482.大当たりの似たもの同士
「本当に申し訳なかった!」
「いえ、お顔を上げてください。お忙しいところに時間を取ってもらったのですから」
応接室に戻って来たレンドルフは、待たされたことも気を悪くした様子もなく、すっかり気を削がれたロンが平身低頭謝罪をしていた。ロンがこれまでの技術を全て注ぎ込んだ渾身のユリの防御の装身具の無反応記録を更新中なレンドルフから、悪意を引き出そうと試したところで意味のないことだと悟ったのだった。
「それに、あの伝説の付与師の方とお会い出来ただけでも光栄です」
「儂のことをご存知で?」
「上司のミスリル団長が以前付与をしていただいた剣を愛用していますので。もしかしたら縁者の方ではないかと聞いたのですが、先程お名前を伺ってご本人だと気が付きました」
「ああ、あの団長さんか」
ロンは若い頃に統括騎士団長レナードに個人的な依頼を受けたことがある。その当時は、レナードは見た目は自分より少しだけ年上くらいに見えたが、今も新年や建国記念式典で王族が挨拶に王都民の前に姿を現す時に横に控えている姿は全く変わっていないように見える。近親者にエルフ族がいて、長寿を受け継いだという噂があるが、おそらく真実に近いのだろうとロンは思っている。
その時ロンが付与をしたのは、細身の長剣と女性の護身用の短剣だった。長剣の方はレナードの愛剣で強度としなやかさを両立させた強化の付与だったが、短剣の方は軽量化と、転移の付与を施していた。女性が持つ武器に軽量の付与は一般的だが、転移魔法は特殊過ぎて付与で使用する充填済みの魔石だけで郊外に屋敷が建つ程の金額が掛かった。しかしレナードはサラリと必要な魔石を準備していたし、それを付与するロンにも十分な報酬を支払ってくれた。忘れようにも忘れられない仕事だった。
転移の付与は、持ち主の魔力を消費して、可能な限り遠くの安全な場所へ持ち主を転移させるものだ。その条件付けが曖昧でロンも苦労したが、レナードと何日にも及ぶ話し合いの結果、持ち主の一定量以上の血が発動条件となって、転移可能な中で最も遠い神殿に飛ばすように設定した。そうしたのはレナードが妻の護身用に持たせたいと希望した為で、万一襲撃などで負傷した場合を想定して付与をしたのだった。襲撃ではなくとも、大きな怪我を負った際に神殿に飛ばされれば神官の治療を受けることが出来るからだ。
レナードの冴え冴えとした冷たい印象の灰色の目に反して、随分と妻を想っているものだとロンは感心したのもよく覚えている。
「それでは早速ご使用の魔道具の付与と、ご自身の魔力を確認しても?」
「はい、よろしくお願いします」
レンドルフは言われるまま膝の上に大剣を抱えるような恰好で座り、ロンは魔力の流れを確認する為に許可を取ってレンドルフの額や首筋、手などに直接触れる。ロンはそこまで魔力量は多くないが、相手に直接触れることで魔力の流れを繊細に知ることの可能な接触型の鑑定魔法を持っている。一般的には魔力量の少ない者が大きな魔力に触れると体に負荷が掛かって昏倒する危険があるのだが、ロンの場合は微量過ぎて体内に魔力を殆ど留めておけない。だから他者の魔力は自身の体を通過するだけなので殆ど影響もなく、魔力の方向性を定める魔力付与はどんな属性でも対応出来るのだ。
「ふむ…毒への対処はほぼ問題はなさそうだな。ただ、もう少し即効性の毒の分解速度を上げておくように付与を追加しましょう。完全解毒や防毒だとやや初動が遅くなるんで、効果を半減させる付与ならば即死毒でも一命は守れる」
ロンは丹念にレンドルフの魔力の状態を鑑定して行く。職人に共通するカサ付いて荒れた指先には数本爪がなかった。付与を行う際、どうしても魔力を流す時に指先に負荷が掛かり、長年それを繰り返しているうちに爪が生えなくなってしまう職業病のようなものだ。最近の若い付与師は良い治療薬が開発されたのでほぼその症状はないが、ロンの世代では爪のない指の本数を自慢して誇る文化があったくらいだ。
「最近左腕に怪我をしましたかね」
「あ、はい。職務上どうしても怪我は付きものですし。何か問題でもありましたか?」
「左腕に微かな魔力のしこりのようなものが…特に害はなさそうだが、長年放置しておくとどのように変質するかは儂にも分からんな。一度、神官殿に診てもらって治療してもらった方がいいかもしれませんな」
レンドルフ自身はほぼ意識がなかったので記憶にないが、先日のクロヴァス領での負傷は左腕が辛うじて千切れなかっただけな状態だったと聞いている。もしかしたら意識に上る程ではないが、再生させた部分が上手く繋がらなかったのかもしれない。
「それと、全体的に魅了や隷属などの精神系に対抗するには今のままでは少々防御が弱いな。媚薬なども含めて、今回はそちらに対処する付与を中心にして付与する、でよろしいかな」
「はい。全てお任せします」
ロンの見立てでは、魅了などの精神系もそれなりに防御の付与がされてはいるが、今後のことを鑑みればいくら強化してもやり過ぎないだろうと判断したのだ。一応ユリからは、大公女の身分は明かしていないので絶対に秘密にして欲しいと懇願されているが、どこからレンドルフが大公家に目を掛けられていると知られるかは分からない。それに王国史上最年少の永年正騎士の証を授与され、第一王女から名を呼ぶことを許されたという事実は主だった貴族の間では既に周知のことだ。レンドルフを押さえれば、王家と大公家というこの国の二大勢力と繋がりを持つことが出来ると考えて、実力行使に出て来ないとも限らない。
婚約者もいない前辺境伯令息で、三男であるため婿入りさせるのは簡単ということもあって、強引に既成事実を作ってしまえば労せず身内に取り込むことが出来ると考える者もいるだろう。見た目云々を考えなければ、レンドルフは狩人の前に転げ出た丸々とした兎にも等しい美味しい獲物だ。
「これならば付与に必要な魔石は揃っているな。まだ時間があるなら少し待ってもらえば本日中に渡せると思うが…如何ですかな?」
「大丈夫です。……その、付与するところを見学するというのは…」
「はははっ…いや、失礼した。近くで魔法さえ使わなければ問題はありませんよ。場所を少々移しますが」
「是非お願いします!」
レンドルフも簡単な付与くらいは学んでいるが、こうして本職の人間の付与を目の前で見たことはない。技術を盗まれたくない者や、集中が必要なので側に人を置きたくない者など理由は様々だが、あまり付与を施しているところは見せてもらえないのだ。引退したとは言え、そんな名人の付与師の技を見せてもらえるので、レンドルフは喜びのあまり思わず勢いよく返答していた。
ロンが思わず笑ったのは、その時のレンドルフの様子が初めて工房で顔を合わせた時のユリと同じだったからだ。遠慮がちに言い出したものの、目の奥は好奇心でキラキラしていた。ロンの付与作業は淡々と行うので見ていて面白いものではないと自覚していた。しかしユリは大きな目をより大きくして、瞬き一つでも見逃さないようにジッとロンの手元を飽きることなく眺めていた。
今のレンドルフは、その時のユリを彷彿とさせる輝きを持っていたので、つい懐かしくなってしまったのだった。
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ロンに先導されてやって来たのは、厨房だった。しかしそこは調理器具が一切排除されていて、竈にも火が入らなくなって久しい様子だった。そのせいか、厨房の中はひんやりとした空気が漂っていて、外と大差ない気温になっていた。
「寒かったら途中でさっきの部屋に戻っても構わんからな」
「寒さには強いですから、大丈夫です」
「ああ、そうだったな」
一応偽名にもなっていない「レン」の名を名乗っていたが、ロンはレンドルフのことはユリから聞いていた。それに名を出さなくても、ユリが「すごい褒章を貰ったお祝いだから」と嬉しそうに言っていたのと、タッセルの付与を依頼して来た時に「いつも護衛みたいに守ってくださる騎士様」と頬を染めていたのを合わせて考えれば簡単にレンドルフに行き着く。「王国史上最年少の永年正騎士」という情報は、あちこちの新聞を賑わせていたのだ。そこにはレンドルフの簡単な出自を掲載しているものもあった。
「付与に使う魔石で多いのは、火と水だ。だから影響を押さえる為に燃えにくく水はけの良いここがピッタリなんでな」
「それは理に適っていますね。思い付きませんでした」
「ま、その辺に座って…ちょっと椅子が小さいな。そこの丸太にでも腰掛けててくれるか?」
「はい、失礼します」
厨房に置いてあるテーブルや椅子も古いもので、物は悪くないのだろうがレンドルフが座るには少々、どころか尻が半分くらいはみ出してしまう。レンドルフはロンに示された通り、何に使うのか分からない大きな丸太が隅に転がっていたので、ヒョイと立てて平らな切り口の上に腰を下ろした。
ロンは壁に設置された棚から鍵付きの箱の一つを下ろして、中からイヤーカフを取り出した。おそらく元は調味料が並んでいたであろう棚には同じような箱が並んでいるので、付与予定の品が保管されているようだった。一見すると不用心に見えるが、国内随一の腕と言われた付与師の作業場なので、色々と防犯対策はされているのだろう。
それからロンは、元は肉や魚などを入れていたであろう大型の保管庫の中から無造作に麻袋を掴み出して、バラバラと中身をテーブルの上に投げ出した。それは大小さまざまな魔石で、あまりにも荒っぽい扱いだったので見ているレンドルフは思わずギョッとして目を見開いてしまった。その様子に気付いて、ロンはレンドルフに顔を向けてニヤリと笑ってみせた。
「お嬢さんが初めて儂の工房に来た時を思い出すねえ」
「お嬢さん…それって」
「小さな体なのに、騎士様を守りたいって勇ましくお育ちになったお嬢さんだ。よく知ってるだろう?」
「は、はい…」
ロンは指先でイヤーカフを摘まみ上げて、レンドルフに見えるように軽く持ち上げた。それは紛れもなく先日ユリから贈られた金の台座に虹色魔貝の白と黒の真珠が埋め込まれている品だ。
この真珠は属性に関係なくどんな魔力でも充填出来るというので、ユリに勧められた通り先に聖魔法を込めてもらってからロンのところに預けていたのだ。真珠の充填出来る魔力はそこまで多くないが、何かあった時の為に血止め効果と痛み軽減の付与をしてもらうことになっている。
実際ユリは「守りたい」と言った訳ではないのだが、少しでも無事に戻って来られるようにと願いを込めた「お守り」なので、意味としては間違っていないだろうとロンはそう解釈をしてレンドルフに伝えたのだった。もしここにユリがいたら全力で抗議したかもしれないが、不在の為訂正する者はいない。
そのロンの言葉にレンドルフはたちまち耳まで赤くなったが、気を悪くした様子は全く見えないのをロンはしっかりと見ていて、ようやくユリは「大当たり」を引き当てたのだとやっと納得をしたのだった。
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その後魔石から魔力を抽出して付与を施して行くロンの手元を、レンドルフは息を詰めてキラキラとした目で熱心に見入っていた。そして身を乗り出し過ぎて座っていた丸太から落ちそうになって慌てて身を引いていた。
ロンはそんな動きを目の端で捕らえていて、ユリも夢中になり過ぎて気が付くとテーブルにぶら下がるようにして覗き込んでいたことを思い出して、ロンにしては珍しく少しだけ付与の魔力が乱れてしまったのだった。そのせいで予定よりも一つ多く魔石を消費することになったのだが、そこはベテラン付与師の余裕で最初からその数を予定していた、という態度を貫いたので幸いレンドルフには気付かれなかったのだった。