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455.レンドルフの休息日


ギルド内にある解体場では、通常では有り得ない金属を切断するような音が響いていた。

初老の男が厚手の手甲の付いた手袋をして魔獣の体を押さえ、もう一人の若い男が両手でノコギリのような大刃の器具を全身を使って前後に動かしていた。若い男の方は冬場にも関わらず袖のない薄手のシャツ一枚だけで、全身汗だくになっていたので体に張り付いた状態になっていた。


「どうだ?」

「あとちょっと…ああ!刃がまた持ってかれちまった!師匠、替えをくれ!」

「マジか!?あと二本しか在庫ねぇぞ」

「安心しろ、それ使い切るまでには切り終える」

「全っ然、安心じゃねえ!」


昨日大きな街道から少し外れたところにある小さな集落で、前代未聞の変異種の魔獣が討伐された。この辺りでも滅多に見かけないムーンベアと、もっと北の地が生息域であるレッドベアの混血魔獣が出たと言うのだ。このギルド付きで解体担当を専門にしている職人達でも、噂で耳にしたことはあったが一番のベテランでも目にするのは初めてだった。しかもこの個体は変異種の中でもとびきり珍しい能力を有していて、討伐した騎士からの話によると「魔力喰い」と呼ばれる特定の属性魔法を吸収して自身の力にしてしまう性質だったらしい。よりにもよって土属性を吸収するようで、その大半が防御の為に毛皮の強化に回されていた。


「この刃だけで俺ら解体屋の給金一年分は余裕で飛ぶんだぞ…」

「でもここぞという時に使わないことには意味がない!さー、思いっきりやるぞぉ!」

「もっと慎重になれ、テッカン!」


彼ら二人は、いわば師匠と弟子のような関係であったが、テッカンと呼ばれた若い男の方がこの辺りでは最も腕の良い解体師として名を馳せている。そのテッカンをサポートしている初老の男も腕の良いベテラン職人だが、テッカンの才を見出し育てた目利きとして知られている。しかし関係者の間では、テッカンがあまりにも興味本位で周囲の物を分解したがるので、困った親に解体屋に投げ込まれた経緯は誰もが知る有名な話だ。そして皆が匙を投げた問題児を、どうにか一人前になるまでに面倒を見たのがこの初老の男で、仲間内では尊敬とやや同情的な目を向けられている。


「よぅし!ぐるっと切れた!」

「おお!一本は残ったな」

「じゃあそっちも折っとく!」

「折るな!!」

「てっ!」


冗談でもなんでもなく予告通りに在庫の大刃を全部折ろうとするテッカンに、さすがに師匠の男性の拳骨が飛んだ。


ようやく固い毛皮にグルリと切れ目を入れて、最も大変な作業を終えた。そこから肉や内蔵、骨などを解体しなければならないのだが、幸いにも毛皮以外は通常の解体の道具でも通用しそうだった。ここからは周囲で見守るだけだった他の解体師も参加して、作業効率も一気に上がる。


「皆、ここからよろしく頼む」

「おう!俺は手羽先を!」

「テッカン!ちっとは休んでろ!」

「えぇ〜手羽先やらせてくださいよ〜。先っぽだけでいいから!」

「何だ、先っぽって!」


周囲の職人仲間に声を掛けると、テッカンが我先にと手を挙げた。しかし先程から全力で休みなしに作業していたので、全身汗だくだ。体に張り付いたシャツは筋肉に覆われたテッカンの体をくっきりと浮き上がらせていて、もはやシャツがシャツの役割を果たしていなかった。

けれど彼は一切疲れた素振りもなく、自分の興味のある部位の解体を大声で主張していた。いくら休むように言い聞かせても自分の欲望の前には聞く耳を持たないテッカンに、周囲は慣れているので苦笑しつつも頷いてみせた。


「仕方ねえな!羽根の解体が終わったら休むんだぞ」

「任せとけ!」


そう言ってテッカンはご機嫌によく分からない鼻歌を歌いながら、熊系魔獣から生えている巨大な羽根を切り離した。自分の身の丈の倍近くあるのだが、全く迷いなく手早く解体して行く様は、どんなベテランでも辿り着けないほどの域に達している。その様子に周囲の仲間達も見惚れていたが、やがて自身も奮い立たせるように担当する箇所に取りかかった。


その後、テッカンは抜き取った羽根を師匠の男性の頭にこっそり差しているのを見つかって再び拳骨を喰らうのだが、割と見慣れた光景なので皆手も止めずに黙々と作業をしていた。



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翌朝、応援に来てくれた駐屯部隊が宿から出発するのを見送ってから、レンドルフ達は食堂に向かった。


いつもより遅い朝食の席でショーキの容態についてオスカーから報告があり、大きな街の治癒院で砕けていた指の骨はほぼ回復出来たことと、神経の方は少しずつリハビリで様子見しながらの治療が必要ではあるが、ひと月程度で完治するだろうということだった。利き腕ではないことも幸いして、生活についてはそこまで不自由ではないと当人からの言葉もあったと聞いて、レンドルフは思わず涙ぐみそうになってオルトに朝から揶揄われてしまった。そういうオルトも昨夜は寝不足だったらしく赤い目をしていたので、レンドルフもそこを指摘して反撃していた。そんなやり取りも、ひとり欠けた朝食の席の重さを少しだけ軽くしてくれたようだった。


「今日は一日しっかり休むように。特にレンドルフ」

「は、はい」

「お前は体力がある分自覚が薄いが、かなり出血をしていたからな。自己鍛錬は程々にする…その顔は既にいつもより入念に行ったところか」

「すみません…」


昨夜はすぐに寝付けなくて少しだけ深夜に軽く素振りをして、更に早朝から休息日ということでいつもより負荷を強めに掛けて鍛錬を行っていた。それがそのまま顔に出ていたのか、すぐにオスカーに渋い顔をされてしまった。


「今日は外出を控えるように」

「はい…」


返す言葉もなく、レンドルフは大きな体を目一杯縮こまらせて頷くしかなかったのだった。



「昼食は作り置きになりますが、テーブルに置いておきますのでご自由にどうぞ」

「手間を取らせて申し訳ない」

「いえいえ。騎士樣方のおかげで皆の安全が守られましたから、これくらいはお安い御用です」


食器を下げに行くと、宿の主人が既に昼食の仕込みをしていた。この宿は春から夏に掛けては王都からの観光客相手に営業しているが、晩秋から冬場は殆ど客が訪れないので基本的に閉めているそうだ。今回は雪雷魚の駆除と魔獣討伐を依頼して騎士団が来ることが分かっていたので、特別に開けていた。しかし基本的に宿泊施設は希望者に朝食と夕食を提供するが、昼食は出してはいない。だが今は住民の三分の一程が安全の為に一時的に大きな街に避難していて、生活に必要な商店は開いているものの食堂は閉鎖されている。持参して来ている携帯食でも構わなかったのだが、宿の主人が「住人の被害が出なかった心ばかりのお礼」と昼食まで作ってくれているのだ。

しかも朝食も夕食も、閉鎖している食堂の在庫を譲られたと言っていつもより豪華なメニューを出してくれている。これについてはレンドルフ達全員で丁寧に礼を言ったのだった。



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朝食を終えて部屋に戻ると、レンドルフは着ていたニットを浄化の魔石で綺麗にした後、鏡の前にかがみ込んで髪型を整えたりしてソワソワと落ち着きのない様子になっていた。

朝食前にユリにギルドカードで日中は食事時間以外は空いている旨を伝えたところ、その返事が来ていたのだ。ただギルドカードのメッセージをやり取りするだけなので姿は向こうに見える訳ではないのだが、気持ちの問題としてレンドルフはせっせと身支度を整えていた。

机の上には食堂で貰って来た保温の容器に入ったコーヒーと、その隣には保存食の固いクッキーが添えられて、メモ帳とペンも置いてあった。そうやって準備万端にして机の前に座ったものの、それでも何となくじっとしていられなくて意味もなく部屋をグルグル回ったりしていた。


ポン


ギルドカードから小さくメッセージが届いた音がして、レンドルフは大股に机に戻って即座にメッセージを確認した。


『おはよう、レンさん。今は大丈夫?』


手紙と違った気軽な問いかけが、本当にユリと会話しているような気持ちになってレンドルフは口元に笑みが浮かんでしまった。


「ユリさん、おはよう。俺は大丈夫。ユリさんは体調は平気?無理してないよね?」


ギルドカードを使ってこんな風に会話をすることは考えていなかったのだが、思ったよりも自然に言葉が出て来た。そのメッセージを送ると、ほんの少し間を置いてユリからの返信が来る。


『大丈夫!最近は随分動けるようになったよ。順調に回復してるっておじい様にも言われてる』

「それなら良かった。アレクサンダーさんも元気?かなり無茶な行程だったから体調崩したりしてないかな」

『帰って来て数日は疲れてたみたいだけど、今は元通り』


文字だけのやり取りなのに、その向こうからユリの声や表情が伝わって来るようだった。今回のような会話のようなやり取りは初めてだったが、思った以上に違和感がない。ごくスムーズに会話が続けられることに、最初は気負っていたレンドルフの肩から力が抜ける。


『最初は毎日お見舞いに来てくれたけど、さすがに仕事が溜まって来たから、今は一日おきに来てくれるの』

「それは…大丈夫、なのかな?」

『私も無理はして欲しくないんだけど、でもレンさんとの冒険譚が聞きたくて、つい。特に今はレンさんのお父様と一緒に竜モドキを討伐したところで、早く続きを聞きたいの』

「ちょ、ちょっと待って。あ!」


レンドルフとしては、ユリにそんな風に語り聞かせをしているとは思っていなかったので、慌てたあまり指が滑って言葉の途中でメッセージを送ってしまった。


『おじい様ったら、あんなに語り聞かせが上手いなんて思わなかったわ。毎回いいところで「続きは次回」なんて言うのよ。だからもう楽しみで』

「いや、その…俺は大したことしてないから」

『そんなことないって。いっそ誰かにまとめてもらって出版したらどうかと思うのに』

「それは…エンリョします…」


ユリの語る様子から、クロヴァス領に向かう馬車の中で「アレクサンダー」に語ったレンドルフの気持ちはさすがに話してはいないようだ。もしあれがユリに筒抜けだったならば、レンドルフは合わせる顔がない心地になった。あの時は嘘偽りはなかったし、今もその気持ちに揺らぎはない。けれど当人に知られるのとはまた別物なのだ。


『レンさんはどのくらいで王都に戻れそうなの?聞いちゃいけないことだったら答えなくていいよ』

「大丈夫だよ。あと一週間くらいかな。途中急な討伐任務が入らなければ、だけど」

『そっか。じゃあ元気な姿でお迎えしなくちゃね』

「無理はしないで。それから、もしユリさんが嫌じゃなければ…お見舞いに、行ってもいいかな」

『お見舞い?』


一応レンドルフは「アレクサンダー」に、今回の解毒薬に必要な薬草採取の協力の礼としてユリの見舞いに行かせて欲しいと頼んでいた。勿論、ユリの気持ちを最優先した上で、という条件も申し出ている。女性の見舞いは、身内か許可を受けた者でないと難しいという治癒院は多い。それにいくら親しくしていても、窶れた顔や薄手の寝衣姿などを見せたくない場合もあるだろう。


「その、負担にならないようにすぐに引き上げるし、なんならドア越しに声を聞くだけでもいいから…」


ユリの返信がすぐに来なかったので、レンドルフは調子に乗り過ぎたのではないかと青い顔になっていた。


「少しでも、会いたいな…」


消え入りそうな声で呟いたが、文章にすると淡々として見えてしまう。喋るのに近い速度でやり取りが出来るが、やはり声と表情で伝わる情報量の差は大きい。その呟きが文字化したのを見て、レンドルフは送信は止めておこうと削除のボタンを押しかけた。


『その…もしかしたらその頃には自宅療養になってる、かも?』


そこに滑り込むようにユリの返事が来て、レンドルフは図々しく見舞いに行きたいと言ったばかりに引かれてしまった訳ではなさそうだと安堵した。そしてうっかり削除のボタンから手が滑って消そうと思ったメッセージをそのまま送ってしまった。カードに記載されるメッセージの文字などを大きくする技をクロヴァス家タウンハウスの執事長から教わって、最初に設定されている一般的なものよりも扱いやすくはなっていたが、それでも手の大きなレンドルフには小さなカードでの操作は割と厄介なのだ。


「そ、その!じゃあもっと元気になったら、ミキタさんの店とかで」


返信の順番がおかしくなったので、まるでレンドルフが自宅療養しているユリに会いに行きたいというような受け答えになってしまった。どこまでも紳士なレンドルフは、ユリから教えてもらうまでは彼女の住んでいる家などは詮索しないと決めていたのだ。以前聞いた話では唯一の肉親である祖父「アレクサンダー」とは離れて暮らしているようだったし、親戚と一緒にいると言っていたが、もしそれが女性だけだったらレンドルフは知らない方がいいだろうと判断した。自分のように目立つ容貌の者が、若い女性のいる家の近くに頻繁に顔を出すのはよろしくないのは理解している。ユリはレンドルフのことを分かってくれているが、知らない者から見れば警戒の対象であるし、ユリに不名誉な噂を立てたくない。


実際のところ、エイスの街でユリを守るように手を繋いで歩いているのを頻繁に目撃されているので、不名誉どころか周囲からは微笑ましく見守られているのだが、レンドルフには全く自覚がない。


『じゃあレンさんが王都に帰って来たら教えて。セイナおばさまに聞いて、会える日を設定してもらうから』

「分かった。必ず連絡するよ。すぐに、絶対に」

『うん、待ってるね』


そう返って来たユリのメッセージに、レンドルフは彼女の楽しげな笑い声を聞いた気がしたのだった。



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