46.【過去編】大公家別邸にて
大公家別邸の応接室に通され、一同は落ち着かない面持ちで当主のレンザが来るのを待っていた。
ステノスを除く全員は彼とは面識はあったが、こうして正式に屋敷に通されるのはまだ二度目であった。それは今から五年程前、タイキの体質をアスクレティ家で調べさせて欲しいと申し出があった時だった。
アスクレティ家は、平民の間でも名を知らぬものはいないくらいにこの国では有名な貴族である。特に医療や薬草などの研究で名を馳せていて、安定した品質の回復薬が国のどこにいても手に入れることの出来る薬師ギルドの制度を作った家としても知られている。
しかしその半面、貴族の権利を行使して怪しげな実験を行っているという噂も絶えない。
タイキが現在この国で確認されているただ一人の竜種の血統であることに目を付け、彼を実験体に利用するのではないかと危惧していたこともあって、最初はミキタ達も警戒していた。だが、実際レンザから直接提示されたのは、定期的な健康状態の確認と体質に合う薬の開発協力で、それと引き換えに本人と家族の安全を陰ながら保証するというものだった。
最初のうちはミキタ達も何か裏があるのではないかと反対の姿勢を示していたが、当のタイキがその条件を呑んだのだ。まだ幼い頃だったので話の半分も理解してなかったのかもしれないが、レンザの言葉に嘘はないと理解したのだ。当人が承諾しているし、何より国内では王族を除けば最も位の高い貴族を敵に回すことも避けられる。いざとなればミキタはタイキを連れて国を出る覚悟もあったが、逃げた先でも再び貴族に狙われない保証もない。
現在は年に一度のタイキの健康診断と、タイキ用の新薬が開発されたときの試用の義務だけで、タイキはほぼ自由に過ごせていたのだった。
「やあ、呼びつけておいて待たせてしまったね」
レンザが部屋の入って来ると、全員立ち上がって最敬礼の姿勢をとった。そのままミキタが代表して挨拶を述べようとしたが、レンザは「いつもの通り楽にして構わないよ」と気さくに笑っていた。既にこのやり取りに慣れているステノス以外はすぐに従ったが、ステノスはどことなく戸惑っているような居心地の悪そうな様子を隠せていなかった。
「今回は、タイキの件で大変ご迷惑をお掛けしました」
「まあ全員無事で何よりだったよ。今回の件は私も後手に回ってしまったからね。少々手間取ってしまった」
「いいえ、タイキを保護していただいただけで十分でございます」
「そう言ってもらえると助かるよ。……少しばかり今回の顛末を説明しておこうか」
「……あの、御前。…その、タイキは…」
ゆったりとソファに凭れ掛かって説明をしようと口を開きかけたレンザに、恐る恐るではあったがミスキが口を挟んだ。大公の話を遮るなど、いくら日頃から畏まる必要はないと言われていても物事には限度がある。一瞬ミキタ達の間にヒヤリとした空気が流れたが、レンザは少し困ったような笑みを浮かべてミスキを見た。彫りの浅い顔立ちのせいか、レンザの表情は普段からあまり変化が分かり難いのだが、珍しく表情に出ていた。
「彼は怪我もないし、健康そのものだよ。気持ちは分かるが物事には順序があってね。少しだけ我慢してもらえないかね」
「……はい。申し訳、ありません」
「構わないよ。君が彼のことを大切に思っているのは良く知っている」
頭を下げたミスキに、レンザは少しだけ声を和らげた。
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「まず、初めまして、だね。ステノスくん」
「お初にお目にかかります。わたくしはしがない平民ですので、どうぞステノス、と」
「ではステノス。君は、とある侯爵家の子飼いの諜報員だね」
「……!」
いきなりサラリと核心を突かれて、ステノスもさすがに一瞬息を呑んでしまった。それはもう答えたことと同じことだった。たちまちステノスの背中に嫌な汗がジワリと浮かぶのが分かった。
「ああ、家名を出さないのは同席している彼女達に差し障りがあるからね。こちらではきちんと把握しているよ」
「は…」
「君は優秀な諜報員ではあるが、自分のことについては少々無頓着なところがあるようだね。優秀過ぎるが故に、あの者は脅威を感じていたようだよ」
味方でいるうちはいいが万一ステノスが裏切った場合を考えて、雇い主の侯爵はステノスの弱点を探っていたとレンザが告げた。
ステノスは最初に侯爵家の諜報員として仕える際に、守秘の誓約魔法を交わしていた。余程のことがない限り誓約魔法さえあれば、敵の手に落ちてどんな拷問や自白剤を使われても誓約を交わした内容は絶対に漏らすことはない強力な契約だ。それを交わしたのだから、その点は信頼は得られているかと思ったのだが、相手はそうは思っていなかったようだ。
その話に、ステノスは胃の辺りに鉛のような重さと不快感を覚えた。比べては行けないと思いつつ、かつてステノスが生涯をかけて仕えようと誓っていた今は亡き主人のことが思い起こされてしまった。彼の主人は、誓約魔法などなくても側近と深く信頼関係を築いていた。
「そこで、あの者は君が定期的に報告を上げさせていた者達に目を付けたようだ」
「…!それは…」
「あいつはアンタが寄越していたのかい」
レンザの話を聞いていたミキタがステノスに目を向ける。
諜報員として王都で過ごすようになって、ミキタ達はどうしているのかと気になった。しかしステノスは自分が直接遠目からでも確認しようとすればミキタに筒抜けになってしまいそうだったので、情報屋を使って定期的に様子を調べるように依頼していたのだった。
「…気付いてたのか」
「そりゃ随分と下手クソな情報屋だったからね。毎月同じ日に店に来てたし。仕入れ先への支払いの前日だったから、いいカレンダーにはなってたけどさ」
「あのヤロウ…」
「ただちょいとこっちのことを調べているだけで特に何をしたいのか読めなかったから、何か動きがあったら叩き潰そうと思ってたけどね。それに本当に厄介な相手だったら御前が手を打った筈だし」
初めの頃は相手の意図が読めなくて不気味に思ってはいたが、特に怪しい動きをして来る者はいなかったので、何かあるまで放置しておいたのだった。ある意味、直接動いたらすぐにミキタにはバレるというステノスの勘は正しかったのではあるが。
「そうだね。私も君が厄介そうなら何らかの手を打ったけれどね。ただ君はロマンチストなだけなようだったから放置していた。だが、まさかその先にいるあの者が目を付けるのはさすがに予想外だったよ」
基本的に子飼いの諜報員とは誓約魔法を交わしたら、余程のことがない限り弱みを握ってまで警戒する必要はない筈だ。その意識があった為に、さすがのレンザもその先のことまで想定していなかったのだ。
しかし、その侯爵はミキタ達がステノスの弱点と思い、ステノスが雇った情報屋に同じ情報を流すように依頼した。そしてその中でタイキの存在を知ったのだった。タイキを自陣営に引き込むことが出来れば、ミキタのような腕の立つ者達も付いて来る上に、ステノスへの足枷にもなると考えたようだ。それにタイキは非常に希有な存在でもある。使い道はいくらでも思い付いただろう。
「…じゃあ、今回タイキが攫われたのは元はと言えばアンタのせいか」
そこまでの話を聞いて、ミスキが凍るような冷たい声と、ゴミでも見るかのような侮蔑の目でステノスを見つめて来た。
「まあ、結果的にそうなりますね…」
ステノスは他に言いようがなくて、そう答えるしかなかった。ミスキが今まで聞いたことのないような低い声で「外すんじゃなかった」と呟いていたのを、ステノスの耳はハッキリと聞き取っていた。
ステノスは単に情報を得ていただけなので、疑心暗鬼に取り憑かれた侯爵が元凶でもあるのだが、簡単に情報を横流しするような情報屋にずっと依頼し続けていたことにステノスの慢心もあった。一応何かミキタ達に変化があったら報せるように、とは依頼の中に含まれてはいたが、まさかタイキが間違って捕らえられたという重大事項を通常の定期連絡と何ら変わらない封書で送って来るとは思っていなかった。
そして忙しさにかまけて、いつもと同じだろうと思い込んで報告確認を後回しにしていた怠慢もある。ステノスは、完全に自分は悪くないとは言い切れなかった。
「あの者は、わざとノーザレ夫人に情報を流して焚き付け攫わせておいて、領地に運び込んだ後に理由を付けて助け出す計画だったようだよ。誘拐犯に酷い目に遭っていたところを助け出した恩人としてね」
「自作自演?ヤダ、気持ち悪い」
クリューは思わず本音が漏れてしまったようだった。ブルッと身震いをして、自分の二の腕の辺りを擦っていた。
タイキの感知能力を持ってすれば、そのような自作自演には気付けただろうが、侯爵側にはそのことまでは知られていなかった。最終的には破綻した計画ではあるのだが、それでもタイキがノーザレ夫人に酷い目に遭わされる前に救出出来たことは不幸中の幸いではあった。
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「今回のことを踏まえて、少し彼に対する認識を改めた方がいいと私は思っている」
タイキのことは、下手に存在を秘密にしてこっそり攫われて非人道的な研究や政治的利用などをされないように、アスクレティ大公家が気に掛けている珍しい血統の混血と公表はして来た。しかし、今回のように亡くなったことを偽装して攫おうとすることが可能であると分かってしまった。今回は偶然にも似た外見の孤児が流行病で亡くなったことで摺り替えが行われたが、本気で攫おうと画策する者はもっとそっくりの死体を作り出すことも厭わないだろう。
「提案としては二つだ。一つは、完全に大公家の庇護下に入って世俗と離れた生活をすること。もう一つは、もっと有名になってしまうことだ」
「なっ…」
「一つは分かりますが、もう一つの『有名になる』とは…?」
レンザの提案に、一瞬ミスキは言葉を失った。それを見てミキタの方がすかさずレンザに尋ねた。
レンザの提案の一つ目は、今のように市井である程度の後ろ盾は受けつつも自由に暮らす生活から、完全にアスクレティ家の庇護下に入って護衛に囲まれて暮らすことだ。勿論生活はアスクレティ家で保証するので衣食住には不自由はないだろうが、その代わり安全と引き換えに行動は極端に制限される。
そしてもう一つの提案は、逆にいっそもっと大々的に存在を知らしめて、どこに行っても誰かが気付くような有名人になってしまうことだった。誰かが身代わりを用意して密かに攫ってしまおうとしても、世間に顔が知られていればそれは非常に困難になる。それに敵の敵は味方、の形で、誰かがタイキをこっそり囲おうとしても、別の者がそうはさせまいと妨害を企てる筈だ。
「平民が有名になるのに手っ取り早いのは、腕の立つ冒険者になることだろうね。ギルド内、冒険者の間、そこだけでも名が売れれば大分違うだろう」
「タイキを、冒険者に…?」
「勿論、彼が望めば、だけどね」
タイキも幼い少年らしく、人並みに冒険や騎士などの強い者に憧れている気持ちがあったのをミスキはよく知っていた。ミスキもかつてはAランクの冒険者に憧れを抱いていた。しかし、憧れだけでは簡単になれるものではないことも嫌と言う程知っている。
「しかし、有名になるまでどれだけ…」
「別に個人でなくともいいだろう?パーティとして有名になっても同じことだ」
レンザはそこまで行って、バートンとクリューに目をやった。この二人は現役の冒険者として登録している。古くからの付き合いだけにお互いに組むことは多いが、正式なパーティではない。
「あー、ワシらと組ませる、と?」
「ベテランの二人は新人教育に長けていると聞き及んでいるがね?」
「…そぉ、ねえ…」
クリューはチラリとミスキを横目で見る。まだ新人冒険者だった頃、ミスキに冒険者の心得や基本的なことを教えたのは他でもないクリュー達だ。他にもギルドからの依頼で新人を教育した経験は豊富な方だ。
「御前。あたしはタイキに自由に自分の道を選んでもらいたいです。その二つだけでなく、もっと選択肢はあの子にはある筈です」
「それも構わないよ。私としても未来ある若者には沢山の選択肢をあげたいと思っている」
「でしたら…」
「しかし、多くの未来の選択肢を焼き尽くすような災禍になるなら、私が火種のうちに消す。それは覚悟しておくことだ」
一瞬で顔は笑っているのにレンザの目からスッと光りが失せ、覗いてはいけない昏い闇が垣間見えた。その場に居た全員が、一斉に背中に悪寒が走るのを感じていた。
「まずは当人から今後の話を聞いてから考えることにしようか。一度面倒を見ると約束しているからね。大公家は今後も可能な限り後ろ盾になろう」
「…ありがとうございます」
「時間を取らせて悪かったね。彼の元へ案内させよう」
部屋の隅に控えていた従僕に合図を送ると、彼はミキタ達を伴って部屋を後にした。
「ステノス。君は私ともう少し話をしようか」
彼女達の後に続くべきか一瞬躊躇したステノスに、レンザが微笑みかけて来た。その様子に、ステノスは更に背中に冷や汗が流れるのを感じたのだった。