479.目的と言い訳
「あちらに池の上の浮き島にテラスがございます。そちらから眺めるとランタンの流れる様子が一望出来ますので、是非お楽しみください」
デザートを食べ終わると、別の場所にあるテラスを勧められてレンドルフ達は移動することにした。食事をした場所より一段明かりを押さえているようで、ランタンの明かりを反射する水面がキラキラと輝き、まるで星空が足元を流れて行くようだった。
テラスには丸みを帯びた優しい意匠の木製のテーブルと椅子が置かれていて、鮮やかな色の糸で幾何学模様に刺繍されたクッションが添えられていた。椅子は一つは二人掛けのものを設置してあって、レンドルフでも余裕を持って座れた。しっかりした固い木を使用しているのか、レンドルフが座ってもビクともしない。体を預けても受け止めてくれて、触れる場所は特に丸く磨かれていて手触りが何とも心地好い。
そのテーブルの脇に小さな台が置かれて、布の掛かった籠が鎮座している。きっとレンドルフが受付に預けて食後に持って来るように、と頼んでおいた手提げだと察する。ふと向かいに座るユリを見ると、彼女の隣にも小さな籠が置かれている。自分のことを鑑みると、ユリも何か渡してくれるつもりではないかと予想して、レンドルフはつい胸が高鳴ってしまうのと、もっと他の物も用意しておけば良かったという複雑な気持ちがない交ぜになるのを感じた。
給仕が紅茶と、ドライフルーツや小さな焼き菓子など軽く摘めるものを置いて行った。ユリでも一口で食べられそうなクッキーやマドレーヌなどから、チーズやナッツなどもある。
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「あの…ユリさんに、どうしても受け取ってもらいたいものが」
「私も…なんだけど、この前から貰い過ぎじゃない?お見舞いとか、快気祝いとか」
「あ、あのそれは俺がしたいから、だから気にしないでもらえると…」
「それは嬉しいけど…でも気になるから」
「うっ…気ヲ付ケマス…」
出会って間もない頃、あまり高価な物を渡されると気を遣って会いにくくなる、と釘を刺されたことを思い出して、レンドルフは思わず胸を押さえてしまった。今は事情がない限りユリに会うことを避けられるとは思っていなかったので、ユリに似合いそうだとか喜びそうだとか思うと色々と贈りたくなってしまい、つい調子に乗り過ぎたかもしれない。自分は父や兄には似ていないのでそういう失敗とは無縁だと思っていたが、やはりクロヴァス家の血は侮れない。しかしそれでも気を遣わせては本末転倒なので、レンドルフは固くそのことを胸に刻んでおく。
「あの、今回は贈り物と言うより、ユリさんに受け取って…持っていてもらいたいものだから」
「私に?それは、持ってていいもの、なの…?」
「危険な物じゃないから!絶対!」
「そこはレンさんだもの。それはないって分かってるから」
「とにかく、これを!」
このままだと妙な方向に行きそうなので、レンドルフは現物を見てもらおうと急いで手提げをユリの方に差し出す。ユリはすぐに手提げを受け取ってくれたが、その表情は明らかに戸惑っていた。よく考えれば、その手提げには箱を包んでくれた宝石商の店名が小さく印刷されている。それに以前指輪を作ってもらったりもしているので、店名はユリも分かっているのだ。だから「持っていてもらいたい」と言った割に宝飾品かと誤解されたのだとレンドルフは気付いた。けれど中を見てもらえば誤解も解けるだろう。
「箱だけは別に作ってもらったんだ。だけど、中身は違うから」
「開けてもいい?」
「勿論」
ユリの両手よりも少しだけ大きい包みを開けると、美しい布張りの箱が現れる。そしてそっと中を開いて、ユリの目が驚きで大きく見開かれた。
赤いシルクの中に包まれるように箱の中に収まっているのは、金とプラチナで幾何学模様を編み込むような細工で、中央に光を反射して最も輝きを放つように研磨されたアメジストが埋め込まれている勲章だった。その幾何学模様は亀の甲羅を表現した意匠であり、これは亀を紋章とする建国王から続く王家の象徴でもあった。そして白金に近い淡い金髪と薄紫の瞳は王家の血族の証とも言われるので、この色の組み合わせは他の家門には許されない禁色でもある。平民でもその勲章がどんなものか知らなくとも学校で身分制度や現在の王族の名前、紋章や禁色に付いては基礎知識として教えられるので、意匠と色の組み合わせで王家、引いては国から授与された物だと国民の大半は一目で分かるのだ。
「レンさん!これ…!?」
「この前授与された勲章。レプリカ…というか、式典用?」
「待って待って。勲章って、永年正騎士様のよね!?そんな大切なもの…」
「正式なものは襟章なんだ。これは授与式典で分かりやすいように大きく作られた物で、もう使用することはないし、好きにしていいものなんだよ」
「そうなの?…って、じゃなくて!」
ユリは反射的に手を伸ばして箱をレンドルフに差し出してしまった。まるで突き返すような行動になってしまったが、宝飾品ではなかったがそれ以上に重みがあるものを渡されてしまって焦っていた為だ。しかしすぐにそれはレンドルフに対して失礼なことだと悟って、ソロソロと再び自分の元に引き寄せた。
「…ごめんなさい。ちょっと、びっくりしちゃって」
「その…俺こそごめん。驚かすつもりはなかったんだ」
ションボリと肩を落とすレンドルフに、ユリは申し訳ないと思ったがどう声を掛けていいか分からずに手元の箱に目を落とした。
さすがに国からの勲章だけあって、アメジストは透明度が高くカットが美しい。そしてその周囲に小さな宝石が並んでいる。これは様々な褒章の種類毎に使用される石や数が違うと言われている。鑑定魔法がないユリは目利きではないので分からないが、騎士への勲章は硬度を誇るダイヤモンドが使用されるのは知っている。そして最も位が高い褒章は石が五つ並べられる。これは建国王と五英雄にあやかっての意匠だ。
手元にある勲章には透明な光る石が五つ、アメジストを囲むように配されているので、騎士として最高の栄誉の証であることは分かる。
「俺は、公表は出来ないけど、ユリさんが身を呈してアナ様を守ったのを知ってる。俺がアナ様を助けた為に授与されたなら、それはユリさんも同じだと思う」
「私は騎士じゃないよ」
「それでも、人を守った証だ。だからユリさんにも持っていて欲しいんだ」
「そっか…守った証。ふふ、それでみんなに心配かけちゃったけど、でも人を守ることが出来たのね」
少し落ち着いて箱の蓋の裏に目をやると、クロヴァス家の紋章とレンドルフの名が刺繍されている。指先でそっと名前の部分を撫でると、色味のせいかほんの少しだけ温かいような気がした。
「これ、大きさが違うだけで正規の襟章と同じデザインなんだよね」
「うん。襟章は小さいから、多少簡略化してるところもあるかもしれないけど」
「レンさんが小さい方を持ってるって何だか不思議」
「そうかな?」
レンドルフが首を傾げたが、その様子が妙に可愛らしく見えてユリは微笑んでいた。最初の驚きは既に治まって、レンドルフが大切な証を預けてくれたことがジワジワと喜びに変わって行くのを感じていた。
「この勲章、大切に預からせていただきます」
「ありがとう。でもこれは、もうユリさんの好きに使っていいから」
「使うって言っても…勲章は飾るとか大切に保管するものだと思うけど」
「式典用のものを作るのは、授与者の品位を維持する為ってことから始まったんだ。それなりに価値があるから、何かあった時の為の財産の一つになるように、って」
褒章を授与されると大抵は一気に社交が広がり、その付き合いの為に生活を圧迫してしまうことも珍しくなかった。特に下位貴族となると、平民とあまり変わりがない生活をしている者も多い。それがある為に褒章を辞退する者も増え、名誉は高位貴族か裕福な者に偏ることになり、それを少しでも解消しようと考え出されたのが本物以上に高価なレプリカだった。
特に最高の栄誉の一つである永年正騎士の証であれば、レンドルフが別に貰った報償金よりも高額な一財産の価値がある。
「これを使って身分を詐称すると厳罰になるけど、売っても質草にしても問題はないんだ。もし必要なときはそうして役立てて欲しい」
「そんなに必要になることはないと…思うけど」
レンドルフは知らないとは言え、ユリはこの国では王家に次ぐ家門であり、国内の薬草や回復薬などの大半を掌握している大公家の直系だ。様々な事業で流動的なので全体の把握は出来ないが、資産も莫大な額を有している。それに甘えて湯水のように無駄遣いをしているつもりはないが、ユリは金銭的に苦労をしたことはない。
それを口に出すことはないが、おそらくレンドルフが言うような事態にはならないだろう。
「これと同じ。お守りだと思って」
レンドルフはシャツの胸ポケットに入れていた、二つ目のタッセルを取り出した。今日はいつもの大剣を持参していないので、外して持って来ていたのだ。このタッセルは、ユリがレンドルフを守る為にありったけの付与を掛けたお守りだ。
「そんなことはないに越したことはないけど、万一の時に少しでも助けになればそれでいいんだ。最終的にお金で解決出来ることは多いし、その時は遠慮なく使って」
「だけど…」
「お金で大事なのは出自じゃなくて、受けた者の使い方だよ。…どっちも他の人の受け売りだけどね」
「うん、分かった。ありがと。お守りだと思って、必要な時が来るまで大事にするね」
「…本当は来ない方がいいんだけど」
ユリがしっかりと抱きかかえるように箱を胸の前に掲げてくれたので、レンドルフはようやくそっと安堵したのだった。
実のところ、お守りとしていざという時の足しにして欲しいということを告げたが、これはレンドルフが後から考えた理由だ。レンドルフとしては、ただ自分が得た騎士の栄誉とも言える証をユリに持っていてもらいたいと殆ど反射的に思ってしまったのだ。しかしそれではユリに恐縮されてしまうのかもしれないと思い、昨夜必死に考えた後付けの理由だった。結果的にユリに受け入れてもらえたので、考えた甲斐があった。
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「あ、そうだこれは私から。後で付与を任せるから、すぐに使える訳じゃないんだけど」
ユリは箱を丁寧に手提げに戻した後、自身の隣に置いてある布を取り去って、そこから小さな包みを手の上に乗せてレンドルフに差し出して来た。小さなユリの片手に収まってしまう程の小さな包みは、白くてどこか丸みのある可愛らしい形をしていた。
レンドルフはそれを両手でそっと受け取って、許可を貰って早速包みを開いた。中には濃紺の天鵞絨が貼られた箱で、作りはレンドルフが持って来た箱と似たようなものだった。慎重にレンドルフは指先だけで摘むように蓋を引き上げると、中にはリング状の光るものが入っていた。一瞬指輪のように見えてしまったが、よく見るとイヤーカフであった。金の土台全体に細かい彫金細工が施されて、控え目に白と黒の丸い石が嵌め込まれている。金具の部分も彫金のおかげで煌びやかと言うよりはシックな色味に見えて、全体的に落ち着いた品のある意匠になっていた。
「レンさん、ずっとイヤーカフをしてたけど、故郷から戻って来てからしてないから。もしかして壊れちゃったのかと思って」
「ああ、うん。その…怪我した時に落として」
ユリへの解毒薬を届ける伝書鳥を落とそうと襲って来た相手の攻撃を身を呈して防いだ際に、レンドルフは顔にも大きな怪我を負った。ほぼ至近距離で爆発を受けたので、着けていたイヤーカフごと耳を半分持って行かれたのだ。幸いにもユリがタッセルに仕込んでいた特級の回復薬と、その場で適切な治療をしてくれたレンザのおかげで完全に元に戻っていた。しかし再生した新しい耳の形がずっとイヤーカフを着けていた形とは違っていたようで、その後発見したイヤーカフを着けようとしても滑り落ちてしまって使えなくなっていたのだ。色々な付与を掛けていたのでサイズ調整には一旦付与を外さなければならないので、クロヴァス領の魔法士や付与師が心を込めて作り上げてくれた逸品だから誰か他の者が使えばいいと、レンドルフはクロヴァス家に置いて来ていた。
今は何ともないがユリにそんな話を聞かせたくなかったので、レンドルフは嘘ではないが何となくぼかして伝えた。
「何か付けて欲しい付与があったら教えて?解毒でも防毒でも、身体強化の補強とか魔力の補助も出来るよ。前に付けてたのと同じ付与がいいなら教えてもらえれば」
「前のもそんな感じだったかな。解毒と防毒、魔力の完全な枯渇を防ぐ為の底上げと…ああ、温度変化しないような付与も付けてた。凍傷防止で」
「そっか、王都よりも北に行くこともあるものね。それは大事だわ」
「これ、相当珍しい素材なんじゃない?俺が貰っていいの?」
「それ、レンさんが言う?」
素材は珍しくなくとも高価で唯一無二とも言える勲章を渡して来たレンドルフが言い出すので、ユリは思わず笑ってしまった。レンドルフも言った後で気付いたのか、少しだけ恥ずかしそうな表情になっていた。
「その石…というか真珠なんだけど、それはちょっと珍しいかも。価値はそこまでじゃないけど、虹色魔貝から採れた真珠だから」
「虹色魔貝?名前だけは聞いたことがあるけど、実物は見たことがないな」
「アスクレティ領と隣のトルバード領に横たわってる汽水湖で養殖してる貝で、内側が虹色なの。螺鈿細工によく使われるから、それは見たことがあるかもね。その貝で人工真珠を二領の共同事業で作ってるのよ。容量は少ないけど、魔石と同じように魔力が充填出来るの」
「へえ、真珠なのに。知らなかった」
「まだ商品化して他領に出せるような品質まで行ってなくて、その二領だけでしか販売してないのよ。今回はおじい様の伝手で手に入って」
虹色魔貝は、その地域の汽水湖の固有種と言われている。水の中に含まれた魔力を吸い込む魔物の一種で、外側の殻は真っ黒だが内側は虹色に輝いている特徴を持った貝だ。身は食用に向かないが、殻の内側を利用して昔からそこでは螺鈿細工などが盛んだった。そこではずっと価値がないと廃棄されていた身の中に、様々な色の真珠が生成されていることに注目した学者が、虹色魔貝が作る真珠には魔石と同じように魔力を充填出来るという特性を発見したのだ。
そこから始まった貝の養殖はそこまで難しいものではなかったが、人工的に真珠を生成させるのは未だに安定していなかった。虹色の名を冠しているのを現すように、生成される真珠の色が全く予測不明だったのだ。そして全体的に大きさが小振りだったので、一粒で加工するには見栄えが足りず、かといってネックレスに出来る程均質な色味を揃えることが難しかった。だが近年では商品化になる品質の物も増えて来たので、安定すれば領を代表するような一大産業にもなるだろう。
「色が違うってことは、充填出来る魔力の属性が違うとか?」
「それがね、多少個体差はあるけど、色に関係なくどの属性でも充填出来るの。それに、今のところ魔石と違って何度充填しても壊れないんだって」
「それはすごいな」
「さすがに強い衝撃を与えると割れちゃうのは同じだけどね。レンさんの場合、回復系の聖魔法を神官とか治癒士に頼んで充填してもらうのをお勧めしたいな。完全回復までは充填出来ないけど、痛みを軽くするとかなら効果はある筈だから」
「それはすごく助かるよ」
「でも!だからって無茶はしないでね」
「肝に銘じます」
キリリと眉を上げた顔になったユリに強めに言われて、レンドルフはわざと姿勢を正して上官に従うような口調で言い切った。一瞬だけお互い真顔で顔を合わせて、それから楽しげに揃って破顔したのだった。