485.恵まれた男
その日から、食堂では妙な気配が漂っていた。
毎年この時期になると騎士団の団員用食堂の片隅に箱が置かれ、その近くの壁には紙が貼られている。食堂を訪れる誰もがその箱と紙をチラリと見て行くが、なかなか近付く者はいない。
この箱は、年末年始に向けて王城で開催される夜会の日に休む権利を得る為のくじ引きなのだ。国王主催の最も大規模なものは今年最後の日から年明けの昼まで夜通し行われる夜会だが、他にも神を讃える為の祭や第一王女の生誕祭などとにかく行事が目白押しで、裏方の文官や料理人、警護の騎士達を筆頭に、王城に務める者にしてみれば怒濤の繁忙期というやつだ。しかしさすがに全員が駆り出されては翌日以降に差し障りがある為、事情がある者は申請を出し、上司の許可が得られれば休むことが出来る。しかし理由によっては却下されることもあるので、その場合はくじ引きで休みをもぎ取る方法が残されていた。
そしてそのくじは人の目が多い場所で、不正の効かない者が常駐しているという理由で、食堂にくじの箱が置かれているのだ。目を光らせているのはシェフ姉妹で、くじを引いた者は彼女達に渡して中を確認してもらい、当たった場合はその場で壁に貼った紙に名を記入される。そうして即座に周知することで、貴族の先輩が平民の後輩を脅して当たりくじを奪うなどといった不正行為の抑止になっているのだ。
大抵くじを開始したばかりの頃は皆遠巻きにしているだけで、日を追うごとに盛り上がって来るのが恒例だ。
レンドルフは毎年一歩引いたところでそれを見守っていたが、今年は気持ちが違っていた。
「レンドルフ先輩、引きました?」
「いや、まだだ。ショーキは?」
「僕もまだです。最終日か二日前か悩んでるところです」
相変わらず告げなくても大盛りにしてくれたシェフ姉妹に感謝を述べながら空いている席を探していると、先に席に座っていたショーキが手を振って正面の空いた席に招いてくれたのでありがたくそちらに落ち着いた。
本日のランチは鳥の胸肉を薄く伸ばしたチキンカツレツとオムレツを乗せたプレートランチで、いつもの大盛りのレンドルフは、カツレツ二枚のところを成形時に切れて小さくなってしまったという一回り小さな一枚を上から追加してもらって二枚半重ねていた。三種類選べるソースは、デミグラスソースを選んで掛けている。ショーキはオムレツだけで、ソースは豆とコーン入りのチーズクリームを掛けている。その隣に粗く潰したジャガイモとスモークサーモンが乗ったサラダボウルが添えられているが、そちらは同じ器であるのにレンドルフの方がどう見てもミニサラダに思えた。
「去年は最終日に引こうと思ってたら、その前日に当たりくじが全部出ちゃいまして、最終日を待たずに勤務確定しました」
「それは…今年は悩むところだな」
「そうなんですよ!毎年当たりくじの数が違うから、全然読めなくって。レンドルフ先輩は去年はいつ引きました?」
「俺は…特に予定もなかったから、勤務申請を出してたよ」
「先輩、そっちタイプでしたか。まあ、予想はつきますけど」
年末年始に掛けて忙しい時期は、特別手当が出ることになっている。その為稼ぎ時と言わんばかりに積極的に勤務を希望する者も一定数存在している。他にも実家に帰ると色々と煩わしいので帰らない理由にしている者や、全く予定がなくてゴロゴロしているくらいなら働いて来いと伴侶から発破をかけられている者など様々だ。そういった者達のおかげで、僅かでも当選率が上がる。
レンドルフが昨年くじに参加しなかったのは、副団長に任命されてまだ数ヶ月だったというのが理由だ。それにもともと実家は気軽に帰れる場所ではないし、婚約者などもいない身としては寮に引きこもるよりいいと、それ以前からずっとくじには参加していなかった。その頃のレンドルフは、本当に職場である王族の側と寮の自室か訓練場以外に行く場所がほぼない生活だったのだ。
けれど今年は、一回でも休みが取れたらユリと祭やイベントに出掛けようと約束していたのだ。なので難しいかもしれないが一度だけでも当たりを引きたいと切に願っていたのだった。
「俺はくじを引いて行くよ」
「初日からですか。レンドルフ先輩らしいですね」
「そうか?駄目なら駄目で早めに知らせておきたいからな」
「さすがお相手のいる方は違いますね」
大盛りでも難なくペロリと完食したレンドルフは、こちらも完食していたショーキと一緒に席を立った。食器の返却口にトレイを置いてシェフ姉妹に挨拶すると、レンドルフは箱の方へ向かった。ショーキはまだ引くつもりはないが、レンドルフの結果が気になって後ろを付いて来ていた。
壁に貼ってある当たりを引いた者の名を書く紙は、まだ真っ更なままだった。レンドルフが箱に近付いて手を差し入れると、背中に複数の視線が刺さるのを感じた。もう既に誰かが引いているのかもしれないが、レンドルフはほぼ最初に近いだろう。どうしても注目が集まってしまったようだ。
「確認をお願いします」
「はいはい〜承りました〜」
シェフ姉妹も注目していたようで、レンドルフが箱から折り畳まれた紙を一枚取り出して振り返るとカウンターから身を乗り出すように彼女達が顔を並べていた。双子ではないと聞いているが、こうやって並んでも見分けが付かない程良く似ている。レンドルフはどちらが姉で妹なのかは分からないが、近くにいた方にくじを渡した。
「あらっ!」
「まあまあまあ」
早速受け取った方が紙を開くと、二人とも揃って歓声を上げた。その様子に、食堂にいた騎士達がざわめいた。
「「大当たりよ〜」」
楽しげに声をはもらせる姉妹に、レンドルフの背後から騎士達の野太い悲鳴に似た雄叫びが上がった。
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「なあ、食堂の当選者、見たか?」
騎士団寮のとある部屋で、同期の騎士三人がちょうど翌日の休みが重なったので勤務終了直後から一人の部屋に集って酒盛りをしていた。その内の一人が代表して食堂で三人分の夕食を持ち帰りにしてもらって、両手に食べ物を抱えて戻るなりそんなことを口にした。
「いや、まだ見てない。もう定員になったとか!?」
「それはまだだ。じゃなくてクロヴァス卿だよ、第四の」
「ああ、一番先に引いて当てたっていう」
「そっちじゃなくて!年越しの夜会の方も当ててたぞ」
「嘘だろ!?」
先日レンドルフが箱を設置されたその日に引いたくじが当選したので、その場に居合わせた騎士達が随分興奮していたらしい。そしてその話題はあっという間に広まっていた。その時レンドルフが引き当てたのは、この国で最も夜が長い日に開催される「女神の夜祭」の日の休暇だった。
この大陸では女神と言えば、月と夜を司り魔獣全ての母と呼ばれる女神フォーリを指す。どちらかというと厄災の神のように捉えられがちだが、彼女が気に入った者に与える加護は魔獣からの敵意を向けられなくなると言い伝えられており、魔獣避けの魔道具には女神フォーリの象徴である月を刻むことが多い。魔獣の母でありながら同時に魔獣から守ってくれる存在なので、信仰している者もそれなりにいるのだ。それに大っぴらに言われている訳ではないが、娼館の殆どが女神フォーリを奉る祭壇を設置している。主神キュロスが太陽と昼を司り特に子供の守護の象徴と言われているので、その対極にある女神は夜の職に就く女性の守護とも伝えられる為だ。
その女神の力が最も発揮出来る夜の長い日に、夜通し各地で祭が開催される。各地それぞれの特色を生かして趣向を凝らした祭が企画されるのだが、理由はその祭を女神が気に入れば加護が与えられて次の祭までは魔獣の被害が激減するそうだ。王城でもそれに倣って夜通しの夜会が開かれているのだ。
レンドルフは先日その「女神の夜祭」の日に休暇をもぎ取ったのだが、数日遅れて始まった「年越しの大夜会」のくじも見事に引き当てたのだった。不正を防止する為に引いたその場でシェフ姉妹が確認して名を記入するので、食堂に貼られた紙に書き込まれたレンドルフの名は騎士団内に羨望の眼差しとともに広まった。
「ここのところやたら目立つ人だよな」
「もう見た目から目立ってるだろ。第二のジルコとどっちがでかいんだってくらいで」
「ジルコが騎士団一デカイって聞いたけど」
「そうだけど、ほら、この前勲章をもらって史上最年少の永年正騎士になったとか、第一王女殿下に直々に愛称呼びを許されたとか」
「ああ、そうだったな」
彼らはそう言いながら、まるで示し合わせたようにグラスからワインを飲んだので部屋の中は沈黙が訪れた。
彼らはレンドルフのことを話題にしながら、何故そこまで功績を上げているのに騎士団内でも最も下の扱いである第四騎士団の平騎士なのか、と疑問に思ったのだが、つい口を噤んでしまった。他に誰もいないと分かっていても、どこかそのことを口にする空恐ろしさを感じてしまったのだ。彼らは下位貴族の次男や三男なので、中央政治に関わる貴族の闇の深さは多少なりとも肌感覚で理解していた。きっと分からない方がいいであろう思惑が潜んでいると、黙ることを選んだのだった。
「そ、そういえばクロヴァス卿は誰と祭に行くんだろうな」
「そりゃ婚約者とか恋人とかだろ。何せ『女神の夜祭』なら未婚でも一晩中一緒にいても咎められない絶好のチャンスなんだし」
「…同時進行で複数いる、って聞いたことないか?」
「マジか…」
「結構有名だぞ。お前、そういう話題に疎いからな〜」
実際にはユリとレンドルフが親しいと周囲に知られるのは色々と厄介なことを招くので、中心街で会う時はユリが変装してレンドルフと会っている。だから相手は一人だけなのだが、三パターンの変装をしているのでレンドルフは複数の女性と付き合っていると誤解されていた。レンドルフにしてみれば不名誉な噂になるのだが、疾しいこともないので一切気にしていない。むしろ彼自身はそれでユリの防波堤になれるのなら、と進んで受け入れているくらいだ。
「赤い髪の妖艶美女なら、王城前で待ち合わせてるの見たことあるぞ。多分貴族じゃないかな」
「俺は金髪の美少女といたのを見たな」
「えっ!?ヤバくないか」
「いやいや、バルで一緒に飲んでたから、成人済みだろ。見た目はまあ…美少女だったけど」
「あとは別のヤツが、青い髪で清楚な感じの知的美人と一緒にいたって言ってた」
騎士とは言ってもまだ若く決まった相手のいない者ばかりなので、下世話だと分かっていながら人の恋愛話は興味があるのだ。
「妖艶美女に美少女に知的美人…羨まし過ぎないか?」
いい加減酔いが回った頃にかなり本気な重さを持って誰かがポツリと呟いて、他の二人も追従して真顔で何度も頷いていたのだった。