470.流星群の夜
ユリは別邸の最上階にある「星見の間」のソファの上で膝を抱えるように座り込んで、天井一杯の星を眺めながらミルクティーを少しずつ味わっていた。一切砂糖を入れていないが、大公家が専属契約をしている酪農家から特別に仕入れているミルクをふんだんに使っていて、ほんのりと柔らかな甘みを感じる。
厚手のセーターと足首まで届く巻きスカートにウールの靴下を履いているが、これでも体の冷えやすいユリには更に温風の出る魔道具の前にいないと指先がかじかんでしまう。しかし肩からレンドルフに貰ったストールを羽織っているので、そこまで冷えを感じていなかった。さすが北の辺境領産の素材だけあって、薄手で軽いのに保温力が王都で流通しているものとは段違いだ。大判サイズのおかげで、こうして膝を抱えるようにしていると全身をすっぽり包めてしまう。両面が手触りの良い綿毛兎の毛で加工されているので、内側から触れていてもうっとりするような触り心地だ。
星を見る為に灯りを落として、明かりがあるのは部屋の一角にある暖炉の赤い炎だけだ。それもあまり室内を明るくしないようにそこまで火は大きくしていない。その炎が揺れる度に、ユリの座っているソファの影が絨毯にユラユラと映っていた。
「ああ…始まった」
誰もいない部屋で、ユリの囁くような呟きがポツリと漏れる。
その名を冠するのに相応しい「星見の間」は、天井の大半がドーム状の窓に覆われていて、一部の北側の空以外は一望出来るようになっている。断熱の付与が掛けられた二重の窓ガラスが使用されていはいるが、窓が広い分冷気が滲み出すように降りて来る。
しかしユリは敢えて暖炉の火を抑えてもらい、少し肌寒い中で夜空を眺めていた。その寒さの中で断熱性の高いストールに包まれていると、その温かさがより感じられるような気がしたのだ。その心地好い温かさがそのまま贈り主の気持ちのようで、そう思うと体の内側からふんわりと熱が沸き上がって来るようだ。
今夜は、数年ぶりに王都で流星群が観測される日だった。深夜まで営業している酒場や街灯の多さで明るい中心街でも肉眼で流星が見られるとされていて、王都はちょっとしたお祭のようになっていた。大公家別邸のある貴族の別荘地は近くに森もあって王都内でも端の方にあるので、中心街よりもずっと空気が澄んでいて夜空の色は黒に近い藍色をしている。
幸いにも空は雲一つなく晴れて、細い二日の月は既に森の向こうに消えている。まさに満天の星空から、零れ落ちるように一つ、二つと星が流れるのが見えた。そして見る間にそれは流れる速度を増し、息をゆっくりと吐く間に三つくらいの星がどんどんと空から零れて来る。
ジッと上を見上げていると、星が降って来ると言うよりも自身が星空の中を飛んでいるような感覚に陥る。
星が流れることを、吉兆と言う者もいれば、凶兆と捉える者もいる。主神キュロスは太陽と昼を司り、創造の力を持つと伝承がある。それに相対する女神フォーリは月と夜を司り、破壊の力を有している。夜に星が流れる様は、フォーリの力が強くなっている証であり、彼女の眷属である魔獣の力も増すと言われている。しかしその反面、どれだけ星が流れようと空から星が無くなることは決してないので、フォーリの力をキュロスが上回っている証で、誕生と祝福の象徴だとする神学者も多い。
ユリはつい色々な論文や物語を思い出して、ハッと気が付いて軽く頭を振った。こうしてぼんやりと星を眺める時間を作ったのは、昼間に薬草関連の分厚い研究書を二冊読破して頭に詰め込んだたばかりなので、少し思考を整理する為に設けた時間だったのだ。
一応体は目に見えて悪いところが見当たらないほど回復したが、未だに魔力の回路が一部戻らずに気軽に外に出られない日々だった。かつてのユリならば、別にそれならそれで調薬計画を立てたり、本を読んだりして過ごしていたが、外の世界で人と、レンドルフと関わることを知ってしまったユリには酷く物足りない毎日だった。
しかし年が明けてじきに、ユリにとっては二度目の薬師の資格試験が控えている。それに向けて、今は薬師に関連する書物から最新の知識を得ることに力を入れている。レンザの能力を受け継いだのか、ユリも大抵の書物の中身は一度見れば覚えてしまう。精度や速度はレンザの方が上ではあるが、ユリも普通の人間に比べれば圧倒的な知識量を蓄えている。
しかし能力なのか経験値の差なのか、ユリは知識を溜め込むことは出来てもその応用が苦手だ。レンザの場合は、膨大な知識の中から必要な物を拾い上げて、別の経緯で取得した知識から確実に無駄だと思われる手順を抜いたり追加したりして最も効率的に正解を導き出すことが出来る。ユリはそれが非常に苦手で、最新の知識と過去の知識が混じってしまって取捨選択に時間が掛かる。その時には必要がないと分かっていても、芋蔓式に余分な知識が付いて来るので、感覚的にその分重くなった芋蔓を引っ張って体力が削られる気がするのだ。
(このことがなければ、レンさんと一緒にこの流星を見られたのかな…)
強引にぼんやりしようとすると今度はそんなことを考えてしまい、ユリは慌ててその思考を振り払った。はっきりした根拠はないとは言え、こうした特殊な天体現象が起こる夜は魔獣が狂化しやすいのだ。いつもとは違う様子に本能的に恐怖を感じる為だとも言われているが、正確な理由は解明されていない。それでも普段よりも魔獣に対する警戒が強くなるので、魔獣討伐や地方遠征を主としている第四騎士団にいるレンドルフは、こんな夜は一晩中任務にあたっているだろう。
たとえユリが何もない状況だったとしても、レンドルフとゆっくり流星群を見るのは不可能に等しい。
(せめて、怪我をしませんように。レンさんが無事でありますように)
そう心の中で祈りながら、ユリは少しぬるくなったミルクティーをコクリと呑み込んだのだった。
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(まさか今年もこの会に出ることになるとは)
ユリが流星群を見上げて祈っていた頃、レンドルフは王城の中のホールに来ていた。
ここでは毎年同じ時期に、今年功績を上げた者に褒章を授与する式典と夜会が開かれる。王家主催で最大規模の三度の夜会、新年を迎える年越しの大夜会や春と秋の社交シーズンの始まりと終わりの夜会を開く場所よりは小さいが、それでも国内の主要な貴族の半分以上の当主がほぼ参加している。春は新成人のデビュタントの季節でもあり、最も多くの人が集まる。その為大きな功績や叙爵、陞爵は春の夜会で大々的に行い、国王手ずから褒章が授与されることになっている。
今回の夜会は、下位貴族や平民などを中心に、そこまで規模は大きくなくとも国が認める功績を立てた者へ、王族から直々に褒美を授与される。
レンドルフは毎年王太子の護衛として参加していた。だが、今回は褒章を貰う側としての参加なのだ。王族のいる一段高い場所から会場全体を眺めるように警護していた時と違い、離れた場所から見上げる光景というのは無縁のものだと思っていたので、何だか別世界に入り込んでしまったような感覚だった。
レンドルフは正騎士の正装を纏って、会場の端の柱の陰に潜むように立っていた。それでも完全に隠れられる場所はないので、むしろ悪目立ちしているのだがレンドルフはあまり自覚がない。
こういった式典に騎士として参加する際は、騎士団で仕立ててもらっている正装で参加することが通常なのだが、レンドルフには正騎士の服で出席するようにと通達が来ていた。そもそもその通達どころか、この夜会に参加するようにと半ば命令書のような招待状が届いたのが昨日のことだ。
第一王女アナカナに有効な解毒薬の素材を偶然発見して、それをその場に居合わせた薬師が調薬して王家に献上した。その功績で報賞が出ることは既に目録をもらってレンドルフも知っていたが、式典で授与されるようなものではなく、式典は不在のままサラリと名だけ呼ばれて後日上司にあたるレナードから手渡されるのだと思っていたのだ。実際そのつもりで準備されていただろうことは、昨日いきなり招待状が来たことで分かる。
しかし辞退することも出来ないので、レンドルフは慌てて準備したのだった。
レンドルフの他にも数名受賞予定の騎士がいて、彼らは騎士団の紺色の正装で来ている為、正騎士の黒の騎士服を纏っているのはレンドルフ一人だった。近衛騎士団の制服は黒なのだが、正騎士のものは一目で分かるほど深い黒なのだ。華やかな中に漆黒の騎士服のレンドルフは、そう命じられたとは言え会場の隅に潜むように立っていることで妙な不穏さを醸し出してしまっていた。
「もう少し前にいろ」
「…ボルドー団長」
「お前に授与する相手は第一王女殿下だ。幼い殿下を遅くまで夜会にいさせる訳にもいかんから、真っ先に呼ばれるのは聞いているだろう」
「…はい、それは。ですが、あまり前にいると威圧感が」
「お前は後ろにいても変わらん」
そんなレンドルフに、第三騎士団団長ダンカン・ボルドーが近付いて行ってそっと耳打ちをした。第三騎士団は広域に渡る重犯罪者を捕らえる為に他国に赴くことも多いので、代々団長は王族が務めることになっている。このダンカンも遠いながらも王位継承権を有している為、今回の夜会にも参加しているのだ。立場としては騎士団長ではなく王族の一員としての参加なので、騎士服ではなく貴族らしい夜会服を着込んでいる。
ダンカンは以前にレンドルフも関わる事件で随分世話になったのだが、何故か気に入られたらしくてその後も時折よく分からない差し入れをくれたり、意味もなくちょっかいを掛けられたりしていた。レンドルフほどではないが長身で少々冷たくも見える鋭い目の風貌に、常に冷静で合理的な判断を優先する為に容赦がない性格をしていると評されて、近寄り難い空気を纏っている。が、実際は冗談が好きでちょっとした悪戯を仕掛けるのを楽しむような子供っぽさも持っている人物で、決して冷徹な人間ではないというのがレンドルフの印象だ。
「仕方ない、私の後に着いて来い。直々に露払いをしてやろう」
「お、畏れ多いです」
「構わんさ」
ダンカンはレンドルフの意思に関係なく、有無を言わさずさっさとフロックコートの裾を靡かせて先に歩いて行く。レンドルフからすれば身分も地位も上のダンカンに逆らう選択肢はなく、慌てて後を追ったのだった。
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ダンカンの先導でレンドルフが王族の席の近くまで移動するのを、参加していた貴族達はしっかりと確認していた。まだ式典の開催の宣言がされていないので、それぞれが挨拶を交わして近況などを報告し合っているような緩めの空気ではあったが、それでも王都を拠点にしている貴族にとって情報は武器であるのでチェックは怠らないのだ。
レンドルフが王国史上最年少の近衛騎士団副団長に抜擢され、僅か半年ほどで解任されたことは王城内では広く知れ渡っている。さすがに真相は伏せられているが、最高の栄誉と言われる近衛騎士から、一番下の第四騎士団に異動して平騎士になったのは、首の皮一枚で騎士団に残留した「左遷」と思っている者が大半だ。
そのレンドルフが短期間で褒章を得るほどの手柄を立てたのだ。そこに何らかの意図があるのでは?と探るような様子を見せる者もそれなりに多そうだった。ひょっとしてレンドルフの「左遷」は事情があっての一時的なもので、タイミングを見て以前よりも遥かに好待遇で返り咲かせることもあり得るのではないか、と深読みする者もいた。
遠慮なくダンカンが王族席に近付こうとするので、レンドルフはダンカンの視界に入りつつ、距離を保った場所で足を止めた。いくら元近衛騎士だとしても、これ以上近付くことは許されそうになかった。ダンカンはレンドルフが足を止めると即座に気付いたようで、振り返って少しだけ困ったような表情を向けたが、それでもそれ以上前に出ることを無理強いはして来なかった。
程なくして、国王を始めとする王族が入場して来る。国王と王妃、その後に王太子ラザフォードと王太子正妃がそれぞれの妻をエスコートして続く。その後ろには近衛騎士団長ウォルターに抱きかかえられたアナカナがいた。普段よりも愛らしさを前面に押し出した淡いピンク色のドレスは、儚い雰囲気の彼女をより引き立てていた。
そして続いて第二王子エドワードにエスコートされて王太子側妃が入場する。この二人は母方の従姉弟同士なので、この組み合わせはよく見る光景だ。婚約者のいないエドワードは、夜会などで彼女や母方の縁戚を伴うことが多い。
そこから少し離れて、王位継承権を放棄していない老人が三人続く。彼らは臣籍降下した王族で、こうした式典の時や外交の場などに体裁として顔を出す役割が与えられている名ばかりの名誉職だ。なにせ国内の人口が激減した際に王族も例外ではなく、国としての体裁を整える為に存在している役職なのだ。今後はラザフォードの幼い王子達が式典にも参加出来るようになれば、この役職もなくなって行くと言われている。
国王の挨拶から始まり、そのまま乾杯に引き続いて式典に移る。国王より直接賜った式次第を宰相が読み上げ、いよいよウォルターから抱き降ろされたアナカナがトコトコと舞台中央に進み出る。
「レンドルフ・クロヴァス、前へ」
「はっ」
魔道具を使用しているのか会場全体に響く宰相の無機質な声で名を呼ばれ、レンドルフは中央の一段高い場所に向かって大きく一歩を踏み出したのだった。
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