465.上がる口角
色々と衝撃的な話を聞いて、頭の中が整理し切れないまま一度部屋に戻ったレンドルフは、窓の外に青い伝書鳥が来ているのに気付いた。この色の伝書鳥を渡しているのはユリだけなので、レンドルフはたちまち表情を明るくさせて手を広げて部屋に招き入れる。
怪我から復帰したばかりのショーキの訓練に付き合っていた途中だったので、本当ならば急いで戻らなければならないのだが、このまま手紙を読まずに行くと気が散ってしまうかもしれない。そう自分に言い訳しながら、レンドルフは机の上に置いていたペーパーナイフで淡いピンク色の封筒を開いた。
それでも急いで斜め読みをしたレンドルフは、思わずじっくりと読み返そうとしてしまってグッと堪えた。
ユリからの手紙には、レンドルフから預かっていたタッセルの調整が済んだことと、既に退院をして人の多くない屋内ならば直接会って渡すことも出来るようになったと書かれていた。数日前にレンドルフの予定を手紙に同封して送っていたので、その休みに合わせて食事でもしながら渡せないかと提案されていた。勿論レンドルフの返事は了承以外なかった。
すぐにでも返信を書きたいところだが、今は訓練に戻らなければならない。レンドルフは丁寧に手紙を封筒に戻して、手紙をしまっている螺鈿細工の箱の中にしまいこむ。そのまま蓋をしかけて、一瞬だけ手を止めて一番上に置いた封筒を眺めてから、思い切るようにきちんと蓋をしたのだった。
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「どうしてもこれは隠せないわね」
「一時的なものではございませんか。そのことはレン様にお知らせしたのでしょう?」
「そうなんだけど…すごく心配されてる」
「性格なのでございましょう」
「そう…だけど」
ユリは両手に装着した腕輪型の魔道具をどうにか目立たないように苦心していた。しかし薬師見習いという立場上、あまり普段から袖周りの装飾のない服を選択しがちなので、どんなに袖を下ろしても腕に大量に巻き付けた魔道具を隠し切れない。専属メイドのミリーも言われるままに色々な服を並べて着替えを手伝っているが、どう見ても無駄な足掻きなのはユリ自身も分かっている。それでもユリが満足するまで付き合ってくれているのだ。
レンザと晩餐を共にする際などにはそれなりに着飾るのでふんわりとした袖のドレスなどを持ってはいるが、レンドルフと会う時は上質だが平民風の装いにしていることが殆どだ。
ユリの生まれつき持っている特殊魔力を制御する為に、常に強力な魔道具を三つ装着していた。それは薄手の金属で体に巻き付けるようにする特別製なので、二の腕や腰回り、場合によっては太腿など見えないところに着けている。しかし毒を受けた影響で、今のユリは普段よりも魔力の揺らぎが大きい状態になっていた。総量は変化していないのだが、一部魔力の流れが詰まっているせいで体内で魔力を一定に流すことが難しいのだ。意識していればどうにか制御出来るのだが、気を抜いた瞬間に一気に魔力が噴出してしまい、いつもの魔道具だけで抑えることが出来ない。
それを防止する為に、ユリはいつもの倍以上の魔道具を装着しなければならない状況なのだ。
主治医のセイナの見立てでは、しばらくすれば元に戻るので焦らないように、と言われている。下手に焦って強引に魔力の制御をしようとして体力を削れば、却って元に戻るのに時間が掛かると懇々と説明を受けていた。何せ年明けにユリにとっては二度目の薬師の資格試験があるのだ。前回はユリの誘拐未遂騒動の翌日が試験日で、基礎中の基礎と言うような調薬ミスをして二次試験に進めなかったのだ。だからこそ次の試験には万全の準備を整えて臨みたいと、つい気持ちだけが焦ってしまいがちだった。
「せめてもうちょっと可愛かったら良かったのに」
「すぐには間に合いませんでしたし、レン様にお会いしないでおきますか」
「それじゃ約束が…」
「お嬢様の体調を思えば、変更になって腹を立てるような方ではございませんでしょう」
「そりゃそうよ!レンさんは優しいんだから!」
「何故お嬢様が得意気なのです」
「う…」
ユリの細い腕には、大分不似合いな無骨な金属の腕輪が嵌まっていた。いつも装着している物以上にユリの特殊魔力を制御し過ぎると体への悪影響があるので、体から漏れ出す魔力を吸い取るタイプの魔道具を追加で身に着けている。そうなるとある程度の頑丈さと容量が必要となるので、どうしても女性の腕には合わないものになるのだ。特に小柄なユリが着けていると、まるで罪人を繋ぐ手枷のようにも見えてしまって、どこか痛々しい風情になる。
「やっぱりタッセルは直接渡したいし、この前はちょっとの時間だったし…もう一回手紙に書いて知らせておくわ」
ユリはやっと諦めて溜息を一つ吐くと、楽なニットのワンピースに着替えて魔道具を外してもらう。見るからにゴツい魔道具は、一つでも結構な重量があるのだ。
「後でマッサージの得意な者を寄越しましょうか」
「うーん、いいわ。あの子、これを外したところで私に近付くの大変そうだし」
「では服を片付けましたら私が」
「お願いね」
氷の属性魔法を有しているせいか、もともとユリは冷え性気味だ。更に調薬などで肩や首の血行不良で酷いコリが溜まる上、重い魔道具のせいで過去最悪に巌の肩になっている。最近大公家に雇われたメイドの中にマッサージの上手い者がいるのだが、新人が故にまだユリの特殊魔力に体が慣れていないのだ。
ユリはベッドの上にこれでもかと広げてある服をミリーに任せて、いそいそと机に向かってレターセットを取り出す。
(明日はミキタさんにお願いしてソイペーストのスープとタキコミのおにぎりにしてもらってるから、そんなにカトラリーを細かく使うことはないわよね)
普段ならば問題はないが、重い魔道具を着けていると食事もし辛い。久しぶりに一緒に食事を出来るのだから、あまり見苦しい姿は見せたくない。メインは根菜と豚肉をたっぷり使って煮込んだソイペーストという調味料を使ったスープだ。柔らかく煮込まれているのでスプーンさえ使えればどうにかなるだろう。
このスープは、夏前にレンドルフに食べさせると約束したメニューだ。温かなスープは冬向けの料理なので、約束から随分と時間が経ってしまった。もしかしたらレンドルフは忘れているかもしれないが、同じ材料のソイという調味料も好んでいるのできっと気に入ってもらえるだろう。
(ホントは、牡蠣も用意したかったんだけどね…)
王都では牡蠣は冬場の食べ物だ。海のないクロヴァス領では食べたことのない食材だったが、レンドルフは王都に出て来てすっかり虜になった食べ物だそうだ。どんなものでも美味しそうに食べるレンドルフが、特に幸せそうな顔になる。その顔が見たいと思うのだが、ユリはまだ病み上がりとも言えるので、中りやすい生ものや魚貝は当分避けるようにと注意されていた。ユリは良くても、レンドルフだけに牡蠣を用意すれば気にして楽しめなくなりそうだと思い、今回はメニューから除外してもらっている。
(でも、楽しみだなあ)
ユリは便箋にペンを走らせながら、明日のことを改めて書き綴る。
明日はランチタイムの後に貸切にしてもらって、ミキタの店で食事をすることになっている。最初は完全予約制のレストランとレンドルフには説明している大公家所有の温室でまた食事の準備をしてもらうつもりだったのだが、特殊な動植物を世話する為にあちこちに魔道具を設置していて、ユリの使用する魔道具で影響が出るので使えなかったのだ。
他の店では警備上色々と難があったので、今まで一番一緒に食事をしているミキタの店にした。ミキタは大公家に直接雇われている訳ではないが、ユリの正体を知っているので融通が利く。
(明日はタッセルに付けてる付与を全部説明して…レンさんの故郷のお話と、ご家族のことも聞きたいな。それから、次の約束もしておきたいし…)
ユリは明日のことを考えながら、無意識のうちに口角が上がっていた。服を片付けてマッサージの為の香油などを用意していたミリーは、その楽しげな様子のユリを見て、密やかに彼女も口角を上げていたのだった。
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(明日が楽しみだな)
レンドルフは夕食後に自室に戻ってから、ソワソワと何度目かになる明日に着て行く服や持参する品を確認していた。
以前ユリと揃いで秋物のシャツを作ったのだが、色々なことが重なってユリとほとんど会うことがなく冬の季節に突入していた。けれど体温が高く暑がりなレンドルフからすれば、まだまだ秋物で過ごしても問題はない。新素材という吸い込まれるような美しい黒い生地で仕立てたシャツなので、見た目はそこまで寒々しくは見えないだろう。そこに薄手のベストと丈の長いコートを合わせればレンドルフには十分だった。
このコートも、ユリが是非にとデザイン画を片手に勢いよくレンドルフに願って来たものだ。緩やかに腰の辺りを絞って、長い裾の辺りは自然に広がるようにたっぷりと生地を取ってある。レンドルフの体格からすると、通常の倍くらいの生地を使用しているのではないだろうか。しかし軽いものを選んだので見た目程重くはない。その分薄手ではあるのだが、暑がりにはちょうど良いし、シャツと合わせて初披露するならばユリの前の方が喜んでもらえると確信していた。
(こっちも…気に入ってもらえるかな…)
机の上には、レンドルフが小脇に抱えられる程度の箱が置いてある。ユリに持たせれば両手で抱えるくらいだろう。これはクロヴァス領を発つ直前に思い付いて急遽注文して来たもので、先日ようやく届いたのだ。
箱の中身は、クロヴァス領で作られたストールが入っている。保温効果が高く、冬場の討伐用の外套にも使用される白ムジナの革に、領地で育てられている綿毛兎の毛皮を合わせたものだ。綿毛兎は兎の形はしているがサイズは牛ほどの大きさになり、冬場に長くフカフカになる毛を刈って領民の衣服に広く使用される。特に毛の内側で柔らかく手触りの良いものは僅かしか取れず、稀少なものだ。しかしその分温かいのに通気性が良いので、価格が高くとも常に品薄状態だ。
レンドルフが注文した時点で完成は冬の終わりかもしれないと言われていたが、また次の冬に使ってもらえばいいと流行りのものではなくシンプルなストールにしたのだ。だが予想以上に早く届いたのは、どうやら父ディルダートが母アトリーシャに贈る為に夏に発注していたのを差し替えてくれたからだった。
両親の気配りに申し訳なく思ったが、同時に届いた母からの書簡から「毎年作ってもらっているのだから気にしないで」とあったのでありがたく受け取ることにしたのだ。
中身を確認すると、薄く滑らかな白ムジナの革に淡いクリーム色の綿毛兎の中でも最も稀少な部分の毛が両面に張り付けられているストールが入っていた。これは敢えて風合いをそのままにする為に染色は頼まなかった。それでも十分上品で、夜会に出るようなドレスと合わせても遜色はないだろう。
体温が低めでいつもひんやりとした指先のユリに、防寒に優れたクロヴァス領産の衣類は相性が良い筈だ。何故今まで気付けなかったのだろうと、レンドルフは店の前で天啓を受けた時にそのままの勢いで店に駆け込んだのだった。
そのストールと同じ箱に収めた小さな箱には、ストールを留める為のブローチを入れてある。柔らかなストールに合わせて、鳥の羽根を使って花の形を模した華やかなものを選んだ。選んだと言うより、クロヴァス家に馴染みの宝石商リーズの助言を受けながら注文したものだ。深い赤い色の羽根に、透明度の高い黄水晶をあしらってある。羽根の色が華やかなので小さめの石を幾つか並べて、控え目な輝きを添えている。ストールに合わせて使ってもらえば、より色が引き立つだろう。
(ユリさんに似合うといいな)
少し大判のストールなので小柄なユリが纏えばコートのようになるかもしれないが、フワフワの綿毛兎の風合いはより可愛らしさを引き立てるだろう。淡いクリーム色はユリの黒髪にも良く映えるだろうし、濃い赤も彼女に似合うのは知っている。
レンドルフはユリに纏ってもらった時のことを想像して、無意識に口角を上げていた。
不意に窓にコツリと何かが軽く当たる音がして、伝書鳥が到着した合図だとすぐに窓のカーテンを開けた。外は暗く部屋の中が明るいので、窓ガラスが鏡のようになってレンドルフの顔を映し出した。そこには明らかに浮かれて部屋でひとり笑みを漏らしている自分の顔が見えて、レンドルフは思わずハッとして顔の筋肉を引き締めた。
誰が見ている訳でもないので別にどんな表情であろうが構わないのであるが、レンドルフは明日ユリに会った時にだらしない顔をしないようにしないと、と気を引き締めたのだった。