460.地震の後始末
一度だけの大きな揺れだったがやはり人々は混乱していたらしく、街に出たレンドルフは不安気にざわついている様子を肌で感じた。
今回は見舞いに行くのに埃っぽい姿ではならないと馬車で治癒院を訪れていたが、街中の混乱を予測して馬車留めに置いて来て正解だった。一応積んでおいた愛用の大剣と、応急処置用の回復薬などを入れているポーチを身に付けてから煙の上がっている方向へ走っていたが、あちこちに馬車が立ち往生していて徒歩で通り抜けるのも手間取りそうだった。ただ目に見えて事故に繋がっていないのは、街中を巡回している自警団が素早く動いて対応しているおかげのようだった。
(仕方ないな)
レンドルフは人のいない裏路地に入ると、誰もいないのを確認して水魔法の一つ、隠遁魔法を発動しようとした。これは体の周囲に細かい霧を発生させて、光の屈折で自分の体を認識し辛くする魔法で、これで目立たないように屋根伝いに移動しようと思ったのだ。
「レン」
「っ!」
不意に後ろから声を掛けられて、レンドルフは思わず息を呑んでしまった。振り返るとレンドルフのすぐ後ろのフェイが立っていた。少しばかり息が上がっているのは走って来たのだろうか。
「あの、フェイさん、お久しぶり、です…」
常に周囲に気を張っている訳ではないが、常人よりは気配に聡いと思っていた。が、にもかかわらずここまで無防備に驚くのはどこまで油断していたのかと恥じ入るような気持ちになって、レンドルフはすぐに言葉が出なかった。
「ええと…急いで人気のないところに向かってたんで、どうしたのかと思ってな」
「あ、その、火事の現場に向かおうと思って」
「こっちの路地じゃ遠回りだ。俺が案内しよう」
「いや、人が多いから、隠遁魔法を使って屋根伝いに行こうかと」
「ああ…まあそれもあったか…いや、また大きな揺れがないとは限らんし、地上から行こう。着いて来い」
「は、はい。ありがとうございます」
フェイに先導されて、レンドルフは早足で裏路地を幾度も曲がって着いて行った。
レンドルフの前を小走りに進みながら、フェイは内心冷や汗をかいていた。フェイは一応ユリの護衛を務めてはいるが、レンドルフの動向を見守る役目も受けている。今回はユリにかなりの数の護衛を割いているので、フェイが一人でレンドルフの後を追ったのだ。しかしこれでレンドルフが隠遁魔法を使っていたら見失っていたかもしれなかった。レンドルフの使える魔法に関しては報告を受けていたので、知っていながら見失ったとあってはどんな叱責があるかと思うと、直前に止められて良かったと心底安堵したのだった。
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建物の側を抜けているので、煙の様子は見えないが周囲がどこか焦げ臭くなって来た。そして周囲のざわめきも大きくなって、時折怒声も混じっていた。
「あそこだ」
裏通りから表通りに出ると、ほぼ火事現場は目の前だった。
「…こいつはマズイな。あの向こう側の赤煉瓦の倉庫、製紙工場の在庫置き場だ」
「風向きも悪いですね」
燃えていたのは、小さな商店を一階に持つ店舗兼住宅が一棟と、その両隣の民家だった。おそらく一階の商店から出火したのだろう。両隣の家はそこまで延焼していない。しかしその民家のすぐ裏手が倉庫になる。このままだと燃え移るのは時間の問題だろう。周囲は自警団と駐屯部隊の騎士達が連携して、防火用に街の至る所に設置されている水の入った樽を次々と荷車で運んで来ている。その樽は放水用の魔道具に繋がれて、炎に向けて大量に水を注いでいた。だが、三軒が同時に出火しているので、魔道具が一台だけではなかなか鎮火する様子はない。魔道具は何台もある筈なのだが、他の場所でも出火していてこちらに回せないのかもしれない。
「ステノスさん!」
レンドルフは放水の魔道具の側で指示を出している見知った顔を見つけて、急いで駆け寄った。そこにいたのはエイスの駐屯部隊で部隊長をしているステノスだった。彼は騎士団の防具に身を包んでいたが、その半分ほどが煤で黒くなっていた。
「おー、レンじゃねえか」
「俺に出来ることは」
「助かる。水魔法は使えるか?」
「消火に使えるほどの量は無理です。ただ、土の壁で延焼を防ぐのなら」
「あの家の燃えてるところだけを切り離すことは可能か?」
「はい。ですがそうすると家が完全に駄目になりますが」
今のところ燃えている三棟の建物は、全体に火が回っている訳ではない。レンドルフの土魔法で火の点いた部分を切り離して延焼を防ぐことは出来るが、そうなると消火した後は建物自体を丸ごと土台から立て直さなくてはならなくなる。このまま燃え広がれば同じことだが、途中で消すことが出来れば土台は無事かもしれない。だがその可能性は五分と言ったところか。
「構わねえ。責任は俺が取る。スパッとやってくれ」
「はい!」
「これからこいつが燃えてるところを魔法で切り離す!総員一時退避!!」
迷うことなく判断を下したステノスは、すぐさま周囲に退避命令を出す。普段は耳に心地好い飄々とした落ち着いた響きのあるステノスの声だが、驚くほど良く通った。耳が痛くなるような大音量ではないのに、周囲の喧騒の中ステノスの言葉は不思議なほどハッキリと聞き取れた。
エイスの街は自警団と駐屯部隊の騎士達とは、日頃から合同訓練を欠かさないで常に連携を深めている。何か災害などが起こった時を想定した訓練も行われているので、その動きには淀みがない。ステノスの号令が飛ぶと、一旦放水を止めて一斉に距離を取った。
「レン、頼む!」
「アースウォール!」
レンドルフは地面に手を付けて魔力を流した。触れなくても発動は出来るが、直接触れていた方が更に繊細な操作が出来る。レンドルフは極力薄く、密度の高い土の壁を一軒ごとに出現させた。中央の火元と思われる店舗兼住居は四階中二階まで火が届いているので、三階部分の床より少し上の付近を貫くように壁を這わせた。そして上の階が落ちてしまわないように同時に四方を支える高い壁を立てる。両隣の家も一階部分の半分を抉るように土の壁を曲げて、出来る限り燃え残っている部分を残すようにした。そうなると家の壁には幾つも複雑な穴が開くことになるので家自体は駄目になってしまうが、中の家具を少しでも残す方向にしたのだ。おそらくステノスもそちらを優先させる為にそう指示を出したのだろう。
そして最後に倉庫に飛び火しないように、倉庫と家屋の境目に高い壁をそびえ立たせた。
消火活動に当たっていた者や、様子を見に集まっていた住人達は一瞬の出来事にポカンとして静まり返っていた。
「何やってる!消火を再開しろ!!」
ステノスが声を張り上げると、すぐに我に返って皆が一斉に動き出す。再び放水が始まったのを見て、レンドルフは軽く息を吐いて立ち上がった。治癒院で魔力にあてられた影響なのか、いつもよりも魔力の消費が多かったように感じられたが、体調に響くほどではなさそうだった。
「少し風向きが悪いな。レン、お前さんはどのくらい水魔法は使えるんだ?」
「カップに数杯の水と、隠遁魔法の為の霧を出すくらいです」
「それで消火はちょいと難しいな」
「すみません」
「いや、謝るなって。俺の言い方が悪かった。すまねえな」
ステノスの口調はいつものように軽妙なものだったが、消火活動をしている騎士達を見る目はどこか厳しい。
「俺も樽運びをやりますよ」
「いや、そうして貰いてえのは山々なんだが…水が足りねえ」
「え…!?」
ステノスは顔を火事場に向けたまま、小さな声でレンドルフに囁いた。レンドルフはこの街で暮らしていないので正確な場所を把握している訳ではないが、街の至る所に防火用の水の入った樽が置かれているのは知っている。かなり大きな樽なので重量も相当なものだが、荷車を借りればレンドルフ一人で二、三個くらいなら運ぶことは出来る。ステノスからまだ持って来ていない樽の場所を指示してもらって運搬しようと申し出たのだが、返って来たのはそんなステノスの苦々しい言葉だった。
「あの揺れの直前、魔力の塊みてえなのが通ってったとかで、魔法士が軒並み使いモンにならなくなってる。騎士団でも魔力の強いヤツとか、獣人とかがぶっ倒れちまった。レンは大丈夫だったらしいな」
「俺も一時的に立てなかったですよ。あれ、何だったんですかね」
「さあな。それよりも火事をどうにかするのが先決だ。ここだけとは限らんからな。早いとこ鎮火させて、他も見回らねえと」
「砂で火力を押さえましょうか。完全に鎮火は難しいですけど、弱める程度なら」
「ありがてえ、やってくれるか」
もう一度ステノスが一旦放水を止めさせて、レンドルフが火の上に砂を落とす。放水で大分弱まっていたので、それだけでほぼ鎮火させることに成功したようだ。燃え残った柱などから黒い煙が出てはいるが、見える範囲で火は見えない。
「そこの五名は現場を確認。燻っている部分が再燃しないように十分注意しろよ」
ステノスは魔道具で放水に当たっていたグループに声を掛けると、他の者には次の場所に移動するように指示を飛ばす。レンドルフにも着いて来るように告げると、足早に別の現場に向かって行った。
レンドルフはステノスと共にエイスの街のあちこちを見て回り、先程の火事現場以外はボヤ程度の出火があったらしいが既に消し止められていたので、殆ど被害らしい被害はなさそうだった。ただ、食器やガラス細工を扱っている飲食店や雑貨店などはあの揺れのせいでかなりの数が割れて、比較的被害が大きいようだ。エイスの街だけでなく中心街も同じように揺れていたならば、もっと全体の被害は大きいかもしれない。
そんなことを思いながら、レンドルフは夕暮れまでステノスと街中を奔走していたのだった。
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「…ねえ、さっきの、何だったのかしら」
「あの揺れでございますか?」
「こう…巨大な魔力の塊みたいなのが地面の中を泳いで行った…みたいな?」
「私は魔力が殆どありませんので、その感覚は分かりませんでしたが」
ユリは別邸に戻る馬車の中で、先程の謎の「何か」のことを考えていた。
王都内には防御の魔法陣が張られていて、凶暴な魔獣や外部からの呪詛、大規模な攻撃魔法などは弾かれるか弱体化されるようになっている。しかし全てを防げる訳ではなく、テイマーの支配下に置かれている個体や、そこまで強くはない魔獣は出現する。逆にその魔法陣を越える強大な力を持つものも侵入可能だ。
それに魔法陣は王城を中心にしているので、王都の最端にあるエイスの街はそこまでの恩恵がある訳ではないのだ。その魔法陣を維持するには王族が定期的に魔力を供給する必要があるのだが、オベリス王国の建国とほぼ同じ歴史を持つものなので、少しずつではあるが魔法陣も弱まっているという。
「魔獣…とはちょっと違ってたような気もするんだけど。誰かが召喚した精霊獣かしら?」
「どちらにせよ、お嬢様にお怪我がなくて良かったです」
「ありがとう、ミリー。レンさんが助けてくれたから、大丈夫よ」
久しぶりに直接顔を合わせたレンドルフは、ユリの目には以前よりも精悍な顔立ちになっていたような気がした。けれどユリに向けてくる笑顔は変わらず優しかった。
会話の中で「騎士の誓い」を交わす方向に持ち込んで自然に触れる機会を作れた時は、ユリは何事もない顔をしていながらも内心は盛大に快哉を上げていた。しかも狙った訳ではないが額が触れ合うほどに顔を寄せ合ってしまって、ユリは慌てるよりも先に視界一杯に広がったレンドルフのヘーゼルの複雑で美しい瞳の色に見惚れていた。手元にあるレンドルフの瞳に似た色の石の付いた指輪を会えない間は眺める時間が長くなっていたが、やはり本物の美しさには敵わない、と再認識していたのだ。
「レンさん、大丈夫だったかしら」
「ブライ卿が着いて行ったとのことでしたので、問題はございませんでしょう」
「そう…よね。フェイなら上手くレンさんをフォローしてくれるわよね」
あれだけ心待ちにしていたレンドルフとの面会が短時間で終わってしまったので、ユリがどれだけ気落ちするだろうとミリーは心配していた。だが、どうやら彼の身を気遣う方向に意識が向いているのでそこまで落ち込んではいないようで安堵した。これで夜にでもレンドルフから手紙が来れば安心して、ユリの気落ちは防げるだろう。あまり魔力のないミリーだが、魔力と感情が直結しているのはユリの側にいて良く分かっている。ユリも自身の魔力の強さは知っているので、そうそう感情で揺らぐようなことはないように訓練されているが、それでも大切な仕える相手が心安く過ごせるように務めるのは専属メイドの最優先事項だ。
レンドルフから受け取った見舞いの品はまだ中身を確認していないが、重さや包みなどからフルーツだろうと思われた。そうであれば料理長に頼んで夕食の際に並べてもらおうと、ミリーはユリの話し相手を務めながら、頭の中では少しでもユリが喜ぶものを揃えようと画策していたのだった。