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閑話.先王ニコライ




「本当に良いのか?」

「こちらが希望したものでございますよ、先王陛下」

「そう畏まられると居心地が悪い。ニコライで構わぬ」


レンザは人目を避けるようにして、王城の最奥の一つである離宮に訪れていた。基本的に王家と並ぶ立場を有しながら近しい間柄ではないアスクレティ大公としては、実に数年ぶりの訪問だった。



レンザの目の前には、かつての豊かな金の髪がすっかり白くなってしまった老人がいた。彼、ニコライは先代の国王で、多くの国との国交を結ぶことを成功させた別名「貿易王」と二つ名で呼ばれることもある。自ら異国との貿易の直接交渉する為に国内のことは早々に王太子が成人すると同時に譲位し、数年前までは先代王妃と共に精力的に各国に赴いていた。けれど彼女が亡くなると高齢を理由に隠居宣言をしてからは離宮を出ることは少なく、表舞台に出ることは殆どなかった。

ニコライは年齢はレンザよりも少しだけ年上なのだが、彫りの深い顔立ちにはくっきりと皺が刻まれて、レンザよりも10歳以上老けて見えた。気苦労の多さでは変わらない筈なので、レンザが若く見えるのは祖母という近しい血縁にミズホ国から嫁いで来た姫君がいるからだろう。ミズホ国の人間は切れ長の瞳で彫りが浅く、鼻も口も小振りなせいかこの大陸の人間に比べると幼い面差しをしている。レンザもそれを受け継いだ彫りの浅い顔のせいか、あまり皺が刻まれることがないため年齢よりもずっと若い見た目をしていた。


「今回も式典には参加しなかったのだな」

「毎回断りの手紙を書くのも面倒ですので、いい加減目録を送るだけにしていただきたい」

「そうも行かぬのは其方も知っておるだろう」

「臣下に押し切られているとは、先が心配です」

「お主が言うか」


ニコライは取りつく島のないレンザの物言いに、慣れているとは言え苦笑していた。



アスクレティ家は本家だけでなく分家も殆どが学問や研究に傾倒する血筋なので、毎年幾つもの褒章を受けるような活躍をしている。当人達はそれを目指しているのではないが、結果的に国益をもたらす成果を叩き出しているのだ。しかしいくら褒賞を与えても、授与式典への出席への打診は悉く拒否されていた。アスクレティ大公家当主は国王と同等の権力を与えられていて、どんな王命も断ることが可能な約定がある為に出来ることだ。さすがに分家までは断ることは出来ないので式典に参加している為、体裁は辛うじて保たれている。


かつてニコライや彼の父が王位に就いていた頃は、大公家も三回に一回程度は式典や王城の行事に参加していた。しかし今の王になってから、年に二度あれば多い方になっていた。それに反比例して、王命で強制と取られるような招待状が届く頻度は倍以上になった。そして現状、それを取り仕切っているのは宰相だった。


現国王は王太子時代に色々とやらかして上の世代にギッチリと絞られ、ようやく分別が付くようになった頃に己のやらかしの黒歴史にすっかり臆病になってしまい、反動なのか今では良くいえば思慮深く平和主義、そうでなければ日和見とも言える国王になってしまった。ただやはり国境付近で争いの多かった領主などからは、武力より話し合いで物事を進めようとする現国王の評価は高い。血の気の多い領主からすると弱気だと不甲斐無く思う者もいるが、他国との抗争は金も人も多く失う。長い目で見れば抗争はないに越したことはない。

傍から見ると傀儡の王になりかねないと不安視する者もいるが、さすがにそこまで愚鈍な王ではない。ただ徹底した平和主義者で、人との衝突を避けたいという一貫した信念がある為、臣下がどれだけ強行に政策を推し進めようとしても抗争が起きる可能性がある限り絶対に首を縦に振らない頑固さもあるのだ。その性質は変化を嫌うと言ってもいいもので、今が平和ならばそのままで構わないとする為に「腑抜け王」と陰口を言う者も存在している。だがそこが、他の野心のある臣下との均衡を持って国を安定させているのも事実であった。


その中で、ニコライの時代から側近として仕えて来た現宰相は特に野心の強い辣腕家で、かつてのように王を頂点に貴族の役割を明確にし、平民はその元で従順に従うべきという身分制度をはっきりと示したい「革新派」だ。現在も身分制度はあるのだが、オベリス王国が最も栄えていたという時代ほど厳しく分けられてはいない。国が滅ぶ寸前にまで人口が激減した暗黒時代から少しだけ脱却し始めた今は、高位貴族と下位貴族、下位貴族と平民の境が大分曖昧になっている。才のあるものは身分、性別、種族を問わず重用する風潮から、身分制度の垣根を越える下位貴族から高位貴族、平民から貴族へ叙爵されることも珍しくない。


その状況を快く思っていない宰相を筆頭にした「革新派」は、建国王との友誼で特別に認められた大公家の権限を、今の時代にはそぐわないとして撤廃したいという意向を隠していない。ことあるごとに、大公家も臣下である以上王や王命には絶対的に従うべきと圧力をかけて来るのだ。しつこいまでの式典への参加への強制は、大公家を王家よりも下であることを知らしめたい思惑が見え隠れしていた。


「全く…定められた以上の納税をしているのだから放置しておけばよいものを。冬眠している毒蛇の巣にわざわざ熱湯を掛けに来るようなものではないですか」


溜息混じりに呟くレンザだが、その声にはかなりの諦観が含まれていた。アスクレティ大公家の紋章には蛇が使われている。その暗喩だということはすぐに分かって、ニコライも苦笑せずにいられなかった。

ニコライは長年の付き合いで、大公家は味方にはなり得ないが敵対さえしなければ国に反旗を翻すことはないと感覚的に実感している。しかし同じように宰相も長年中央にいるにもかかわらず、大公家をことあるごとに下に置きたがることへの執着はなかなか理解し難いものがあった。


「宰相は義父でもあるから、義息子を気に掛けてしまうようだ。自業自得だったとは言え、過去は過去として清算させたいのだろう」

「先王へい…ニコライ様には実のご子息なのですから、ご自身の中だけで乗り越えるように言っていただけませんか。我が家門を巻き込まないでいただきたい」

「…あまり子育てには関われなかった分、義理でも子の為に奔走するのは親の情だと言われると弱くてな…」


宰相の娘が今代の王妃なので、宰相は国王の外戚でもあるのだ。ニコライがまだ王太子時代、国内の発展の為に国王の名代としてあちこちから無効にされて途絶えていた国交を復活させようと奔走していた。その時に産まれた息子であったので、妻と共になかなか子育てには携われなかったのだ。その時にその息子の世話と親代わりを担っていたのが現宰相であった。そこで年の近い自身の娘と交流させることで婚約者に選出させるという思惑があったのかもしれないが、それでも感謝はしているのだ。



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「息子と言えば…その、何だ、サムエーレという」

「ああ、偶然にも王家の瞳の色を持った()()()()()()()()()ですね」

「…亡くなったそうだな」

「そのようです。まだトーカ家の生き残りはいるようですが、現在は王家の監視下にいるのでしょう?」

「ああ。これで安心したよ。…感謝する」


ニコライは少しだけ目を潤ませて、レンザに向かって深く頭を垂れた。国王であったときでもニコライは外交の場で頭を下げることに躊躇いのない王族だった。だから自分の頭を下げる行動に重みはないと分かっていても、心からの感謝を込めて黙礼をした。



「サムエーレ・トーカ」は、現在新たな名と身分を与えられて大公家の影として迎えられたサミーの前の名であった。彼は色々な不運が重なって出生が秘されているがこのニコライの息子で、血統としては現国王の異母弟に当たるのだ。そのことはサミー自身もニコライも知っているが、産婆が産まれたばかりのサミーを攫ってトーカ家が引き取って出生届を出してしまった。その為にサミーは長らく戸籍上ではトーカ家の末息子になっていたのだ。

そのトーカ家は、王家だけでなく国を根底から揺るがすような禁忌の魔術に家門ぐるみで手を出し、一族郎党が処刑された一族だ。その時まだ赤子だったサミーは辛うじて難を逃れて、異国の養父母の元で育った。オベリス王国に戻れば捕まって処刑される可能性がある為、戸籍を動かすことも出来ずに身分を隠しながら輸送船の護衛などで生きて来たサミーだったが、あることが切っ掛けでその存在をレンザが知ったのだ。


レンザはサミーを調べ上げて、彼が大公家にとって有用な人間であると判断して囲い込んだ。長らく行方が知れなかった「サムエーレ・トーカ」の死亡届を提出し、今は途絶えてしまった養父の実家の縁戚として「サミー・ジルヴァ」という身分を与えた。そうして生まれ変わったサミーは、レンザとアスクレティ大公家に生涯の忠誠を自ら進んで誓ったのだった。


ニコライは王族であるが故に、サミーが戸籍上は罪人の家系で血の繋がりがあると知られれば確実にどちらも国を揺るがすような醜聞として傷付く結果しか得られない状況だった。当事者だけならともかく、その影響は王族全体にも及びかねないので、歯痒い思いをしながらも動くことは出来なかった。しかしレンザが動いたことによって、長年ニコライの中で重石のように抱え込んでいた悩みがようやく解消されたのだ。




「さて、そろそろ私はこれでお暇いたしますよ」

「そ、そうか。最後に一つ確認させて欲しいのだが」

「どのようなことでしょう」


会話が途切れたタイミングで、レンザはカップに残っていた紅茶を飲み干してから辞去を伝えた。しかしニコライに引き留められて、立ち上がりかけたレンザは再びソファに腰を下ろした。


「本当に、その領地に代官を迎えるのか?」

「ええ、冗談を申すとでも?」

「い、いや、そのようなことは疑ってはおらぬ。ただ、あまりにも唐突な相手だったのでな」

「もう既に内々で話は通してございますよ。あとは正式に領地と爵位を賜るだけでした」

「そうか…いや、引き留めてすまなかった」


レンザは再度立ち上がると、丁寧に挨拶をして離宮を後にしたのだった。



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第一王女が危うく大国キュプレウス王国との共同事業にひびを入れかねないことをしでかした案件の後始末を全面的に請け負ったアスクレティ大公家に、王家から非公式に褒賞が与えられた。

すっかり褒賞を授与されることは慣れっこになっていて、王家も持て余しているような領地や爵位を押し付けられるくらいならと貴重な薬草や魔獣素材ばかりを求めていたレンザだったが、今回は珍しく王領として国が所有していた領地と爵位を希望した。


その領地は王都から馬車で北に三日程の地域で、そこまで広大ではないが海と平地と山を有していて、冬は山間部にかなりの積雪はあるものの、それ以外はそこまで豪雪ではない暮らしやすい領地だ。特に北方の海産物を王都に運ぶには大多数の船がその領地にある港を利用するので、流通が盛んで都市部も栄えている。そんな豊かな領地が王領として国の管理下に置かれていたのは、20年程前に大規模な水害が起こった際に領主の一族全員が亡くなり、後継が途切れてしまったので復興を主導する為に国が召し上げたからだった。


今は水害の対策も含めた復興もほぼ終了し、褒章として与えるには十分な価値のある領地として下賜の先を選出している土地の一つだった。つい最近まで有力な候補がいたのだが、諸事情により白紙になったところをどこで知ったのか、レンザがその領地を求めて来たのだ。


しかしその領地はアスクレティ家の領地から離れており、近い場所に分家筋もいない。一体誰がその領地を治めるのかと思われていたが、レンザは意外な人物を挙げたのだ。しかもあくまでも領主はレンザで、その領地を直接治めるのは任命された代官だということだった。


それを聞いたニコライは怪訝そうな顔を隠さなかったが、確定した以上は授与された者の采配になる。名が挙がった人物は完全に想定外ではあったが、レンザにも考えがあるのだろう。ニコライはそう考え直して、顔に整った笑みを浮かべたのだった。



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離宮から本邸に戻る馬車の中で、レンザは慣れた様子で手紙をしたためていた。


(夏…よりも秋から移住してもらう方向で話を進めるか)


ペンを走らせながら頭の中では、レンザは先程目を通した状況を知らせる書類の内容を検討しながら修正案を紡いで行く。色々な立場や事業を掛け持ちしているレンザは多忙を極めているが、一度見た書類は一言一句違わずに頭の中に入ることと、同時に幾つもの思考と行動を並列して行うことが出来ることでどうにかこなせている。この特技がなければこの歳まで続けることは出来なかっただろう。


「領主の屋敷は迎賓館にして、新たに建てた方が良さそうだな。手配をしておくように」

「はい、承りました。現地の職人だけでなく、あちらの職人にも設計を依頼しておきます」

「ああ、そうだな。やはり向こうの屋敷を分かっている人間の案を取り入れた方がいいだろうね」


レンザのはす向かいで、領地視察などに常に同行している侍従がすぐに手配の手紙を書き始める。まだ青年といった年齢の彼は、何年もレンザの元で鍛えられたおかげでレンザの意図をすぐに汲む上に上乗せした提案も出来る有能な侍従だ。レンザの留守を預かる本邸の家令は、彼を後継候補に挙げているくらいで、レンザも今のところ異論はない。


離宮から本邸に到着するまでの約一時間程の間にレンザは三通の手紙を書き終えて、一通は伝書鳥で飛ばし、二通はギルドの配達窓口に出しておくように侍従に預けた。


「来年は忙しくなりそうだね」

「来年も、でございますよ」

「ははは、それもそうだな」


レンザ付きになった頃には仕事以外の会話が出来なかった侍従が言うようになったものだと、レンザは頼もしく思いながら声を上げて笑ったのだった。



お読みいただきありがとうございます!


サミーの出自の話は「閑話.サミー(サムエーレ・トーカ)」に出て来ます。

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