468.男のロマン
一度「あーん」をすると意外と開き直れたのか、ユリがチーズが好物なのを知っているレンドルフから勧められて、チーズとイチジクのタルトも美味しくいただいた。プチタルトなのでそのままレンドルフは全部譲ってくれたのだ。レンドルフも嬉しそうに目を細めてユリが食べる姿を眺めていたので無問題だ。
デザートも完食してまだ貸切の時間が残っていたので、温めて酒精の大半を飛ばしたホットワインにスパイスを入れたカクテルを出してもらい、時間まで会話を楽しむことにした。
ミキタは「夜の仕込みをして来るから、用があったら呼んどくれ」と奥に引っ込んで行った。
「タッセルの中身の入れ替えが終わったから、付け直してもらってもいいかな」
「うん、ありがとう。でも、そんなに高価な物、俺が貰って本当にいいの?」
「レンさんに持ってて欲しい。レンさんの為のものだから」
「ありがとう…」
ユリは鞄の中から黒と茶色の革張りの二つの箱を取り出した。どちらも付与が掛かっている魔道具の箱だ。
ユリが黒い革張りの箱を開けると、見慣れた金の彫金細工と黒のケルピーの革のフリンジで作られたタッセルが入っていた。このタッセルは紛失や盗難などを防ぐためにレンドルフの手元に自動的に戻るように設定されているのだが、交換中に戻ってしまうと困るので、この箱の中に固定する付与が施されている。
茶色のもう片方は、レンドルフの長兄が押し付けるように渡して来た上級の回復薬が収められている。使ってしまった特級の回復薬の代わりに一時的にタッセルに収めていたのだ。こちらの箱には保存の付与が掛かっているので、これに入れておけば通常の何倍も効き目が保つ。当初はタッセルの中身を交換したら貴重な回復薬は返却するとレンドルフは言っていたのだが、長兄には頑として拒否されていた。
そこでレンドルフは、中身ごと騎士団にクロヴァス家からの寄贈品として提供する予定だった。一本だけなので目立った効果はないかもしれないが、クロヴァス領で何かがあった時にこうした実績があれば、国から僅かでも忖度されるので決して無駄にはならないのだ。
一応そのことを長兄に報告したところ、半分以上説教で埋め尽くされた手紙と共に最後に「好きにしろ」と一言だけ書かれていた。
レンドルフも上着のポケットから似たような黒の革張りの箱を取り出す。こちらにはレンザから一時的に借りていた彼のタッセルが収められている。汚すといけないのでずっと箱に入れていたが、どこに行くにも箱ごと持ち歩くようにしていた。幸い借りている期間にタッセルの仕掛けが発動するようなことは起きていない。
「もしかして、これ新しくしてくれた?」
「ケルピーの革の方を少し。染料が落ちかけてたから、より定着するインクを使ったものにしたの。あ!重さとか長さは変えないように気を付けたよ。でも、一応使う時は確認して」
「何だか申し訳ないな…」
「私が勝手にやったことだから!その…回復薬の仕掛けとかも全部、自己満足だし。迷惑かもしれないけど、そのまま使ってくれたら、嬉しい」
「迷惑なんて絶対ない!すごく感謝してるし…その、俺も嬉しい」
微笑みながらも自信なさげに眉を下げてしまったユリに、レンドルフは大きく頭を横に振った。ユリが自分の為にしてくれたのは十分に分かっているし、それを嬉しいと思う反面、余計な負担をかけてしまったことを申し訳なく思っていたのだ。しかしそれは却ってユリを悲しませているのだとようやく自覚した。
「あ、あのね、もう知ってると思うけど一応説明するね。この彫金細工の中に特級の回復薬が一本、時間停止の空間魔法で収納してあるの。これはレンさんが重傷を負った時に輩出される設定にしてあって、でもこの判定が結構厳しいから、よく一緒に戦闘に出る人に誓約魔法を承諾してもらって補助が必要かも…」
「ああ、あの時は俺が敵を牽制する為に剣を投げ付けてたから、アレクサンダーさんがいなかったら折角の回復薬も見付けられなかったかもしれない」
「ちゃんと説明しておけば良かったね…」
もしその場に同じ仕掛けが付いているタッセルを持ったレンザがいなかったら、雪に埋もれて見付けるのは困難だったかもしれない。それどころか敵に奪われる可能性もあった。無事にレンドルフに使ってもらえたのもひとえに運が良かっただけだ。そこはレンザにも「再考の余地あり」と言われていた。
箱の中からタッセルを捧げ持つように丁寧に取り出したレンドルフは、以前よりも深い色合いになったような黒い革に手を触れる。ケルピーは水棲魔物なので、素材は高い耐火性を有している。火魔法を扱うレンドルフの手元でも問題がないように選ばれた素材だが、以前のものよりも感覚的に自身の魔力に馴染むような気がした。
タッセルを手に取って魅了されたかのように見つめているレンドルフの横顔を見て、ユリは密かに胸を撫で下ろしていた。どうやらあの様子ならば上手く魔力が馴染んだようだ。
今回交換したフリンジ部分に使用したケルピーは変異種で、どんなに薄く削り出しても強度が変わらない性質を持っていた。それを利用して、薄くしたケルピーの革を重ねて張り合わせる際に、表に出ない革には魔石の粉を混ぜ込んだ特殊染料を使用したのだ。
「あとね、レンさんの意識がないと飲ませるのが困難になるだろうから、頭と胸に一瞬だけ魔力防壁が発生する仕掛けもあるの。上位の攻撃魔法くらいなら一回くらいは弾けるとは思う。ほら、少しでも命が繋げられれば、その後に特級の回復薬で助けられるから」
これは即死を回避するために強い攻撃を受けると頭と心臓の上に一瞬だが防壁を展開する仕掛けで、前回のものにも付与していたが不発に終わっていた。騎士ならば剣を手放すことはないとユリは思い込んでいたので、レンドルフの手元にあることを前提に設定してもらっていたのだ。が、よく考えればレンドルフは目的の為に無茶をする傾向がある。それに攻撃魔法も扱えるのなら、剣を投げ捨てることも躊躇いがないだろう。そのせいで前回は距離があり過ぎて、こちらの仕掛けが発動しなかったとレンザに聞いていた。
今回の特殊染料はその効果範囲を広げる為に追加したものだ。魔石の粉はレンドルフと相性が良い土属性のもので、持ち主の魔力を吸い込ませてタッセルの仕掛けが反応する有効範囲を広げることが出来るのだ。勿論タッセルに使える魔石粉の量は少ないので、吸われる魔力もレンドルフ自身が気付かない程度の微量のものだ。
初めのものの倍程度の範囲なので効果は紙一重くらいかもしれないが、ギリギリの命のやり取りをすることもあるレンドルフの場合、その紙が大きな差になる筈だ。
「本当にすごい仕掛けだね。…これさえあれば」
「でも!無茶はしないでね。死にかけても大丈夫とか、絶対思わないで」
「お、思わないから!無茶は…しないとは言えないけど…その、死んでも大丈夫だとか、絶対に慢心しないから!」
見る間にユリの目が潤んで来たので、レンドルフの顔色が明らかに悪くなってアワアワと挙動不審になりだす。先程自分の行動がユリを悲しませていたのだと自覚して反省したばかりなのに、うっかり失言したせいでまた悲しませてしまった。
あまりにもレンドルフが慌てるので、ユリは少し気の毒になって仕方なく微笑んだ。その顔を見て、レンドルフはあからさまに安堵した表情になる。ユリは我ながら甘く絆されているとは思うものの、いくらでも嘘を吐こうと思えば吐けるのにそれをしないでいようとしてくれるレンドルフの気持ちに少しだけ罪悪感を覚えていたのもあった。
以前にレンドルフは「隠したいことは無理に言わなくてもいい」とユリに告げた。それこそ言いたくなければ生涯隠し通しても構わないとも。ユリからすれば今の姿も立場も殆どが嘘で固められている。それをも丸ごと受け入れてもらえたようで、レンドルフの隣は甘くて心地が良いと感じている。しかし逆に大公家の力で、ユリの方はレンドルフの出自やこれまでの経緯も把握しているのだ。それが少々負い目になっているのも事実だ。
「でも完全じゃなかったから、レンさんにまた傷が残っちゃった」
「だ、大丈夫だよ。殆ど目立たなくなるって言われてるし」
襟元の詰まったシャツを着込んでいるので目立たないが、レンドルフの首にはうっすらと赤い跡が残っている。傷跡を消す塗り薬を処方してもらっていて目立つ顔を優先しているのだが、今の季節は着込むことが多いので首の辺りは疎かになっていたようだ。出来ればユリに心配をかけたくなかったので、もっと気を付けるべきだったとレンドルフは反省をする。
隣に座ったユリが手を伸ばしかけたが、レンドルフの首に届く前に不自然に手が止まった。いつもならば届くのだが、やはり重い魔道具を幾つも腕に巻いているので伸ばすのに支障があったのだ。それを素早く察して、レンドルフが自分の手の上にそっとユリの手を乗せるように掬い上げた。
「騎士なんだから、傷が残るのは日常みたいなものだよ。それに、これはユリさんを助けられた名誉だ」
「ん…」
「あと実は…」
「?実は?」
レンドルフは少し視線を彷徨わせて、無意識なのか手に乗せたユリの手を軽く親指で挟み込んだ。
「ええと、実は昔魔獣に噛まれた傷が残ってて、その上から今回の傷が上書きされる形になって」
「それは大丈夫なの?」
「あ、それは全然。痛みもないし、動きに支障はないよ。ただ…」
「ただ?」
レンドルフは一旦そこで言葉を切って、複雑な顔をして斜め下に視線を向ける。ユリは怪訝に思って少し首を傾げながらレンドルフを見上げると、ほんのりとではあるが耳が赤くなっていることに気付いた。その表情はレンドルフが恥ずかしがっている時だと思い当たったが、ユリからするとその要素が今の会話のどこにあったのか見当もつかなかった。
「その上書きされた傷と合わせると、ちょっとカッコいい形なんだ…」
「カッコいい…」
「そうなんだ!その隼みたいな流線型の、鳥みたいな形っていうか…ちょうど噛まれた痕が翼の模様みたいになって!」
レンドルフは空いている片手で色々と説明をしているが、ユリの方はまさかの話について行けなくてポカンとしてしまった。
その内にレンドルフはユリを置いてきぼりにしていることに気付いて、女性に事細かに傷の話をするべきではなかったと見る間にシュンとしてしまった。
「えと…その傷跡を診せてもらう訳には」
「それは出来ないよ!ユリさんに肌を晒すなんて!」
一瞬にして沸騰したかのように顔を真っ赤にしてレンドルフが即否定する。
以前に怪我をしたレンドルフの手当ての為に強引に胸をはだけさせたことのあるユリとしては、医療行為であれば問題はないのだし、傷の話をしたのだから遠回しに皮膚の回復薬の調合を頼みたいのかと思ったのだが、どうやら違ったらしい。
「その、もし何か薬が必要になったらちゃんと相談してね」
「うん、分かった。ありがとう」
よく分からないまま無難に返したところ、レンドルフから笑顔で返事が戻って来たのでそれで良かったようだ。
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結局ユリにはよく分からないままその後この話題は終了して他の話に移ったのだが、いまいち消化不良だったのでつい帰りの馬車の中で護衛として同乗していたフェイに尋ねてしまった。それを聞いたフェイは何とも言えない顔をして「それは男のロマンですからねえ…」と呟いていたが、やはりユリには分からないままだったのだった。