472.勲章の行く先
『貴族女性はいくら慎ましいと評判でも、平民に比べれば色々とお金が掛かるものですのよ。それが高位であれば尚更』
そう言って楽しげにコロコロと笑っていたオランジュの顔を思い出して、レナードは彼女の手の中にはどれだけのものが握られているのかと思うと少しだけ尊敬と畏怖がない交ぜになったような気持ちを抱いた。
レンドルフの永年正騎士の資格が王太子の強引な王命で決定しただけでなく、何故か報償金も倍額になっていたのでさすがに問い質そうとレナードが財務大臣の執務室に向かっていた途中で、まるでそのことを把握していたのかオランジュに呼び止められた。そして何の為にレナードがそこに行こうとしていたのかも全て知った上で、庭園のガゼボに連れて行かれたのだった。
既にお茶の準備も侍女と護衛も完璧に配した上で迎えられたレナードは、改めて伯爵家の出身でありながら公爵家の財産管理の為に後妻に望まれた才媛の実力を確認した。しかもその後継として第二王子エドワードが臣籍降下するまでの空白期間、公爵が亡き後も家としての体裁を完璧に整えていたのもこのオランジュだ。こうして彼女の裁量で王城の一部で茶会の準備をすることも許されているくらいに王家の信頼も厚い。
そのオランジュから、「ここだけの話」として第二王子エドワードが自分の所有する資産の中からレンドルフへの報償金を上乗せしたことを聞いた。一応これは王族の個人介入として大きく公表は出来ないが、少し調べれば分かる扱いになっていた。理由としては、姪の命を救ってくれた感謝をエドワードが進んで上乗せした、と言う形として記録に残されるそうだ。しかし実際のところは、レンドルフに対する謝罪が主だとオランジュは悪戯っぽい笑みを浮かべながらサラリとバラした。
『うっかり、彼と懇意にしている令嬢を褒め過ぎてしまったのですわ。うふふ、婚約者のいない王子様ですもの。内心穏やかでないのがすぐに分かる余裕のない様子の可愛らしかったこと』
その時のオランジュは心底そう思っているようにしか見えず、一瞬レナードは誰のことを指しているのだろうと聞き返しそうになってしまった。
そしてその上乗せが簡単に許可されたのは、第一王女の解毒薬の素材集めが難航していたのはエドワードの祖父である宰相の一族の中に妨害者がいるのではないかと噂が出ていたからだ。宰相の娘が王妃、孫が王太子側妃とそれぞれ王家に嫁いでいる。しかし王太子ラザフォードも、その長子の第一王女アナカナも宰相の血縁ではない。このままだと二代続けて王位を逃すことを面白く思わなかった宰相側が第一王女を蹴落とそうとしている、と対抗勢力の貴族が噂を流したらしい。
宰相側はそのことが真実であろうとなかろうと、僅かな瑕疵も油断していたら蟻の一穴で崩壊を招きかねない。そう判断した宰相は、第二王子の名義で姪を気遣った形を取らせたのだ。いくら裏で憶測が流れようとも、エドワードが異母兄ラザフォードを尊敬しているのは有名だし、その娘のアナカナとも仲は悪くない。
そこにエドワードが自らの資産から報償金を上乗せしたという事実は、噂など簡単に覆すだろう。
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「まあ、取り敢えずどこから出ようが金貨には罪はない。ありがたく貰っておくんだな」
「…誤解された結果、俺には分不相応な褒章を貰い過ぎじゃないですか」
「そうは言っても返却は出来ないからな。そんなことをすれば不遜で不敬になる」
「う…」
騎士ならば喉から手が出る以上に垂涎の的である永年正騎士の証だ。それを「相応しくない」と申し出れば、それは認可を出した王家の目が曇っていると真正面から言ったも同然だ。
「俺はこれからどうすればいいんでしょうか」
「別に特にすることはないと思うが。もし出世したいと言うならそれなりのポジションに調整するぞ」
「い、いえ!俺はもっと今のところで学びたいです」
「おお。短いとは言え副団長まで行ったヤツが良い心掛けだな」
「世の中は広いことを実感しましたので」
「…そうか」
少々出来過ぎなほどのレンドルフの言葉にレナードは少し揶揄うような軽口で返したが、どこまでも真面目なレンドルフの「らしい」回答にレナードは一瞬だけ真顔になってから深い笑みを作った。
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そもそもレンドルフが学園に入った頃から、レナードとウォルターの騎士団のトップ二人は注目をしていた。レンドルフだけでなく、素質がありそうな騎士候補の学生を注視しておくのは常にしていることだ。その後の成長にもよるが、学生の内からある程度能力を把握しておけば見習い期間を経てどこに配属するかの目安になるからだ。それに領地に戻られるより優秀な学生は一人でも多く王城騎士団で押さえておきたい。
その中でレンドルフは家格は高いがどこかの派閥に属していない完全中立派の辺境伯家で、社交に出ていないので中央でスレておらず、嫡男ならば領地に戻らねばならないが、レンドルフは年の離れた三男だ。それに性格は真面目で周囲への気配りも出来るという、まさに王城騎士団に欲しい人材だった。貴族らしく言葉の裏を読むのは得意でないが、地方出身の貴族にはよくあるタイプなので、騎士であればさほど問題はない。
特に最終学年に上がってから急速な成長を見せたレンドルフに、レナードとウォルターは早いうちにレンドルフを囲い込むことを決定した。既に実戦経験は学園入学前に辺境で十分なほど積んでいる。対人を苦手にしているところも、近衛騎士ならばむしろ襲撃者を生け捕りにする方向を示せば長所になり得た。
却って見習い期間にあちこちを回って妙な派閥に取り込まれてしまうことを避ける為に、異例の見習い期間を飛ばしてウォルターの目が届く近衛騎士団の配属を認めたのだった。
そうやって意図的に純粋培養のように騎士の鑑となるべく育てて、王太子ラザフォードの側に付けた。レナード達の読み通り、年齢も近く真面目なレンドルフとはすぐに気が合って、何くれとなくレンドルフを重用した。特にラザフォードは、レンドルフの周囲には女性の影がないことも買っていたのだろう。そうすると自然に功績を上げる機会も増え、王国史上最年少で副団長にまで任命された。
レンドルフもラザフォードと良好な信頼関係を順調に深め、このまま行けばラザフォードが即位する頃には最も信頼を預ける側近として、王の側を任せられる鉄壁として、国と王家の安寧の為に忠誠を捧げることを期待されていた。
しかしそれが予想外のことで潰えた今となっては、外の世界を知ったレンドルフは多くの選択肢を得た。もうレンドルフを当初計画していた地位に着けることは出来ないだろうというのが、レナードとウォルターの共通認識だ。レンドルフに責はなくとも今更解任された事実を覆すのは難しいし、おそらくレンドルフの性格ならばラザフォードの側に仕えることを望まないことは簡単に予想がつく。仮に王命を下せば近衛騎士に戻すことは強引に出来たとしても、国を率いる国王の周囲は清廉な者が立つ場所でなくてはならない、とレンドルフは固辞するだろう。
レナードとしては、レンドルフに自ら近衛騎士を選んだと思わせてほぼ選択肢のない状況に追い込んでいた自覚はあった。それでも十分な地位と資産は得られるし、決して不幸ではない筈だと思ってはいたが、今のレンドルフは肩の力が抜けて以前よりもずっと幸せそうに見えることが心の片隅にあった罪悪感を軽くしていたのも事実だった。
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「騎士や、騎士のことをよく知っている者はそのありがたみを分かっているが、そうではない者達は『何だかすごい褒美を貰ったらしい』程度にしか思わないさ。お前がいつもと変わらなければ同じ生活が出来るし、もっと地位を上げたければ喧伝して回ってもいい」
「そんなつもりはありませんよ」
「じゃあ、そのままでいればいい。しばらくは煩いかもしれないが、人の興味はすぐに移る。ほんの泡沫のことだ」
「はい…」
まだ納得行っていなさそうなレンドルフではあったが、どうにか呑み込むことにしたようだ。
長年多くの騎士達を見て来たレナードは、永年正騎士の栄誉を得た者も何人も関わって来た。その中でもレンドルフのように予想外に資格を手にしてしまった者もいた。望外の喜びを得てしまった彼らは、ほぼ全員様々な要因ではあったがその後幸福な人生を歩んだとは決して言えなかった。
(だが、こいつならば…)
レンドルフの元の性格も素質もあったが、護ると決めた対象の前に立ちながらも、一歩引いたところで客観的に物事を見る癖を付けるようにレナードもウォルターも教え込んで来た。今の様子を見る限り、栄誉を得たことに有頂天になっているようには思えず、むしろ不安に駆られているようだ。これならば浮かれて足元を掬われることはなさそうだ。
レナードはもうかつてのような不幸をレンドルフで見ないで済むように、これまでの経験を活かして全力で防波堤になろうと既に頭の片隅で策を練り始めていたのだった。
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「ところで、これはほんの興味本位だが…」
「はい?」
引き出しの中に昨日のお茶請けに出されたドライフルーツのチョコ掛けが残っていたので、それをレンドルフに差し出して二杯目の紅茶はレナード自身が淹れた。早速遠慮なく嬉しそうにフルーツを摘んでいるレンドルフに、レナードはゆったりと足を組み直してレンドルフの胸に付けられた永年正騎士の証を眺めた。これは授与式典用のものなので、通常は襟章の形になる。式典で襟章を装着するのは難しいため、形は同じでも少し大きめのものが用意されるのだ。正式なものは後日届けられるので、正騎士の制服を着る際は襟章を付けることになる。
「その、胸のヤツはどうするつもりだ」
「ああ…まだ考えていません。いきなりでしたし」
式典用のものは使うこともないので、大抵は記念品としての扱いになる。悪用されないように特殊な付与が掛けられて所有者の個人登録がされているが、それは成り済ましを防止する為だけで、誰かに譲渡しても質草にしても、極端な話として捨ててしまっても問題はない。とは言え、王族から直接授与される栄誉の証なので、家宝のように扱われることが多い。
「俺が持っていても仕方がないので、実家に送る…とかですかね」
「渡したい相手がいるんじゃないのか?」
「え!?」
「妻子や婚約者に贈る者も多いぞ。基本的に大切な相手に渡すことが大半だったな」
「大切な…」
レンドルフはすぐに誰かを思い浮かべたのか、ほんのりと頬を染めて視線を下に向けた。レナードもレンドルフが思い浮かべたのは、彼と懇意にしている薬局に勤めるユリであることもすぐに予測が付いた。そしてレナードはレンドルフも知らないユリの正体が唯一の大公女であることも把握している。
「いっそそれと一緒に『騎士の誓い』でも立てたらどうだ?」
「いっ、いえっ!俺は国に剣を捧げた…」
「あれは式典用の儀式で、正式なものではないだろう」
「それはそうですが…」
「近衛騎士の頃なら周囲が口を挟んで来るかもしれんが、基本的に『騎士の誓い』は誰と交わそうと個人の自由だからな」
「そ、れは、そうですが…」
王城にいる騎士は見習い期間を経て正式な騎士に任命されると、王城で国王に剣を捧げる儀式が行われる。地方で領主に仕える者などはその領地で行われるが、その規模は各地の領主によって大きく違う。式典を行わないことも珍しくないので、領主から任された上司が任命書を手渡して終わることもある。国内で最も荘厳な儀式が行われるのが王城なので、それに参加する為に任命式までは王城で見習い期間を過ごす者も多い。
年に一度、正騎士を先頭に新たに騎士に任命された者達がホールに並んで、一斉に国王に向けて剣を捧げる光景は神々しく圧巻の一言に尽きる。この時は末席にはなるが平民も参加することが可能なので、平民出身の騎士見習いはこの儀式に参加することを目標にしている者も多い。
その中で行われる儀式は「騎士の誓い」に形は似ているが、人数が多いので神殿が準備する誓約魔法の書類はない。もともと「騎士の誓い」は神殿の協力を得て個人同士が交わす誓約魔法の一種だ。当人が望み、相手も受け入れた場合は体のどこかに揃いの誓約紋が浮かぶ。もしどちらか片方が破棄したり、亡くなった場合は消えてしまうのだ。そこまで強力な誓約ではなく、片方だけでも神殿で手続きを取れば簡単に解除することも、他者が許可なく強い魔法で上書きしても簡単に消失して、当人達にも何ら影響も残らない程度のものだ。こうした個人同士で交わす最も強い誓約魔法は、「魂の婚姻」と言われている。
レンドルフは学園を卒業してすぐの頃と、それから二年後に正騎士の資格を得たときの二回儀式に参加していた。その際に本来ならば実家から祝いの剣が届けられる筈だったのだが、通常の見習い期間を飛ばして任命された為に完成が間に合わず、その後もタイミングが悪く結局レンドルフの剣はまだクロヴァス領に置いてある。
「この証のことは、もう少し考えてみます」
「ゆっくり考えろ。期限がある訳じゃない」
「はい」
その後少しだけ今後の注意点などをレナードから教わって、レンドルフは彼の執務室を後にしたのだった。