448.魔力の違い
レンドルフが差し出した巨大な羽根を見て、オスカーは複雑な表情をしていた。そして差し出すレンドルフも似たような顔をしている。
「ショーキ。お前はこれをどう見る?」
「え!?そ、そうですね…確かに魔力を感じますね。これ、鳥の羽根、ですよね?鳥系魔獣でこの大きさだと…」
不意にオスカーに判断を託されて、ショーキは目を瞬かせて戸惑った表情ながらも色々と頭を巡らせる。ショーキ以外の三人は大体目星がついているのか、一番新人のショーキに後学の為に判断してもらうことにしたようだ。ショーキは目の前に翳された羽根を凝視して、色々と口の中で呟いている。
「ええとこの大きさだとグリフォンですが、風属性じゃない妙に捩じれた魔力を感じるので…ひょっとしてハーピー、ですか?」
おそるおそる、といった風情で先輩達を見上げながらショーキが知っている魔獣を口にした。
「おっ、ちゃんと勉強してるな。偉いぞ」
ショーキの答えにオルトが破顔すると、ショーキの柔らかな髪をクシャクシャと撫で回した。ショーキは「止めてください!子供じゃないんですから!」と口では文句を言いつつ、その場から逃げないので満更でもなさそうだった。
「ハーピーで正解だ」
「げっ!こんなにでっかいハーピーがいるんですか!?」
「俺らも本体は見てないが、ロックバードの古巣の近くに落ちてた。しかしこの色はロックバードと言うよりはハーピーのものだ」
ロックバードは巨大な赤茶色の羽根を持つ鳥系の魔獣で、蛇を好んで食べるので討伐対象になる種族ではない。体の大半が羽根で出来ていて大きさの割に身が少なく食用には向かないのもあって、他の生物に襲われることも多くない。その為に攻撃性も薄く、抱卵から雛の巣立ちの時期に気を付けて距離を置けば人と共存することも可能だ。
それに反してハーピーは、顔は人間の女性に似ているが体は鳥の姿をしている。こちらは幻覚魔法を操り、人を誘き寄せては襲って餌にするので、大きさは人間くらいでも厄介な討伐対象になる魔獣だ。ハーピーは鳥の生態に近く、群れで行動して巣を作る。鳥に似た習性のせいか光るものが好きで、あちこちから強奪した金銀財宝を胃の中に入れて巣に運び、その巣を飾り立てることが有名だ。その為ハーピーの巣を奪うことが出来れば一攫千金になると冒険者が狙うことも多いのだが、複数で交代しながら巣を見張っているので成功率はかなり低い。
そのハーピーは稀に時折何らかの事情で群れから追い出されたり、巣を作ることが出来なくなった時に他の鳥の巣に托卵することがあるのだ。そして托卵されたハーピーの雛は、卵から孵るとすぐに仮親にそっくりな体に成り済まして育ててもらい、その後巣の外に出ても弱い幼体の間はどこかの群れに受け入れてもらえるまで周辺で最も強い個体に擬態することが分かっている。これは托卵という形で孵ったハーピーにのみ見られる特殊な生存戦略なのだ。
「あー、じゃあハーピーがこの辺で一番強そうなムーンベアに化けてうろついてたってことですか」
「今のところ予測に過ぎねえけど、可能性は高い。全く、ついてねえな」
それならば単独で行動するムーンベアの目撃例が複数なのも納得が行った、とショーキが頷く。それにいくら化けているといっても鳥系魔獣なので、空を飛んで行動することは出来る。それで通常よりも広範囲でムーンベアを見かけた人間が多かったのではないかと予測が付く。ムーンベアの討伐も危険であるが、ハーピーはもっと苦戦するかもしれないので、オルトはそのことを考えて苦笑しながら軽く肩を竦めた。
「こんなに大きいのは変異種か何かですか?」
「どうだろう。卵生の魔獣は親の魔力の影響を卵の時に強く受けると聞くからな。ロックバードの影響を受けたのかもしれない」
「幻覚魔法で大きく見せかけるだけじゃないんですね」
ショーキの疑問にオスカーやレンドルフもきちんと答える。この部隊ではショーキ以外は全員ハーピーと対峙したことがある。そしてその時の厄介さを思い出すと、どうしても渋い顔になりがちだった。
ハーピー自体はそこまで攻撃力は高くなく体も大人と大差ない。それだけならば大した脅威のない魔獣だが、幻覚魔法を固有魔法として有している為に討伐難易度は数段跳ね上がる。幻覚魔法は、見せる相手の最も好ましい存在に思わせるという魔法だ。だから幻覚魔法を使用されると、恋人や伴侶、家族などの姿を見る者が多い。それに釣られて近寄ってしまったり、分かっていても攻撃することが出来ずに襲われ、重傷を負ったり最悪死ぬこともある。それに無事に討伐したとしても、彼らには最愛の者を手に掛けたという悪夢が心に大きな傷を残す。頭で分かっていても、やはり大切な相手を屠るという行為は当人の覚悟以上にダメージが大きい。
人の魔法士の幻覚魔法使いは意図的な姿に変えることは出来るらしいが、それでも一番使い勝手がいいのは大切な人物に見せかけることだと言われる。それを使用すれば、大半の人の目には勝手に好ましい人物の姿を当て嵌めてくれるのだ。意図的に変更した場合は、常に気を張って魔力を流していないとどこか綻びが出てすぐに看過されてしまうそうだ。
この幻覚魔法を有する魔獣は人里近くに出没するので、騎士団にいればほぼ一度は遭遇する。しかし大抵の者は、一度対峙しただけでもう二度と討伐には参加したくないと口にするのだ。ただ一部に何故か耐性がある者もいるので、幻覚魔法使用の魔獣を専門的に討伐する担当もいるくらいだ。
「僕は誰に見えるのかなあ…」
まだハーピーなどの幻覚魔法を扱う魔獣討伐には参加していないショーキは、そんなことをポツリと呟いて身震いをした。ショーキには特定の恋人などはいないので、家族の誰かという可能性は高い。しかしショーキの家は大家族なので、誰が見えるのかは予想も付かないのだろう。
「ショーキはその類の討伐任務は回って来ないかもしれんぞ」
「え!そうなんですか、オスカー隊長」
「ショーキは魔力感知能力が鋭敏だから、着けられる装身具も限られているだろう?精神系魔法を使う魔獣討伐には魅了防止や幻覚軽減の装身具の装着は必要だし、後方から魔法士が幻覚無効の支援魔法を掛けてくれるが、それも合わない場合もある。まあ一度討伐前に耐性訓練を受けるのは避けられないがな」
「むしろ耐性訓練の方がキツいって話もある」
「うええ〜」
オスカーの言葉に一瞬ショーキは目を輝かせてしまったが、オルトの補足に思わず顔を顰めてしまった。
幻覚魔法を使う魔獣の討伐は、同士討ちやその後に討伐に出られなくなるトラウマを植え付けることもあるので、前もってどの程度耐性があるかの訓練が行われる。そして耐性がある人間はあまり多くないので、そう判断された騎士は所属する団や部隊などの垣根は問わず、精鋭部隊として優先して派遣されるのだ。
レンドルフはあまり耐性がないとして、正規の任務で命じられて出されたことはない。ただ近衛騎士だった頃に護衛中に偶然ハーピーに遭遇したことがあった。国賓の護衛だったので、魅了を始めとする精神に影響を与える魔法を軽減させる装身具を貸与されていたので何とか乗り切れたが、偽物だと分かっていても知っている人物を斬る時の感覚は何とも形容出来ない嫌なものだった。
ショーキは自分の背丈の半分近くありそうな巨大な羽根をレンドルフから受け取って、魔力や匂いを覚えようと熱心に触れたり顔を近付けたりしていた。本体ではないし落ちていたものなので大分薄くはなっているだろうが、それでも全くないよりははるかに意味がある。
「ムーンベアではなくハーピーの可能性も出て来たが、どちらにしろ油断はしないようにな」
本物のムーンベアが複数いたにしろ、ハーピーの擬態にしろ厄介なのには変わりはない。オスカーの言葉に全員顔を引き締めて背筋を伸ばしたのだった。
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「んんん〜、ちょっと…魔力の流れがおかしい、かな〜」
ベッドの横たわったユリの首の付近に触れながら、セイナは眉間に皺を寄せながら首を傾げた。
セイナはエイスの治癒院の副院長でユリの主治医でもあるので、二日に一度は別邸に往診に訪れていた。
「魔力の総量は変化がないんだけど、魔力の通り道?って言うのかな。そういうのが一部細くなってて、一部間欠泉みたいに外に漏れてるイメージかな」
「それって何か良くない影響がありますか?」
「一時的なものなら問題はないよ。ただ、ずっとこのままだと装身具の設定や周りの魔道具も全部替える必要があるかもね」
セイナは二つだけボタンを外した襟元から聴診器を差し込んでユリの胸に当てる。そちらは異常はなかったのか、眉間の皺に変化はなく納得したように軽く頷いていた。
「ちょっと魔法の制御がやりにくくなるかもしれないけど、この感じだと上の方に突き抜けるってとこかな。人に向けて攻撃魔法を撃つようなことさえなけりゃ問題はないだろうね」
「調薬とかは大丈夫でしょうか…」
「それは実戦してみないと何ともね。その辺はきちんと回復してからセイシューに教わるといいよ」
診察を終えて、セイナはユリの服を整えると上から毛布を掛けた。
「まだ調薬は出来ません?」
「急かないの。もうちょっと待ちなさい」
「はぁい」
ソロリと上目遣いでセイナを見上げるユリに、セイナは少しだけ口の端を持ち上げて薄く笑うと、優しい手付きで額の辺りを撫でた。意識を失って真っ白な顔色で横たわっていた頃に比べると、すっかり血色も良くなって肌艶も戻りつつあった。少しだけ痩せてしまっていたが、今は通常の食事も摂れるようになっているのでセイナの鑑定結果ではほぼ元に戻っていた。
ユリの治療は今は解毒と言うよりも、毒の影響で強張ってしまった体を少しずつほぐして動きを取り戻すことを最優先にしている。それには無理をして体を動かすのではなく、徐々に段階を踏む必要がある。その強張りを取ってから魔力を使用するように、とセイナが厳命しているのでユリの調薬はもう少し先になる。魔力を行使しない調薬もあるが、こちらは薬草を撹拌したり繊細な計量が必要になるので体が上手く動かなければ無理な作業が多いのだ。
「順調に回復してるから、焦らないようにね。魔力の流れに関しては、診せられそうな専門家に打診してみるよ」
「お願いします、セイナおばさま」
「ドンと任せておいで」
セイナは最後にニカリと笑ってユリを安心させるように軽く一度だけ頭をポン、とすると来た時を同じように慌ただしく帰って行った。エイスの街は王都の中心から見ると一番端の街ではあるが、それなりに人も多い。その街で一番大きな治癒院なので、医師としても副院長としても仕事は多いのだ。
そんな彼女に往診をしてもらうのは申し訳ないとユリは思うのだが、大公家に引き取られてからずっと主治医を務めてもらっているセイナには全面的に信頼を置いている。他の医師にはあまり診てもらいたいとは思わないのも実情だ。
「早く外に出られるようになりたいけど、おばさまの言うことを聞くのが一番の近道なのよね…」
色々と負担をかけているとは思うが、だからと言って無理をすればもっと迷惑を掛けてしまう。それが分かっているユリは、大人しく一眠りすることにしたのだった。
ユリは横になったまま手を伸ばして、サイドテーブルの上に外して置いていた魔鉱石のペンダントを手にした。これはレンドルフに再会して間もない頃に、初めてもらった大切な品だ。細かいヒビのようなものが全体に入っていて半透明のような風合いの白い涙型の石の芯に、金色の魔石が内包されているのが薄く透けている。レンドルフはユリの本当の髪色を知らない筈なのだが、偶然にも選んで贈ってくれたのはユリの独特な白い髪を思わせた。
ユリは横になったまま顔の前にペンダントを翳して軽く揺らしながらしばらく眺めていた。後から調整出来るように少しだけ長めに付けられたチェーンは、レンドルフの本来の髪色に似せたピンクゴールドをしている。ユリはどんな服の時も着けられるように、敢えて調整はせず長さはそのままにしてある。石を外に出す時は金具で短くして、石には合わない服の時は長くして服の下に隠すようにして常に身に着けていた。
(付与は設定しないで良かったな)
魔鉱石は芯に魔石を含んでいるので、魔力を充填して付与を追加することも出来る。普通の魔石より充填可能な魔力は少ないが、一種類程度なら問題なく付与が出来るのだ。レンドルフはユリが幾つもの装身具を身に付けているのを知って、他のものと変に共鳴して悪影響が出ないようにユリが自由に後付けで付与が出来るようにしてくれたのだ。付与魔法分の金額込みで購入したようで、いつでも好きな付与が可能なように日付や付与の種類を空欄にした注文書も一緒に貰っている。
けれどユリは大公家の予算で最高級の装身具を所有しているので、レンドルフの贈ってくれた魔鉱石の付与を入れる余地がなかった。それに付与を施すと魔鉱石の色が変わることも稀にあるので、ユリはずっと注文書は使わずにそのままにしていた。
もしこれで付与を追加していたら、ユリの治療の為に使用した魔法の影響を受けて割れてしまっていたかもしれない。それに今は体に負担をかけないように、ユリは装身具を身につけずに過ごしている。だからこそ付与のない魔鉱石はこうして手元に置くことが出来るのだ。
ユリの持つ強力な特殊魔力は、魔力が強い者には強烈な不快感を与える。魔力が弱い者でも長いことには体調不良を引き起こしてしまうこともあるのだ。その為、ユリの身の回りの世話をする使用人達は特殊魔力に耐性のある者しか採用されない。仮に耐性があったとしても、ユリの魔力は規格外に強い為にほぼ全員が一度は体調を崩してしまう。それ故に長い期間を掛けて少しずつ慣らして行く必要があり、数ヶ月から半年ほどで適性を鑑みられながら正式に雇用契約が結ばれる。その間に新人がユリに対してどう思っているかも周囲から厳しく見極められるので、大公家別邸の使用人は採用に至るには狭き門となっていた。ただその分待遇は規格外に良いので、一度雇用されると辞める者は殆どいなかった。
(レンさん、メッセージ読んでくれたかな)
セイナの往診の前に、ユリはギルドカードにレンドルフへの短いメッセージを送っていた。まだ昼間なのでレンドルフは任務中と思われた為、ユリのギルドカードには返信があった旨を報せる点滅は見られない。それでも休憩中に目にした可能性はあるかもしれないと、ユリは祈るような気持ちで魔鉱石を両手に包み込むとそっと目を閉じたのだった。