467.熱くて甘い豆メニュー
テーブルの上には、細長い皿に一口大のフライが串に刺さったものが並べられている。まだ揚げたてなので、キツネ色のパン粉の表面が微かにチリチリと音を立てていた。
「熱いから気を付けるんだよ」
ミキタは小さな皿にソースや塩、ケチャップなどをそれぞれの前に並べた。
「「いただきます」」
レンドルフとユリは声を揃えて、ワクワクした顔でそれぞれの手で串を摘まみ上げた。
「熱っ…美味し…」
「うん、すごく美味しい」
見た目で分かりやすかったので好物のプチトマトを最初に手にしたユリは、軽く塩を付けて中まで熱くなっている汁気にハフハフと息を漏らす。レンドルフは白っぽい中身でよく分からないものに齧り付いていた。中身は鶏の胸肉で、火は通っているがパサついていない絶妙なジューシーさを保っていた。淡白な味わいだが、甘辛いソースに絡めると肉の甘みが引き立つようだった。
「あ、これ、レンカの根だ。すごいね、よく入荷してたね」
「ああ、あの宿六が飲み過ぎたからって持ち込んだんだ。だから特性ジュース作ってやる代わりに半分寄越しなって」
「レンカって前にお茶を飲ませてもらったけど」
「そう。レンカはお茶だけでなく実も根も食べられるの。この穴が開いてるのが根っこ。シャキシャキして美味しいと思うよ」
「へえ。じゃあ早速」
以前レンドルフの髪色に似ているとユリに教えてもらったレンカの花だが、葉と根を乾燥させたレンカ茶も飲ませてもらったことがあった。けれど乾燥させた物なので、根がどんな形をしているかは見たことがなかったのだ。最初は何かの野菜の種を除いたものかと思ったのだが、根ならば水の通り道だろうと推測する。
ユリに勧められて軽く塩を付けて齧ると、香ばしい衣の歯応えのすぐ下に、シャクリとした心地の良い食感と甘みのある水分に、ほのかな苦味が混じっている。初めて食べる味わいだったが、不思議と体に染み渡るような力強さを感じた。
「どう?」
「ん、この食感がいいな。それに何だか体にも良さそうだ」
「実際体に良いの。生の根を擦り下ろして果物と混ぜて飲むと、二日酔いや胃もたれにすごく効くの。熱を加えると風邪予防とか浮腫とか…って、レンさんにはどれも無縁な気がして来た」
「俺もたまには風邪っぽい時も…あると思うよ」
そう言いながらも、レンドルフはここ数年はそんな覚えもなくて視線を彷徨わせてしまった。基本的に騎士はあまり風邪を引くことが少ない。それは怪我が多い為に回復薬を一般人よりも摂取する機会があるので、軽い風邪などはまとめて改善してしまうのだ。
「はい、今日のメイン、トンジルスープだよ。それとタキコミとマゼコミのおにぎり」
「ありがとうございます。もしかしてこれがソイペーストの?」
ミキタが次に運んで来たのは木製の大きなスープボウルで、たっぷりの根菜と豚肉の薄切りが入ったスープが勢いよく湯気を立てている。スープの色はポタージュのように不透明で淡い褐色をしていた。ソイペーストはソイを作る際に樽の底に沈んだものだと聞いていたのだが、思ったよりソイとは共通項が少ない印象だった。強いて言うなら、発酵調味料なので独特の香りがするところだろうか。けれど上から刻んだネギが乗せられて、スープに入れているのか生姜の香りも漂って来るので元の香りはそこまで主張していない。むしろ香りを吸い込むだけで体の芯が温まりそうな気がする。
「覚えててくれたんだ。レンさんは『ブランショウ』も口に合うって言ってたから、こっちも気に入ってくれるかと思って」
「もう香りだけで美味しそうだ」
ブランショウは、レンドルフがかつて遠征に行った地方で食べた郷土料理に使われていた真っ黒な発酵調味料だった。詳しくは知らないが茹でた麦と塩を混ぜたものを発酵させて作ると聞いていた。ソイはミズホ国から輸入されている豆と塩の発酵調味料なので、発祥は近いのかもしれない。
ボウルに合わせてなのか木製のスプーンが付いていたので、まずはそっとスープだけを掬って一口啜る。柔らかな口当たりのせいか、スープ自体も非常にまろやかな味わいをしていた。野菜の旨味と豚肉の脂が溶け出して、塩気の中にもしっかりと甘みも感じる。今度は透き通るほど煮込まれた根菜を頬張ると、肉の旨味を存分に吸っていてホロホロと口の中で溶けるようだった。スプーンの上に乗せてみると、どうやら数種類の根菜が混ざっているようだった。そのどれもスープに旨味を出して再び吸い込んでいるので滋味のある豊かな味わいだった。
レンドルフは思わず夢中で何度か口に運んで、ユリが隣でキラキラした目で見ていることに気付いた。
「す、すごく美味しいよ」
「ふふ…見れば分かるよ。何だか嬉しい」
ユリはご機嫌な様子で、レンドルフと同じように木のスプーンでハクリと根菜を口に入れた。ホクホクと咀嚼している様子は、やはり小動物を思わせる。
「美味しいねえ、レンさん」
「うん…美味しい」
ニコニコと頬を染めながら食べているユリを見るのは久しぶりな気がして、こうして再び一緒に美味しいものを食べられたことで、レンドルフはようやく「帰って来た」という感覚を得た気がしたのだった。
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ユリに合わせてなのか少し小振りにしてあるおにぎりは、タキコミは鶏肉とキノコを具材に甘辛いソイ風味で、マゼコミの方は青菜の塩漬けを刻み込んで混ぜてあるものだった。塩漬けと言ってもシャキシャキした歯応えの残っているもので、モッチリしたコメとの対比が面白くあっさりした風味なのでレンドルフはトンジルと一緒にかなりの量を平らげてしまった。あまりにも気に入った様子なので、ミキタが新たにコメを炊いてお土産を用意してくれたほどだった。
「ああ…美味しかった」
「ホントね!良かった、お勧めした甲斐があったわ」
「これからデザートがあるけど、大丈夫かい?」
「甘い物は別腹です」
「私はミズヨウカンだけでお願いします」
「了解。じゃあレンくんには全種類盛り合わせだね」
出されたメニューを綺麗に完食して、すっかり体が温まったのか二人は並んで赤い顔をしていた。
ミキタは皿を下げながら確認をすると、甘い物には目が無いレンドルフから予想通りの返答が来た。
「ミズヨウ…ええと、それはどんなデザート?」
「ミズヨウカンね。元はミズホ国から伝わった甘味で、アスクレティ領の山岳地域で冬場の名産品なの。レンさんに食べてもらいたくて、持って来たの」
「え!?もしかして取り寄せてくれたの?」
「おじい様が好きだから毎年取り寄せてるの。今回はお願いして分けてもらっちゃった」
「そうなんだ…いや、それはそれで申し訳ないな…」
デザートを準備してもらっている間、ユリから「ミズヨウカン」という聞き慣れない甘味の話を聞く。
「ミズホ国の甘味は、豆を甘く煮たものを使うことが多いの。ミズヨウカンも甘く似た豆を布で漉して、ゼリーみたいに固めたもの…っていうのかな。ゼリーよりも柔らかい?ホロリとしてる?ええと、とにかく食べてもらえば分かるよ!」
「甘く煮た豆っていうと、前に千年樹のダンジョンに行く前に食べた蒸しパンみたいな?」
「そうそう!それに近い感じ。でもアスクレティ領のミズヨウカンは漉してるからもっと滑らかな感じだよ」
「ミズホ国は豆の栽培が盛んなのかな。ソイとかも豆が原料だよね」
「主食はコメだから、そっちの方が多いって聞いてるけど、言われてみれば豆の料理も多いかも」
以前にユリと行った千年樹のダンジョンを有しているリバスタン街を訪ねた際、レンドルフは名物という蒸しパンを購入していた。その蒸しパンの中身が、甘く煮た豆だったのだ。
「はい、お待たせ。これがユリちゃんの差し入れのミズヨウカンで、こっちはユーキが作ったプチタルト。それからこっちもユーキが、ユリちゃんから教えてもらったミズホ国のレシピをアレンジしたパンケーキだよ」
「ありがとうございます」
オレンジ色の皿に、ガラスの器に入った黒に近い紫色のゼリーのようなミズヨウカン、チーズとイチジク、リンゴのコンポート、ベリーとチョコレートクリームがそれぞれ乗ったプチタルトに、少し濃い焼き色の赤子の手くらいな小さいサイズのパンケーキが二枚並んでいた。パンケーキは間に何かクリームを挟んであるようだった。
真っ先にミズヨウカンにスプーンを差し入れたレンドルフは、ゼリーとは違う感触がすぐに分かったのか一瞬だけ動きを止めていた。しかしすぐに大きめに掬い上げて、躊躇いなく口の中に入れた。
「…これは…不思議な食感だね。甘いけどスッキリしていて、でもフルーツとかじゃなくて…うん、美味しい」
以前に食べた甘く煮た豆は、もっと甘みも雑味も全て混じり合った力強い風味だったが、こちらはもっと繊細な豆の風味と砂糖の甘みが互いを主張しないギリギリのバランスで、このまま貴族の集まる夜会に出しても通用しそうなくらい上品な味わいだった。ゼリーよりも弾力がなく、口の中でホロリと崩れて消えて行く儚さが更に繊細さを付け加える。そして完全に口の中から消えると、舌の上にはまるで水が通過しただけのように後味が喉の奥へと消えてなくなってしまう。
「これは夏に冷やして食べてもよさそうだけど、冬の名産なんだ」
「昔は保冷庫の温度調整が難しかったから、冬の気温で固めないといけなかったみたい。多分今なら年中作れると思うよ」
「寒い地域なら冬以外でも作れるのかな」
「どうなのかしら。前に水が凍るほど寒過ぎてもいけない、って聞いたことがあるし」
「難しいんだね。そんな貴重な甘味をありがとう。アレクサンダーさんにも感謝を伝えてもらえるかな」
「うん、伝えておくね」
今度はミズホ国風のパンケーキに取りかかり、濃い焼き目の表面にナイフを入れた。切り開いて見ると、茶色の焼き目の下は鮮やかな黄色のふっくらとした層が現れた。きめ細やかな生地は気泡が一切見えないが、切った感触だと弾力もしっかりあるようだった。
そして二枚のパンケーキの間には、鮮やかな緑色のクリームが挟まっている。生地の黄色と相まって、何とも美しい断面だ。
「綺麗なパンケーキだね。この緑のクリームはなんだろう」
「ええと…緑春豆を甘く煮たヤツだって書いてあるよ」
レンドルフのつい漏れた言葉が耳に入ったのか、ミキタがカウンターに置いてあったメモを摘まみ上げて読み上げてくれた。どうやら製作者のユーキからレシピの説明を渡されていたらしい。
「緑春豆っていうと、塩茹でくらいしか知らなかったけど、こうして甘くするのもあるんだ」
「多分ミズホ国の甘味に使うのは赤豆が多いから、ユー兄はこっちで試してみたんじゃないかな」
ミズヨウカンを指差してユリが答えた。この国では赤豆はスープに使用するくらいなので、国が変わると色々な食べ方があるのはなかなかに興味深いとレンドルフは思う。そしてパン屋を経営しながらケーキ職人も目指しているミキタの次男ユーキの研究熱心さには感心するばかりだった。甘い物好きなレンドルフにすれば、美味しい甘味を作る人物は全てが尊敬の対象なのだ。
「…これは生地に少しだけ塩気があって、甘みが引き立ってるし、すごく香ばしい風味がする。中のクリームは豆と生クリームを合わせたものかな。生地が甘い分、クリームの甘さは控え目でちょうどいいな」
「これは生地に少しだけソイを混ぜて焼いてるらしいよ」
「ああ!この香ばしさは言われてみれば。すごいですね、あの調味料をこうやってパンケーキに使おうとするなんて」
以前に唐揚げにも使用されていたソイの香りを思い出して、レンドルフは得心が行ったふうに頷いた。あからさまに使用されている訳ではないが、ほのかな塩気と独特の香ばしさが全体の味を引き締めているようだ。
「ミキタさん、フォークをもう一本お願いします」
「はいよ」
「ユリさんも味見して?」
「え?!あ、えと…その…」
「一口だけなら大丈夫だよね?」
ミズヨウカンだけでいいと言っていたが、先程からレンドルフの食べているパンケーキを大きな目で凝視していたのだ。その目には、食べてみたいという好奇心と、満腹だからどうしようかという葛藤が分かりやすく見え隠れしていたのだ。
あまりにも表情に出ていたのか、ミキタも笑いながらすぐにフォークをレンドルフの前に置いて行った。そしてレンドルフは新しいフォークを使って、クリームの挟まっている中央付近を小さく切り分けてユリの顔の前に差し出した。
「はい」
「レ、レンさん!?」
てっきりフォークを手渡されるのかと思ったのだが、レンドルフは刺さったパンケーキの方をユリに向けて来る。これは俗にいう「あーん」というヤツではないかと思い当たり、ユリは急に全身が熱くなった。
「あ、あ、あの、自分で食べラレルノデ…」
顔を赤くして妙な片言になりながらユリはレンドルフに向かって手を伸ばしたが、フォークに届く前にレンドルフの大きな手がやんわりと包み込む。レンドルフの長い指がユリの手首ごと握り締めて、ふんわりとしたニットの下に隠していた金属の魔道具に触れる。ユリはレンドルフの目的を悟って一瞬手を引きかけたが、心配そうな色の浮かぶレンドルフのヘーゼルの瞳に絡めとられるような感覚になって動きを止めてしまった。握り締めている手はあくまでもやさしく、ユリが引き抜こうと思えばあっさりと外れるだろう。けれどユリにはそれが出来なかった。
「この魔道具があると、動きがかなり制限されるよね?だから…無理にとは言わないけど」
前もって手紙でも、後遺症で一時的に魔力を制御する魔道具を付けていることはレンドルフに教えていた。しかしあまりにも大量にあるので心配させないように伏せていたし、ふんわりとしたニットで覆ってしまえば目立たないと誤摩化すつもりでいた。ミキタにはその事情を話して、手で摘める串揚げやおにぎり、軽い木のスプーンで食べられるメニューを作ってくれたのだ。
しかしさすがに浮かれてダンスのように組んでしまったことで服越しに大量の魔道具を装着していることに気付かれていたし、そこからメニューを見れば大方の予想は付いたのだろう。
「イ、イタダキマス」
このまま拒否しているのも気まずいので、ユリは思い切ってパカリと口を開くと、そこにそっと香ばしい風味とあっさりとしたクリームのパンケーキが差し入れられる。
「美味しい?」
食べているのはユリの方なのに、レンドルフが甘い物を食べた時のようにフニャリと嬉しげに顔が緩むのを見て、ユリは無言で何度も頷いた。そのレンドルフの肩越しに、カウンターの中からミキタはニヤリと口元を片方だけ上げて、グッと親指を立ててエールを送っているのがユリの視界にしっかり入っていたのだった。
お読みいただきありがとうございます!
豚汁は「224.ヒトデの期待と牡蠣の楽しみ」
ブランショウは「 204.トーリェ領の最後の夜」
あんこ入りの蒸しパンは「83.リバスタン街と蒸しパン」に出ています。
パンケーキは、ずんだクリーム餡のどら焼きのイメージです。