458.薄布越しの逢瀬
「ねえ、ミリー。どこかおかしなところはない?本当に大丈夫?」
「大丈夫でございますよ」
「そうやで、ユリちゃん。このカーテン越しなら、ちょっとくらいおかしくたってバレへんて」
「アキハおねえさん!そういう問題じゃないの!」
朝からソワソワしているユリを宥めるように言い聞かせているミリーと、その様子をニマニマしながら眺めているアキハに挟まれてユリは頭を抱えていた。
レンドルフが無事に王都に帰還してから半月が経っていた。本来ならば遠征直後は休暇が出ることになっているのだが、レンドルフはその休暇をあちこちに詫びと礼をする為に奔走して使い果たしてしまったのだった。レンドルフが父の訃報を受けて帰郷したが実際は誤報であったということは、クロヴァス辺境伯家から直接詫びの書状と上質な魔獣の毛皮などが各方面に届けられている。しかしだからと言って王都にいるレンドルフが素知らぬ顔をしているわけにはいかないと、少なくとも王都内の関わりのあった家に直接出向いていたのだ。
レンドルフからはすぐに見舞いに行く時間が取れないことを謝罪する手紙を送ってくれたので、ユリとしてもそちらを優先して欲しいと返事をしていたのだ。
そしてようやく本日休みを取れたので、レンドルフがエイスの治癒院にユリを見舞いに来ることが決まったのだった。
ユリの体調はほぼ回復して、別邸の敷地内ならば薬草園の手入れも短時間ならば出来るようになっていた。ただ未だに魔力の制御には多少の問題があって、別邸の外に出る為に必要な特殊魔力を制御する為の魔道具を装着する時間が限られていた。
ユリの特殊魔力はかなり強いものなので、制御の為の魔道具の出力は相当なものになる。それは長時間使用していると体に悪影響が出る為、ユリの健康の為に常に行動は制限されているのだ。王都全体に張られた防御の魔法陣の力を利用して多少出力を弱められるので、王都内ならば常時装着していてもそこまで問題はない。それでもアスクレティ大公家の本邸と別邸の屋敷内にも結界の魔法陣を敷いて、毎日眠る間だけでも魔道具を外す時間を取るようにしてユリの健康を維持しているのだ。その二重の魔法陣の中だけではあるが、魔道具の出力を弱めても外部に影響が出ないようになっているので、屋敷内では数を減らして出力も弱くしても生活が出来るのだ。その分大公家に仕える使用人は、ユリの特殊魔力に耐えられる者に限られるのであるが。
もしユリが王都の外に出るとなると、更に数を増やして出力を上げなければ周囲に影響が出てしまうので、二日程度が限界だろうと言われている。それ以上になれば命に関わることにもなるのだ。
以前ならばユリは王都内では三つの魔道具の装着で日常を過ごすことが出来ていたが、今は二時間程度に制限されている。自覚症状はないのだが、主治医のセイナの鑑定によるとそれ以上になると魔力が小規模な暴発を起こす危険が高くなるそうだ。小規模ならばそこまで被害はないのだが、それでもユリや周囲の人間が怪我をする可能性がある。
それにユリの場合は変装の魔道具や、防毒、解毒の装身具も必須になる。それも僅かであるが魔力に干渉する為に、装着は慎重にするようにと言われていた。その為、今のユリは防犯機能の付いたレンドルフから贈られた指輪も着けられず、唯一身に付けているのは付与を入れていない魔鉱石のペンダントだけだ。
「うう…ホントにいつもの通りに見える?」
「大丈夫です。ちゃんといつものお嬢様です」
「いつもって、ミリーから見たいつもじゃないわよ。ちゃんとレンさんから見たいつもだからね」
「問題ございません」
今ユリがいるのは、以前に意識のない時に使用していた治癒院では最奥の特別室だ。前は処置に複数人が必要だった為に中央にベッドを置いていたが、今は窓際に寄せている。そしてそのベッドの周囲には、上から薄手の白いカーテンが吊り下げられていた。
これは入院患者が見舞客と顔を合わせる時に、あまり顔色が悪い姿を見せたくなかったり、必要以上に接近されないようにする対策として設置されることがある。特に女性は、そこまで親しくないが色々な事情で見舞いを受けなければならない相手に使うことを希望する場合が多い。文句を言われても、そこは職員が「治療の一環です」と説明することになっている。実際、患者をストレスから守る為の治療の内なので間違ってはいない。それに外側からは勝手に捲れないようになっているので、患者の安全も確保されている。
このユリの周囲に吊り下げられているカーテンは、それと似ているがもっと高機能の付与が施されている特注品だ。まず、ユリの特殊魔力が漏れないように魔力遮断の素材で織り上げており、そこに相手を酩酊させて正常な判断を狂わせる特性の植物系魔獣アルラウネの樹液で薄く染めてあるので、中にいるユリは変装もしていない状態なのだが外から見ると黒髪の人間がいるように見えるのだ。薄いカーテンなので、顔立ちもぼんやりとしか分からない為、瞳の色も違っていても誤摩化せるだろうと用意してくれたのだった。
これはもう、レンドルフに見舞いに来てもらう数時間の為に作られた特別品だった。
「レンくんには、ここに入る前に魔道具とか外してもらうように言うてあるんでしょ?」
「ええ、伝えてあります」
「じゃあ受付もスムーズやね。ま、レンくんならいきなり言われても駄々捏ねることはないやろけど」
特別な治療が必要で隔離されている患者と面会する時は、一般とは違う病棟に入る際に身に付けている魔道具や装身具を外すように求められる。治療に使う機器や当人に影響がないようにする為で、それを拒否した場合は面会は許されない。
「それよりも、レンくんに会えたからってその中から飛び出さんようにな〜。外からは開かんけど、内側からなら簡単に開くからな〜」
「分かってます。あの…でも、手を出すくらいなら、いいですか…?」
「手ぇ、ねえ…あんま推奨は出来んね。今、そのカーテンの中はユリちゃんの魔力が充満しとる。開けたらそこから漏れるで」
「あ…そ、そうですね」
ユリの特殊魔力は、魔力の高い人間になるほど不快感が増すと言われている。アキハだけが特殊で、レンザすらユリが魔道具を外した直後は一瞬身を固くする。大公家に雇われたばかりの使用人も、耐性が強いと分かっていても慣れないうちは倒れたり吐いたりする者もいるのだ。慣れていないレンドルフに、そんなことをさせてはならないとユリはギュッと手を握り締めた。
「まあ、カーテン越しなら、問題ないんとちゃう?」
「カーテン越し…」
「そ。こうして…ユリちゃんが手を重ねれば。うん、大丈夫や、魔力は漏れてへんよ」
アキハがユリのベッドの脇に近付いてカーテンに手を当てた。ユリはそのアキハの手に、内側からそっと手を重ねた。色々と仕掛けはしてあるが見た目は普通に薄手のカーテンなので、すぐに布越しにアキハの体温がじんわりと伝わる。
「ま、この状況にどうやって持って行くかは、ユリちゃんの腕次第やで」
「腕次第って…」
言われてみればどのように会話を持って行けばカーテン越しに手を合わせることが出来るのか、ユリにはその理由がさっぱり思い付かなかった。そのまま素直に言えば、レンドルフのことだから理由も聞かずに応じてくれるだろう。けれど見えないところに護衛が付いているくらいならともかく、病室にはミリーとアキハが同席することになっている。やはり淑女的には、人前で堂々と願うのは抵抗があるのだ。しかも視界の端に映るミリーの視線が非常に冷たい。
「あ、レンくん来たみたいやで。時間通りやね」
「え!?も、もう?」
アキハの首から下げている職員証が一瞬震えて、短い数字のメッセージが表示される。これは院内で職員同士が連絡を取り合う魔道具で、治療用の機器に影響が出ないように設定されている。ギルドカードと基本構造は同じだが制限が多い為に送れるメッセージは短く、治癒院の関係者はよく使用する単語を番号で表して送信している。ひとまずそれで職員に第一報を届けて、受けた側が詳しいことを知りたい時は近くの遠話の魔道具を利用して連絡を取り合うのだ。
アキハの職員証には受付からの、ユリのいる特別室に来客あり、という意味の数字が並んでいた。
「大丈夫かな!?本当に大丈夫?」
「いつもと変わらず可愛いで〜。ウチらのことは気にせずイチャつき〜」
「気にしてください」
慌て出したユリをアキハが妙な宥め方をしていると、背後から冷え冷えとした声のミリーが止めていた。
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しばらくして、病室のドアがノックされて、案内の女性の後ろからレンドルフの大きな姿が続いて入って来た。
「失礼します」
少しばかり緊張した面持ちで軽く頭を下げて入室して来たレンドルフは、病棟に入る際に全ての魔道具や装身具を預けて来ているので、素のままの薄紅色の髪色をしていた。その優しい色合いに、ウールのグレーのスーツがより柔らかな印象を与えた。首元には艶やかな緑のネッカチーフが巻かれ、細い金鎖の揺れる小さな黒い色のピンで白いシャツの襟元を飾っていた。そして片手にはリボンの付いた小振りの籠が抱えられている。
「ユリさん、久しぶり」
部屋に入るなり、レンドルフは真っ直ぐに窓辺にいるユリに向かって微笑んだ。そしてすぐに側に控えているミリーとアキハにも視線を移して丁寧に頭を下げた。どちらもユリを介してレンドルフとは顔を合わせているので、レンドルフの緊張も少し緩んだようだった。
「ええと、ユリちゃんの体調もあるので、面会はカーテン越しになりますんで、ご理解ください」
「はい、分かりました」
「それと、こちらの二人も同席しますよって」
「勿論です」
予めユリが伝えていたのもあったがすんなりと当然のように受け入れるレンドルフに、アキハの中で更にレンドルフの好感度は上昇していた。長年治癒院に務めていると、ありとあらゆる予想を軽く越えるような面会者もいるのだ。
「それと、こちらをユリさんに。食べても良いものか、後で確認をお願いします」
「お預かりします」
レンドルフが差し出した籠をミリーが受け取る。籠の上にも包み紙が掛けられていて、中身は確認出来なかった。そこまで大きいものではなかったが、それなりにズシリとした重量があったので、果物かなにかのようだ。受け取っても殆ど香りが分からなかったので、きちんと見舞い用に香りの強くないものを選んだのだろう。香りに意識が向くと、レンドルフ自身も何の香りも纏っていないことに気付く。
「レンくんはこっちに座り〜」
「ありがとうございます」
アキハがベッドの脇に置かれた坐面の広い椅子を示して、レンドルフを誘導する。クッションに凭れるように半身を起こしているユリのすぐ隣に来るように置かれた椅子は、背もたれも肘掛けも付いていないものだったが、それは体の大きなレンドルフが窮屈にならないように用意されたものだろうとすぐに分かった。
「ウチらはそこに控えてるから。積もる話もあるやろうけど、時間になったら声掛けるで」
「はい。恐れ入ります」
アキハはそう言って、最初に置いてあった壁際の椅子をレンドルフの背後に移動するように引きずって行った。その位置ならばユリと向き合うレンドルフの視界に入らないし、ユリからもレンドルフの陰に入るのでそこまで気にならないだろう。その移動にミリーは難色を示したが、ここでアキハと言い争いになってはユリの楽しみにしていた時間を奪うことになってしまう。仕方なくアキハの移動させた椅子に腰を降ろしたが、その眉間には深い皺が刻まれていた。
アキハがこの移動をレンドルフが来てから行ったのは、ミリーに文句を言わせない為の作戦であった。それが上手く行ったので思わずニンマリしてしまったのを気付かれて、ミリーにジト目で見られていたが、そこは外見はともかく内面は年相応に経験を重ねているアキハなので、涼しい顔で無視していた。
「久しぶりね、レンさん」
「うん。やっと会えた。色々大変だったね」
「それを言うならレンさんだって。沢山、怪我したんでしょ?」
「もう全部治ったよ。ユリさんのおかげだ。どうもありがとう」
カーテン越しに見るレンドルフは、以前に会った時よりも髪が短くなっていた。耳の上で切り揃えられているのを見ると、つい最近散髪したばかりのようだ。ユリはもしかしたら見舞いの為に整えて来てくれたのではないかと思うとくすぐったいような気持ちになったが、そこは敢えて指摘はしないことにした。
レンドルフの態度からどうやら変装後の姿に見えていると思うのだが、自分の視界の端に映る白い髪にユリはどこか落ち着かない。アキハが言うには、外側からだとぼんやりとして見えるらしいが、内側から見ているユリには薄布一枚を隔てたとは思えない程レンドルフの姿がハッキリと見えることも原因だろう。
「その…勝手にタッセルに仕掛けをしたこと…」
「それは感謝しかないよ。あと、ユリさんにそんな風に気を遣わせたことを申し訳ないとも思う」
「そんなこと…だって、まるであれじゃレンさんを信用してなかったみたいだって…」
タッセルの仕掛けをレンドルフには黙っていたことを、レンザにはそのように指摘された。確かにレンドルフの性格ならば、自分が瀕死の重傷を受けていたとしても目の前に護るべき対象がいればそちらに回復薬を渡してしまう可能性が高いとも言われた。けれど、助ける術があったかもしれないのに知らなかったばかりに自分だけが助かってしまった場合、騎士としてのレンドルフが死ぬのではないかと告げられて、ユリはガツンと頭を殴られたような衝撃を受けた。体は生きていても、騎士としての死は本当に死ぬことと変わらないのではないか、とユリは思い当たってしまったのだ。
「これまでの俺の言動だと、そう思われても仕方なかったと思ってるよ」
「だけど、勝手なことをした私が」
「俺はちょっと…いや、大分、自分のことを後回しにする癖があるらしくて、家族にも注意されてたんだ。だからユリさんにも余計な心配をかけてたんじゃないかと思う」
それまで柔らかな微笑みを湛えていたレンドルフの顔から、不意に笑みが消えて真剣な表情に変わる。そして一瞬目を伏せたが、すぐにユリに対して真っ直ぐで真摯な眼差しを向けた。レンドルフからはユリの表情ははっきり見えない筈だが、不思議な程一直線に見つめられているとユリは感じた。
「…俺は、ユリさんの望みを叶えたい」
「私の、望み…」
「前に『生きてて』って望んでくれただろう?だから、俺も最後の最後までそれを叶えることを諦めない。だから…その、すぐには信用されないかもしれないけど…もう、そんな風に罪悪感に悩まないで」
「…っ!レン、さん…」
「ユリさんが俺のことを思って、沢山考えてくれたことが嬉しいよ。本当に、俺を救ってくれてありがとう」
どこまでも真剣なレンドルフの言葉に、ユリは声を詰まらせてしまってただ何度も頷いたのだった。
お読みいただきありがとうございます!
やっと!やっと二人が直接会えました!自分で書いてても、何でこんなに会えないんだ…?などと思うなど(笑)