハリ

過去の話にはなりますが、やや不貞行為や不倫、同性愛の話題などがチラリと出て来ます。ここまで読んでいる方は大丈夫かなとは思う程度ですが、ご注意ください。


コールイは無造作に魔馬の足を川の中に進めて、派手な水飛沫を上げながらこちら側に渡って来た。


「そこで止まられよ」


レンドルフは脇に置いていた大剣を掴んで、抜きこそしていないがいつでも臨戦態勢に入れるように柄に手を掛けてコールイが乗ったままの魔馬の前に立ち塞がった。長身なレンドルフでも魔馬の方が背が高いのでその背に乗っているコールイの方が見下ろす形になるが、レンドルフは一切怯む様子はない。

立ち上がる前にレンドルフにそっと後ろの方に押されるようになったユリは体の離れたレンドルフの広い背に手を伸ばしかけたが、対峙する二人のピリピリとした空気に押されて一歩も動けなかった。


「旧友の孫に挨拶することに何か問題でも」

「それならばいきなり騎乗したまま近寄るのは如何なものかと。女性を怯えさせるのはすべきではないでしょう」


一瞬交わった視線に火花が散るような剣呑な空気を放ったが、先にコールイの方がニヤリと笑って「尤もだ」と呟いてその場で魔馬から降りた。岸の近くで大分浅くなっているが、コールイは一切躊躇うことなく水の中にザブリと降り立った。あまり身長の高くない彼は、ふくらはぎくらいまで流れに浸かっていた。いくら防具に身を包んでいるとは言え、真冬の川に足を漬けるコールイに、レンドルフが気圧されるように半歩だけ引いた。


「これでよろしいかな」


ザブザブと水もものともせずに岸に上がって来たコールイに、レンドルフはスラリと鞘を払って大剣を構えた。切っ先こそはコールイに向けていないが、真横に構えて少しだけ後ろに下がる。


「貴殿こそ、礼儀がなっていないようだ」


コールイは鼻先でせせら笑って、腰に下げた二本の剣を抜いた。右手の方が僅かに長い分厚く幅広の剣が、鈍くコールイの両手に光る。見るからに重量のありそうな剣は、切れ味は分からないが当たっただけでも骨ごと砕かれそうな見た目をしていた。


「随分な挨拶ですね」

「知りもせんクセに分かった口を利くな。騙されているとも気付かぬのなら、私が教えてやるまで」

「騙すなど有り得ません」

「そうかな?」


コールイは、レンドルフの背後で血の気が引いた顔色でポツンと立っているユリに一瞬視線を向けた。その視線に即座に気付いて、レンドルフは少し横にズレてユリを視界から隠すように守って立つ。


「騙されているのは、貴殿の方だ」


不敵な笑みを口の端に浮かべたコールイに、レンドルフは背後でユリが小さく息を呑む気配を感じ取ったのだった。



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「神官長様…私はどこから話すべきなのでしょう…」

「どこから話しても察する者ばかりです。きっと汲み取ってくれますよ」


そっとレイがハリの肩に触れると、彼は少しだけ表情を緩めた。おそらく微笑んでいるのだろうが、これまであまりにも強張った顔をしていたので上手く笑えていなかった。


「王女殿下は、私はシオシャ家の血を引いていないことはご存知と伺いました」

「あ、ああ…その、辛いのなら今は話さなくてもよいのじゃぞ?」

「いいえ、いつかはお話しすることです」


周囲を気にせず我が道をいくアナカナでも思わずそう言ってしまうほど、ハリの様子は憔悴し切っているようだった。しかしアナカナの提案に彼はゆっくりと頭を振った。


「私の、戸籍上の両親は、本当の親ではありません」


ハリの両親は、父が養子に出された元ホシノ子爵家の次男、母はシオシャ公爵家の一人娘だった。この二人が駆け落ち同然に家を出て、そして産まれたのがハリだということになっている。しかしハリはホシノ家の血を引いてはいるが、シオシャ家の血は一切引いていなかった。それが判明した時には両親は亡くなっていて証明することは出来なかったが、その事実はシオシャ公爵に不穏な可能性を突き付けた。


それはハリの父が他の女に産ませた子をシオシャ家の孫と偽る為に引き取ったのか、或いはハリの母がシオシャ公爵の娘ではなかったか、という可能性が出て来たということだった。


「両親共に、か?その、ハリ殿は」

「はい、ホシノ家の血を引いているのは間違いありませんが……戸籍上の父は、本当は()なのです」


思いもよらなかったハリの真実に、アナカナはヒュッと息を呑んで二の句が継げなかった。



かつてホシノ家は、侯爵位を賜っていた歴史のある高位貴族だった。領地も豊かで、優秀な人材を抱える国内有数の大貴族であったのだ。


しかし、当時の当主と嫡男、そして次男がトーカ家の企みに荷担していたことが明らかになった。トーカ家は国や王家を根底から覆すような禁術を使って、国家転覆に王座の簒奪を目論んだのだ。だがそれは未然に終わり、一族郎党全て処刑されるという厳しい処断が下った。そしてそれに荷担していた貴族達も厳しい罰が下された。ホシノ家もその一つで、当主を始めとするトーカ家に協力していた者達は貴族籍剥奪と幽閉からの病死という道を辿った。ただ当主夫人と娘は一切知らなかったとして、ホシノ家は子爵位に降爵されて娘が跡を継ぐことが許された。そしてホシノ家の血統は二度と王家と関われないように、王命で婿をアスクレティ家の分家から迎えさせたのだった。


「血縁上の母…前子爵には婚約者がいましたが、子爵家を継ぐことになったので白紙になりました。けれど、互いに諦め切れなかったようです」


王命で迎えた婿とは折り合いが悪かったが、王家の手前、貴族の義務として嫡男をもうけた。それが現在のホシノ家当主だ。しかしその後は義務は終えたとばかりに、互いに別の伴侶を迎えていたにもかかわらず元婚約者との逢瀬は切れなかった。その結果、当主の下に父の違う二人の息子が産まれたのだった。


「私とすぐ上の兄は、今の当主とは異父兄弟になります。だから私はホシノ家の血を引いていますが、シオシャ家の血は引いていないのです」

「そ、そうなのか…ということは、ハリ殿はアスクレティ家の血も引いていないということになるのかの」

「おそらくは」


次男が産まれてすぐにキィ男爵家の実子として養子に出されたのは、当主の婿のゴリ押しによるものだった。王命で婿に迎えざるを得なかった前子爵は、義務で産んだ嫡男よりも「真実の愛」の相手と不倫の末に授かった次男の方を産まれる前から当然のように溺愛した。それを見た婿が、このままでは自分の血を引く嫡男が後継から外されるのではないかと危機感からの行動によるものだった。

その時に揉めに揉めて、もともと望んだ縁談ではなかった前子爵夫妻の関係は決定的に決裂した。結果、嫡男の教育すら前子爵は放置し、領地に引きこもった。その領地のある場所は、件の次男とハリの血縁上の父の持つ領地と隣だったこともあり、彼女は王都に戻る気は一切なかったのだろう。夫が王都で亡くなり、嫡男が成人すると同時に爵位を譲った時ですら、彼女は領地から出ることはなかったと言う。


そのままであれば、彼女も嫡男も関わることのなくそれぞれの人生を送れたかもしれない。しかし運命は皮肉にも大きく動いた。


キィ男爵家に養子になった次男が成人する直前、前子爵の懐妊が発覚した。彼女は今度こそ自身の愛する相手との子に全てを与えようと、かつて自分がされたことへの意趣返しのように、子供のいなかった嫡男夫妻にこれから生まれて来る子を養子として後継に認めさせようと目論んだ。

だがそれは失敗に終わり、逆に追い詰められた前子爵は次男に助けを求めた。殆ど顔も合わせたことのない身重の母に縋られても、感情の追いつかなかった次男はそれを拒否した。だがちょうど愛人に子が出来て強引に迎えさせられた養子が邪魔になっていたキィ男爵からここぞとばかりに、醜聞にもなりかねないとしてまとまった金を渡されて縁を切られた。



「…それでも、父…いえ、兄は優しかったです」

「その…父が実は兄だとは最初から知っていたのかの?」

「いいえ。兄、の死後に。正確にはこの死に戻りの加護を得てからです」



結局様々な心労が祟ってなのか、前子爵はハリを産むと間もなく亡くなった。養子先からも絶縁され、産まれたばかりの弟を抱えて途方に暮れていたそんな折、事情があって公爵家の縁談からどうしても逃げたかった令嬢が、その子を自分が産んだことにして一緒に逃げて欲しいと頼み込んで来たのだった。

その令嬢が持ち出した宝飾品などもあって、産まれて間もない赤子にはどんな形であれ金が必要だと彼はその申し出を受けた。


こうして、戸籍上は貴族から除籍された平民として、彼らは奇妙な家族となった。



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「学園で知り合って駆け落ちしたと聞いておったが…令嬢の行動力が剛胆じゃな。あ、いや、茶化す訳では」

「分かっています。普通の貴族令嬢ならば、政略結婚を受け入れるように教育されますから。前子爵のように」

「確か婿入り予定だったのは当時の何番目かの王弟であったな。令嬢が除籍された後に養子としてシオシャ公爵家に入ったが…あ…」


アナカナは頭の中で情報を整理しながら呟いたのだが、そのことはハリにとっては思い出したくないであろうことに触れるので、不自然に言葉を切った。気が付くのが遅かったとアナカナは眉を下げてハリの顔を伺ったが、彼は少しだけ困ったような顔をしただけで態度は変わらなかった。けれどその内心は穏やかではないだろうと、アナカナは分からないようにそっと手を握り締めていた。


シオシャ公爵家の後継として養子に迎えられた王弟は、血の繋がりのない、むしろ自分を裏切った女性の血を引いていると思われるハリを随分と可愛がっていたと資料に記載されていた。優秀であり人格者でもあった彼は、事故に巻き込まれた際にハリを庇って亡くなった。その時にハリは、彼を助けようとその場で聖魔法を発現したのだった。多くの人が重傷を負った事故現場で、ハリは次々と負傷者を治癒し、千切れた手足ですら繋ぎ直した。だがその中で最も助けたかったであろう王弟は、首の骨が折れていて即死だった為に魔法が届くことはなかった。

その様子が多くの人に目撃されたことで、新たな聖人が現れたと市井にあっという間に広まったのだ。


「戸籍上の母は、どうしても連れ戻されたくなかったようです。だから子を産んだことにしてしまえばいいと助言を受けたようです」

「助言?誰じゃ、そんな馬鹿なことを言うたのは」

「母、の…専属侍女です」

「侍女!?公爵家の侍女がそのような愚かなことを吹き込んだじゃと?まさか王家との縁談を壊そうという敵対家門からの間者であったのか!?」

「いえ…その…」


思わず前のめりになって矢継ぎ早に問いかけて来るアナカナに、ハリは少しだけ顔を赤らめて助けを求めるように隣に座ったレイを見上げた。レイはその視線に気付いて、無言でハリに向かってにっこりと微笑んだ。どうやら助ける気はないらしい。


「ええと…その…その侍女とは、こ、恋人だったので…」

「あー…要は異性の伴侶が嫌だったと」

「随分あっさりと認めるんですね…」

「ま、趣味ではなくとも否定せずに許容し合うのがオタk…んんっ、淑女の嗜みじゃ。しかし当人の性分じゃから気の毒ではあるが、貴族令嬢としては失格じゃの」



ハリの当時の記憶はうっすらとしたものだったが、普通の家族とは違うと感じてはいた。


同じ家で暮らしてはいたが、母と侍女、父と自分で部屋が分かれていたし、互いの顔を見ないで過ごすことも珍しくなかった。働きに出ていたのは父のみで、侍女が家の中のことを請け負ってはいたが、ハリ達の生活空間に手を出すことは殆どなかったように思う。

だが父が病で亡くなってから、その生活が崩れた。まだ一人では生活の出来ないハリの世話を侍女がするようになり、やがて母と言い争いが増えた。ハリの中で侍女の顔はいつも怒っているような恐ろしい表情だった記憶しかない。侍女と言い争うと母は最終的に泣き崩れ、寝室に閉じこもって半日は出て来なかったのも覚えている。ヒステリックな金切り声と泣き叫ぶ声が、その頃のハリの生活の大半だった。


そこからハリの記憶は途切れ、次に覚えているのは公爵家でメイドに囲まれて優雅に紅茶を飲んでいる母の姿だった。後に聞いた話だと、父が亡くなって生活に困った母が公爵家に戻ったのだということだったので、その姿は戻ってからの記憶だ。その周辺には侍女の姿はなかった。

今思えば、その侍女と別れてから生活が立ち行かなくなったのだろう。ハリを孤児院の前にでも置き去りにすれば侍女との関係も続いてまた違った結果になったかもしれないが、子供がいないと知られれば連れ戻されてどこかに嫁がされる可能性もある。それもあって、全く興味が持てなくても彼女はハリを手放せなかったのだと思われた。


その姿を遠くに見ながら、いつの間にかハリの傍らには淡い金の髪をした優しい男性が常にいた。陽に透けると自分と同じように彼の髪が白く輝くところが何だか面映くて、日当りのよい庭で並んでいるだけで心が暖かくなるようだった。


けれどその穏やかな日々も長く続かなかった。



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「ある日、母が公爵夫人…戸籍上の祖母ですね。彼女と激しく言い争っていました。そして夫人は手に持っていたナイフで…母と私を刺したのです」


ハリの傷は深く、治癒魔法を重ねがけしても胸に跡が残った。死んでもおかしくなかった程の重傷だったが、ハリは神の国から加護を与えられて死に戻ったのだ。ハリが意識を取り戻して起き上がれるようになった頃、メイド達の噂話で母と祖母が亡くなったことを知った。


表向きには流行病ということにしていたが、実際は無理心中だった。ハリもそこに連なるところだったが、紙一重で逃れた。


「私の加護が何かを鑑定してもらうのは怪我から回復してからということで、すぐには分かりませんでした。ですが、その前に無意識で加護を使ってしまったのです」


ハリの加護は「真実の目」と呼ばれる鑑定魔法と同じ効果だが更に上位の能力だった。何が切っ掛けだったかは分からないが、強烈にその場に刻まれた公爵夫人の思念が強制的に加護を発動させたのかもしれない。


「夫人は…遠征で家を空けがちだった公爵閣下の目を盗んで、不貞を働いていたのです。その結果、産まれたのが母でした。そしてその不貞相手は…ホシノ子爵家前当主の、婿でした」

「そ、んな…」

「もともと公爵夫人と血縁上の母は母親同士が親友だったので交流がありました。その為顔を合わせる機会も多かったのでしょう。おそらく夫人は、母が他の男性と駆け落ちして、内心ホッとしていたのでしょう。そのまま行けば、王家の人間を婿として迎えなければならないのですから」


王家とアスクレティ家の血は、始祖が互いの関係を保つ為に決して交わらないことで友誼を結んだとされている。その影響からか、両家の間で婚姻が交わされようとも子が産まれることはない。少なくとも五世代離れていても子を成すことが出来なかったと言われる。

もしそのまま当初の予定通り婚姻が行われていたら、いつまでも子が産まれないことに対して詳細な検査が行われることは目に見えている。そうなれば、公爵夫人の不貞が明るみに出てしまう。


「しかし、私の戸籍上の父が、ホシノ家の次男であったということを知って、公爵夫人は恐ろしい可能性に到達しました」


ハリは一瞬だけ言葉を切って、大きく息を吸った。


「私は、異母兄妹の間に産まれた悼ましい存在である、と」



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