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456.本音の顔


「あ、蜂蜜入り」

「少々お声が掠れておりましたので」

「あー…やっぱり?」

「旦那様にはユリシーズお嬢様からきちんとご説明なさってください」

「わ、分かってるわよ。みんなの環境づくりは完璧だもの…」


ユリは専属メイドのミリーが出してくれたお茶を一口飲んで、優しい甘さと香りが広がってほう、と息を吐いた。もう食べ物も飲み物も制限は無くなっているが、ミリーはユリの体を気遣って普段より体に優しいハーブティーを多めに出している。今日提供されたものには、喉の乾燥などに効果のある薬草が使用されていた。


冬は空気が乾燥しがちな王都では、部屋を暖めるのと同時に湿度の調整が重要になって来る。ユリの場合は特殊魔力が暴発しないように部屋に万一の時に魔力を吸収する魔道具が設置されている為、互いに干渉しないよう極力魔道具に頼らないで済むところは使用人達の手作業で湿度が保たれている。


しかしユリの声は今は少々掠れている。それは午前中から昼食を挟んで、夕刻になるまでギルドカード越しにレンドルフとずっと会話をしていたせいに他ならなかった。顔を合わせて話をしていたならば、レンドルフもユリの変化に気付いてその場で切り上げていただろう。だがギルドカードでは、声は出すが実際送るのはそれを文字化したメッセージだ。だから気付かれることなく、そのまま続けてしまったのだ。途中何度かレンドルフから疲れていないかと確認をされたのだが、ユリはついもっと話を聞きたいと少しばかり無理をして随分長く会話をしてしまった。


しかしさすがに日が傾き出して長過ぎることに気付かれて、レンドルフから終了を告げられてしまった。けれどレンドルフも名残惜しいと言ってくれて、手紙だけでなく時間があれば30分くらいこうしてギルドカードで会話をしようと約束を交わした。


そうやって会話を終わらせたのだが、ユリはリハビリの一環で喋ることも控え目にしていたので、久しぶりにいきなり酷使した声帯がすっかり掠れてしまったのだった。


「このお茶のおかげですぐに元に…」

「無理かと」

「そうよね…」


ユリが別邸で暮らすようになってからずっと側付きになっているミリーは、主人と使用人という立場ではあるが、教師のようであり姉のようであり、そして友人のような存在だ。ユリの望みもあって、通常の身分差では有り得ない程近しい態度で接してくれる。その分、時折ツッコミが容赦ない。


「お替わりをお願い。おじい様がいらっしゃるまでちょっとでも改善するように、蜂蜜は多めにして」

「畏まりました」


今日は忙しい中レンザが訪ねて来る日だ。あまり心配をかけたくないのだが、レンドルフとの疑似会話が楽しくてつい加減を忘れてしまったのだ。


(おじい様が来たら、レンさんのお見舞いのことも訊かないと)


ユリの安全をより強固なものにする為に治癒院から別邸に早々に移っていたので、レンドルフには咄嗟にまだ入院しているようなことを言ってしまった。しかしここに見舞いに来てもらうわけにはいかない。

レンドルフの戻る日にもよるだろうが、すっかり良くなって外で会うのは間に合わないだろう。


ユリは気になり過ぎて、レンザが顔を出すなり開口一番レンドルフの見舞いの話をしたのだが、その声が掠れていたことに即座に気付かれて、しっかりお説教をされてしまった。おかげでユリが楽しみに待っていたレンドルフとの冒険譚の話はいつもより半分くらいになってしまい、自業自得とは言えユリは少々むくれながらミリーにベッドに押し込まれたのだった。



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「レンの旦那。鍛錬でしたか」

「サミーさん。今終わったところだよ」


夕食の後、特にする事もなかったので軽く鍛錬でもしようと宿の裏手に出て、レンドルフにしては珍しく剣は持たずに来ていた。きちんと休むようにオスカーに言われていたので、何となく剣を持って外に出るのは憚られた為だ。しかしあまり着込まずに外に向かうレンドルフの姿を見て、オスカーは苦笑しながらも何も言わなかったのでもう仕方ないと見逃してくれたのだろう。


レンドルフとしては軽く体を動かして、全身が温まって来たところで止めることにした。当人はあくまでも軽くであったが、傍から見ると全くそう見えないのであったが。


そして一息ついたところで見計らっていたのか、煙草の箱を片手に暗がりからフラリとサミーが現れたのだった。レンドルフはここで一服するのかと思いすぐに立ち去ろうとしたのだが、何故かサミーに止められた。


「ちょいと旦那にお話が」

「?ああ、構わないよ」


幸い汗ばむ程までではなかったので、多少ならば体が冷えるようなことはないだろうと判断してレンドルフは頷く。サミーは周囲を気にしながら近寄って来たので、何か内密な話だろうとレンドルフも耳をそばだてる。


「まずは、俺の属性のことを言わずにいただき、ありがとうございました」

「いや、俺は確信のないことを言わなかっただけだよ。もし王城から正式に調査が入った場合は、サミーさんの口から申告した方がいいだろうしな」

「お気遣い、感謝します。……それで、あの若い騎士様の容態は如何で?」

「回復にひと月程度は要するそうだが、完治すると聞いている」


レンドルフの言葉に、サミーは浮かない顔のまま少しだけ視線を外して考え込んでいるようだった。


「…もしかしたら、後遺症が出るかもしれません」

「それは…サミーさんの?」

「はい」


レンドルフはあの時の一瞬の光景を思い返す。


確か魔獣の爪がショーキの腹辺りを掠め、腹に布で巻いてあった温石が零れ落ちた。ショーキはそれを咄嗟に掴んで、噛み付こうと口を開けた魔獣に腕ごと突っ込んだのだった。そしてその隙間を狙って、サミーの弾丸化した毒魔法が魔獣の口内を撃ち抜いたのだ。その後オスカーが魔獣の頭を落としたので全身に毒が回る前に魔獣は絶命し、毒を受けた切り離された頭だけが溶解していた。


「あの状況ならば魔獣に当たったとは思うんですが、若い騎士様を掠めてないとは言い切れません。もしそうなったら、俺だけじゃなくて推薦したレンの旦那にも責任が及ぶんじゃないかと」

「そんなことはない!」


目を伏せたままのサミーは、レンドルフが思わず発した声が予想以上に強く、弾かれたように顔を上げてしまった。サミーも平均よりはずっと長身ではあるが、それよりも更に高い位置にあるレンドルフの視線とまともにぶつかった。声の強さから怒っているのかと思ったのだが、レンドルフはどちらかというと眉を下げて泣きそうな顔をしていた。


「サミーさんの活躍は、本来ならショーキと共に一番手柄に挙げられてもおかしくないものだ。罪になるようなことじゃない」

「あ…りがとう、ございます…」

「俺達騎士は、戦いの最中に味方を傷付けてしまうことがあっても、故意でなければ責を問われることはない。一時的とは言え、隊長の指揮下に入っていたら騎士見習い、仮の騎士の扱いだ」

「騎士…ですか。俺が」


思いもよらない言葉を受けて、サミーは戸惑いながらも頬の筋肉が上がりそうになってしまい、俯いてそれを誤摩化す。産まれてすぐでサミーに意思はなかったとは言え、国家反逆罪で一族郎党処刑されたトーカ家の戸籍に入れられていたこともあって、どこか生まれながらの犯罪者と刷り込まれている部分があった。それが仮に一時的とは言え騎士と認められていたことに、妙に胸の奥がソワソワと浮かれるような気持ちが湧き出てしまった。


「サミーさんがいなかったら、ショーキは命が危なかったかもしれない。仲間を助けてくれたのは、紛れもない事実だ」


サミーの肩に、レンドルフの分厚い手が置かれた。冬場の外套越しなので、少し遅れてじんわりとレンドルフの手の熱がサミーに届いた。


「それにまだ、後遺症が出るかも分からない。あったとしても、それを治療するのは王城側だ。何とかする手段は多いよ」

「そう、ですね。ありがとうございます。お時間、取らせちまいましたね。申し訳ないです」

「いや、大丈夫だよ。俺はもう戻るけど、サミーさんは?」

「俺はちょいと残ります」

「そうか。風邪には気を付けてくれよ」


サミーが手にした煙草の箱を軽く持ち上げると、レンドルフは彼の肩から手を離して宿に戻って行った。



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足早に去って行く大きな背中を見送りながら、サミーはレンドルフの姿が宿の陰に隠れて見えなくなるまで何かを考えるようにジッと佇んでいた。しかしさすがに冷えて来たのか一度フルリと体を震わせると、急いで煙草を銜えて火を点す。何度か忙しなく吸っては煙を吐き出していると、顔の周辺がどことなく白く視界を濁らせる。


「…参ったね、こりゃ」


サミーの大公家からの「影」としての最初とも言うべき仕事は、レンドルフの側に付いて彼の動向を観察することだった。その中に、万一危機が迫った時には護衛をするようにとも申し付けられてはいるが、そもそもが強いレンドルフに護衛はあまり必要はない。強いて言うなら、無茶をしそうになった際のフォローくらいだろう。

レンドルフを観察する最大の目的は、彼の本質を見極めることだろうとサミーは考えていた。


アスクレティ大公家に属するようになって、以前護衛で雇われた時にレンドルフと一緒にいたユリが大公女であることは知らされていた。そして彼女の希望によりレンドルフには正体を明かしていないことも聞いているし、絶対に悟られてはならないとも厳命されている。サミーはユリが大公家で溺愛されている至宝だと認識しているので、絶対に背く気はない。

そのユリの隣に立つのに相応しい器であるかどうか。おそらくレンドルフはあらゆる場で大公家の影達に見られているだろう。貴族であれば縁談を打診する前に下調べをしておくことなどよくあることだ。


サミーは自分の役割は、他の影よりも近しい距離でレンドルフに踏み込んで本音を暴くことだと認識していた。最初の出会いは完全に偶然だったが、友人とまではいかなくてもある程度の仲間意識は持ってもらえていると思っている。女性のいない場所で見せる顔を引き出すにはうってつけだと思われての今回の残留だったのだろう。


しかしレンドルフは、悪い方向に変貌することはなかった。さすがにユリに見せていたような蕩けるような視線や甘い顔をすることはないが、どこまでも真面目で清廉な好青年だった。だからと言って融通の利かない堅物ではなく、サミーの為に上官に属性を秘してくれる程度に柔軟なところも持ち合わせている。

それにサミーが後輩に後遺症を負わせるような怪我をさせたかもしれないと言うことを聞いても、責めることは一切なくむしろ励まそうとしていた。


「全く、とんだ人たらしだ…」


別に勝負していたつもりはないが、サミーは何だか全面的に降伏したような気分になっていた。だがそれは悔しいものではない。きっと悔しがるのは雇い主であるレンザの方だろう。レンザとてレンドルフのことは今回の旅でより一層好ましく思ったには間違いないが、溺愛する掌中の珠であるユリの中で彼の評価が上がるのは面白くないというのが丸分かりだった。それはそれ、これはこれ、である。


サミーは最後にもう一度深めに煙草を吸って、空に向けて煙を吐き出した。吐き出した煙が多く見えるのは、寒さで息も白くなっているからだろうか。



懐から吸い殻入れにしている缶を取り出してギュッと押し込んで火を消すと、軽く肩を竦めるようにしてサミーはそそくさとその場から立ち去ったのだった。



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