476.あちこちの溜め息
レンドルフが永年正騎士の証を得たという話が広まると、次々と祝いの書簡と品物が届けられて、あっという間に部屋が埋まってしまった。さすがに寝る場所がなくなると困るので、今は空き部屋に特別に置いておくのを許可されていた。しかしそれでも期間限定で、その間に確認をして片付けなくてはならない。
レンドルフとしては急にこんなにあちこちから反応が来てすっかり困惑していたのだが、近衛騎士を解任された時の抗議と引き抜きの打診を代わりに受け取っていたレナードからすると予想範囲内だった。今回は祝い事なので、レナードを経由せずに直接レンドルフが受け取るようになっただけの話だ。
緊急の任務が入った時に備えて王城内で過ごさなくてはならない待機休暇の本日は、レンドルフは朝から空き部屋にこもってせっせと荷解きと贈り主のリストを作成していた。運び入れてくれた事務官が、食べ物とそうではないもので分かる範囲で分けてくれていたので随分助かっていた。中には日持ちしないものなどもあるので、食べ物の方を優先的に開封して行く。
「果物は食堂に任せるか…またワインか。これはタウンハウスだな。これも…これはいただこうかな。…いや、ちょっと食べ過ぎか…?」
送られて来る相手は、身内だけに限らず、学生時代に同じ学年だったが専門科目が違っておそらく片手の数くらいしか話したことがない者や、過去に一度共同遠征に行ったことがある者、任務で一度だけ護衛に付いたことがある者など、レンドルフ自身が繋がりすら忘れていた人物や家門まであった。さすがに貴族の機微に疎いレンドルフでも、名誉な証を得た自分と繋がりを持とうとしているのくらいは分かる。それを全て受けていては厄介事にしかならないので、礼を欠かない程度に無難な返信をしなくてはならない。
レンドルフは副団長時代に得た伝手を利用して、自分の文字をそっくりに真似て代筆を請け負ってくれる文官に礼状を任せることにしていた。勿論彼も仕事があるので、その合間にやってくれるように特別手当てを支払うのは既に取り決めてある。
こうした代筆や書類仕事を空いた時間で副業として有料で引き受けてくれる文官はそれなりにいる。何せ騎士団の人間は事務仕事が不得手な者が多く、金銭を支払ってもいいので任せたい騎士が多いのだ。地位が上がるとそういった事務仕事を引き受けてくれる補佐官を付けてもらえるので、それを目標に必死に出世を目指す騎士も一定数いたりする。
レンドルフも副団長時代に付いてもらっていた補佐官が、自分にそっくりな文字といかにも書きそうな文章を綴ることをマスターしていたのを知っているので、今回は全面的に丸投げすることにしたのだ。しかしそれには、誰が何を贈って来たかを一覧にして渡さなければならない。あまり間を空けては相手に失礼なので、とにかく急いで確認をする必要がある。
「うわ、すっかり忘れてたな。やり直すか…」
レンドルフは積み上げた食べ物の入っていそうな箱を片端から開けていたのだが、その途中で母方の伯父から贈られて来た最上級品と名高い店のジャムの瓶と共に添えられていた手紙に「贈られて来た品は、必ず王城魔法士の鑑定魔法を通しなさい」と赤いインクで注意喚起が書かれていたのだ。
かつてレンドルフが副団長に抜擢された時にも、ここまでではないがそれなりに祝いの品が届けられた。その時は補佐官が中を確認してくれていたのだが、その中には無記名だったり家族の名を騙ったりした嫌がらせの品が数点含まれていたのだ。命に関わるような物はなかったが、それでも被害がなくて良かったと安堵したものだった。
今回はレンドルフが永年正騎士の資格を得たことは大々的に新聞に載せられたので、会ったこともない愉快犯が紛れている可能性も高くなっているだろう。特に食糧品は食堂に差し入れようと考えていたので、一度念入りに鑑定してもらうべきだと迂闊な自分を戒めながら、レンドルフは手にしていたリストを躊躇いなく破棄した。
思わぬ幸運よりも、それに付随して発生する悪意と対応する手間を考えると、いっそ金貨だけにして欲しかったとレンドルフはまだ未開封の箱の山を見つめて溜息を吐いたのだった。
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「ああ…何て美味しいの…」
ユリはサラダの上に乗ったチーズを噛み締めながらほう…と溜息を漏らした。
完全に免疫機能が戻っていなかったユリは、食べ物の制限が一部あったのだが、今日の主治医セイナの診察でようやく解禁の許可が出たのだ。一応、いきなり食べ過ぎないように、としっかり釘を刺されたが。
その中の一つであったユリの好物のフレッシュチーズも食べられなかったのだが、許可が出てすぐに食事に出してもらった。塩気の薄い新鮮なチーズは存分にミルクの風味を残していて、シャキシャキとした葉野菜と細かく砕いたナッツにオイルと塩だけのシンプルなサラダの味を引き立てていた。
「明日から調薬も開始していいのよね。何から作ろうかな」
「お嬢様、ご無理はなさいませんよう」
「分かってる。まずは手始めに、基本の触媒作りにしておくから」
まだユリの魔力は一部不安定なところもあったが、このまま治まらない可能性も出て来たので魔力制御の魔道具の方を調整した。今後はこまめに魔力の流れを鑑定してもらいながら、適宜魔道具を調整する方向になったのだ。そのおかげで、調薬の方も解禁となった。
「あ、そうだ牡蠣の手配も」
「それはもう既に料理長に話をしております。お嬢様、少し落ち着いてください」
「だって色々とやることが溜まってて」
あっという間にサラダを平らげたユリは、浮かれているのかいつもよりも落ち着きがなかった。今日はレンザも不在で、広い晩餐の間ではなく一人の時に使っている小さな部屋で食事をしている。ユリが一人の時は側にいる使用人も最低限で、ワンプレートにしたり一度に皿を並べたりしてそれほど豪華な食事ではない。淑女教育でマナーも一通り学んでいるが、もともと社交はする必要はないし、いつか市井に降りることも見越して行っていることだ。
「そろそろ傷薬も納品したいし、せっかくマサキ小父さまに紹介するんだからソイベースのスープとかも作りたいし」
「無理は」
「禁物でしょ。分かってます!」
口ではそう言いながらも明らかに浮かれたテンションなユリに、ミリーはそっと気付かれないように溜息を吐いたのだった。
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その日の騎士団の食堂は、フルーツがたっぷり挟まったサンドイッチが置かれていた。これは好き嫌いが分かれるので、食べたい者が自由に取って行くスタイルで食堂の隅の台の上に並べられていた。しかしこれは普段なかなか口に入らないような高級な果物と、それに釣られたシェフ姉妹の気合いの入ったカスタードクリームがふんだんに使われていて、余程甘い物が苦手な者ではない限り次々と皿に盛り付けていた。
このフルーツは、レンドルフの祝いの品の中に入っていたのを食堂に差し入れたものだった。王家主催の夜会にも使用される有名なペアーマン男爵領のフルーツで、レンドルフは全く面識がないので一瞬警戒したのだが、贈り主は以前一時的に主人と使用人の関係だった人物からだった。レンドルフが長期休暇中に魔獣の定期討伐に参加していた際、その期間だけ使用していない子爵家の別荘を仮住まいとして過ごしていた。その時に臨時で使用人として雇われて働いていた者が、その後ペアーマン男爵家に高待遇で採用されたと聞いていた。
その時は特に身分は明かさずに「レン」と名乗っていたのだが、そう隠していた訳でなかったのでどこかでレンドルフのことを知ったのだろう。今の主人である男爵に頼んで、わざわざ手配してくれたのだ。ほんのひと月くらいの主従関係だったが、こうして祝ってもらえることが嬉しく、彼らにはレンドルフが直接礼状を書いた。
王都でもよく口にするものと同じとは思えない程に味の濃いフルーツは、どっしりとした甘みの強いカスタードクリームに負けていない。むしろ甘みのないキメの細かいパンに挟むことで、より上品さが際立つようだった。レンドルフは王族にも出せる程の美味しさに舌鼓を打ちながら、彼らと繋がりを作ってくれたユリの祖父「アレクサンダー」と、紹介してくれたユリに感謝を捧げたのだった。
「これもレンドルフ先輩の差し入れですか?」
「ああ。やっぱりここに渡して正解だった」
「それならもっと主張してもいいのに」
「いや、これ以上目立つのも面倒だからな」
「そうですか…まあ、そうですね…」
レンドルフの向かいで両手でフルーツサンドを持って大切に少しずつ味わっているショーキが、声を潜めて尋ねて来た。レンドルフも周囲に聞こえないように小さな声で答える。
王城騎士団内にある食堂は、王城で夜会などがあった際に余った食材や料理などが下げ渡されることがある。日々のメニューは決められているが、臨時で使える食材が入ると追加で内容が豪華になったり一皿おかずが増えたりするのだ。他にも、実家から大量に収穫物が送られて来て扱いに困った騎士から持ち込まれることもある。その場合、シェフ姉妹が差し入れた人物の名前を張り出してくれるのだ。そういったことで騎士団内の人間関係が円滑になることもあるからだ。
しかし今回レンドルフは敢えて名前を出さないようにしてもらった。それならばタイミング的に、先日の受賞式典で出された料理の残りだと思われるだろう。ただでさえ「王国史上最年少」の永年正騎士の資格を得てしまって注目をされてしまったのだ。これ以上株を上げるようなことをすると、却ってやっかみを受けやすくなってしまうので、それは避けたかったのだ。
「あの…ところであんなにすごそうなワイン、僕がいただいちゃっていいんです?」
「ああ、勿論。身内だけでこっそり楽しむというのだけ頼む」
「それは絶対守ります。それにもうラベルは剥がしてあるので、一本ずつ持ち帰ることにすれば家族であっという間に飲み切ります」
「却って面倒をかけたな」
「いえ!そのくらいどうということありません。ありがたくいただきますね」
自分がクロヴァス領に行ったことで色々と負担をかけてしまった部隊の仲間には、後で正式に礼をするとして、ひとまず届いた贈り物の中からワインを見繕って渡していたのだ。渡したのは、当然鑑定で問題がないと確認しているものの中でも、あまりレンドルフとは交流のない家門から贈られたものを中心に選んでいた。これを大っぴらに騎士団に寄贈してしまうと、どこから贈り主に漏れるか分からないからだ。いくら交流がなくともこれからを期待して贈っている以上、レンドルフが口も付けずに別のところに寄贈したと聞けば相手も面白くないだろう。その為、身内や縁戚などから贈られたものを騎士団に寄贈して、それ以外のものはタウンハウスに送って使用人達で楽しんで構わないと伝えていた。
それでもかなりの本数であったので、身内だけで楽しんで欲しいとショーキ達に特に上等な品を渡すことにした。ベテランのオスカーやオルトはその辺りの機微を心得ているのですぐに受け取ってくれたが、そういったことを知らなかったショーキは随分と恐縮していたのだ。
「ショーキ…その後の指の経過は…」
「結構慣れて来ましたよ。僕の魔力に影響も少ないですし、もうすぐ実戦にも出られると思います」
「そう、か」
「やだなあ、レンドルフ先輩。僕もこれで一端の騎士になったみたいだし、ちょっとカッコいいと思ってるんですよ?」
何事もなかったように答えたかったレンドルフだが、どうしても言葉が詰まってしまった。ショーキはそんなレンドルフに、全く気にしてない様子でヒラヒラと手を振って見せた。
ショーキの左の中指と薬指には黒の革製のカバーが着けられている。これは筋が断裂してもう完全回復しないショーキの指の筋力を補う魔道具だ。義肢にする程でもないが生活に多少影響の出るような怪我をした者の医療用補助具として開発中のもので、一般人だけでなく様々な職業の者から被験者を募りたいと王城に設計図が提供されて、条件が合致したショーキが被験者の一人として選ばれたのだ。おかげで調整なども含めた使用料は全て開発者の後援をしている複数の貴族から支払われていて、ショーキは定期的に検査をするだけで無料で利用出来ている。
「この前なんか甥っ子が真似して指をインクで黒く塗って、姉に拳骨喰らってました。でも『にーちゃんカッコいい!』って言われるんで、良いことずくめです」
「そうか。それなら良かった」
ショーキの目からはレンドルフの表情はどう見ても「良かった」ようには映らなかったが、そのことは敢えて指摘せず、どこまでも優しい先輩に対して申し訳なくも思って心の中でそっと溜息を吐いたのだった。