471.授賞式典
一段高い場所にいるアナカナの正面にレンドルフが歩み寄り、その場で膝を付く。高い場所にいるアナカナだが、まだ小さいので膝を付いたレンドルフと目の高さが同じくらいになる。
「レンドルフ・クロヴァス。そなたの功績を讃え、永年正騎士の証を与える。報賞として金貨200枚も授与する。受けるが良い」
「…あ、りがたき幸せにございます」
一瞬ではあるがレンドルフが返答に窮したが、何年も護衛の位置で見て来たやり取りが反射的に口をついた。どうにかおかしくない程度に受け答えが出来たので、顔にこそ出さなかったが安堵と同時に見えないところにドッと冷や汗が吹き出て来た。
レンドルフが「この中から選ぶように」と予め受け取っていた目録は、「一代限りの騎士爵」か「騎士団内で部隊長への昇格」或いは「報償金」のどれかだった。騎士爵を選ぶのであれば付随して金貨30枚が付き、部隊長への昇格はそれに見合うだけの昇給と手当てが付く。そのどちらも選ばずに報償金であれば金貨100枚と記されていた。
その中でレンドルフは報償金を選び、既にその旨をレナードに伝えていた。金貨を受け取るだけならばこうした式典に出なくて済むので気が楽だという思惑もあったのだが、何故か前日に招待状をもらい、首を傾げながら参加してみたら目録と違う内容を告げられた。しかしこの場で問い質すことも出来ず、レンドルフは混乱したままアナカナが胸に付ける勲章を手にしたまま近付いて来るのを呆然と見守っていた。
アナカナの小さな手でレンドルフの胸元に勲章のピンを刺す。あまり時間が掛けられないのとアナカナの子供の手では金具が固過ぎてきちんと留められないので、体裁を整える為に胸ポケットに縫うように刺すだけだった。ここで落としてはならないので、レンドルフは騎士の礼の胸を押さえる形を取ってそっと挟み込んで強引に留金に引っ掛けた。微かに親指にチリッとした感触が走ったので針の先端が刺さったようだが、皮膚の分厚くなっている場所なので血も出ていないだろう。
「其方の献身、感謝する。今後はわらわのことは『アナ』と呼ぶことを許す」
深く頭を下げて礼をしながら勲章を留めていたレンドルフの頭上からアナカナの声が降って来た。もう既に以前から彼女から名前、それも愛称で呼ぶことを許されていたが、大々的に公表していた訳ではない。レンドルフが「アナ」の名で呼ぶことを許可していると統括騎士団長レナードに一筆書いて渡していたが、今回のような式典で宣言すれば間違いなく貴族の間で広まるだろう。
そのことに実質的な力はないが、王家が後ろ盾になったと認識する者もいる。それが僅かでもレンドルフの立場を向上させる一助にもなるというのがアナカナは考えだった。
アナカナの宣言を聞いて、明らかにレンドルフの背後でざわめきが起こった。詳細は伏せられてはいるが、レンドルフが何らかの醜聞で左遷されたと思われている貴族達からすれば、公の場で幼くとも王族直々に愛称で呼ぶことを許されたのだ。その功績が偶然であれ、貴族の立場からすれば看過出来るものではない。レンドルフに対して侮った態度を取ってはいなかったか、自身だけでなく身内にいなかったか、この式典が終了すればすぐに使いを出して確認させることだろう。
戸惑ったように顔を上げて見上げるレンドルフに、アナカナは得意気にニンマリと笑ってみせたのだった。
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「本日は魔獣が活性化する可能性がありますので、レンドルフは任務に戻します」
授与を終えてレンドルフが一礼をして壁際まで下がると、待ち構えていたかのようにレナードが迎えに来ていた。まさか彼が来る予定だったと思っていなかったレンドルフは、呆然としている間にレナードに強引に背を押されてあっという間に会場から外に連れ出されてしまった。
「あ、あの、団長…」
「足を止めるな。私の執務室まで一気に向かうぞ」
「は、はい」
レンドルフの顔には幾つもの疑問符が浮かんでいるような状態だったが、レナードが有無を言わせず強めに命じるとレンドルフは反射的に体が動いていた。そしてそのまま一気に王城内でもあまり知られていない近道を抜けるようにして、レナードの執務室のある騎士団の執務棟まで辿り着いたのだった。
「あの、俺が」
「ああ、頼む。…お前の足の長さを侮っていた」
執務室に到着するなり息を切らせてソファに座り込んだレナードは、一息つこうと部屋の棚に目をやったのを察して、レンドルフが自らそちらに歩み寄った。その棚には紅茶の入った保温のポットと茶器が揃っている。レンドルフは一応上司に準備するものと思って出来るだけ丁寧に扱ったが、それでも慣れていないので食器がやや派手な音を立てた。
レンドルフは早足のつもりだったのだが、身長差があるのでそれに合わせていたらレナードがほぼ駆け足状態になっていたのだ。レナードも騎士としての鍛錬は怠っていたつもりはなかったが、やはり現場から離れて長い年月が経っている。若く体力も有り余っている現役の騎士と同じではなかったと、まざまざと現実を見せつけられた気分になった。
「砂糖壷は左側だ」
「…ありがとうございます」
レンドルフがカップに紅茶を注いだのを見計らって、レナードが声を掛ける。普段レナードは甘いお茶を嗜まないのだが、一応来客用の砂糖は用意してある。レンドルフは見た目の印象とは違って大の甘党だと言うことを知っているので場所を示しておいた。
「どうぞ」
「ああ、ありがとう」
カチャリとレナードの前にカップが差し出された。レンドルフが扱うとまるで幼子用のおもちゃのように見えてしまうのがなんとも面白くて、レナードはひっそりと口角を上げてしまった。
茶葉から淹れさせるのは不安だが、これはきちんと補佐官が丁寧に淹れた紅茶なので安心して口を付ける。走って来たので体は温まっていたが、熱い紅茶を口に含むとフワリと華やかな香りが広がってそれだけで気持ちが落ち着くようだった。ようやく余裕が出て来て正面に座ったレンドルフに目をやると、カップに角砂糖を三つ入れて、もう一つ入れようか悩んでいる様子だった。しかしレナードに見られているのに気付いて、追加はせずに飲み始めた。
「さて…何から話すべきか」
「何もかも訳が分かりません…」
「だろうな。私もよく分からん」
レナードの言葉に、レンドルフは絶望的な表情になった。むしろ当初の目録よりも数段良い褒賞を授与されたのだから喜んでもよさそうなのだが、よく分からない幸運を考えなしに甘受出来るほど単純な性格ではない。第一王女に必要な薬草を偶然発見したという表向きの手柄ならば、当初の目録でも破格の扱いなのだ。
「まあ、良くも悪くも気遣われた…のだろうな」
レナードは遠い目をしながらそう呟いたのだが、それを聞くレンドルフはもっと遠い目をしていた。
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あくまでも「偶然」の功績ということにしているので、本来妥当な報賞金のみというところだったろう。しかし国では、かつて近衛騎士だった時に約束していた爵位も領地も白紙になったことを恨みに思われているかもしれないと、少しでも挽回する為に当時確約していたものに及ばないものの爵位や昇進を目録に入れた。併記した金貨100枚より、そちらの方が遥かに価値があると考えていたのだ。
しかし、蓋を開けてみればレンドルフが望んだのは金貨だった。そこで国の重鎮達は、レンドルフが王城騎士団に心残りはなく退団する方向で動いているのではないかと誤解した。当人は騎士団に残留することをありがたく受けたと聞いてはいるが、その後予想以上に周囲の扱いが悪く、先頃の前辺境伯死亡の誤報で故郷に戻ったことで里心が付いてしまったのではないかと深読みしてしまったのだ。何せ自分に置き換えた場合、見限ってもおかしくないことをレンドルフにしたと理解していた。
それにレンドルフならば王城騎士団を辞しても行く宛てはいくらでもあるだろう。現に近衛騎士を解任された時に、大量の引き抜きの打診が騎士団に届いていた。レンドルフがレナードの判断に任せると希望したので当人の元には届けられなかったが、確実に日々増え行く書簡の山にレナードは頭を抱えたものだった。
レンドルフが退団を視野に入れているかはレナードに念押しして確認しておけば誤解は解けたかもしれないが、その前に情報を王太子ラザフォードが耳にしてしまった。
ラザフォードは年の近いレンドルフを信頼して、いずれ王位を継ぐ頃には側近に取り立てるつもりだろうと周囲は思っていたし、ラザフォードも否定はしていなかった。二人の妃や子供達には徹底して等しく同じ対応の彼が、レンドルフに対しては友人のような気安さを見せていた。愛情は亡き王太子妃に捧げ切っていても、他の情はあるということだろう。
レンドルフの立場が変わって側にいることは出来なくなって以来、ラザフォードは時折寂しげな様子を見せることも多くなっていた。
そんな中でのレンドルフの退団の噂である。ラザフォードは周囲も驚くほどの速さで、レンドルフの永年正騎士の称号の授与を決定してしまった。王太子の権力をゴリ惜しすれば、すぐには無理でも遠くない将来再びレンドルフを近衛騎士に戻すことも不可能ではない。だとしてもレンドルフが王城から去ってしまえばそれは叶わなくなる。
しかし王太子の強い要望で永年正騎士になったとレンドルフが聞けば、それが彼を王城騎士団に繋ぎとめる楔になると考えたのだろう。実際退団を心に決めていたとしても、レンドルフの性格ならば思い直す可能性は高い。
永年正騎士は、その名の通り正騎士の資格を生涯に渡って保有出来るものだ。
正騎士の資格を得るには、一定以上の地位のある者からの推薦と信頼の置ける第三者が複数でその人物を評して、更に国王が任命する。家柄やコネ、金銭などで優位に取得出来ないように幅広い人物が選定者になり、評価基準は明らかにされていないが、資格を得た者は強さだけでなく人柄や行動も騎士として相応しいと誰もが納得する人物に与えられている。
この正騎士の資格も、年老いて引退したり、何らかの犯罪を犯すなどをして返上や取り消しになることもある。しかし永年正騎士は、それに当て嵌まらない。一度任命してしまえば、どんな状況になっても死ぬまで正騎士の資格を剥奪されることはない。それは、それだけの国からの信頼を与えられたという最上の名誉の一つだ。
通常ならば、正騎士の資格を得て何年も問題なく任務をこなすだけでなくきちんと功績を上げ続けてようやく候補として名が挙がり、そこから永年正騎士に認めるに至るまでの調査に年単位を掛けることも珍しくない。
少なくとも、レンドルフ自身は正騎士の資格を有してはいるが永年正騎士は無理だろうと思っていた。勿論この先功績を上げて経験を積み重ねて行けば、候補に挙げることもあるかもしれない。しかし今の段階ではその可能性は皆無だと判断していた。これはレンドルフが自分を卑下しているのではなく、客観的に考えても経験が全く足りていないし、近衛騎士団副団長の解任は理由がどうであれ大きな瑕疵であることは自覚しているのだ。むしろ過日の騒動で、そのまま正騎士の資格が維持されたことだけでも過分な優遇だと思っていた。
「…いくら王太子殿下が命じたとは言え、誰も止めなかったのですか」
「お前を解任したことを後ろめたく思ってるお歴々も賛同したらしい」
「それは…」
本来ならばそのような忖度を挟んではならないので、レンドルフは思わず眉を顰めてしまった。その様子をレナードは、どこまでも真面目なレンドルフを感心しつつ少々不安な思いで眺めた。表向きは公平性を保つことで永年正騎士の価値を上げているが、現実としてその裏では色々と思惑が絡んでいるのだ。それを知っているレナードとしては、複雑な気持ちになったのだ。
「王太子殿下は、お前に胸を張れる『王国史上最年少』の称号を残してやりたかったんだろう」
「俺はもう副団長就任の時に」
「それはそうだが、色々あってそのことを語る時、短期間で解任されたことにも触れることになる。だから殿下は別の称号で上書きするおつもりなのだろうさ」
レナードがレンドルフの急な報賞の格上げを知ってから自分の実家とウォルターの力も借りて裏取りを行ったが、なにぶん知らされたのが直前だったために十分な情報は集め切れなかった。しかしそれでも今のところ、幸いにもレンドルフの不利になるようなものは出て来なかった。しかし逆に、拒否するだけの材料がなかったとも言っていい。
「それと、報償金が倍になったのは、第二王子殿下が申し出たらしい」
「はい?」
「どうにも、とあるご婦人からお前が金が必要なのではないかと助言を受けたらしくてな」
「はぁ!?」
新たな情報に、レンドルフは上司であることも忘れて大きな声を上げてしまった。その上手元が疎かになってしまって、危うく飲みかけの紅茶を零すところだった。
「何でも、美しい女性の気を惹くには、それなりの元手が必要だろう、とな」
「なっ…ななな何です、それは!そんなことはありませんよ!」
レンドルフが一瞬で真っ赤になって反論した。そしてそのまままだ持っていた紅茶の入ったカップが、カチャカチャと派手な音を立てた。
「ちょっとそれを置きなさい」
あまりにも分かりやすい動揺に、レナードは苦笑しながらテーブルの上を軽く指先でトントンと突ついた。
(全く…あの方の悪戯好きにも困ったものだ)
レナードは第二王子エドワードが懇意にして幼い頃から姉のように慕っている女性、オランジュ・パフーリュのいつも笑いを含んでいるような明るいオレンジ色の瞳を思い出して、そっと小さく溜息を漏らしたのだった。
お読みいただきありがとうございます!
騎士の資格は、貴族が通う学園で騎士科を卒業すれば自動的に得られるもので、その後平均二年くらいの見習いを経て適性や希望を鑑みながら配属が決まります。卒業時点では仮免、正式な配属が決まると本免許みたいなイメージで。
貴族ではない平民は、ギルドなどで冒険者向けの基礎講座を開いているので、騎士に興味のある者は比較的幼い頃から習っていることが多いです。裕福な家なら元騎士の家庭教師を雇ったりします。
その後騎士団への入団試験を受けて、貴族と同じように見習い期間を経て騎士の資格を得ます。平民向けの学校は14歳までが卒業の上限なので、卒業後に騎士団に入る者が多く、平民出身の騎士は総じて年齢が低めで貴族より基礎知識が少ないため見習い期間は貴族の倍以上になることも。
普通の騎士は国内免許で、正騎士は国際ライセンス、みたいな感じです。正騎士の資格は全世界にある訳ではないですが、知名度はあるので異国での信頼度が違います。
外交などで同行する際や、異国の賓客の護衛の任に就く者が正騎士だと重要度が違うと判断されたりします。相手も丁重に扱われていると思えば反応も良いですし。