481.ロンの試し
ユリから祝いに贈られたイヤーカフに付与を施す為に、レンドルフは指定された工房まで出向いていた。付与を頼む際はいつも身に着けている装身具や魔道具と、希望する付与を書いた書類を付与師に渡せば調整の後に付与済みの品が送られて来るのが一番よくあるパターンだ。ただ特殊な品や付与を希望する場合、付与師と顔を合わせてその場で調整をしながら対応してもらうこともある。今回は付与師側の強い希望で、レンドルフと直接対面しての付与を行うことになった。
他の道具との兼合いを確認したいということで、レンドルフは防具を身に着けて愛用の大剣を持参して来ていた。さすがに遠征に出る時のようなしっかりした装備ではないが、冒険者としてエイスの森に討伐に出ていたくらいは揃えている。他にもよく使用する魔道具なども持参するように言われていたので、変装の魔道具を使用していて栗色の髪にしている。
訪ねた場所は中心街の中でも閑静な住宅が並ぶ地区で、工房と指定された建物も古いが貴族の邸宅に見えた。この辺りは比較的裕福な者が住んでいるので道は大型の馬車でもすれ違えるくらいに整備され、立ち並ぶ邸宅も広い敷地の家ばかりだ。
そこを抜けて行くレンドルフの出で立ちは明らかに浮いていたが、もともと人通りの多い地域ではないのでそれほど奇異な目では見られなかった。
約束の時間の少し前に訪問したレンドルフを出迎えたのは付与師らしき初老の男性だった。あまり背は高くないがガッチリとした骨太な印象の男性で、年期の入ったエプロンを身に着けてその下にはくたびれた作業着を着ていた。
「初めまして。ユリさんから紹介していただきましたレン…です」
「ああ、聞いてるよ。だがすまんが前の依頼が押しててな。しばらく待つか、出直してもらえんかね」
「では待たせていただいても?」
「構わんさ。勝手に茶でも飲んでてくれ」
「はい」
古いが飴色の艶のある扉をくぐると、奥から慌てた様子で執事服を身に着けた老人がやって来た。本来ならば彼が出迎える予定だったのだろうが、主人の方が先に応対してしまったようだ。
「儂はロンディバルティナウドと言う。ロンでいい」
「はい、よろしくお願いします、ロンさん」
レンドルフが頭を下げると、ロンは気怠そうな仕草で軽く片手を上げて振り向きもせずに廊下の向こうに消えて行った。ユリがレンドルフのことをどう紹介していたのかは分からないが、腕の良いベテラン付与師でユリも装身具への付与で色々と頼りにして来た相手だと聞いていた。しかし今顔を合わせた印象では、随分と気難しそうな職人という雰囲気だった。
レンドルフは気難しい他国の賓客などの護衛に就いた経験もあるのでさほど気にならないが、人によってはロンの態度に腹を立てる者もいるだろう。彼に代わって老執事が頻りに謝罪を繰り返していたので、顧客を怒らせてしまったことが過去にあるのかもしれない。
応接室に案内される途中、レンドルフはさり気なく邸宅内を観察していたが、おそらく元貴族の屋敷だったのだろうことはすぐに分かった。古びてはいるが丁寧に扱われて来たと思われる家具が置かれていて、この屋敷に合わせてオーダーメイドされたものであることは簡単に予測が付く。しかし埃こそ被ってはいないが使われている形跡はなく、花を生けた花瓶でも置いていたのでは、と思えるような空間にも何も置かれていなかった。この案内をしている老執事以外、メイドが一人モップを抱えて歩いている姿と窓から庭師のような男性と少年は確認出来たが、それ以外は見かけなかった。整ってはいるがここで生活をしている気配がないので、この邸宅は案内にあった通り「工房」として使用しているだけなのだろうとレンドルフは考えていた。
応接室の中は暖炉に火が入り、やはり古いがよく手入れされた調度品が置かれていた。しばらくここで待っているように告げられて、先程見かけたメイドがティーセットを置いて行った。最初の一杯はカップに注がれていたが、次は自分で淹れろということなのだろう。見かけは貴族の邸宅でも、今の持ち主はそうではないようだ。
(珍しいな、魔道具ではないポットか)
一人にされたレンドルフは、ローテーブルの上に並べられた茶器を眺めた。レンドルフが知る限り、王都では平民も普段使いをするような茶器でも保温が付与された魔道具を利用していることが多い。ちょうど良い状態で抽出したタイミングで熱いお茶をポットに移しておけば、どのタイミングでも淹れたての風味が味わえる。保温効果は金額にもよるが半日程度が一般的だ。
しかし目の前に置かれたティーポットはシンプルな陶器製で、隣には金属のティーウォーマーが並んでいる。魔道具に付与を施す付与師の工房で魔道具ではない茶器が出て来るのは何だか不思議な気がして、レンドルフは部屋の中をグルリと見渡した。最近では王都は安全面を考慮して暖炉を使用する家も減っていると聞くが、少なくともこの部屋には暖房の魔道具は見当たらない。
(付与の時に影響しないようにかな…)
レンドルフは万一の時に備えて簡単な付与も出来るように学んではいるが、基本的に専門の付与師に任せている。ちょっとした生活用品ならば自分で付与をしてしまう人間も多いが、レンドルフの使用する物は任務、引いては命に直結するので専門家に任せた方が安全なのだ。そして複雑で繊細な付与が必要となる場合は、他の魔力の影響を受けないように気を配る付与師もいると聞いているので、ロンはそのようなタイプの付与師なのかもしれないと考える。
古い貴族の中には、便利な魔道具を使用するよりも多くの使用人を雇って人の手で手入れをさせることを富と権力の証だとする考えを持つ者もいる。最近では人の手よりも優秀な魔道具も増えているので、そういった考えの貴族はごく一部だ。その為、屋敷自体に魔道具を組み込んでいることも珍しくなくなっている。ロンがこの古い元貴族の邸宅を敢えて工房にしているのは魔道具が組み込まれていないからではないかと、レンドルフは暖炉の火を眺めながらぼんやりと思いを馳せていた。
レンドルフの故郷のクロヴァス領も以前に比べて魔道具も普及しているが、それでも王都に比べればまだ人の手で作業を行うところも多い。火を点す道具は魔道具でも、煮炊きや暖を取るのに薪を燃やしているので、暖炉の火を見ているとどこか懐かしい気がしていた。
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「で、どうだった?」
「どうも何も…旦那様、あまり危ないことをしないでください」
「身を守るくらいの魔道具は着けてるって言ってるだろ。で?」
「特に気を悪くしたご様子はございませんでした。今も静かにお待ちいただいております」
「そうか」
もと厨房だった場所で片眼鏡を掛けて手元の小さな魔道具を手入れしていたロンは、疲れた様子で戻って来た老執事に声を掛けた。しかしそれでも手は止めず、視線も魔道具から離さないままだった。
「お嬢さんには態度が良いようだが、儂みたいな平民には横柄に出る貴族もいるからな。そういう輩は付き合いが長くなるとボロが出る」
「大公閣下もお認めになっている騎士様なのでしょう?」
「そりゃお嬢さんの身内となれば気配りの一つも出来るだろうよ。だが、全くの他人となれば分からんだろう」
「そのような方には見えませんでしたが…」
「ティールはあのお嬢さんの男運の悪さを知らんだろ。あんなに可愛らしいお嬢さんなのに、何故か言い寄る男はクズばかりだからな」
ティールと呼ばれた老執事は、主人であるロンの言い分は分からないでもないが、もう少し危機感を持って欲しいとそっと溜息を吐いたのだった。
ロンは大公家当主でユリの祖父であるレンザとは旧知の仲だ。身分は違うが、調薬のための魔道具や防毒の装身具に付与をするのにロンの腕を買われたことが切っ掛けで、それ以来ウマが合っての付き合いだ。レンザは貴族らしく家族との関係は稀薄なタイプだったが、ある時を境に唯一の孫娘を溺愛するようになった。ロンは男孫ばかりだったので、付与を行っている様子をキラキラした大きな目で見つめて来るユリのことをロンも実の孫のように可愛がっていた。
そして領地と学園都市を行き来して滅多に王都にいないレンザに代わって、現役を引退して仕事の殆どを弟子に譲っていたロンはよくユリの様子を見にエイスの街を訪れていた。
レンザから、ユリはもともと大公家ではなく母方の実家である侯爵家の方から嫁がせる予定だったが、その侯爵家が致命的な事件を起こして侯爵家も嫁ぎ先の家も共に取り潰しになったと聞いていた。最初から大公家の後継としての教育を受けていない上に当人に瑕疵はなくとも縁談が潰れた令嬢と揶揄されかねないので、レンザはユリの好きな道を選ばせて貴族籍から抜けさせることも視野に入れているということだった。
その選択の一つとして、ユリには信頼できる護衛を付けて平民の生活を体験させるようにレンザが手配していた。ロンは直接別邸を訪ねることはなかったが、街に出て平民の暮らしを学んでいるユリを陰ながら見守っていたのだ。
そこで何故かユリはロクでもない男ばかりを引き寄せていた。見るからにダメ男ならば近寄るだけで護衛の冒険者達に追い払われていたが、一見親切な紳士を装って護衛の目をかいくぐりユリに接触して来る器用な男は防ぎ切れなかった。それもすぐに化けの皮が剥がれれば良いのだが、中にはひと月以上誤摩化し続けていた者もいた。
一時期あまりにそんな相手が続いたので、ユリは軽く男性不信になって外出も控えるようになってしまっていた。それがユリが納得して選んだ道ならともかく、理不尽すぎる理由で自由が奪われるのは可哀想だと判断したロンが、大公家お抱えの魔道具開発者と手を組んで、悪意に対して犯罪にならない程度でも地味に嫌な反撃をする装身具を作り上げたのだった。今もユリが外に出る時は必ず身に付けている装身具は、ロンが大きく関与していた。
その渾身の装身具が反応しない相手がいると不機嫌そうなレンザから報告を聞いて、ロンは嬉しいような悔しいような思いになっていた。そしてその相手が誰かは聞いてはいないが、間違いなく今日訪ねて来たレンドルフだろうと確信していた。
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「さて、そろそろ顔を出してみるかな」
「くれぐれも無茶はなさいませんように」
「努力する」
ロンは片眼鏡を外して大きく伸びをすると、ようやく重い腰を上げた。レンドルフに告げた訪問時間から既に30分経過している。いくら気の長い人物でも、指定された時間に来てみれば完全に放置されているのだから、文句の一つでも言いたくなるだろう。ロンは何かしら言われるのは想定内で、その言い方や内容でレンドルフの人柄を推し量るつもりだった。
しかし玄関でレンドルフを出迎えたとき、予想を遥かに越える大剣を片手で軽々と持っていたのでさすがにロンでもギョッとしてしまったが、辛うじて表に出さなかったのは年の功だろう。執事であり友人でもあるティールが心配するのも無理はない。あの武器を持った人間をわざと怒らせるように仕向けるつもりなのだから、いくらロンが優れた魔道具や装身具を身に着けていてもあの剣では大怪我をする可能性もあるのだ。
「お待たせしま…」
ロンはレンドルフを待たせている応接室の扉をノックして、返事を待たずにいきなり開け放った。これもマナーとしては大きく外れているのは承知の上だが、気を抜いた状態でどうしているかを見たかったのもあった。
だがロンはその部屋の中に誰もいないのを見て、目を丸くして固まってしまった。呆れて帰ってしまったとしても、一言くらいは声を掛けて来るだろう。ローテーブルの上には空になったカップがきちんと並んでいて、部屋の中は荒れたような気配もない。
ロンは戸惑いながら何気なく窓の外に目をやると、屋敷にいる数少ない使用人達よりも二回り以上大きな人影が庭で何かを抱えていた。側にはまだ成人前のメイド見習いが、何やら恐縮した様子でペコペコと頭を下げている。何か厄介なことでも起きたのかとロンは急いで応接室の窓を開け放った。その音に気付いたのか、レンドルフとメイドが同時に顔を上げて、窓から顔を出したロンを見上げた。
「だ、旦那様!申し訳ございません!お客様に…」
「あの、勝手に手伝ったことなので、彼女は悪くないです。あ、今そちらに戻ります!」
レンドルフは両手に抱えていた白い布をメイドにそっと手渡すと、急いで庭から邸内に戻って行った。ロンは何が起こったのか分からずに戸惑っていると、少し離れたところに梯子を担いだ庭師も見上げていたので、目線だけで何があったのかと問う。
「風で屋根にシーツが飛んでしまいまして。取ろうとしたところ、あの騎士様がお手伝いを」
「その窓からあっという間に屋根に登って、そのまま飛び降りて来ましたです!まるで大鷲みたいでした!」
「そ、そうか…」
メイドと庭師が口々に言い出して、ロンは予想も付かなかったレンドルフの行動に、すっかり毒気を抜かれた顔で呻くように答えたのだった。