466.似たもの同士の思うところ
「じゃあ帰りの時間まで、これで温かいものでも飲んでくれ」
「ありがとうございます」
エイスの街のギルドに馬車を停めて、クロヴァス家のタウンハウスにいる顔の知れた馭者に駄賃を渡してからレンドルフは外でコートを着込んだ。
エイスの街までならノルドに騎乗して来るのはレンドルフにすれば大したことはないのだが、退院したとは言えど埃っぽい姿でユリに会うのは控えようと今回も馬車を使った。馬車になるとそれなりに時間が掛かるので、皺になるのを避けてコートを着ないでいたのだ。待ち合わせのミキタの店はギルドの通り挟んだ裏手にあるので、真冬でも馬車から移動するならコートなどなくてもレンドルフは平気なのだが、ユリの希望で仕立てたコートなのできちんと身に着けた姿を見せたかったのだ。
今回はタッセルを交換すると言うことで、上品な仕立ての裾の長いコートに愛用の大剣は少々不釣り合いだと思ったが、こればかりは仕方がないとレンドルフは割り切ることにした。そして片手にはユリへの退院祝いも兼ねたストールが入った箱を抱えている。
ギルドの正面口から建物を回って裏手に向かう途中、さして距離はないのだがやけに注目されているような気がして、レンドルフはギルドの窓に映った自分の姿をチラリと横目で確認する。
特におかしなところはないと思いたいのだが、レンドルフにはよく分からなかった。取り敢えずチラリと見た限りでは寝癖は付いてないし、ズボンの裾が捲れている訳でもない。どことなく不安にはなったが、多分大丈夫だと自分に言い聞かせて足早にミキタの店に向かった。
実のところ、頭一つ飛び抜けて大柄なレンドルフが裾の長いコートを靡かせて歩くだけで人の目を惹くし、贈り物らしき箱を大切そうに小脇に抱えて無意識なのか幸せそうに微笑んでいる姿に、周囲は何となく微笑ましいほっこりとした気持ちになっていたのだ。が、職務から外れて、しかも護衛対象への敵意以外には極めて鈍感なレンドルフにはいまいち感じ取れていなかったのだった。
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「いらっしゃい」
「こんにちは、今日はお世話になります」
貸切の札が下げられた店の扉を開けると、フワリと温かな空気がレンドルフを包み込んだ。カウンターの向こうのキッチンでは、何か煮込まれているのか湯気の立つ大鍋が置いてあるのが見えた。
「レンさん!そのコート着てくれたのね!」
店の奥に目をやると、いつもレンドルフが座っているソファ席にちょこんとユリが座っているのが目に入った。ユリの体を気遣ってか、店では見たことのないクッションがユリの周囲に並んでいた。
「ユリさん、もう来てたの?待たせてごめん」
「まだ時間前よ。レンさんだって十分早いじゃない」
いつも待ち合わせる際は、事情がない限りレンドルフの方が大分早く到着している。これは以前にレンドルフが「女性は絶対に待たせるなと叩き込まれた」というクロヴァス家の家訓めいたことを言っていたのをユリは思い出して、少し申し訳ない気持ちになった。しかし今回は、ユリをここまで連れて来る為に厳重な警護の上に人目に付かないように移動させる必要があったのだ。その厳重さをレンドルフに見られて、余計な心配をかけさせたくないという気持ちもあった。
「そのコート、来年まで見るのはお預けかと思ってた」
「俺は寒さに強いから、このくらいの気候ならむしろ丁度良いくらいだよ。それに、折角ユリさんが選んでくれたんだし。それよりも、ユリさんは大丈夫?」
ユリはスモーキーピンクのふんわりとした風合いのニットに、光も吸い込むような黒い生地のロングスカートを纏っている。これは今日レンドルフが敢えて選んで着て来たシャツと同じ素材で仕立てたものだ。秋の行楽に行く用に揃いで作ったものの、諸事情が重なって結局季節が過ぎてしまった。何となくそれが惜しくて、寒さに強いのをいいことにレンドルフは今回のチョイスに至ったのだが、ユリからすると薄手ではないかと心配になった。ニットの丈は長めなのでユリの太腿の辺りまで覆ってはいるが、女性は温かい屋内でも足元が冷えやすいと聞いている。
「今日はあったかいメニューだって聞いてるから大丈夫。それに、私も折角一緒に仕立てたものだからどうしても着たくて…」
「気が合うね」
「う、うん、そうね」
ユリは久しぶりに何も遮るもののない状態で眩しいまでのレンドルフの笑顔を直視してしまい、急に気恥ずかしくなって喉の奥が詰まったようになってしまった。幸いにもレンドルフには気付かれなかったようで、手にしていた箱を空いているテーブルの上にそっと乗せて、腰に下げている大剣もベルトから外してソファ席の端に立てかけるように置いた。
「あ…!」
「ん?どうしたの」
レンドルフが着ていたコートを脱ごうと胸元に手を掛けたとき、ユリが思わず声を上げてしまった。手を止めてレンドルフが首を傾げると、ユリは口元を押さえて気まずそうに視線を彷徨わせている。
「ユリさん?」
「あ、あの…!その…そのコートのまま、一回くるっと、して、もらえないかな…?」
「え、あ、うん。ええと…ちょっと狭いから。ミキタさん、ちょっとテーブル動かしていいですか?」
「構わないよ。今ちょっと手が離せないから、レンくんが好きに動かしとくれ」
「はい、ありがとうございます!」
ユリの唐突な望みに疑問を挟むことなく、レンドルフはヒョイヒョイと一人でテーブルと椅子を端に寄せて行く。そしてすっかりユリの前のテーブル以外を退けて、店の中央にぽっかりと空間が出来た。
「くるっと回る…こんな感じ、かな?」
そう呟きながら、レンドルフは軽く胸元を抑えながらその場でクルリと一回転してみせた。腰の辺りで少し絞られたデザインのコートは、少しの回転でも美しい円形を描いて広がり、レンドルフが停止すると一拍遅れてサラリと足に絡み付いてすぐに戻る。仕立てパターンの正確さとレンドルフの安定した体幹のおかげか、自然に出来るヒダの一つ一つが意思を持っているかのように均一の動きを見せた。
その芸術的な裾の翻りを眺めて、ユリはうっとりとした溜息を吐いた。
「レンさん、やっぱりカッコいい…」
「あ、ありがとう…」
ユリのストレートな賞賛に、レンドルフの白い頬がほんのりと染まる。
理由は分からないが、ユリは気が付いた時には風などに靡いて揺れる布に心惹かれていた。窓のカーテンや、干してあるテーブルクロスなどもそうだが、特に目を惹かれるのは裾の長い男性もののコートだ。これは祖父レンザの影響もあるだろうが、ユリはレンザが秋冬物のコートを仕立てる度に、さり気なく裾の長めのものを勧めていた。そしてレンザは、馬車や階段を上り下りをする度にユリが密かにうっとりと背中を見つめているのを全て理解している為、ユリの勧めるデザインのものを必ず採用していた。
今年はレンドルフにも裾の長いコートを仕立ててもらったので、ユリの歓喜もひとしおだった。
「ねえ、レンさん、そこまで歩いて方向転換してみて」
「こんな感じ?」
「うん!すごく綺麗!やっぱり騎士様だから動きの切れが違うのねぇ」
「そうかな…?自分ではよく分からないけど」
「今度はダンスを踊るみたいにターンしてくれる?」
「ダンス…」
その注文を聞いて、途端にレンドルフの動きがぎこちなくなる。レンドルフは身長があり過ぎたのとすぐに近衛騎士に任命されたので、夜会などで女性と交流を深める機会が殆どなかった。学園の授業の中でダンスを踊ることもあったが、華奢だった頃は令嬢達の血を見るようなレンドルフ争奪戦が影で行われていたらしく、騎士科の男子生徒を相手に女性パートを任じられることが大半だった。最終学年で見る間に育って巨漢に仕上がると、相手になった令嬢に戦場に向かう兵士のような悲壮感を漂わせてしまったので、やはり騎士科の後輩などと組むことが多かったのだ。
そんな女性とのダンス経験がほぼ未成年の子供と大差ないレンドルフは、相手もなくダンスをイメージして動くことは非常に困難だった。これまでの人生で練習を含めて一番踊った相手は間違いなくユリなので、彼女を想定して動こうとするとどうしても姿勢が悪くなってしまうのだ。
「ユリちゃん、あんまり無茶言うんじゃないよ」
困惑したレンドルフにミキタが助け舟を出した。もうレンドルフは裾を翻すという目的より、ダンスのような動きというリクエストに気を取られて、それどころではなさそうだった。
「じゃあ一緒に踊ればいいんだ!」
「え!?ちょ、ユリさん!?」
さも良い思い付きをしたとばかりにユリはポンとソファから下りて、レンドルフの側に駆け寄る。
「あ…」
しかしレンドルフの正面で手を伸ばした瞬間、ユリは明らかに自分の身長が足りないことに気が付いた。以前にレンドルフとダンスを踊った時は、ユリは特殊な形の高いヒールのある靴を履いていたので辛うじて身長差のあるレンドルフとも組めたのをすっかり忘れていたのだ。
「これじゃ無理だね。レンさん、ありがとう。すごく目の保養させてもらった」
「ちょっとだけ抱き上げても?」
「え?え、ええ、いいけど…?」
ユリが承諾すると、レンドルフはサッと片手でユリの膝裏の辺りから掬い上げるように持ち上げて、自分の腕の上に座らせるような形にする。ユリが咄嗟にレンドルフの肩に手を置くと、空いている片方の手を差し伸べてその上にユリの手を置くように示す。顔の位置はユリの方がレンドルフよりも高くなっているが、手の形だけは何となくダンスの時に組むような恰好になっている。
「これならダンスの感覚を思い出せそうだ」
心底いいことを思い付いた時の表情で、レンドルフはユリの近くで破顔した。そしてゆっくりとではあるがダンスのステップで半回転する。ユリの視界からはレンドルフの楽しげな顔が大半で、肝心の裾は視界の端で僅かに動いているのが見えるくらいだ。
ユリの望みとしてはいまいち叶ってはいないのだが、久しぶりにレンドルフに抱きかかえられた時の体温と安定感にもはやどうでも良くなっていた。夏場は手汗を気にしてレンドルフは手袋を嵌めていることが多かったので、こうして何の隔たりもなく手を重ねるのも随分以前のことだったような気がして、ユリは指先に触れるレンドルフの掌の剣ダコすらも懐かしく感じていた。
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ミキタは串に差した食材に細かく挽いたパン粉を付けてフライの準備をしながら、店内で始まった奇妙なダンス遊びを親のような慈愛に満ちた眼差しで眺めていた。当人達はダンスのつもりなのだろうが、状況的には父親が幼い娘をあやしているようにしか見えない。見た目は成人した若い男女なのに微笑ましいばかりで甘い雰囲気が一切漂って来ないのはどうなのだろう、とミキタは内心首を傾げたくなったものの、それはそれでお似合いなのかもしれないと思い直して、程良く熱された油の中に食材を突っ込んだのだった。
「そろそろ料理を出すよ。席に着いておくれ」
「はい!すみません!」
「ああ、テーブルはそのままでいいよ。却って運びやすくていいや」
「じゃあ帰る前に戻しますね」
「ありがとね」
ミキタが声を掛けると、レンドルフはすぐに回転を止めていい返事を返して来た。そのままユリを抱えてソファに戻り、まるで繊細なガラス細工でも扱うような動作でそっと下ろしていた。そして流れるような仕草でユリの長いスカートの裾を整える。ミキタからすると見慣れない行動だが、そこはきっと貴族仕草というやつなのだろうと納得していた。
「今日はユリちゃんの快気祝いだけど、まだ固い椅子に座らせるのも良くないだろうからね。レンくんには悪いけど横並びで頼むよ」
「全然悪くありませんよ。ユリさんが狭くなければいいんだけど」
「私は大丈夫!レンさんこそ平気?」
「うん」
年期の入った店なので、椅子もそれなりの年代物だ。普通に使う分には問題がないが、レンドルフのような巨漢が座るには少々危なっかしい。その為いつも安定しているソファ席に座らせてもらっているのだ。ソファ席は男性二人がゆったり並べるくらいの幅だが、レンドルフが座るとその隣で不自由がないのは小柄なユリくらいだ。だからこの二人の組み合わせならば何ら問題はない。
もうユリも普通の椅子に座っても問題はないのだが、今身に着けている魔道具の重みがあってカトラリーの細かい動きに支障がある為、上手く食べられなくてもレンドルフの目に入りにくいようにミキタが気を遣ってくれたのだ。
「酒精の弱いシードルがあるけど、どうするね?」
「ええと…飲もう、かな」
「じゃあ最初は少なめに注いでおこうね。レンくんは?」
「俺も同じものでお願いします」
「あいよ」
生ものや魚貝は念の為避けるように言われてはいたが、アルコールは特に何も言われていない。ミキタも気遣って酒精の弱いものを用意してくれたのだろうと、ユリはそっと控え目に手を挙げた。
すぐによく冷えたシードルが注がれたグラスが目の前に並べられ、細い金色の泡がグラスの中にたなびいているのが何とも美しかった。レンドルフの方は背の高い細身のグラスだったが、ユリの方は小振りのワイングラスの半分ほどの量だった。
「レンくんならこれを後で追加してみるといいよ」
「こちらは?」
レンドルフのグラスの隣に茶色の液体の入ったショットグラスを滑らせた。フワリと鼻先にシナモンと数種類のスパイスの香りが漂う。
「樹液とスパイスを煮詰めたシロップさ。シードルに入れると、アップルパイみたいな甘ーいカクテルになるんだ」
「いただきます」
体格のせいかレンドルフが甘い物が好きだと聞くと怪訝な顔をされることが多かったが、ユリもミキタも最初から何と言うことはなく普通のことと受け入れてくれる。それが嬉しくて、レンドルフは即答して相好を崩したのだった。
お読みいただきありがとうございます!
いつも評価、ブクマ、いいね、誤字報告などありがとうございます。誤字は「何故こんな間違いを…?」と思うようなものがかなり過去から発掘されたりして、ありがたくも恥ずかしい心境です。いえ、ありがたさの方が何倍も勝るんですが。
まだ物語は続いて行きますので、引き続きお楽しみいただければ幸いです。