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486.ヒュドラ討伐跡地再び


「レンさん!おはよう!」

「ユリさん、おはよう」


今日はまだ完全に昇っていない冬の遅い太陽が群青色の空の半分をオレンジ色に染め始めた頃、エイスの街の入口の前に小さな馬車が停まって窓からユリがピョコリと顔を出した。温かい馬車の中にいたのでユリの頬がほんのりと薔薇色に染まっている、


「寒さは大丈夫?」

「ちょっと顔が冷たいけど、ちゃんと着込んでるから平気」


馬車の扉が開くと、冒険者の出で立ちをしたユリがいる。動きやすく薄手の革のジャケットと膝丈のキュロットに厚手のタイツとブーツ姿だが、これには全て裏地に一定温度で発熱して体温を保つ素材が使われている。そしてその上から、レンドルフから贈られた白ムジナのストールが羽織られていた。今日は薬草採取に向かうので、危険を避ける為にブローチではなく裏側に目立たないように付けられているボタンで留めてある。

レンドルフは馬車に積んであったユリの荷物をヒョイと片手で持ち上げた。ユリからすると大きめな荷物も、レンドルフが持つと随分小さく見えた。


「荷物をノルドに乗せる間、寒いから中で待ってて」

「ありがとう。でも大丈夫よ。ノルドに挨拶したいし」

「じゃあ少しだけ触れても?」

「お願いします」


いつものようにユリの許可を得て、荷物を持ったままだったが空いている方の手でユリを馬車から抱き降ろす。その行動にすっかりユリは慣れてしまったが、それでも毎回きちんと確認を取ってくれるレンドルフの心遣いを嬉しく思っていた。大型の馬車や裾の長いスカートを履いている時は小柄なユリは人の手を借りなければ乗り降りに苦戦するが、今日のような動きやすい恰好や小型の馬車ならば一人でも乗り降りに全く問題はない。だが、ついレンドルフに断るのも悪いような勿体無いような気がして頼ってしまっていた。

レンドルフがスレイプニルのノルドの背にユリの荷物を括り付けている間に、ユリは通常の馬よりも大きな体躯のノルドに躊躇いなく近付く。ノルドは産まれてすぐにクロヴァス領で捕獲されて騎獣として調教された個体だ。やや気難しい性格が多いスレイプニルにしては珍しく陽気でよく人慣れしているので、初対面からユリに対しても紳士的に接していた。


「ノルド、久しぶりね。私のこと覚えてる?」


ユリが声を掛けると、ノルドは当然だと言わんばかりに軽く鼻を鳴らしてユリの頬にそっと鼻先をすり寄せた。相手が小柄な女性だと分かっているのか、力加減も絶妙だ。ユリも嬉しそうにノルドの艶やかな青黒い首筋の毛並みに触れる。良く手入れされたノルドの手触りは、まるでシルクかと思うほど滑らかだ。


「ユリさん、出発しようか」

「うん!よろしくお願いします!」


それを理解したのか、ノルドはそのまま地面に顔が付く程頭を低く下げて前脚を折り畳むように体高を下げた。これは何故かノルドがユリに対してだけする行動だった。


レンドルフはユリを抱き上げてノルドの背に乗せて、手でユリの背中を支えながらノルドが立ち上がるのを確認してから自分がその後ろにヒラリと飛び乗る。体格故にかなり重量のあるレンドルフだが、通常の馬よりも遥かに体力も脚力もあるスレイプニルならば愛用の大剣を携えていてもビクともしない。安定したノルドの背に跨がったレンドルフは、ユリを両腕で囲うように手綱を手にする。こうしてユリを何度も前に乗せているが、落ちないように細心の注意を払うのは当然だが、必要以上に触れないようにも気を付けている。


「寒くないように少し速度は遅めにするよ」

「分かった」

「それでも寒かったら教えて」

「こうしてると背中があったかいから大丈夫そうな気もするけど」

「そ、そう?」


そう言ってユリは自分から凭れ掛かるようにレンドルフの胸に背中を預けた。冬なので厚着をしているが体温の高いレンドルフが側にいるだけでフワリと温かさが伝わって来る。レンドルフは一瞬だけ言葉を詰まらせてしまったが、敢えてそこは意識をしないように平常心を保ちながら軽くノルドの脇腹を蹴った。



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今日はユリの希望で、エイスの森にあるヒュドラの討伐跡地に薬草採取に同行していた。この場所は数十年経っても尚、土にヒュドラの毒の影響が残っているので特殊な結界が張られていて、普段は入ることは出来ない。きちんと日時と目的を王城の研究所に申請して許可を取らなければならないのだ。そしてそれが認められると、その日時だけ使用出来る通行証が送られて来る。これは申請も受け取りもギルド経由でも可能なので、レンドルフは王城で直接、ユリはエイスの街のギルドで通行証を受け取っていた。


その場所は父ディルダートがそのヒュドラ討伐に大きく貢献したことからレンドルフが見学の為に訪れた際に偶然にもユリと再会したという、レンドルフにとっては二重に特別な思い出の地だ。


ユリは定期的にこの場所に訪れて、長年に渡る毒の影響が植生にどのような影響を及ぼすのかを経過観察する為に薬草を採取していた。変異種が出やすいというのもあって、その株が世代を重ねてどのように変化しているのか、別の場所で栽培が可能かを研究している。もうかなり毒の影響も薄くなっているので一般的な薬草と効能はほぼ変わらないものが大半だが、こういった地道な観察も重要なのだ。


「今日はね、昨日釣った人から分けてもらったルビートラウトを持って来たの。下処理をして保冷袋に入れてあるから、後で塩焼きにしようね」

「俺も食堂のシェフからワイルドボアの骨付き肉の塊を貰って来てるんだ」

「あの美味しい食堂の?すごく楽しみ!」


今回の目的は薬草採取だけでなく、それが終わった後に近くの川辺で食事をすることも含まれていた。野外での食事は寒いが、火を囲んで直火焼きをしたり熱いスープを楽しむのには最適だ。どちらかと言うと、食事の方が目的の本命かもしれない。



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小一時間ほどノルドを走らせると、目的の場所の近くまで来た。


「…誰かいるな」

「え?」


レンドルフは手綱を通して、ノルドが何かの気配を感じ取ったことに気付いた。

レンドルフは索敵魔法は使えないが、身体強化で視力や聴力を引き上げることで周囲の異変にはすぐに気付くことが出来る。ユリがいるので、レンドルフも特に最大限にまで力を上げてかなり遠くのものまで察知出来るが、やはりスレイプニルの本能の方が強いようだ。


何がいるかは分からないが、ノルドは警戒はしているがそこまで危険ではないと判断しているようだ。しかしレンドルフは少し速度を落として、手綱を緩めてノルドの反応を見ることにした。いくら騎獣として長年調教されていても魔獣の強さは衰えていない。いざという時は自らの判断で戦闘に参加するか逃走するかを選ぶ。人間が指示を出すより、魔獣の本能に任せた方が正しいことも多々あるのだ。


ノルドは目的地に向かってはいるが、様子を伺っているのか僅かに回り込むように木々の間を抜けている。レンドルフを楽に乗せるだけに巨体なノルドは、あまり木々が密集している場所では身動きが取れなくなってしまう。どうやら敢えて通れなくはないが動きにくくなるルートを避けて進んでいた。


「馬がいる…いや、あの大きさは魔馬か。見頃な毛艶と馬体だな」

「鞍には紋章は付いてないみたいだけど、多分貴族がお忍び出来ているみたいね」

「となると、目的は同じかな。どうする?少し時間をずらす?」


木々の間からレンドルフの視界にも日の光を受けて美しく輝く金色毛並みの馬が確認出来た。スラリとした長く優美な脚を持つ姿だが、大きさは通常の馬より二周りは大きい。馬系の魔獣はそれなりに種類が多く、馬系同士ならば混血も可能なので一目では何の血を引いているかは専門家でなければ分からない。ノルドのような八本脚馬(スレイプニル)や下半身が魚の尾を持つケルピーならともかく、混血になるとその特徴も出なくなる場合が多い。

視線の先にいる個体は、明らかに体の大きさで通常の馬とは違う血を引いているのが分かるくらいで、後はただただ溜息が出てしまうほど神々しく美しかった。


周囲を見渡す限りその魔馬の主人はいないようだったが、ここから少し離れた場所にあるヒュドラの討伐跡地に向かったのかもしれない。ノルドは純血種の魔獣なのでそこまでではないが、通常の馬は自分より遥かに強い存在に敏感だ。特に竜種や毒持ちの魔獣は本能的に忌避する。ヒュドラも厄災級の魔獣なので、薄くなっても未だに気配の漂う場所には連れて行けなかった為に徒歩で向かった可能性もある。


「少し離れた場所で確認出来る?誰もいなければ採取を先に済ませておきたいし」

「分かった。なるべく見つからないように近付こう」


あれほど見事な魔馬の持ち主ならば、間違いなく貴族、それも高位貴族である確率は高い。目的は分からなくても、鉢合わせをして厄介事に巻き込まれるのはレンドルフとしても避けたい。魔馬のいる付近から大きく回り込むようにして反対側から結界に近付く為、レンドルフは手にした手綱を軽く引いてノルドの鼻先の方向を変えた。



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「誰もいないみたいだ」

「良かった。でも後から来ないとも限らないし、早めに済ませちゃうね」

「俺も手伝うよ」

「うん、ありがとう」


大回りをして少しだけ小高い丘のようになっている場所まで出て、ヒュドラ討伐跡地全体を見渡して確認した。やはり毒が染み込んだせいなのか、こうして遠目から眺めるとその一帯だけ明らかに植物が少ない。結界内で見ていた時はそれほど周囲と変わりがないと思っていたが、こうして遠くから比べてみれば分かりやすい。ただ最初の十年くらいは不毛の土地だったと伝えられているので、そこから比べればいかに土壌が回復したのかが分かる。

レンドルフは視覚を強化して眺めていたが、人影らしきものは見当たらなかった。多少木に隠れている場所もあるものの、動き回っていれば地面に落ちる影が動くのですぐに分かる。


ユリも身体強化を使って同じように確認していたが、やはり誰もいなかったと判断したようだ。



そのままノルドで結界の近くまで駆けて行って、わざと目立つ場所で降りた。騎獣用に調教されたスレイプニルは高額で取り引きされるし、維持費も通常の馬の何倍もかかる。その為所有しているのは王族や一部の高位貴族、相当稼いでいる商家などに限られる。だからこそ誰かがここに来ようとしても、スレイプニルがいることで多少は牽制になると思ってのことだった。


レンドルフの実家のクロヴァス辺境領は、国境の森で騎獣用の魔獣を捕獲して調教したり繁殖させたりすることを主産業としている。豊かな土地なので農作物や魔獣素材なども領民の暮らしを支えているが、冬が長く豪雪地帯の為に扱える品が限られる為、騎獣用の魔獣の取り引きが最も効率良く稼げる手段なのだ。そういったこともあって、クロヴァス家の所有するスレイプニルの数はおそらく国内一だろう。


「ねえ、レンさん。あの白いのを採取したいから、ちょっと行って来るね」


ユリは結界内に入ると、既に目星を付けていたのか一直線にすっかり葉を落として木立だけになった木に駆け寄って、頭上の枝の一部に白い綿毛のようなものが絡み付いているのを指差した。

そしてそのままその木に張り付いて瘤のようになっている箇所に迷わず足を掛けた。何の躊躇いもなく木登りを始めようとするユリに、レンドルフは慌てて制止する。ユリは冒険者登録もしているし、レンドルフと共にダンジョンや薬草採取も何度も行っているので木登りくらい出来なくはないだろうが、さすがにいくらユリでも少々無謀なのではと思うほどに木の枝は細かったのだ。


「待って、危ないから。あれなら俺が取るし」

「あれはちょっと採取が難しいの。コツがあるから、私が取った方がいいと思う」

「俺の背中に乗れば届くんじゃないかな。それとも肩車…いや、それは止めておこうか」

「肩車がいい!」

「え、い、いや、それはちょっと…」

「採取には両手使わなくちゃだし。それなら肩車の方が安定するでしょ」

「そ、そうだけど…」


レンドルフはユリを肩に担ぎ上げるように乗せたことはあるが、どうしても体が斜めになるので採取はし辛いのは一理あるとは思う。しかしうっかり口を滑らせてしまったが、成人女性を肩車するというのは色々と差し障りがある気がする。

しかもレンドルフから言ってしまったので、すっかり乗り気になっているユリに強く拒否出来ずにいた。


結局レンドルフは押し負けて、ユリを肩車することになった。



ユリはお目当てのものが採取出来てはしゃいで気付いていなかったが、しばらくレンドルフは耳まで赤くなっているのを寒さのせいにして、持参していた大判のタオルを頭から被って顔に巻き付けて誤摩化していたのだった。



お読みいただきありがとうございます!


明日は更新予定日ですが、諸事情によりお休みします。よろしくお願いします。

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