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484.謎めいた男


ロンが出して来たのは、黒い瓶に詰められた果実酒だった。10年近く熟成させていたということで、グラスに注ぐと濃い琥珀色のとろみのある液体が甘い香りを放っていた。そのままで飲むよりも何かで割った方がいいと言われて、レンドルフはロンに勧められるままに湯で割って数滴レモン汁を上から落とす飲み方にした。ロンは割った方がいいと勧めておきながら、「オチョコ」というミズホ国産らしい陶器の小さな器でそのまま舐めるように楽しんでいた。


「香りが良いですね。何の果実ですか?」

「確か『サルナシ』とか聞いたな。特定の地域でしか採れねえ果物で、そのまま食っても極上らしい」

「そんな珍しい品をありがとうございます」

「なあに、旨いモンは分け合うのが一番旨くする調味料だと儂は思ってる。ま、儂みてえな爺相手じゃそこまで旨くないかもしれんが」

「そんなことはありませんよ。魔道具や付与の話は面白いです」

「ははは、そりゃ嬉しいね」


沸騰した湯を一度別の器に入れて程良く覚ました状態で静かに果実酒に注ぐと、湯気が立って一気に周囲に爽やかな香りが広がる。レンドルフはまずそれで一口飲んでみたが、酸味のある香りよりもずっと甘みの強さが際立っていた。これだけでも十分に美味しいと感じたが、ロンに勧められたレモン汁を少しだけ上から垂らした。少しだけ器を揺すってから再び口に含むと、驚く程華やかな味わいになっていた。ほんの少しだけ酸味が加わったことで、もともと含まれていた旨味の一つ一つがハッキリとしたような印象になった。甘みの中に、酒精独特の苦味だけでなく、おそらく果実の持つ微かな苦味を感じる。本当に僅かな味ではあるが、それが甘みの後味をスッキリさせて、喉の奥が次の一口を欲するような旨味を残して行く。

これはつい飲み過ぎてしまいそうで、レンドルフは少しだけ気を引き締める。さすがに泥酔するようなことはないが、ユリが信頼している相手に醜態は見せたくない。


「おお、そういえばエニシダ殿は知っていたか?」

「エニシダ殿…ああ、ステノスさんですか。エイスの駐屯部隊の部隊長ですから、出向時には随分お世話になりました」

「じゃあ会うこともあるかい?急ぎじゃないが伝えてもらいことがあってな」

「ええ、いつになるかは分かりませんが。約束を取り付けましょうか?」

「いやいや、そこまでじゃないさ。あいつが珍しい魔道具を身に着けてるから、メンテナンスが必要なら儂のところに来いと伝えてくれ」

「はい。それでいいんですか?」

「まあ、こっちが研究したくて何年も頼んでるんでな。無理強いは出来んのさ」


ステノスはミズホ国出身の平民だが、剣の腕が立つだけでなく目端が利いて人心掌握に長けているのを認められて、エイスの街の自警団を率いて鍛え上げた実績を持つ。彼に鍛えられたエイスの自警団は、今では王城の大臣や地方の領主も認める優秀な集団となって街の治安を守っている。そしてそれが一段落着いたタイミングで今度は騎士団の駐屯部隊の部隊長に抜擢された優秀な人物だ。そしていつもレンドルフやユリが世話になっている食堂兼酒場の女主人ミキタの元夫で、ユリからの信頼も厚い。

レンドルフからしてみれば、ユリを切っ掛けに知り合ってから切っても切れない縁を繋いだ間柄だ。


「ロンさんが珍しいと言う魔道具ですか」

「ミズホ国の鍛冶職人が作った魔道具らしい。本当なら国外への持ち出し厳禁の秘匿の品だそうだが、ちょうどあっちで政変が起こったどさくさでバレなかったんだと。だがな、あいつも義理堅いヤツだから断られ続けててなあ」

「それはもしかして変わった長剣ですか?」


レンドルフは以前に変異種のアーマーボアをステノスとの共闘で倒したことがある。その時に彼が使用していた長剣は、真っ白な刀身の片刃のものだった。それはゾッとする程美しく恐ろしい切れ味の武器であったが、その本領はもう一つあった。白い刀身を外すと、その柄の中から真っ黒な片刃の短剣が出現する仕掛けがあって、闇のように何も反射しない真っ黒な刀身は持ち主の血を吸ってどんなものでも切り裂くことが可能になるとステノスから聞いた。何らかの条件で特殊能力を発揮する魔法剣は存在しているが、ステノスの持つ短剣は「魔剣」と言った方が相応しいような禍々しさだった。


「それは見せてもらった。チラッとだけだがな。何と言ったか…『タナカのカタナ』?」

「『ナカタのタカナ』ではありませんでしたか」

「いや『カタナのナカタ』…いや『タカナのナカタ』…だー!ミズホ国の言葉は分かりゃしねえ」


正式名称は「ナカタのカタナ」なのだが、耳慣れないミズホ国の言葉なので色々とごっちゃになってしまうようだ。それにお互いに酒も入っているので、多少頭の働きが鈍くなっているのかもしれない。


「まあ、そっちも珍しいが、構造は大体分かる。しかしあいつが身に着けているのは…正直、どうやって動いているのすら全く分からん」

「そんなにすごい品なんですか」

「ああ。そもそも…いや、これは儂が勝手に話すわけにはいかねえ。儂から振った話だが、すまんがここまでにさせてくれ」

「はい。取り敢えずステノスさんに会ったら、ロンさんのことはお伝えしておきます」

「悪いな。あいつは儂を避けて回るんでな」


飄々とした態度で誰でも気が付けば簡単に懐に入り込む印象のステノスだったので、レンドルフはロンの言葉を意外な気持ちで聞いていた。そしてロンがそこまで言う魔道具とは何なのだろうか、と純粋に興味を惹かれながら、レンドルフは手元のグラスをクイ、と傾けた。先程より少し冷えた果実酒は、最初の時よりも随分と口当たりが引き締まったような味わいに変化していた。


「もう一杯どうだ?」

「いただきます。今度はロンさんの真似をしてそのままで」

「おう、頼もしいねえ」


瓶の口からトロリと注がれた琥珀色の液体は、グラスの底で渦を巻いて金色の紋様を描く。その動きがとても美しく感じて、レンドルフはしばしその動きに見惚れるように眺めていたのだった。



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昨日閉店の看板を出す隙を突くようにして押し掛けた文官の制服を着た男性は、翌日も同じタイミングでやって来た。その時はユリはまだ倉庫にいたので顔を合わせることはなかったが、壁越しにヒスイが応対しているのは聞こえた。はっきりとは聞き取れなかったが、どうやらユリを出すようにしつこく言い募っているのは分かった。けれどヒスイとて細身で女性のような外見をわざとしているが、ユリの護衛の役目も兼任して選ばれた男性だ。一歩も引かずに比翼貝の傷薬を一つ買わせて強引に追い出してくれていた。


「緊急って言ってなかなか引かないのが困りものねえ」

「でも全然緊急じゃないですよね」

「そう思うんだけど、何か『自分が緊急と判断しているから緊急だ』みたいな妙な信念で凝り固まってるみたいで。一番厄介なタイプ」

「なんかスミマセン…」

「ユリちゃんのせいじゃないでしょ。また副所長に報告して、ついでにお茶でもして来たら?今日の在庫確認はやっといてあげるから」


ユリは遠慮したのだが、半ば強引に背中を押されてヒスイに追い出されるような形で研究棟へ向かうことになった。

昨日もレンザに報告はしているので何らかの対策をしている筈なのだが、まさか連続で向こうがやって来るとは予想していなかった。制服は下級文官のものだが、所作や悪い意味で尊大な言動は高位貴族のように思われた。何が目的かは不明だが、もしかしたらレンザに聞けばもう何か掴んでいるかも知れない。



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「あの…」

「また件の文官が来たようだね」

「あ、は、はい」


所長室を訪ねてユリが顔を出すと、レンザが開口一番渋い顔をして聞いて来た。ユリが頷くと、レンザは椅子から立ち上がってユリの手を取って応接セットのある方へとエスコートをする。同じ部屋の中だが衝立で区切られている空間に入ると、そこには見計らったようにティーセット一式が並んでいた。しかも一緒に小さなサンドイッチや一口サイズのキッシュ、ミートパイなども添えられている。もうこれはユリが来ることを想定していた周到さだった。


「止められなくて申し訳なかったね」

「いえ…まさか連日来るとは思わなかったので。それよりも、いいのですか?」

「これは私の昼食だよ?それにユリは私に報告をしに来た助手だよ」


何だか身内特権のようでユリは躊躇したのだが、レンザは涼しい顔でニコリと微笑んだ。



この研究施設に勤める者は、自分の興味ある研究にしか目が向かない学者肌の変人揃いと言ってもいい。だからユリがレンザの孫だということはごく一部の者しか知らないが、別に知らなくても気にしない者ばかりなのだ。むしろ書類の回収やまとめ、資料の準備を整えてくれる助手は得難く稀少なので、レンザがユリをどんなに依怙贔屓しようとも自分の研究さえ出来れば清々しいまでに思うところはないのだった。



「昨日の時点でヤツの上官には苦情を申し入れたのだが、どうやら効き目はなかったようだったね」

「…そのようです。今日はヒスイさんが対応して追い返してくれましたけど…あの調子だと明日も来そうな気がします」

「また注意するように言っておくが、耳は貸さないだろうね。どちらかというと上官の胃の方が儚くなりそうだ」

「お気の毒に」

「まあそういう部署に所属しているので仕方ないと言えなくもないが、それは職務上のことであって、私的な行動には規律を守って欲しいものだ」

「そういう部署…?」

「内部監査室だよ」


レンザは食器の音は一切立てずに、実に優雅な所作で紅茶を一口飲んだ。香り高く美しい赤い水色からすると味も最上の筈だが、レンザの表情はどこか苦いものが含まれていた。



内部監査室は王城内での各部署の帳簿を精査する部署で、各地の税収が正しく運用されているか、予算の使い道でおかしなところがないかを常に目を光らせている。王族に関する監査は警備の関係上さすがに予告がされるが、基本的にどの部署に対しても抜き打ちに近い。その為、監査室には取り纏める上司はいるが、部下達は少人数で組んである程度自由に動く権限を持っている。権力や身分、金銭などで精査が甘くなっては腐敗の温床になるので、そこに属する彼らは何らかの形で懐柔や恫喝を受けても一切の忖度をしないことが監査室に勤める者の絶対条件とされている。どんな高位貴族でも、彼らの職務に苦情を申し立てても決して不敬を問うことは出来ないのだ。少しでも手心を加えれば自身が大変厳しい罰が与えられる職務なので、彼らのことは制服の色が黒であるところから、一度食らい付いたら放さない通称「ブラックドック」と呼ばれている。



「ヤツの名はニーノ・ブライト。ブライト伯爵家の令息だ。若いが優秀な監査室のエースらしい」

「ブライト伯爵令息…ですか」


ユリのいる薬局は、敷地は王城内でもそもそもの所属は違っているので、本来は彼のような監査室の人間とは無縁だ。薬局だけが特例として窓口を設けているだけで、この研究施設は国とは完全に切り離された場所だ。以前に第三騎士団の団長と部下が調査にやって来たのは連続殺人事件についての調査と確認の為であって、これは人道的な理由でレンザが許可したからこそ実現したものだ。あの時も断ろうと思えば可能だったのだが、オベリス王国と対立するのも望むところではないので受け入れた。

しかし監査室に関しては、一切関わる必要がない部署だ。何か探りたいことがあっても、王城内のように自由に動ける権限は通用しない。せいぜい薬局を利用する客として足を踏み入れるくらいだろう。


「ブライト家やヤツの話は知っているかい?」

「…いいえ」


そもそも社交をしないユリは貴族のことは詳しくない。王族や有名な高位貴族、大公家と関わりの深い家や分家などは知っているが、縁のない伯爵家以下は数が多いので覚える気がなかった。本来は貴族令嬢としては失格の烙印を押されるが、ユリを表舞台に出す気がないレンザも許容している。


「ブライト家は、時折予言者と呼ばれる未来視する能力者が出ることがある家門だ」

「予言、ですか」

「まあ、一応そうなんだが」


レンザはやけに歯切れの悪い物言いをしたので、ユリは少しだけ首を傾げた。



ブライト家に時折産まれる能力者の予言能力は、偶然と言うには当たるのだが、信憑性や確度が低いという微妙なものらしい。たとえば大雨で水害が出ると予言はするが、その時期がひと月程度と幅が広く、既に対策をしている土地で大した被害が出なかったりという結果になるのだ。もし何の対策もしていない土地であれば大きな被害が出たかもしれないが、結果として予言が役立ったかは微妙な結果になる。その為、彼らの言葉はあくまでも「参考程度」留まりなのだ。

その能力者が出る以外にこれといった秀でたところはなく、中央で高い地位に就くでもない中庸の伯爵家といった評価の家門だ。


そんな家に産まれたニーノは、その能力者にしては随分と優秀だった。数こそ多くなかったが、精度が際立って良かったのだ。日照りによって不作になる作物や、盗賊が潜伏しているアジトの場所、不正に資産を隠している悪徳商人の裏帳簿の存在などを予言し、それが悉く当たった。彼が長子だったこともあって、ブライト家はニーノに大きな期待を寄せていた。


しかし五年程前、ニーノが学園で知り合った子爵令嬢のこの先の苦難を未来視してから大きく命運が変わってしまった。彼女には病の母親がいたのだが、その後母が亡くなったことで父が気力を失い、領地経営も回らなくなったので爵位を返上して平民として田舎に去って行くという内容を未来視した。当然貴族が通う学園は中退になる。彼女のことが気になっていたらしいニーノは、それを阻止して事態を好転させようと病に効くという薬を調べ出して密かに教えたのだ。そしてその薬が高価でとてもではないが子爵家では賄い切れないことも知っていたので、やはり予言の能力を使ってこれから価値が上がるであろう宝石や土地の情報をさり気なく彼女の父親に流した。


そして彼女の母親は回復し、彼女は父親に裕福な商人の後妻という態で売られて学園を中退した。


薬代の為に密かに流した儲け話で、身に余る程の大金を手にしてしまった彼女の父親は呆気無く道を踏み外した。良くあることと言ってしまえばそれまでだが、本来訪れる筈だった未来とは大きく違った結果を目の当たりにしたニーノは、それ以来予言の能力が消失してしまったのだった。


粗末な服で、窶れた父と幼い弟を支えながらも気丈な笑顔で去って行った彼女と、磨き上げられた肌と髪、きらびやかなドレスを身に纏いながら好色家で有名な父親より年上の隠居の別邸へ豪華な馬車に揺られて向かう死んだような目をした彼女。どちらも見ていたニーノには衝撃的な光景だったのだろう。


その後彼は伯爵家の後継を辞退し、王城で文官として務めるようになったそうだ。以前から愛想はいい方ではないが人当たりは良く友人も多かったのだがその件以来ニコリともしない冷たい態度になり、他部署との調整が重要となる通常の文官になるのは難しいとして内部監査室所属になったという経歴の持ち主だった。


「そのブライト伯爵令息が、黒髪の小柄な女性を捜しているという話が上がって来ている」

「それは…」

「目的は残念ながらまだ不明だ」


その話を聞いて、ユリは嫌なことを思い出してフルリと身を震わせた。


少し前にユリが誘拐されて、助けに来たレンドルフが負傷した事件は、誘拐相手が黒髪かそれに近い濃い色の髪色と緑の瞳をした女性を狙ったものだった。ユリの本来の髪も瞳も違う色だが、変装の魔道具で人前に出るときはそうしていたので対象となったのだ。


ニーノの話は、その時のことを思い出させるのに十分だった。


「ヤツには我が家の中にでも優秀な影を付けてある。ユリに危害は加えさせない」

「ありがとうございます…」

「本当はまた別邸に籠ってもらいたいところだが…それも癪だろう?」

「はい」

「我が姫君の望みのままに、全力を尽くそう」


レンザが隣に移動して来て、ユリのいつもよりも少し冷たい手に自身の手を重ねた。貴族らしからぬ少しだけカサ付いたレンザの温かな指先に、ユリは強張っていた頬を緩めてようやく微笑みを浮かべたのだった。



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