43.【過去編】誤解の誤解
「39.【過去編】戻って来た男」のその後の時間軸に戻ります。
神殿から出て来たクリューは、何かを吹っ切るようにグッと伸びをした。雲一つない青空が眩しくて、ほんの少しだけ腹立たしかった。勿論その感情は八つ当たりだと分かっていた。
昨夜ステノスによって持ち込まれた遺骨は、クリューが神殿に持ち込んで丁重に弔ってもらった。名前も出自も分からなかったのでどう説明すればいいか多少困ったが、顔見知りの孤児で本名も知らないがこのまま放っておけなかったので、ということで通した。通常よりも寄進を弾んだので、変に勘ぐられることもないだろう。実際生前の顔も全く知らないが、それでもまだ幼い子供が命を落としたことは胸が痛む。
今日は偶然にも、かつてクリューの先祖にどんな血筋が入っているかを調べてもらう時に担当してくれた神官が来ていた。彼は王の御前にも上がることを許されている高位神官で、本来は忙しい筈なのだがクリューのことを覚えていてくれて、特別に祈りを捧げてくれた。
彼は別れ際にクリューに「いつか思うところがあれば私のところにおいでなさい」とそっと告げて来た。クリューが初めて彼と会った時にも同じことを言われていた。あの時と全く同じ顔で言われたものだから、クリューも一瞬あれからどのくらい経ったのか分からなくなってしまった。
あの時は何を言っているのかピンと来なかったが、今になって少しだけ分かってしまったことに複雑な気分だった。
彼は長命であるエルフの血を引いていて、初めて出会った時から全く容姿が変化していなかった。エルフの血筋ではないものの、クリューも同じくあれから変化していない。そう遠くない未来、周囲の変化に取り残されたように思えた時、きっと彼の言葉を思い出すだろうな、とうっすらと理解してしまった。唯一変化のない彼の姿が、そのうちクリューの中では救いになるのだろうと。そしてそれは彼に取ってもお互い様なのかもしれない。
「そうだ、ステノスが生きてたこと知ってたのかミキタに聞かなくちゃ」
ふと沈み込みそうになる思考を振り払うようにクリューは軽く頭を振ると、久しぶりに着た黒いシルクのワンピースを汚してしまう前に早く着替えようと、足早に帰路についたのだった。
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ガツリと重い蹴りが顔のすぐ脇を掠めて、カツハはガクガクと震えながら脂汗を流していた。
「わ、私にこんなことしていいと思ってるのか」
「思ってるからやってんだよ!」
「ヒィッ!!」
地の底から沸き上がるような低い声で怒鳴られて、カツハは思わす悲鳴を上げていた。もはや恥も外聞もなく、這って逃げようとしていたが、その逃げ道を塞がれてあっという間に壁際に追い詰められた。
「とっとと洗いざらい話しやがれ!」
「け、警邏隊の隊員がこんなことして…」
「だからいいと思ってんだよ!!さっさと吐かねえと俺のムスコがピンチだっつってんだ!」
「む、息子!?誘拐でもされたのか?それなら私がいくらでも金を払って」
「その息子じゃなくて俺のムスコだっ!!」
「意味が分からん!!!」
最終的には混沌極まりない怒鳴り合いになった。
ステノスがミキタの店から解放されてすぐ、カツハのいる駐屯部隊の隊員寮に殴り込みを掛けた。寮と言ってもカツハは部隊長であるので、広い屋敷に一人で住んでいた。カツハはそこで賄賂代わりに強請って来た高級酒をお伴に、明日の「集金」計画をのんびりと立てていた頃だった。
自分を顧みてなのかカツハは護衛を雇うことはなく、高価な防犯の魔道具を家中に設置していた。それで寝首をかかれる心配はないと安心し切っていたのだろう。それを必死の勢いで突破して来たステノスが部屋に飛び込んで来た時、カツハはまるで乙女のような「キャーーー!」と甲高い悲鳴を上げてベッドの上でガタガタと震えるだけだった。
そして人間の護衛がいないことが災いしたのか、ステノスが夜警の騎士に通報する魔道具を破壊してしまったことから、誰もカツハの危機に気付いていなかった。
「てめぇ…スラム街の住人を勝手に犯罪奴隷にして貴族に売ってやがったな」
「ひっ…!な、何故それを…」
顔だけで呪い殺せそうな形相のステノスが、カツハの胸倉を掴んで顔を寄せた。ミキタのところから直接来たので、ステノスは弔事用の黒い制服を着ている為、不吉さがより際立っていた。
「ガキはどこに売った?すぐ吐きやがれ!」
「ガガガガガキ!?売ってない!売ってない!!」
「この期に及んで…」
「本当だ!!まだ孤児達には手を出してない!そんなことをしたらすぐに足がつくじゃないか!!」
カツハの叫びに、ステノスはハッと我に返って手を離す。胸倉を掴まれて体が浮いていたカツハは急に放り出されて尻餅をついて「ギャッ」と声を上げたが、ステノスの耳には一切入っていないようだった。
「…確かにそうだな。犯罪奴隷達は領地に移送しちまえばその後どう扱われるかまではそうそう調べられない…まだ施設内にいるガキ達が消えればさすがに気付く者が出る…」
「そ、そうだ。私はそこまで馬鹿じゃ「黙ってろ」ムグッ」
言葉を挟んで来たカツハの口を、ステノスは容赦なく塞ぐ。口と一緒に鼻も塞いでしまったが、そんなことはどうでもよかった。考えに沈むステノスに、カツハは必死に抵抗して塞がれた手を剥がそうとしたがビクともせず、そのうち真っ赤な顔になって腕を叩きはじめた。それでも気付かないステノスに、やがてカツハの顔が赤から青、そして白くなって行くに従い叩く手は弱々しくなって、遂にガクリと力が抜けた。
「おい!肝心な時に寝るんじゃねぇよ!!」
カツハの体から力が抜けたことにようやく気付いたステノスは、荒々しくカツハの体を振り回したが、それが余計にトドメになったようだった。そして完全に意識を飛ばしてしまったカツハがその寸前に小さく「理不尽…」と呟いたことは、ステノスの耳には届いていなかったのだった。
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「ったく、役に立たないね」
「それはあんまりだと思うんですー」
「何か言ったかい?」
「イイエー、何デモナイデスゥ」
その後もカツハをギュウギュウに締め上げたものの、それ以上の情報は出て来なかったので仕方なく縛り上げて、警邏隊の本部にいるカナメ宛に届けるように馭者に言付けて馬車に蹴り込んでおいた。もう夜が明けていたので彼女が出勤するまでの数時間の辛抱であろう。
ステノスは主人のいなくなったカツハの屋敷から便箋などを勝手に使用してあちこちに連絡を取り、朝一で再び孤児達がいる収容施設に向かった。
そうして夜通し働いて全てを終えたステノスがミキタの店に報告に行ったのは、昼を少し過ぎた頃だった。そしてその報告を聞いて開口一番そう言われてしまい、ステノスはカウンターの脇の小さな椅子の上で体を小さくしながらもブツクサとぼやいた。
「ホントに該当者は他にはいないんだろうね?」
「いねえよ!ちゃんと施設でガキの世話してる神官にも確認してる!」
「神官が誰かに買収されてるって可能性は」
「それはない!」
ステノスは朝になるのを待って実際に子供達が保護されている収容施設にも赴いて、窓越しではあるが全員の姿を直接確認して来た。頭に叩き込んでおいた資料の人数と、その施設内にいた子供達の人数は一致していた。
ステノスが置いて来た上級の回復薬が功を奏したのか、突然の訪問にも神官達は快い対応をしてくれていた。念の為隔離していた罹患者の様子も確認したところ、まだ予断を許さない状況の子供は数名いるが、それでも少しずつ快方に向かっていると告げられた。もうすぐ国からも回復薬が来る手筈になっているので、このまま行けばもう流行病での死者は増えないかもしれないと涙ながらに高位神官に熱い抱擁をされて感謝を受けた。その高位神官は男性の老人だったことはステノス的には大変残念だったが。
「赤い髪で金の目、7歳から10歳くらいの痩せ形の少年、だろ?その組み合わせのヤツは他に本当にいないんだって!最初に捕縛した段階で、捕縛者の特徴を書いたメモを取らせてる。だからあの部隊長のカッパも、配慮とやらをあの亡くなった子にしてたんだろうがよ」
「カツハだよ」
カツハの証言によると、ミキタから袖の下を受け取るようになってから、収容施設の調理担当に「赤い髪の少年の食事には特別な配慮をするように」と金を握らせていたらしい。施設を再訪した際に、ついでに調理担当にもステノスは抜かりなく話を聞いていた。カツハが握らせた金額はミキタが渡していた金銭のごく一部にしか過ぎなかった為、調理担当もせいぜいハム一枚や、ソーセージ一本程度の配慮しかしていなかったそうなのだが、それでも彼の最期の楽しみになっていたのかもしれないと思うと、ステノスは何とも言えない気分にさせられた。
「…じゃあ、タイキはどこに消えちまったんだい」
ステノスの話を聞いて、ミキタは苦々しげに呟いた。
「ひょっとして、混乱のどさくさに紛れてタイちゃんを攫った、とか?」
「その可能性も無い訳じゃねぇが、三男坊が行った先は、一番激しい戦闘があった地区だ。どさくさを狙うには命懸けが過ぎる」
「そんなところにタイちゃんがいたわけ…!?」
「優秀な部下を回したから、死人は出てねぇよ」
そう言う問題ではない、とクリューが思わず眉を顰めた。
ステノスも実行部隊に参加していたが、責任者という立場もあり一番大きなスラム街が建築され最も抵抗が予想された地区にいた。しかし蓋を開けてみれば、子供が多く簡単に制圧出来ると思っていた場所が一番被害が大きかった。
後に確認したところ、子供達を隠れ蓑に手配中の犯罪者が隠れ住んでおり、厄介なことに動物使いで動物や弱い魔獣などを操っては人を襲わせて金品を奪うという悪名高い者だったのだ。
そのビーストテイマーは予め準備していたのか、凶悪な魔獣を襲わせて来た。子供達も多いので、そこまで抵抗はないと高を括っていた実行部隊は大混乱に陥った。
ステノスの担当地区もそれなりに抵抗されていたので制圧に時間がかかり、仕方なくヨシメに応援に向かわせてどうにか全員捕縛となったのだった。
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「…なあ、子供以外で該当者はいないのか」
ずっとテーブルの席で黙り込んで何かを考えている様子だったミスキが口を開いた。
「子供以外?」
「そうだ。実年齢は不明で、子供には見えないヤツだ」
「そうか…そう言うことか…ステノス!急いで調べとくれ」
ミスキの言葉に思い当たることがあったのか、ミキタはカウンター内から立ち上がって、ステノスの胸倉を掴みながら言った。しかし急に言われてもステノスはよく分かっていなかった。
「待てよ、どういうことか説明してくれ!今回捕縛したの、一体何人いると思ってんだ」
「タイキは、あの子は成長が不安定なんだよ」
「不安定?」
「あんたはタイキが竜種の血統だってことくらいは知ってるんだろ」
「まあ…それなりに」
タイキは、ランガが抱えて連れて来たときは、それこそ生後ひと月も過ぎているかどうかという程の生まれたての赤子だった。その後ミキタが引き取って育てていたのだが、それから半年が経過しても一切の成長が見られなかったのだ。食事も睡眠も十分取っているのに、その姿は連れて来られたときのままであったのだ。異種族の混血児は、両親の特性が影響し合って思いもよらない性質が発現することがある。そこで成長しないのは何か理由があるのではと、これからの子育てのことも考えてタイキを神殿で鑑定してもらい、その血筋を探ることにしたのだ。
そして結果、タイキは通常ではあり得ない筈の竜種の血統であることが判明したのだった。
周囲もミキタ達も混乱はしたものの、ひとまず見た目の成長はともかく、健康上問題はないとの鑑定結果が出たので、そのまま様子を注視しながら育てることにしたのだった。その後、タイキは普通の人間よりも成長が遅く、非常にゆっくりとした速度で成長しているらしいことが分かった。それならそれでいいと納得した頃、朝目が覚めたら急激にタイキが成長していた。ミキタの息子になって二年目、まだ見た目は半年程度の赤子だったのに、突然三歳程度の見た目になっていたのだ。
そんなことを繰り返し、神殿に何度も足しげく通って鑑定をしてもらい、タイキは通常は普通の人間よりも成長が遅いが、数年に一度一気に体が成長をするようだと分かった。トータル的に人の成長と同じくらいではないかと推察されたが、誰も竜種の血を引く人間を育てた記録など存在していなかった為、全てが手探りの子育てだった。
「タイキは熱を出したり、大怪我をした後に急に成長することがあったんだ。もしあの騒動で怪我をしてたとしたら…」
「見た目だけ大人になってるかもしれないってことか?」
「孤児達に該当者がいないなら、見た目で判断されて大人の中に紛れているかもしれないよ」
ミキタがそう説明したが、ステノスはどうにも納得行っていないような表情だった。
「でもそれならとっくに事情聴取されてるんじゃねえか?大人の方が優先的に聞かれてんだし、名前くらい…」
「タイキには家族以外の大人と口を利くなと言っていたんだよ」
「何でそんなことを」
不審げな様子のままのステノスに、カウンターにいた彼とは少し距離を置いたテーブルに座っていたミスキが急に近付いて来て、バン、とカウンターに手を叩き付けた。
「知らない大人とは口を利くなってのは子育ての基本だろうが。知りもしないで口出しすんな!」
タイキの嘘や悪意を見抜く感知能力が高いことは秘密にしている。それがバレないように知らない大人とは口を利くなと言い含めていた。同年代くらいの子供であればいくらでもミスキ達がごまかすことは出来るが、大人から誘導訊問をされればまだそれを躱せる程の年齢ではない。その為、変にごまかすよりも最初から黙っていた方がいいと判断したのだ。
しかし、今の状況はそれが却って悪い方向に作用してしまったようだった。それをミスキ自身も悟ってしまい、その苛立ちをステノスにぶつけていた。
「そういうもんかね」
急に声を荒げたミスキを受け流すように、ステノスはヒョイ、と肩を竦めて椅子から立ち上がった。
「ま、大人の方は全くのノーマークだったんでな。ちょっくら本部戻って調べて来らぁ」
「……あと二日…いや、一日半だからな」
「こんなに頑張ったのに!?」
「結果を出してから言え」
「はいはい。あ、これ、風呂に入る場合はどうすりゃいいんだ?」
「防水加工はしてある」
「それは至れり尽くせりで」
あくまでも刺々しい態度を崩さないミスキに、ステノスはほんの少し苦笑する。ややきつめに腹に巻き付いている魔道具をせり出している腹の肉ごとポンと軽く叩いてから、ステノスは店を後にしようとした。
「ステノス、これ、持って行きな」
「おう、こいつはありがてえ」
「食い過ぎるんじゃないよ」
そのステノスに、ミキタがカウンターの中から紙袋を投げ渡した。それは正確に吸い込まれるようにステノスの手の中に収まると、彼はちょっと中をのぞいてニンマリと笑った。その中には、かつてステノスが彼女に教えた故郷の味、コメを三角形に握り固めた「オニギリ」が入っていた。もう20年近くも食べていないミキタの料理でもあるので、ステノスはうっかり鼻の奥にツンとした感覚が走ってしまった。
まるで何もなかったかのように紙袋片手にフラリとステノスは出て行った。しかしその足取りが僅かに弾んでいたことに、その場で気付いたのはミキタだけであった。