454.文字の向こう側
レンドルフ達が混血魔獣と相対しどうにか倒して集落まで運んだその日の夕刻、応援に来てくれた駐屯部隊の本隊が到着した。しかし一番肝心の魔獣は既に討伐済みで、まだ若い騎士達は少々不満そうな顔を隠さないでいた。ベテランになるとそういったことはよくあることなので態度には出さず淡々と後処理の手伝いをしてくれるのだが、血気盛んな若手は絶好の手柄の場を奪われたような気持ちになるのだろう。
しかし実際の魔獣の屍骸を目にして、毛皮に一切の剣が通用しなかったことを確認すると顔色を変えていた。何せ見るからに力のありそうなレンドルフでさえ、毛一筋も切れなかったのだ。
ひとまず駐屯部隊が持参していた時間停止が付与された保存袋に入れて、魔獣は腕の良い解体担当のいるギルドまで運ばれることになった。オスカーが斬った頭部の切り口からならばナイフが入らなくもないが、内側からでも固い毛皮を切るのはかなり困難で、ナイフがいくらあっても足りそうになかったのだ。
レンドルフ達は明日は一日休息を取るようにと遠話の魔道具で副団長ルードルフから指示を受けて、周囲の調査は駐屯部隊に任せることになったのだった。
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駐屯部隊の騎士達と色々と引き継ぎをして、自身の部屋にレンドルフが戻ったのは夜も大分更けてからだった。
誰かといる時はすることも多いので考える暇はなかったが、こうして一人になって静寂に包まれていると、次々と後悔が押し寄せて来る。レンドルフは深く溜息を吐いて防具を脱いで部屋の隅に置くと、あちこち破れている服を脱いで下着姿のままゴロリとベッドに転がった。
来てくれた駐屯部隊の中に生活魔法を使える者がいたので、洗浄や浄化で防具や服に付着していた血は綺麗に落としてもらっていた。それでも湯を浴びるくらいはした方がいいのは分かっていたが、レンドルフはその気力もないままベッドの上で横向きになって丸くなっていた。
レンドルフの体格を見て、ダブルサイズのベッドのある部屋を宛てがってもらっていたが、それでも足を伸ばすとはみ出してしまうので寝転ぶには足を曲げなければならない。けれど今のレンドルフはそれ以上に体を曲げて、殆ど膝を抱えているような体勢になっている。
ショーキは来てくれた駐屯部隊付きの治癒士にほぼ治療してもらっていたが、やはり手の負傷は重く完治させるにはもっと大きな街の神殿か治癒院に行って、医療系の鑑定魔法が使える者に任せた方が良いと診断が下りた。それならば早い方がいいだろうと、魔獣の解体を任せる為に街まで運ぶ部隊と一緒にショーキも移送されることになった。
(俺のせいだ…)
ベッドの上でゴロリと寝返りを打って仰向けになって天井を見つめた。ゆるりと伸ばした足はベッドからはみ出して、膝から下が床に向けて曲がる。
(俺のせい…)
客観的に見れば、ショーキの怪我はレンドルフのせいではない。レンドルフはただ寒さを防ぐ為に温石を作って渡しただけだ。それを咄嗟の判断でショーキが攻撃に転用して、結果的に大怪我をしたものの大きな功績を上げた。もし温石がなければ、あのままショーキは魔獣の攻撃を喰らって、腕を失っていたどころか命すらなかったかもしれない。むしろ温石を作ったことがショーキの命を守ったのかもしれない。けれどレンドルフはそれを手柄だと思うことも出来ず、だからと言って他に手段があったかと自問すればそれも思い付かない。
ただ自分の作った物が仲間を傷付けた、という事実が重かった。
どのくらいそのままでいたかは分からないが、不意にレンドルフは起き上がって机に向かった。そこの引き出しを開けて、中から白いだけの便箋と封筒を取り出す。まだ今日はユリへの手紙を送っていなかったことに気付いたのだ。遠征任務中は、野営をしていたり調査の為に隠密行動を取ることもあるので、手紙を受け取れるタイミングになった時にレンドルフから伝書鳥を飛ばすことに取り決めている。
明日は一日休養になったからいつでも伝書鳥を飛ばしても大丈夫だと知らせようとペンを取ったが、レンドルフの手は一向に動かなかった。今回の話はユリには関係のない出来事であるし、余計な心配をかけたくはない。けれど思い浮かぶのは言い訳じみた内容ばかりで、レンドルフは固まってしまったのだ。
無理に数行ばかり書いてみたが、明らかに字も文章も乱れているのが丸分かりだった。しかしこれ以上遅くなってしまうと、ユリに迷惑がかかる。レンドルフはしばらく頭を抱えていたが、やがていつも身に付けているポーチの中からギルドカードを取り出すと、メッセージを送る為の操作を始めたのだった。
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「レンさんからだ!」
ユリは薬草関連の論文の載っている雑誌に目を通しながら、庭に面した窓とテーブルの上に乗せているギルドカードにチラチラと視線を送っていた。そんな状況でも専門用語で書かれた論文はしっかりとユリの頭の中に入っている。これはレンザの能力を受け継いだのか、二人とも一度見た書物の内容は一言一句違わずに頭の中に記録されるからだ。ただそれは単語や文字列として記録されるので、きちんとした理解力がなければ活かせるものではない。便利ではあるが日々学びは必要な能力だ。
そうやって頻繁に確認していたので、メッセージが届いたことを知らせる光がギルドカードに灯った瞬間、ユリはすぐさまカードを取り上げた。そしてその相手を確認して、思わず嬉しげな声が漏れてしまった。
レンドルフが遠征任務中は、毎日手紙が届く訳ではない。ユリとしても心配ではあるが決して無理はしないように、と幾度もレンドルフにはお願いをしていた。そのレンドルフからカード経由でメッセージが来たので、ユリは少々不思議に思いながらもメッセージを確認した。
「……そっ、か」
レンドルフのメッセージはシンプルなもので、いつもより固く感情が抜けたような文字が並んでいた。これは声を文字に変換して送るものだが、不思議なことに誰からのメッセージも何となく文字化されていても感情は伝わって来る。
たった今送られて来たレンドルフのメッセージには、無事に討伐が終了したことが書かれていたが、少しだけその際に後輩騎士が怪我を負ってしまったことが触れられていた。そのことは軽く書かれているだけで、後はこれで大半の討伐予定が終了したのでもう少しで王都に戻れるとあった。しかしそのレンドルフからのメッセージには、討伐終了や帰還が近いことを喜ぶような感情は含まれていないように感じられた。
「後輩騎士って、あの獣人の彼かしら…」
ユリは以前にレンドルフと連れ立って薬局にやって来た、栗色のフワフワした髪の小柄な少年のような騎士の顔を思い浮かべた。その後変装をしたユリの正体を見抜き、特殊魔力を感知することの出来る体質だと教えられた。そのことに警戒したユリだったが、レンドルフには勿論、誰にも他言はしないと誓っていたのでそのままにしていた。ユリの特殊魔力については大公家でも重要度の高い機密事項であるので、それを知った者への対処は大公家の影が密やかに行うのであるが、レンドルフに随分懐いていて仲も良さそうだったのでユリは穏便に済ませるよう命じていたのだ。今のところ、彼はその誓い通りレンドルフにも漏らしてはいない。
いくら小柄でも彼も立派な騎士のひとりだ。怪我をすることも一般人よりはずっと多いだろう。ただ攻撃の要として最前線に立つレンドルフに比べれば、偵察や斥候の彼はそこまで怪我を負うことはなさそうだ。それにレンドルフからしてみれば、もしかしたら彼も守る対象に含まれているのかもしれない。それならば、彼が負傷してしまったことを守り切れなかったと思っているのではないだろうか。
レンドルフからのメッセージの向う側に透ける、どこか苦さや後悔が含まれているような負の気配に、ユリはそんなことを想像するしかなかった。
「…だから、手紙じゃなかったのかあ」
今までの手紙のやり取りで、レンドルフはどこか感情が文字にも表れていた。任務という目的があればレンドルフも優秀な騎士なのでそれなりに取り繕うことは出来るだろうが、私的な付き合いでは腹芸が苦手ですぐに感情が顔に出てしまうのをユリも知っている。当人はどう思っているかは分からないが、ユリも、ユリの周辺もそれを彼の美点だと好ましく思っている者は多い。
ユリはすぐにギルドカードと一緒にテーブルの上に並べておいた便箋を選ぶと、愛用のガラスペンを濃い緑色のインク瓶に浸した。
意識が戻ってこの別邸に戻って来たばかりの頃は、ガラスペンさえ重く感じて自由に扱えなかったが、今ではそんなことを感じられないところまで回復している。あまり長い文章を書くと次第に文字がよれて来てしまうが、便箋二枚程度なら問題はない。
ユリはチラリと時計を見て、就寝時間にまで間に合うように便箋にペンを走らせたのだった。
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コトリと小さな音が窓から聞こえて、レンドルフはベッドから飛び起きた。
ユリへの短いメッセージを送った後、再びベッドに寝転んでいたのだが、いつの間にかうたた寝をしていたらしい。部屋の中は火の魔石を使用した熱を発する魔道具が設置されていて冷えきってはいないが、それでも上掛けもないまま薄着で転がっていた為に体の表面が冷えてしまっていた。このまま朝まで眠り込んでいたら芯まで冷えて風邪を引いていたかもしれない。
軽く頭を振って窓の側に近寄って冬用の分厚いカーテンを捲ると、窓からの冷気がカーテンの間で溜まっていたらしく、ヒヤリとした感覚が隙間から部屋に流れ込んで来た。
「ユリさんから…?」
窓の外には、ユリだけに渡している青い鳥を模した伝書鳥が部屋を覗き込むように首を傾げていた。こうしていると本物の鳥のように見えるが、これも生物ではない魔道具の一種だ。レンドルフが受け取る為に手を翳すと、隙間のなさそうな窓の間からスルリと入って来て、レンドルフの手に留まると同時に一通の封筒に変化した。
白い封筒は、金色の箔で繊細な蔦模様が網の目のように縁取られていた。そしてその中央に、濃い緑色のインクでレンドルフの宛名が書かれていた。濃い緑と金色の組み合わせは、ユリの瞳の色を思わせる。少しだけ右に流れる癖のあるユリの見慣れた文字に、レンドルフは順調にリハビリが進んでいることを察して自然と目元を緩ませていた。
封を開いて便箋を取り出すとユリにしては短い内容だったが、レンドルフがメッセージを送ったのも遅めの時間だったのでそれからすぐに返事を書いてくれたのだろうことは伺えた。
ユリの手紙には、レンドルフの無事を喜ぶ言葉と労りの気持ちが綴られていた。そして何度か顔を合わせているショーキに対して気遣う内容だった。
『レンさんが困ったことや悩んでいることがあったら、相談してください。今の私はあまり役に立てないかもしれないけれど、一緒に考えることは出来るから。二人で考えて答えが出なければ、周りの人に力を借りましょう。おじい様に、セイナおばさま、アキハお姉さん。ミキタさんやステノスさん。他にももっとたくさんの人が、絶対レンさんを助けてくれるから。みんなで考えたらきっと解決すると信じています。だから、帰ったら沢山レンさんの話を聞かせてください』
報告のような文字だけの短いメッセージを送った筈だったのに、レンドルフの煩悶が伝わったようなユリの手紙に、思わずチクリと胸が苦しくなる感覚に襲われた。心配をさせないようにしたつもりが全く隠せていなかったことに、恥ずかしさと申し訳なさの気持ちと同時に、体の中心から温かさを通り越して熱い何かが溢れて来る。
『明日一日休息日なら、空いた時間にギルドカードを使ってお話しませんか?あれならすぐにやり取りが出来るから、お喋りする感じになれると思うの。良かったらレンさんの都合のいい時間に、ギルドカードにメッセージください』
最後はそんな言葉で締められていて、レンドルフはまだ返事も出していないのにソワソワし始めた。
確かにユリの提案であれば、伝書鳥をやり取りするよりも対面で会話をする近さで時差が少なくなるだろう。しかし会話であればその場で感情と共に消えて行くものであって、無機質な文字に変換されて会話が残るというのはどうにもレンドルフには慣れそうになかった。
ユリにどう返答しようか悩んでいるうちに、気が付けばとっくに夜半を過ぎてしまった。レンドルフは今夜は返事は遠慮することにして、明日はどのくらいの時間にメッセージを送ればいいのかと新たに発生した悩みに頭を抱えたのだった。
そんな尽きない悩みに気が付いたら更に体が冷えてしまい、レンドルフは小さくくしゃみをしてやっと我に返り、慌てて着替えを持って浴室に駆け込んだのだった。勿論、その時に大仰なまでに頭を下げておくのは忘れなかったのである。
お読みいただきありがとうございます!
気が付いたら、今回の話はずっとレンドルフが薄着のままでした(笑)
ギルドカードのやり取りは、音声入力のLINEみたいなイメージで。