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461.温かな食事


冬の日中は短く、あっと言う間に周囲は暗くなって道に街灯が点灯し始めた。エイスの街の中心部は酒場が多いので、店先も次々と灯りが入って行く。しかし昼間の揺れの影響は隠し切れず、幾つかの街灯は暗いままだったし、臨時休業の看板を出している店も散見された。


レンドルフはステノスに「あとは駐屯部隊と自警団でどうにか出来る」と言われて、素直に引き上げて来た。本来は休暇中であるし、レンドルフは王城騎士団直属なのであまり手を出し過ぎるのも体面上はよろしくないのだ。それに夕刻くらいになると、動けなくなっていた魔法士や騎士達も動けるようになって見回りに参加し始めて人手も足りそうだった。

レンドルフはステノスと別れて、治癒院に置きっぱなしになっていた馬車まで戻って来た。



治癒院を出たのに長らく置かせてもらっていたことを受付に詫びようと向かうと、職員に引き留められてしばらく待つように言われてしまった。治癒院内はやはり昼間の件で怪我人や体調の悪くなった人間が多数運ばれて来ていたらしく、通常なら受付も閉めている時間帯だがまだ灯りが点いていた。ただ今は大分落ち着いているようで、待合室には誰もいなかった。レンドルフは何となく体を小さくして、待合室のソファに腰を下ろして大人しく待つことにした。誰もいない待合室でも暖房が入っているので、寒いことはなく快適な温度だった。遠くでは大勢の人が行き交っている足音やざわめきが聞こえて来るのだが、レンドルフの周囲だけが別の世界に切り離され、足元に静謐が横たわっているような感覚に囚われた。



「あ、レンくーん、お待たせ〜」


シンと静まり返っていた待合室に、場違いなほど明るく賑やかな気配を纏ってアキハが小走りにやって来た。一部の灯りを落としている為に薄暗い待合室が、彼女の蜂蜜色の金の髪が周囲を明るく照らしているような印象を受けた。

ふと、レンドルフは以前にアキハは聖女候補だったという話を聞いたのを思い出し、もし彼女が聖女に就任していたら周囲を明るく照らし出す希望のような存在になっていただろうと想像が付いた。


「アキハさん、先程は大丈夫でしたか」

「へーきへーき〜。レンくんもお疲れさまやったね。ユリちゃんが怪我とかしてへんかって心配しとったで」

「俺は大丈夫です。少し手伝っただけですから」

「少し、ねえ…」


レンドルフの言葉に、アキハは少しだけ目を細めて全身を眺めた。今日のレンドルフは、ユリの見舞いに行くのだから、と新品のウールのスーツを着て来ていた。しかし火事騒ぎがあった為にそのまま出掛けて行き、半日近くあちこちの現場を見回っていたのだ。そのせいか彼の服は明らかに型が崩れて、どことなく煤けた印象になっている。顔や髪も目立った傷や汚れは見えないが、全体的にどこかうっすらと走り回って来た人間特有の埃っぽさがあった。


「折角の休暇なのに大変やったね」

「そのままにしては置けませんから」


アキハは軽くレンドルフの袖の辺りに触れると、浄化魔法を発動させた。これは生活魔法にもある浄化と似たような効果だが、聖魔法を扱うアキハの場合は全身の消毒なども行える上位のものだ。


「あ、ありがとうございます…」

「皆の為に頑張った騎士様をそのままにするなんてバチ当たりなこと出来ひんからね〜。それからユリちゃんから伝言。『タッセルを一時的に交換して』やて」

「交換、ですか?」


アキハは着ていた白衣のポケットから、上等な革張りの箱を取り出した。そしてその蓋を開けてレンドルフの前に差し出す。レンドルフはそれをソロリと両手で受け取って覗き込むと、そこには宝飾品には全く詳しくないレンドルフでも一目で高価と分かる黒く艶のある金属で作られたタッセルが納められていた。


「こちらは…」

「これはユリちゃんのおじい様のなんよ。レンくんのとおんなじ付与が付いてるから、中の回復薬交換するまでこっち持っといてー、って」

「いやいや!そんな貴重なものお借り出来ません!!」

「これはお二人とも承知の上やで。まあ、借り(モン)を剣にぶら下げとくのは気ぃが引けるやろし、ポッケにでも入れといて〜」

「ですが…」

「はいはい、ちょお手ぇ出して〜チクッとするで〜」


レンドルフがオロオロしている隙に、アキハは更にポケットからペン型の小さな針の付いた道具を出して、レンドルフの手を取って指先に押し当てる。これはよく検査や誓約を交わす時などに使用する血液を採取する道具なので、治癒士のアキハからすればカトラリーよりも使い慣れている。

言われたような全くチクッという感覚もないまま、あれよあれよとレンドルフの指先にポツリと浮かんだ血液を魔法陣の書かれた紙に吸い取られ、すぐに治癒魔法で指先は何事もなかったように綺麗になっていた。


「あ、あの…」

「はい!これでレンくんのタッセルが一時的にこっちに書き換え完了やで〜。一週間くらいで交換も終わるそうやから、ユリちゃんから連絡来たら対応したって」

「ですが、あの!」

「交換する時は直接ユリちゃんとやり取りしたらええで〜。その方がまた会う機会も増えるやろ?じゃあお疲れ!気ぃ付けて帰りや〜」


アキハは一体いつの間に、と思うほどの見事な手管でレンドルフの剣に付けられていた彫金細工のタッセルを外して、別の革製の箱の中にそれをしまった。タッセルには紛失や盗難を防止の為に、レンドルフから長く離れると戻って来るようになっている。その方法が先程の魔法陣による個人登録なのだが、仕組みは分からないがアキハの持っていた魔法陣で一時的に変更になったらしい。


そしてレンドルフが色々と疑問を認識する前に、アキハはヒラヒラと手を振って足早に治癒院の奥へと去って行った。レンドルフからすれば、それこそ気持ち的には昔故郷で背後からケルピーに噛み付かれて湖の中に引きずり込まれて翻弄された時のような感覚だった。


しかしいつまでもここにいる訳にはいかないので、レンドルフは胸ポケットに預かったタッセルを箱ごと丁寧にしまい込んで、何だか怪訝な顔のまま治癒院を後にしたのだった。



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治癒院の馬車留めから街中に出ると、レンドルフは急に空腹を感じた。考えてみたら、王城を出る際に少しでも早く行こうと部屋に置いてあったパウンドケーキを一切れ詰め込むようにして外出して以降、水くらいしか口にしていなかった。

今日は来る際は体に汚れなどが付かないように馭者を頼んでいたが、見舞いを終えて帰る時は自分で馭者を務めて王城まで戻る予定だった為、急な予定変更をしたところで問題はない。

レンドルフはふと思い立って馬車を引いているノルドの鼻先の向きを変え、エイスの街の中心にあるギルドに向かうことにした。ギルドには広い馬車留めがあるので、そこに馬車を預けて、通りを挟んだ裏手にあるミキタの店まで行こうと思ったのだ。ユリと初めて出会った時に連れて行ってもらった店で、気さくで頼もしい女主人のいる食堂兼酒場だ。以前の長期休暇中や出向時は毎日のように通っていたので、レンドルフの食事量もよく分かってくれて、勿論食事も旨く居心地の良い店だ。


ユリとなかなか会えなくなってから自然に足も遠のいてしまっていたので、レンドルフは折角ならばそこで食事をしてから帰ろうと思ったのだった。



ギルドに馬車を停めて、管理人に少しばかり多めに金銭を払ってノルドに甘い物を食べさせてくれるように頼んでから、レンドルフは慣れた道を足早に向かった。一瞬だが、昼間の影響で臨時休業だったらどうしようかと思ったが、何となくあの肝の座った女主人ならば店を開けているだろうと半ば確信していた。

ギルドの裏手に回ると、案の定長年の人の出入りで独特の艶のある古びた扉が灯りの中に浮かび上がっていた。


「おう、レンくん。いらっしゃい」


期待を込めて扉を開けると温かなオレンジ色のランプの灯りが出迎え、香ばしい脂の焼ける香りや、タマネギやトマトなどの野菜の煮えている匂いが鼻をくすぐった。そしてカウンターの奥には、女性にしては珍しいくらいにさっぱりと襟足を刈り上げた短髪の中年女性が忙しそうに調理をしながらも、レンドルフを見ると満面の笑顔で出迎えてくれた。


「お久しぶりです、ミキタさん」

「元気そうだね。いつもの席に座っとくれ」

「ありがとうございます」


まだ少し飲むには早い時間帯なのか、それとも昼間の影響からか店内にはまだ客はおらず、レンドルフがいつも座っている奥まったソファ席を指し示した。この店は先代の老夫婦が長年営んでいた店舗をミキタが引き継いだので、建物も調度品もかなりの年代物だ。大事に手入れしながら使っているのだが、大柄で体重もあるレンドルフが使うには店内の椅子はかなり不安が残る。その為、店に来るとレンドルフは必ず奥の唯一のソファ席に案内されるのだ。

この店に来る者は常連客が多く、一目でレンドルフが椅子に座ると大惨事になるのが予想が付くので、来店した時に誰かが座っていても快く席を譲ってくれるので、その席は完全にレンドルフ専用になっていた。


「今日は大丈夫でしたか?」

「ああ、あれね。昼前だったろ?おかげで仕込んだスープが半分駄目になったよ。でも周りがそれどころじゃなくて結局客が少なくて、余ったくらいだったさ」


ミキタはカラカラと陽気に笑いながら、レンドルフの前に注文をしていないのに大きめのボウルに入ったスープを出して来た。よく煮込まれて半分溶けたトマトと根菜のスープの中心に、白く丸いものが浮かんでいる。そして上からは胡椒がパラリと掛けられているので、酸味と胡椒の刺激のある香りが混じり合って食欲を刺激する。


「こいつはサービスだ。ランチの残りでちょっと煮詰まってるから、真ん中のポーチドエッグを崩して混ぜながら食べてみておくれ。よく焼いたパンを浸して食べるのもいいよ」

「ありがとうございます」

「今日のメインはオニオンソースのチキンソテーと蕪のクリーム煮だよ」

「それは美味しそうですね。両方お願いします。それと、リンゴの果実水を炭酸で割ったものとオススメを」

「はいよ」


レンドルフはスープと一緒に提供されたパンが山盛りになっている籠の中から、薄くこんがりと焼き目の付いたバケットを摘み出す。それをそのままポーチドエッグの中央に差し込むようにして、トロリとした鮮やかな色をした黄身と赤いスープを絡めとる。それを垂らさないように慎重に、且つ素早く口の中に入れて噛み締めると、カリリとした歯応えと濃厚で甘みのある卵の味と体に滲みるようなトマトの酸味とスープの塩味が広がる。その温かさも含めて、自覚はなかったが疲れていた全身が癒されるようだった。


黙々と半分ほど一気に食べた頃、「オススメ」と呼んでいる大きな平皿に乗った数種類の料理がサーブされる。これはランチに出したり、中途半端に余っている食材をミキタがその時の気分で作ったものの盛り合わせだ。正式なメニューに載っていないので、何が出て来るかは当日のお楽しみなのだ。夜だけのメニューなので、基本的にランチの利用が多いレンドルフは、夜に訪れるとこれを注文するのが楽しみの一つになっている。


「量が多くないですか?」

「ほら、昼の騒ぎで客足が少なくてね。レンくんが食べてくれたら助かるんだ。だから遠慮なく食べとくれ」

「では遠慮なくいただきます」


少量ずつではあるが色々な種類があるので、レンドルフは端から少しずつ味見をしていく。料理は野営などで簡単なものしか作れないので一目では分からないものも多いが、好き嫌いがないおかげで口に入れるのに躊躇いはない。クニクニとした食感で中から旨味が滲み出て来る貝の煮物や、子供の指くらいしかないような小魚のフリッター、スモークチーズとピクルスを刻んでクラッカーに乗せたものなど、夜なので主に酒の肴が中心だが、飲まなくても十分に楽しめる。



スープを完食して空腹が少し落ち着いたところで、タイミングよくチキンソテーと蕪のクリーム煮が運ばれて来る。レンドルフの為に大振りのチキンを出してくれたのか、皿から端がはみ出している。まだ焼き立てなので身と皮の間から透明な脂が流れ出して、微かにジブジブと音を立てていた。

早速チキンにナイフを立てるとキツネ色に焼けた皮がパリリと砕けて、その下の柔らかな身にスルリと沈んで行く。それを少し大きめに切り分け、飴色のタマネギがたっぷり入ったソースに絡めて一気に頬張った。身に厚みがあったので思ったよりも熱く、レンドルフはフウフウと息を吸い込みながら肉を噛み締めた。淡白なチキンにしっかりと塩胡椒で下味が付いていて、甘みのあるタマネギと合わさるとまろやかな旨味が溢れて来る。


「すごく美味しいです」

「ありがとね。その食べっぷりと見てると嬉しくなるよ」


ミキタは「これもサービス」といいながら、スティック状に切った野菜と色の違う三種類のディップソースを置いて行った。一つはよくサラダなどに使うクリームソースだったが、もう二つは茶色とピンク色をしていた。


「こっちはクリームソースにソイペーストを混ぜたもので、こっちのピンクのはチーズソースとメイタイコって言って…って知ってるみたいだね。ユリちゃんから教わったのかい?」

「はい。ちょっと辛くて、美味しかったです」

「じゃあこれも大丈夫だと思うけど、駄目だったら遠慮なく言っておくれ」

「いただきます」


それぞれを試してみたが、レンドルフにはどれも美味しくて、気が付くと野菜を三回もお替わりしていた。



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すっかり満腹になるまで食べて、口直しにと出してくれたレモンのシャーベットをゆっくりと味わっていたが、それなりの時間になったのに客は誰も来ていなかった。思った以上に昼間の揺れの被害が大きかったのだろうかと心配になった時に、ようやく店の扉が開いて誰かが入って来た。


「おっ、レンじゃねえか。まだこっちにいたのか」

「なんてこと言うんだい。わざわざウチに食べに来てくれたんだよ」


顔を出したのは、すっかりいつものリラックスした姿に戻ったステノスだった。


「ステノスさん、大丈夫でしたか」

「ああ、問題ねえよ。大きな被害もなかった。ちょいと細かいことが多くて面倒だけどな」

「それをするのがアンタの仕事だろう」

「んなこたぁ分かってるよ」


ステノスはこの店の常連でミキタとは気安い間柄だが、それはこの二人が元夫婦ということもあるのだろう。他の常連に比べてやや彼女の言葉には容赦がないが、ステノスはそれがどうやら満更ではないらしい。


「今日はあんまり客も来てねえと思ってな。大鍋ごと売ってくれ」

「ああ、鍋を洗って返すまでちゃんとやるんだよ」

「知ってるよ。で、どれだけある」

「大鍋二つ。で、金貨一枚と銀貨八枚」

「金貨二枚出すから、ついでにちょっくらツマミも付けてくれ」

「仕方ないねえ。運ぶのはそっち任せだよ」

「商談成立」


ステノスが言うには、先程まで街中を後始末などで自警団と駐屯部隊で駆け回って、ようやく通常勤務に戻ったそうだ。そこで彼らの慰労も兼ねて、駐屯地の敷地内で食事を振る舞うことにしたそうだ。そこで今日は客足が少なそうな飲食店を訪ねて、料理を買い上げているということだった。そこに参加出来ない夜回りの担当者には、後日特別手当てが出て不満がないようになっているらしい。


レンドルフは初めて聞く制度だったので目を丸くしていたが、これはこの街独自の政策らしい。王都とは言っても中心街から外れている地域なので、王城騎士団や警邏隊の目が届きにくかった為に一時期はスラム街のようなものまで出来たことがあったが、ここ数年で目覚ましい進化を遂げて格段に住みやすい土地になったのはその独自の政策が大きいそうだ。

エイスの街の近くには、豊かな自然を近場で満喫出来るので貴族の別荘地帯がある。そこから一番近いエイスの街が荒れるとそちらにも影響があるので、そこに土地を持つ貴族が数名責任者となって街の運営に力を入れたおかげで良い方向に向かったと言われている。


もともと自警団を束ねていたステノスを駐屯部隊の部隊長に抜擢したのも、自警団とそこの騎士達との繋がりを深めて連携が取れるようにする一環だったそうだ。



その場にいた流れでレンドルフも大鍋を荷馬車に乗せるのを手伝いながら、ステノスからそんな話を聞いていた。ステノスが語るからなのか、その内容は非常に興味深く感心するものばかりだった。先日までここに出向していたのに、任務の話ばかりでそういったことを聞かなかったのを、レンドルフは少し惜しく思ったのだった。




お読みいただきありがとうございます!


王都は王領なので領主的な立場は王族ですが、各地域に責任者的な貴族が政務を行っている感じです。王族=都知事、各責任者=区長、市長的な。地方も領主=県知事、分家や寄子の貴族家=市長、町長みたいな関係で。

エイスの街は、表向きは複数の貴族が責任者を務めているようにしていますが、実質アスクレティ大公家が管理しています。徹底して環境を整えているのは、将来的にユリが暮らして行く為の安全な箱庭をレンザが準備している為です。

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