477.箱と石
いつもより少しフォーマルなジャケットにユリに好評だった裾の長いコートを羽織って、レンドルフは夕刻に王城を出た。ジャケットと揃いの明るめの茶色のベストの下は光が当たると濃い紫に見えるシャツに臙脂色の光沢のあるネクタイを締めている。色味はシックだが、シャツの襟の片方にネクタイとジャケットと同系色の糸で羽ばたく鳥の意匠で刺繍がしてあるので華やかさもある。
ユリが王城の敷地内の研究施設への復帰が明日に決まったということで、それとレンドルフの褒章授与の祝いの食事を少し良い店でしようと約束していた。以前もミキタの店でユリの快気祝いをしたのだが、祝い事ならば何度でもしていいと意見が一致したのだ。周囲はただ会う口実を多くしたいだけだろうと生暖かい目になっていたが、当人達だけが気付いていなかった。
もう既に準備の為にユリは昨日から中心街の方に来ているので、店は中心街の一番東にあるレグスタンという街の店を予約していた。エイスの街は中心街から外れた王都の西端にあるが、レグスタンは王城を挟んで反対側にある街だ。職人や商人が多く住んでいる王都内でも下町といわれる地区だが、実は隠れた名店が多いのも有名な場所だ。腕の良い職人が多いので直接工房に買い付けに来る貴族が訪れることも多かったため、そういった層を狙ってお忍びの隠れ家的な個室や会員制の店が街のあちこちに紛れているのだ。
「途中、この店に寄ってくれ」
「畏まりました」
レンドルフは王城の正面広場に待たせていた貸し馬車の馭者に住所を書いたメモを渡して、すぐに馬車に乗り込んだ。レグスタンの街へ向かうのと同じ方向にある場所なので、待ち合わせの時刻に遅れることはないだろう。それでも馬車が動き出すとレンドルフは懐から懐中時計を取り出して、時刻を確認してしまった。
クロヴァス家では、「槍が降っても絶対に女性を待たせるな」と長兄や父に懇々と言い聞かされて育った。レンドルフとしても人を待たせるのは良くないと思っていたので素直に頷いていたが、大人になった今は二人とも女性との待ち合わせで何か痛い目を見たのではないかと思っている。とは言え、おそらく聞いても教えてもらえそうにないので追求はしていない。本気で知りたいのならば、義姉か母に聞けばすぐに分かるだろうが、そこは何となく二人の為にも憚られた。
レンドルフもその教えが身に滲み付いているので、先日はユリの方が早く来ていたことを挽回したいとつい気が逸ってしまう。手元の懐中時計は、待ち合わせ時間よりも確実に到着するのを告げているが、どこか落ち着かなかった。
少し進んだところで馬車は停まり、メモに書いた場所の店の前に到着した。
「すぐに戻るよ」
レンドルフは馭者が扉を開けるよりも早く自ら開いて降りると、クロヴァス家で長く取り引きをしている宝石商の店舗に少し大股で入って行った。
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「若君、お待ちしておりました」
訪問の時間は告げていたので、扉を入るとすぐに商会長であるリーズが出迎えた。
「いつも急な依頼で申し訳ない」
「いえいえ、若君が当店をご利用いただけるようになって喜ばしい限りでございます」
「そ、そうかな…」
ここの宝石商は元は母アトリーシャが王都にいた頃に利用していた店の一つだったが、結婚して辺境領に居を移した後も宝飾品のメンテナンスなどで縁が続き、その後父ディルダートが妻の為に定期的に相談をするようになって、やがて長兄も同じように縁を引き継いで今に至る。長兄の息子達も妻や婚約者に王都の洗練された宝飾品を求めるときは必ずここを通す程だ。クロヴァス家の男達は、多く浮名を流すことはないが伴侶に対してひたすら一途で、相手に引かれる程尽くそうとして逆に嗜められるまでがセットだ。
このリーズが経営する店はそんなクロヴァス家の男達の性格を知りながらも、決して目先の利益でやたらと売りつけるような真似はしない。程々に勧めて贈られる側の反応を見ながら、長い目で見れば確実にお得意様なクロヴァス家とは縁を切られないように商いをしているやり手なのだ。
あまり時間が取れないと予め言ってあったので、レンドルフは入口から一番近い応接室に通される。形式的にお茶を勧められたが、この後食事の予定があるのでと辞退した。
「では早速、ご確認ください」
そう言ってリーズは、部下に指示してレンドルフの目の前に盆の上に乗せた箱を差し出した。
その箱は黒みがかった深い赤い色の天鵞絨で覆われており、縁には金糸で異国風の刺繍が施されていた。その刺繍の中に目を凝らさないと分からないくらいに小さな宝石のビーズが幾つも縫い付けられていて、上品な中に華やかな輝きを添えている。
レンドルフはその箱を手に取ると、そっと蓋を引き上げた。箱に相応しく職人が丁寧に仕上げた金具は軋むこともなく驚く程滑らかに持ち上がった。きちんと蓋は閉まっているのに、開ける時に一切の力がいらないくらいだ。
箱の中には、外側の天鵞絨よりも少し明るい赤色のシルクが敷き詰められており、中央には式典用の永年正騎士の証が控え目な金色の輝きを放っていた。そして蓋の裏側には黒いシルクが貼られていて、そこには金と赤でクロヴァス家の家紋でもあるフェニックスが刺繍されている。一見すると二色の糸に見えるのだが、立体感を出す為に僅かな色違いの糸を何種類も使用した職人渾身の出来映えだった。刺繍には無縁なレンドルフでさえ、一瞬息を呑むような美しさなのは分かった。そしてその下には小さくレンドルフの名も刻まれていた。これはレンドルフの瞳の色を意識したのか、こちらも淡褐色と緑を組み合わせた複雑なものだった。
「如何でございますか?」
「ああ、予想以上に素晴らしいよ。ありがとう」
「職人達も栄誉な機会を賜りまして、腕を揮ったと聞いております」
レンドルフは先日授与された式典用の永年正騎士の証を、今日ユリに贈るつもりでいた。
誰かに渡すのかとレナードに問われた時に真っ先にユリの顔が浮かんだのだが、騎士になる為にずっと後押しをしてくれたのは家族でもあるし、本来ならばクロヴァス家に送った方が良いのではないかと悩んだ。それでもユリに渡したいという気持ちが強かったので、そのことに対する詫びを家族に向けてしたためて伝書鳥を飛ばしたのだが、戻って来た答えは「何でそこでこっちを候補に入れるんだ」や「贈りたい相手がいるなら許可は必要ない。さっさと渡して来い」などと叱責の言葉が羅列していた。厳しい言葉は並んでいても、それはレンドルフの背を温かく押してくれるものばかりだった。
そして母からの手紙には「きちんと家紋と自分の名を入れた箱を誂えなさい」と忠告が付け加えられていた。一応保管用に箱も一緒に授与されているのだが、国から下賜されたものなので王家の紋章が入っている。そちらも国からの品に相応しいだけの見事な細工物だが、レンドルフよりも遥かに儀礼に詳しい母からの忠告なので、それに従うことにしたのだ。
実のところ、レンドルフの母アトリーシャは、息子が渡す相手のことは詳しく書いていなかったが間違いなく大公女に贈るのだろうと察して、王家の気配をなるべく表に出さないものにしておいた方がいいだろうと判断しての忠告だった。
この国唯一の大公家は、王家が道を踏み外さないように真っ向から意見を申し出る役割として当主が国王と同等の権力を持つ替わりに、王座の簒奪などの野心のない証として王家と血縁を持たないことを条件にしている。だから代々距離を置く立場であるのだが、今代の国王と大公家当主の仲はあまり良好とは言えない。何も知らされていないレンドルフに悪気がないのは理解してくれるだろうが、それでも少しでも心証を悪くする可能性は母としては回避しておきたかったのだ。
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「ご満足いただけたようで何よりです。それではすぐにお包みしますのでしばしお待ちください」
「ああ、頼むよ」
レンドルフが手にしていた箱を再び盆の上に戻すと、リーズの部下が素早くそれを持って部屋の隅に用意してあった台の上で作業を始めた。レンドルフが箱の注文時に選んでおいた金茶色の包装紙に若草色のリボンが並んでいる。
「お待ちいただく間に、こちらをご覧になってくださいますか?」
リーズは最初からテーブルの隅に置いていた箱を中央に寄せて、レンドルフの前で蓋を取った。その中には少しずつ色味の違うピンク色の石が四種類置かれていた。どれもルースのままで加工はしていない。
「これは?」
「右側の二つがトパーズ、その隣がスピネル、左側がガーネットでございます。ちょうどこのお色の質の良い石が入荷しましたので、念の為若君にお見せしようと思いまして」
どの石もレンドルフの髪色に近い色合いをしていて、まるでレンドルフが「誰か」に贈るのに良さそうだと揃えられたようだ。自分の髪や瞳の色と同じ宝飾品を恋人や婚約者に贈るのはよくあることだ。以前このに店にユリを連れて来て指輪を誂えてもらっているので、リーズもそのつもりでいるのかもしれない。
「こちらのトパーズが若君のお色に一番近いようですね。この大きさがあれば、大抵の品に加工は可能でございます」
「あ、ああ…そうだな…」
正直、レンドルフは石を見せられた瞬間にユリに贈ること以外考えられなくなっていたのだが、あまり何の理由もなく押し付けては迷惑になるのではないかという考えも頭をよぎる。幼い頃から色々と大量に贈り物をしては母や義姉に叱られている父や兄を見て来たので、まだそんな関係でもないユリに対しての加減が分からないのだ。ただ、ユリは元からピンク色を好んでいるのか、身に付けるもののどこかにピンク色を差し色として使っていることが多い。目の前に並んでいる石はユリの好みに合いそうな気もした。
「取り敢えず、今回は遠慮しておくよ。また機会があったら依頼するから」
「はい、いつでも承ります」
レンドルフはそう答えながら、頭の中では近いうちに何か贈る機会はないものかな…とグルグルと考えていた。
そして箱に蓋をして終了したように見せながらも、リーズはこれらの石は当分店頭に出さずに保管しておこうと考えていた。彼にはきっとレンドルフがこの石の加工を注文して来るに違いないという確信があったのだ。クロヴァス家の男衆の性質は、当人のレンドルフ以上に良く知っているリーズだった。
その話が終わるとほぼ同時に包み終えて、マットな質感の黒色の手提げ袋に入れて作業が完了した。
「ありがとう」
レンドルフはそれを両手で大切そうに受け取ると、リーズや他の従業員に見送られて待たせている馬車に戻って去って行ったのだった。
その翌日、リースの元にレンドルフからの宝飾品の注文依頼が入ったので、やはり予想通りだったと思わず笑みを深くしてしまった。そして最もレンドルフの髪色に近かったピンクトパーズのピアスを制作すべく、デザイン部門に発注書を回したのだった。
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式典用の勲章について
そもそも式典用に少し大きな勲章を着けるようになったのは、単に儀式中に見栄えが良いからというのと、授与された者がこの先資金繰りなどに困った時に大きい方を売って足しにしなさい、という意味から作られるようになった背景があります。
そこに刻まれている名前を騙って、いかにも自分が褒章を受けたと主張するのは罰せられますが、質草にしたり売り払うのは無問題です。いっそ溶かして再加工しても問題なし。
勲章と国の紋章入りの箱とセットだとよりお高く売れるので、箱を替える人はあまりいませんが、別に禁止されている訳ではありません。