449.魔獣遭遇
身軽に木の上を渡り歩いて躊躇なく高い場所からヒョイと下りて来たショーキの顔は、寒さで少々強張っているようだった。
「北側一時の方角に、妙な魔力の気配があります。あの羽根の持ち主かは距離があるので判断は出来ません。茂みが多いので葉が動いているのは確認出来ましたが、大きさと種別は目視出来ませんでした」
「そうか。ご苦労だったな」
この辺りの山は常緑樹が多く、未だに葉が残っているので見通しが良くない。それでも葉の少なくなった木の上からショーキが偵察に赴き、怪しい魔力を感知したようだった。
「ここから少し下がって、西側の麓から回り込む。ただし風向き次第ではルートは都度変更をする」
「はい」
「ショーキは引き続き木の上から行けるか?」
「行けます」
「では相手の動きを見つつ誘導を頼む」
「分かりました!」
「…無理はするなよ」
オスカーの指示にショーキは即返答をしたが、無意識なのか手袋をしたまま両手を擦り合わせていた。下の方にいれば木立や茂みに遮られるが、木の上は山から吹き下ろす風が直撃しているのだろう。ショーキは身軽さを武器にしているので、重ね着や分厚い外套などは避けて最低限の防寒対策しか身に付けていないのだ。細身のショーキにすればかなり寒さが堪えるだろう。
「俺の魔石カイロ、持って行くか?」
「オルトさん、ありがたいですがお気持ちだけいただきます。魔力感知に影響出そうなんで」
「そうか。他に何か役に立ちそうなものはないかな」
オルトが気の毒に思ったのか、外套だけでなくポーチやシャツのポケットまで探って何かないかと思案している。しかし既にあるならショーキも使っているので、何度も「お気持ちだけで」と繰り返していた。
「温石なら大丈夫か?」
「魔石でないなら大丈夫かと思いますが…」
「じゃあ作ってみよう」
「作る!?」
その様子を見ていたレンドルフは、ふと思い付いたことを口にした。温石は熱した石を布に包んだものなので、大量に持たなければ動きの妨げにはならないだろう。
「土と火の複合魔法を使う為に訓練している時によく作っていたんだ。すぐに作るから、試してみるといい」
「レンドルフ先輩、何でも出来ますね」
「いや、そこまでのことじゃないさ」
レンドルフは足元を見回して、親指大の丸い石を拾い上げた。ショーキは丸い目をしてレンドルフの手元をじっと見つめた。その後ろから、オルトとオスカーも興味深げにレンドルフに注目している。
レンドルフはこのくらいならほぼ一瞬で目的のものを作り上げることは出来るが、これだけ注目されているのだから少しゆっくり作業をした方がいいだろうかと正面に並ぶ三人にチラリと視線を向けた。
「え、ええと…この石を芯にして火魔法で熱して、周囲を土魔法で固め、ます」
皆に見えるように手を広げて、その上に乗せた石に火の魔力を注ぐ。いつもならば手に握り込んでほぼ同時に二属性の魔法を使ってしまうのだが、今回は見えるようにして別々に魔法を使うことにした。身体強化魔法を使えば僅かな間ならば火傷もしないが、それでも高温で熱した石は長く手の上に置いておくことは出来ない。
一瞬で小さな石は手の上で赤くなり、僅かに表面が柔らかく崩れかける。レンドルフはすぐに土魔法で表面を包み込み、固く圧縮する。まだ厚みの足りない表面は、中の石の熱が滲み出るように赤みを帯びる。そこから中身が出て来ないように同じ作業を五回繰り返して、最初の芯に使った石の倍くらいの大きさになったところで中の赤くなった石は完全に封じられたようだ。そして最後の仕上げに、黒っぽい色の土でツルリとした感触の丸い形に整えた。
レンドルフは出来上がった温石を握り締めて温度を確認した。少し強めに握り締めても軋んだりするようなこともなく、心持ち熱めの湯程度の温度が手に伝わる。
「これで一日くらいは保つと思う」
「わっ!すごい!」
目を丸くするだけでなく口もポカンと開けていたショーキの手の上に出来上がったばかりの温石を乗せると、手袋越しにも伝わる温かさに思わず声を上げていた。魔法で作ったものだが持続して魔力を放出している訳ではないので、ショーキの魔力感知には影響はなさそうだった。
「すげーな、あっという間に出来るんだな」
「これでもゆっくり作った方ですよ」
「マジか…」
ショーキ以上に興味津々の顔を隠さずに覗き込んでいたオルトが、ショーキの手の上から手袋を取って直に温石に触れていた。
「強度はありそうだな」
「一応俺が身体強化掛けて踏んでも割れない筈ですよ」
「魔石カイロよりも丈夫じゃねえか」
「どうなんでしょう。比べたことはないですね」
ショーキの手から半ば奪うようにして、指先でコツコツと突つくようにオルトが確認している。中から高温の石が出て来ては大惨事になってしまうので、レンドルフとしても強度には気を配っている。
魔石カイロは、火の魔石から充填された魔力を熱に変換して使用する魔道具だ。金属製の手の平サイズの四角い箱に、温度の強弱が付けられるつまみが付いているシンプルな形をしている。箱の中に入るサイズの火の魔石を入れるだけですぐに使える便利なものだが、本体の金属が薄いので壊れやすいのが難点だ。壊れにくいように強度を上げた商品もあるのだが、そうなると魔石と合わせるとかなり重くなって持ち歩きには向かなくなってしまう。その為、結局はそこまで高いものではないので壊れやすさよりも使いやすさの方を優先させる買い手が多く、軽いものが好まれている。
「これを袋に入れて…ああ、今は丁度良いのがないな。ハンカチかなにかで包んでベルトに括り付けておくしかないか」
「ありがとうございます!これなら動きに支障はありません!」
ショーキは自分のポーチから大判のハンカチを取り出すと、器用に端を結んで巾着型にして腹の上に来るようにベルトに括り付けていた。その上から服を被せて、確かめるようにポンポンと腹を軽く叩く。そこまで温度が高くはないが、魔石カイロを持てないショーキからすれば十分な温かさを得られたようだ。
「では標的をすぐに追うぞ。ショーキ、位置は分かるな?」
「大丈夫です!このまま風下から回り込めば近付ける筈です!」
オスカーの言葉にショーキが元気に返事をすると、ポンと軽く地面を蹴って木の幹に足を着けると、次々に木々の間を走るように上って行く。たまに枝を掴むことはあるが、殆ど手を使わない身軽な移動は何度見ても一瞬見惚れてしまう。
そのままショーキは一気に木のてっぺん近くまで駆け上がり、枝の上に立って伸び上がるように週を見回した。そして下にいるレンドルフ達に、目標の魔獣らしきものがいる方向に向かって腕を伸ばし、同時に指を数本立てて合図を送って来る。これは数と距離などを伝える為の騎士団で使用しているサインだ。どうやら標的はそこまで素早く移動している訳ではないようだった。
「行くぞ」
オスカーが小さく呟いて木の上のショーキに向かう方角のサインを送り、レンドルフを先頭にして出発した。
オスカー率いるこの部隊は、レンドルフが攻撃の要として先頭に立ち、その両翼をオスカーとオルトが補佐する形を取ることが多い。その基本の形になる時は、オルトはレンドルフの左側に位置し、オスカーが少しだけ後ろに下がって頭上で斥候を務めているショーキの動きも把握しながら移動する。オルトは魔法が一切使えないが剣の腕前や体術に長けているのでレンドルフとポジションを交代しても遜色はない働きも出来るのだが、昔負った右頬に残る傷の影響で僅かに右の視野が狭い。だからオルトは自分の右側に信頼できる仲間を置いていた方が、実力を遺憾なく発揮出来るのだ。
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比較的順調に、目標の魔獣らしきものも肉眼で捉えられる位置まで近付いた。やはり茂み伝いに移動しているのでハッキリとした姿は見えなかったが、それなりの大きさはあるようだ。チラリと見え隠れする黒い毛皮のようなものは、ムーンベアと言えなくもない。ただのハーピーの幼体が身を守る為に擬態しているならば本体はもっと小さいだろうが、ロックバードの魔力を卵の状態で十分に浴びていたのならば、影響を受けてかなりの巨体になっている可能性もある。
卵生の魔獣は、抱卵する親の魔力を受けて孵化するものが大半だ。大抵の魔獣は自身の卵以外を世話することはないので、親の性質をそのまま受け継ぐ。托卵などで仮親の魔力に影響されるのはハーピーなどの幻覚魔法を使う魔獣にごく稀にあるが、それは親の庇護が必要な幼体の期間だけで、巣立ちをして大人になると全て消えると言われている。それに仮親の影響は姿だけで、能力値は元の種族のままとの研究結果は広く知られている。
それを鑑みれば、ハーピーはそこまで強い力や攻撃力を有している訳ではないので、追っている魔獣も大きさの割に力は強くないかもしれない。しかしそれでも本物のムーンベアの可能性も捨て切れないので、レンドルフ達は十分警戒して気配を殺して近付いて行った。
まだ姿は見えないが、十分な攻撃範囲まで近付くことが出来た。
レンドルフはチラリと横目でオスカーに目線を送ると、オスカーは指を二本立てて頷いた。このまま直進すれば少し開けた場所に出るのだが、相手は思ったように動いてはくれずにずっと木々の隙間を縫うように茂み伝いに移動していた。このままではレンドルフの大剣は不利になるので、先日倒したムーンベアと同じ作戦で魔法で足留めして、刀身の長くないオスカーに攻撃のメインを任せるサインだ。
「アースバインド!」
相手の体格は分からないが、チラリと見えた背中辺りに狙いを定めてレンドルフが土魔法を放つ。サワサワと揺れていた茂みごと拘束するつもりで、地面から数本の土で出来た鞭状のものが出現して、一気に締め上げた。
「っ!?」
確かに黒っぽい毛皮の片鱗が見えていたのだが、レンドルフの土の鞭が巻き付いた瞬間、パキパキという音を立てて茂みがクシャリと潰れてしまった。何の手応えもなかったことにレンドルフが一瞬息を飲んで、体を低くして警戒の態勢を取る。
「二時の方向!」
今まで全く姿もなかった方向から黒い塊が飛び出して来るのと、頭上からショーキの鋭い声が降って来るのはほぼ同時だった。
「アースランス!」
その塊はレンドルフよりも一回りは確実に大きかったが、速度は瞬時に視認が出来ないほどだった。それでも咄嗟にレンドルフは地面から鋭く尖った石柱を幾つも出現させて動きを止めようとした。
「なっ…!」
不意打ちだったので十分な強度は出せなかったが、それでもレンドルフが最も得意とする魔法の一つなのでどんな魔獣でも動きを鈍らせるくらいの傷は負わせられる筈だった。が、地面から大抵の生物の急所になる腹に向かって伸びた石の槍が、金属に似た音を立てて砕け散った。その塊はレンドルフの攻撃魔法をものともせずに一直線に向かって来る。
「ぐっ!」
反射的にレンドルフは体の前に真横に大剣を構えた。考えるよりも早く体が動いたのは、これまでの積み重ねた鍛錬と経験の賜物だろう。しかし鞘を払う余裕はなく、ただ防御の為に止める形になった。予想以上に強い圧力がレンドルフの体に掛かり、思わず喉の奥から呻き声が漏れる。雪でも滑らないように固く鋲が打たれているブーツで地面をしっかりと踏みしめられていたので、そのまま押し負けることはなかったが、それでも足元の土が大きく抉れた。
レンドルフが相手の動きを止めた瞬間、左右に控えていたオルトとオスカーがほぼ同時に斬り掛かった。オスカーは双剣で挟み込むように相手の首を、オルトはレンドルフの脇をくぐり抜けるようにして下の方から突き上げるように胸の辺りを狙って剣を突き出す。
ガギィッ…!!
歯の奥が疼くような嫌な軋みの音と共に、オルトの剣が弾かれてオスカーの右手の剣が折れた。
その瞬間に、レンドルフはようやく自身が押し止めている相手が、黒に見えるがうっすら赤みがかっている毛並みに額に赤い月の紋様が浮かび上がっている熊系の魔獣だと把握した。そしてそれはレンドルフの剣の鞘の上から大きな口を開けて鋭い牙を剥き出し、生臭い息を吐きながらギリギリと押して来る。
「アースウォール!!」
レンドルフは魔獣の足元に地中に向かう方向で土の壁を作った。それは落とし穴のような形になり、ストンと魔獣が落ちて行く。相手の体の幅ギリギリにして下に深く発動させたので、すぐに登って来ることは出来ない筈だ。
「レンドルフ!オルト!大丈夫か!?」
「はい!隊長は」
「剣は折れたが無傷だ」
「何て固さだ。剣は折れなかったが、まだ手が痺れてやがる」
魔獣は体の幅ちょうどくらいの穴に落とされてすぐには身動きが取れないらしく、穴の中から苛立った咆哮が響く。レンドルフはすぐに穴の底に更に深く穴を追加させて、より深く地中に送った。しかしこれも一時凌ぎに過ぎないだろう。
「あれがレンドルフが言ってた混血か」
「まずそうでしょう」
「てことは、魔法も使うヤツか」
オルトは渋い顔をしながら自分の剣を確認した。幸い刃こぼれもないようだが、魔法が使えない分剣にかなりの強化付与を掛けているオルトの剣でも歯が立たなかった。一見毛皮のように見えるが、手応えはまるで岩を叩いているような感覚だった。
「今のうちに距離を取るぞ。ショーキ!」
「はい!あちらの風下に!」
穴の中の咆哮はまだ続いているが、ジワジワと確実に近付いて来ている。二度目に追加した穴は、底は広いが上に向かって狭くなるようにして簡単には登れないように作ってあるのだが、それでも大した足留めにはならないらしい。
「アースランス」
レンドルフは念入りに穴の内側に無数に石の槍を発生させておく。しかし唸り声が止まらないところをみるとやはり攻撃は通らないようだ。しかしこの目的は一見よじ登る為の足場のように使えると思わせて、強度の強いものと脆いものを混ぜ込んであるので、途中まで登ったところでまた穴の底に逆戻りするように仕組んである。これで少しでも時間稼ぎが出来れば幸運、くらいに思っておく。
レンドルフ達は、ショーキの上からの誘導によって風下のルートを選択しながら、途中川を渡って山中を駆け抜けた。万一追って来ないとも限らないので、確実に撒いたと確信出来るまでは集落からは距離を取ってひたすら足を止めずに走り続けたのだった。