474.誤解の石
「最近、有名な『石狂い』伯と呼ばれる方が、稀少な石が世に出たと言い出しましてね」
晩餐も終盤を迎えてデザートがサーブされると、マサキは満を持したかのように目を細めてそんな話題を口にした。その視線は、カトラリーを手にしたユリに注がれているようだった。
「ほう。それは一体どのような?」
「そこまでは教えていただけませんでしたが、石狂い伯が開発した石魔法は相当な石でないと反応しないと聞いていますから、それこそ国宝級…かと」
世の中には「石狂い」と呼ばれる稀少な鉱石に異常に執着する集団がいる。その大半が金に糸目を付けずに入手出来る程の資産家で、一度目を付けられたらどんな手段を使ってでも手に入れると言われていた。
その中でも有名な「石狂い伯」と呼ばれる某国の伯爵家当主は、自身のコレクションにない稀少な石が売買されると、硬貨と連動して世界中のどこであっても報せが入るような魔法を構築したのだ。場所までは特定出来ないが、その時に売買された経歴を追えば時間は掛かっても必ずその石に辿り着くと言う執念の塊のような魔法だ。
ユリはマサキが見ているのが自分の指にある「エルフの瞳」だと気付いて、一瞬隠したくなるような気持ちに駆られたが、そこはグッと堪えて何事もなかったような顔をしてデザートのチーズテリーヌにナイフを入れた。
「とは言え、高額で売買された石を片端から調べても未だに見つかっていないそうですよ。もしかしたら稀少過ぎて誰も気付かず、二束三文で売られたのではないか、とか」
「それではいくらその方でも見付けるのは不可能ではありませんか?」
その探している石は、どう考えてもレンドルフがうっかりとしか言いようのない状況で手に入れた国宝級の「エルフの瞳」のことである。ユリは動揺を悟られないように小首を傾げて無邪気を装うように尋ねた。
「いいえ。彼はそういった石にアタリを付けて、シラミつぶしに探りを入れたらしいです。けれどそこに辿り着く直前でそのルートがプツリと途絶えた」
「まあ、不思議ですね」
こうした「石狂い」から執着されるのを避ける為に、稀少な石を扱う際に鑑定上書きの付与を施すことを勧める宝石商が最近は増えている。これは最初の段階で正確な鑑定書を出してもらった後に、別物の石の情報を上書きするのだ。こうしておけば許可なく違法な鑑定魔法を使用されても、本当の鑑定結果が相手に伝わらずに済む。そうやって盗難やしつこい買い取りなどから守るのだ。何らかの事情でそれを手放す際は、最初の鑑定書を提出すれば本来の価値で扱われるようになっている。
少し前までは鑑定魔法を阻止する付与が一般的だったが、むしろ鑑定が出来ないことで稀少だという目印になってしまった為に現在は上書きが主流になりつつある。
ユリの指輪も同じように盗難防止で上書きしてある。おそらくそのおかげで石の行方が追えなくなったのだろう。ユリは内心つくづく勧められたままに付与しておいて良かったと安堵したのだった。
「当初は何が何でも探すつもりのようでしたが、最近は『選ばれなかった』と諦めたと聞いています。何でも、本当に稀少な石は自ら持ち主を選ぶという運命的な意志が働く、そうですよ。ああ、姫君を怖がらせるつもりはありませんでした」
「…いいえ。興味深い話をありがとうございます、小父さま」
ユリとしても、レンドルフの瞳によく似た色合いの石は、金額や価値に関係なく手放す気は更々ないのだ。諦めてくれたのならそれに越したことはない。
「…少し妬けるね」
「はい?」
不意にポツリと呟いたマサキの声は、小さ過ぎて最も遠い席に配されていたユリには聞き取れなかった。その代わりにレンザには聞こえたのか、薄く眉間に皺を寄せた。
「大公閣下。この後私に姫君と少しだけ話をする許可をいただけますか?」
「この場で話せないことか」
「そうですね。盗み聞きされるのは構いませんが、閣下のお顔を拝見しながらというのは」
「ユリはどうするね?」
ユリは話を振られて、少しだけレンザとマサキを交互に見つめた。マサキの様子はいつもと変わらないようにも思えたが、僅かにその表情に真剣なものを見たような気がした。話の流れからすると指輪の話だろうかと考えてから、ユリは軽く頷いた。
「…二人きりでないのでしたら」
「部屋を準備させよう」
「感謝いたします」
マサキはやや大仰な程丁寧に頭を下げて、デザートには手を付けずに最初に振る舞われたワインの追加を給仕に頼んだ。その様子からは、先程微かに感じた真剣な気配は霧散していた。
ユリは一体何の話だろうと思いながら、料理長自慢の甘さ控え目のチーズテリーヌを口に運んだ。少しだけ塩で炒った香ばしいナッツと、オレンジとレモンの良いところを取ったような香りと酸味のバランスが良いリモネラがあっさりした風味のチーズをより爽やかにさせる。チーズが好物のユリでもデザートには重いかと思ったが、これならばいくらでも食べられそうだった。隣に添えられているベリーのコンポートは、使われているワインの風味が豊かに香る。
ゆっくりとデザートを味わっているユリを急かすでもなく、マサキはレンザと今後の貿易品についての話をしていた。
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近年は安定したと言ってもミズホ国との交易は長い船旅であるので、どうしてもやり取り出来る品物は限られる。時間を停止する時魔法と空間魔法を合わせた魔道具などで大容量の荷運びをすることが出来ないかと昔から論議が交わされているが、それを許可すると誘拐や違法な武器の売買などの犯罪の温床になる危険が高いとして、どの国でも一定以上の容量のものは登録された国内以外では付与が無効になるよう定められている為に実現していない。
国境を越えて荷を運ぶ場合は、予め申請を出して同容量のものを国境で用意してもらい、役人の監視のもと入れ替えることが必須なのだ。ただこれはあくまでも容量の大きなものなので、レンドルフやレンザに渡した薬瓶一本程度を格納するタッセルならば登録も入れ替えも必要はない。
これは陸路であれば問題はないが、ミズホ国は海に囲まれた島国だ。海上で船の容量以上の荷の入れ替えを行うことは現実的ではない。
ミズホ国の交易品の大半は、独自の環境で進化を遂げた薬草が殆どだ。そして他国とは根本から違う医療技術もある為、医薬品もメインの一つだ。他に新しい交易品を加えたいところではあるが、どうしても薬草と医薬品は外せない。その隙間に乗せる積み荷をどうするかが話し合いの主題だ。
オベリス王国側から送る品は、小麦をメインにしている。ミズホ国はコメを主食にしているのでコメの自給率は高いが、他の作物の育成にはあまり適していない。地形的に農耕に向いている土地が少ないため、食糧関連はかなり輸入に頼っているのだ。更にオベリス王国は学園都市を有する強みを活かして、各国から集まって来る書物を翻訳して一部輸出していた。
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「最近では携帯食の開発にも力を入れていてね。今は粉末のスープや紅茶などが中心ではあるが、今後は具材入りの煮込みなども視野に入れている。まだ我が国でも試作段階だが、今回は紹介がてらスープ類を無償で提供しよう」
「ほう、それはありがたいことです。船乗りの食事は重要ですから。嗜好品としてコーヒーなどもあるとありがたいのですが」
「確かコーヒーも試作していたね」
「は、はい」
まさか自分の薬草採取の時や、レンドルフが遠征先で栄養のある美味しいものを食べられるようにせっせと開発に勤しんでいた粉末スープが交易品の一つとして紹介されるとは思っていなかった。まだ国内でも採算が取れるような段階ではないのだ。ユリはしばらく呆然として話を聞いていたのだが、不意にレンザに話を振られて思わず言葉を詰まらせてしまった。
「姫君が開発を?何と素晴らしい」
「い、いえ…まだまだ商品化するには遠いのですわ。ええと…コーヒーは特に一杯分の単価が豆よりも高くなってしまって」
「それは残念ですな。紅茶ならば?」
「そちらならば既に商品化も出来ております。今は北部を中心に甘い紅茶やミルクティーの販売をしております」
「では、そちらも出来ればお願いしたい。船の上なら甘い物があるだけでいい娯楽になる」
それから幾つかユリが作ったスープの紹介をすると、マサキは随分乗り気なようで、出来れば全ての味を試したいと希望して来た。
「味付けはこちら風だが、使えるのであれば商品よりも製法の提供の方が向いているかもしれないな」
「そうですね。我々は大陸の味に慣れていますが、国から出る機会のない者はなかなか頭が固い。国内でも隣り合う領地で、芋料理の味付けをソイかソイペーストかで争いになったなどという歴史もあるくらいなのですよ」
「そこはそちらに任せるよ。製法の提供の場合は窓口はユリになるが、それでいいかな」
「勿論です。美しく可憐でありながら素晴らしい才をお持ちの姫君に心から感謝を」
「そ、それほどでもありませんわ…」
大公家の資産を自由に使って予算を考えずに開発していたので、そこまで褒められてしまうとユリは少々良心が咎める。今のところ趣味の範疇なので大量に食材を使っていないことと、ユリの属性魔法の氷魔法が最も肝心な要素なので、自身の魔力で高価な充填魔石も使いたい放題なのを活かして何とか大きくマイナスにはなっていない程度なのだ。
しかしそれを作る製法を売るのであれば、それを元手に開発をするのは相手の方だ。もし向こうで現状よりも良いものが出来た際に、共有することを条件に入れれば互いの益にもなる。交易は品物だけではないのだとユリは改めて自分の視野の狭さを感じていた。
「さて、もっと姫君の開発秘話をお伺いしたいところですが、そろそろ部屋の準備が出来ましたか」
グラスに残ったワインを一気に開けると、マサキは軽く唇を舐めた。健康に気を遣っているのか、ピンクの美しい色合いの舌が妙に艶かしい。
その言葉に釣られて壁側に目をやると、先程レンザに部屋を準備するように命じられた侍従が戻って来ていた。
「それでは姫君をエスコートする栄誉をいただいても?」
スッと立ち上がったマサキがユリに向かって手を差し伸べた。ユリは一瞬だけ気圧されかけて手を伸ばしかけたが、すぐにレンザに視線を送った。レンザは眉間に皺を寄せてはいたが、僅かに目を伏せて小さく肯首する。ユリが軽く指先だけをマサキの手の上に乗せると、部屋を整えた侍従に先導されて晩餐の部屋から一つ上の階の小さな応接室へ向かう。
慣れた様子でエスコートをするマサキに、ユリはついレンドルフのことを思い出していた。レンドルフとは身長差があり過ぎて、エスコートよりも手を繋ぐ方がしっくり来る。その身長差は親子くらいあるので仕方ない。ユリはレンドルフにこうしてエスコートされたのは変装して一人では歩けない程高いヒールを履いていた時以来だと、何だか懐かしく思い出していた。
そんなことを考えていると、小さくクスリと笑い声が聞こえた。顔を上げると、マサキが見たことがないくらいに優しい表情でユリを見下ろしていた。エスコートを受けている時に別の相手のことを考えているのは失礼になるのだが、マサキも気付いているだろうにむしろ嬉しそうな表情をしている気がした。
「小父さま?」
「姫君の成長がつい嬉しくてね」
「成長?」
「本当に美しい淑女になった。眩しい程で、もう側に寄ることが出来ないくらいだ」
マサキの真意が分からずにユリは問い質そうと口を開きかけたが、その前に応接室の前に到着していた。
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部屋に入ると、テーブルの上にはマサキの好む蒸留酒と、ユリがいつも飲んでいるハーブティーが準備されていて、部屋の隅にはミリーが控えていた。そしてそのままその隣に案内して来た侍従も控える。
「ああ、扉は開けていても構わないよ。それとも、そちらのサイドボードの扉を開いておきますか?」
未婚の男女が密室にいることは推奨されないので扉を開けておくようにするのはよくあることだが、中に使用人がいれば問題はない。それでも敢えてマサキが言い出すのは、疾しい気持ちのなさの現れだろう。そして見事にサイドボードの仕掛けも見抜かれて、ユリは思わず苦笑していた。
この部屋のサイドボードは、隣の隠し部屋から密かに伺うことが出来るような仕掛けのある家具だ。扉も閉めていても話し声は聞こえるのだが、開けておけばほぼ筒抜けになる。一目では分からないように作ってあるのだが、マサキの目は誤摩化せなかったようだ。
「どちらも開けていては冷気が入り込みますわ」
「それは失礼した。レディの体調を思い遣れないとは、あるまじきことでした」
そんなやり取りをしつつ、向かい合わせに座る。すぐにミリーが飲み物を用意してくれたが、彼女が動いた時に微かにユリにはよく知る香りがした。その馴染みのある香りはレンザが愛用している香水で、おそらく隣の部屋に来ているのだろう。ミリーの動きで空気が動き、ほんの少しだけユリに届いたようだ。国内随一の大貴族である大公家当主が何をしているのだと思いつつ、それだけ愛されているのだとくすぐったいような気持ちにもなった。
「さて、今宵はまず姫君に寿ぎを。好き方とのご縁を得たこと、心よりお喜び申し上げます」
「小父さま!?」
「まだ婚約の報は聞いてはいませんが、近いうちにおめでたい話が聞けそうで安心しましたよ」
「そ、そういうことでは…」
「それほどの石を贈れるだけの御仁ならば、閣下もお認めになる日もすぐなのでは?」
明らかに誤解されていることを理解して、ユリはどう説明したものかすっかり困ってしまったのだった。