5.チキンソテージンジャーソースと初めてのお米
「おや、今日は早くに来たんだね」
店の前に行くと、ミキタがランチメニューが描かれた黒板を店先に出しているところだった。
「早過ぎましたか」
「大丈夫だよ。もう一人来てるのがいるけど、気にしないで」
レンドルフの姿を見ると、まるで馴染みを見かけたような笑顔でミキタが振り返った。
ランチメニューを確認すると「チキンソテー、ジンジャーソース」という文字と、可愛らしい鶏の絵が描かれていた。先日のハンバーグからすると、きっと今日のメニューも美味しいのだろうが、メニューの紹介として正しい絵なのかはよく分からなかった。
扉を開けて中に入ると、奥のソファ席に一人の中年の男性がダラリと寛いだ様子で座っていた。
いつから飲み始めていたのか、テーブルの上には中身が半分以下になった酒瓶とコップが置いてあった。その男は、茶色にしては色の抜けた、金にしては艶のない、強いて言うなら干し草のような髪色をしていた。肉付きが良く細い目をした顔立ちで、何故かご機嫌な様子で店に入って来たレンドルフに向かって軽くコップを掲げるようにしてから中身を呷った。
「ミキタさん、これ、先日のお礼です」
「何だい?こないだはちゃんとお代はいただいたじゃないか」
「美味しいケーキもいただきましたから」
手に抱えていた紙袋をレンドルフはミキタに手渡す。ズシリとした感覚と、僅かに紙袋の中でカチリと音がして中身を察したようだ。ミキタはにんまりと笑顔になる。
「これはこれは結構なものをいただいちゃって」
「口に合うといいのですが」
「合わないモノなんてないよ。あたしの方が合わせに行くくらいだ」
最初にユリにこの店に案内してもらってから三日経っていた。レンドルフは、改めてスレイプニルでエイスの街に来ていた。今回は森にまで足を伸ばす予定だ。
前回よりも大分早い時間に到着しそうだったので、ミキタの店が開いていたら先に腹ごしらえをして行こうと思い付き、ついでに先日の礼も含めて途中で火酒を二本購入しておいた。ミキタの好みは分からなかったが、棚の酒瓶の中に火酒を見かけていたので、彼女自身が飲まなくても店で提供してもらえればどちらにしろ礼くらいにはなるだろうと思ったのだ。
「今日も食べて行けそうかい?」
「はい。ランチをお願いします」
「じゃあ結構な物もいただいたことだし、チキンは二枚にサービスしておくよ」
「ありがとうございます」
先日座った席は先客の男性が座っていたので別の席に座ろうとしたが、その男性が手招きをしている。レンドルフが怪訝な顔で男性を見ると、彼は自分の座っているソファ席の座面をポンポンと叩いていた。
「兄ちゃん、兄ちゃん。あんたが座ったらこの店のボロ椅子じゃ壊れっちまうよ。こっち来て座んな」
「そこまでいうならステノスが譲ってやんな。その幅じゃ二人で座ったらギッチギチじゃないか」
「そいつはそうだな」
「あ、でも…」
「いいっていいって。ほれ、座んな」
「すみません…失礼します…」
ミキタに言われた男性が、ゴソゴソと席を移動する。最初は断ろうと思ったレンドルフだったが、そこまでされてしまうと拒否するのも申し訳なくなって促されるままに奥の席に座る。
ステノスと呼ばれたその男性は、何故か当然のように初対面の筈のレンドルフの向かい側に座った。
「よお。俺はステノス。ステノス・エニシダって呑んだくれなおっさんだ」
「あの…レン、です」
「そう畏まるほどのモンじゃねえよ。中央の騎士様には俺の方が下っ端みてえなものだしな」
「どうして騎士と…」
今回も平民風の服に、髪色も栗色に変えてある。どうしてこうも次々と騎士と言い当てられるのか不思議でレンドルフは戸惑った表情になる。
「あ、ああ〜ゴメンね。あたしがこないだ男前の騎士様が来たって自慢したからさ」
「そうそう。それにそんだけ立派な図体と剣ダコがありゃすぐ分かるさ。あとは立ち居振る舞いが何て言うか…シュッとしてんのな、シュッと」
「シュッと…」
ステノスからそう言われても、レンドルフにはよく分からなかった。ただ、取り敢えず自分は騎士と分かりやすい動向をしていることだけは分かった。
「あんたはどうする?もう昼時だよ」
「いやあ、俺はコイツがあれば充分だ」
ミキタに聞かれて、ステノスはご機嫌な様子で酒瓶から中身をコップに注いだ。香りからして相当度数の強い蒸留酒のようだった。
「俺はエイスの騎士団駐屯地で部隊長とかってのを一応やってる。よろしくな」
「全然下っ端じゃないと思いますけど」
「いやあ、元はここの自警団でチンピラ共の纏め役になってたら頼まれただけで正式な騎士じゃねえよ。あれだな、ええと…臨時職員?みたいなヤツか」
「ホントだよ。夜番が終わって真っ直ぐにここに来て朝から飲んでるようなヤツだよ。全っ然偉くなんかないからね」
「返す言葉もゴザイマセン!」
ミキタが苦笑しながら突っ込みを入れると、ステノスはヘラリと笑いながらわざとらしく頭を下げた。彼もまた常連なのだろう。ミキタとは随分気安いようだ。彼女はレンドルフの分の水の入った瓶と、ランチのセットになっているスープをテーブルの上に置く。今日のスープは大振りのジャガイモがゴロリと入っていて、細く切ったベーコンが浮いている。味はコンソメだろうか。澄んだ琥珀色のスープと、表面に浮いたベーコンの脂がキラキラしている。
「いただきます」
ジャガイモの切り口は角が残っているのに、スプーンを入れたらほぼ手応えがなくホロリと崩れた。口に入れると、たっぷりとコンソメとベーコンの旨味を吸っていて舌の上で溶けるようだった。ここまで軟らかくジャガイモを煮くずれさせずにスープは澄んだままを保つのは、シンプルに見えて難しそうな気がした。
「今日も美味しいです…」
熱いジャガイモをハフハフと頬張りながら幸せそうに食べているレンドルフを見て、つい気が変わったのかステノスもランチを注文する。ミキタは「やっぱりそうなったね」と少々悪い顔で笑いながら準備を始めた。
「そういやこないだは大活躍だったそうじゃねえか」
「?」
「ユリちゃんのピンチを救ったんだろ?助かったぜ」
「そんな大したことはしていませんが」
「いやあ、俺の読みが甘かったせいで迷惑を掛けた」
先日、ユリが絡まれていた日は、この街に近い森で魔獣に反応する警報が鳴った為に、駐屯地の騎士と自警団がそちらに急行していて街の警備が手薄になったせいだ、とステノスが説明した。いつもなら街の中を巡回している自警団が殆ど出払っていた為に、あのようなことが起こってしまったらしい。いつもならすぐに団員の誰かが駆け付けることになっているそうだ。
この街は狩猟地を含めた深い森に最も近いところにある。森の浅いところではウサギやリス、あとはせいぜい狐くらいが出没する程度なのだが、森の深いところでは魔獣も出没する。騎士団や、依頼された冒険者などが定期的に魔獣を間引いているので、森の奥から出て来ることは殆どない。しかし万一に備えて、森の浅い場所に魔獣に反応して警報を鳴らす魔道具を設置して、常に警戒を怠らないようにしていた。
かつてその森の奥でヒュドラが出現して、あわやエイスの街に到達しそうになったことがあった。その騒動があってから、王城に拠点を置いていた騎士団がエイスの街のような魔獣の出易い場所に駐屯部隊を置くようになったのだ。最初のうちは王都と隣接している領地を中心にしていたが、現在は各領地専属の騎士団では手薄になるような場所には必ず王家直属の騎士団の駐屯部隊が設置されるようになっていた。そのおかげで、魔獣の被害が多発していた地域での死傷者が激減したと言われている。
特に魔獣の討伐などを中心に担当している第四騎士団は、遠征などが多く常に人手不足であった。だが駐屯地を置くことでその土地にいる者を任命することが出来るようになり、人手不足も大分解消された。
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「はい、お待たせ。チキンソテーのジンジャーソース掛けだよ」
ミキタが焼き立てのチキンを乗せた皿を運んで来る。ステノスの皿は一枚だったが、レンドルフの皿には二枚大きなチキンソテーが並んでいた。
「ほお、若い胃袋は違うねえ」
レンドルフの皿を見たステノスが感心したような声を上げた。
「この人、パンは食べないから全部食べても大丈夫だよ。パンはこの前と同じでおかわり自由だからね」
「ありがとうございます」
早速レンドルフはチキンにナイフを入れた。飴色よりも濃い色の艶のあるトロリとしたソースの下から、パリッと焼き目の付いた鶏の皮と弾力のある肉の間に閉じ込められていた脂がジュワリと滲み出す。
大きめに切り分けた一口を噛み締めると、絶妙の焼き加減で弾力とジューシーさのバランスが程よい肉に頬が緩む。照りのあるソースは少し甘みのある味だが、擦り下ろした生姜をたっぷりと使用しているのか、ピリリとした辛味でいくらでも食べられそうだった。付け合わせに添えられた焼いたタマネギとトマトにもこのソースが良く合った。
つい、先日ユリとハンバーグを食べた時のようにパンに挟んでも美味しいだろうな、と思ったが、さすがにステノスの前で一人だけそうやって食べるのは憚られた。
何故か向かい合わせにランチを共にすることになっているステノスは、チキンを一口大に切り分けてはいるが手を付けてはいなかった。不思議な食べ方をするものだな、と思わずレンドルフが手元を凝視していると、ミキタが深めの皿に盛った白いものをステノスの前に置いた。
「こいつはコメってんだ。どうにも俺はこいつじゃないと食った気がしなくてな」
レンドルフの視線に気付いて、ステノスが説明をしてくれた。見た目は小さくて白い穀物そのままの形で、それを柔らかく煮込んだもののように見えた。そして切り分けていたカトラリーを置くと、コメと共にミキタが置いて行った二本の棒のようなものでチキンを器用に摘んだ。
「これは箸って言ってな、ミズホ国の食事に使う道具だ。俺はあっちの出身でな。このコメで箸を使わねえと食った気がしないんだ。こっちの人間にゃ行儀が悪いように見えるかもしれんが、勘弁してくれよ」
「いえ、随分器用なのだと思いまして」
「そうかい?まあ、そうかもな」
ステノスは流れるような動作で、チキンや玉葱を箸で摘んで口の中に運ぶ。その合間にコメを嬉しそうに咀嚼している。コメは随分小さな粒のようだが、二本の棒だけできちんと一口大に摘めることに感心していた。
「少し味見してみるかい?」
手を止めて見ていたことに気付いたのか、レンドルフの前に小さな皿が置かれた。ミキタが一口程度のコメを盛ってくれていた。
「はい、いただきます」
初めて対面する食材であったが、好奇心の方が勝ったのか躊躇せずにレンドルフはフォークでコメを掬う。よく煮込んであるのか、思っていたよりも軟らかく粒同士がくっつきやすいようで、これなら箸という棒でも摘めるのかと納得する。
口に入れると、何とも食べ慣れない不思議な香りがした。拒否感はないが、やはり食べ慣れていないので美味しいとまでは感じられなかった。食感は小麦粉を練って茹でた団子に近いような気がしたが、香りが全く違う。きっとこれがコメそのものの香りなのだろうな、と思わず色々検分しながら味わっていた。味は殆どしない気がするが、これが主食ならば別に構わないだろう。小麦のパンだってシンプルな主食にするのは似たようなものだ。
「初めて食べたんじゃ慣れねえよな」
思わずレンドルフは難しい顔になっていたのか、それを見ながらステノスは笑っていた。
「すみません。今まで食べたことのないものなので」
「気を遣うことはねえよ。ただコイツは保存が利いて腹持ちもいいんだ。干したヤツを携帯食として持って行くと便利でいいぞ」
「へえ、そうなんですね」
この軟らかい食べ物が干すとどんな風になるのかはよく分からなかったが、腹持ちのいい携帯食という情報は有用だろうとレンドルフは頭の中に入れておく。故郷のクロヴァス領では魔獣討伐の為の遠征は重要な役割の一つだ。そういった知識は多い方がいい。もしかしたら既に知っているかもしれないが、一度中央の図書館で調べてみて、工夫次第で使えそうであれば当主の兄に知らせるのも良いだろう。
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レンドルフは今回のランチメニューも美味しく完食し、まだ酒を飲む気で動く気配のないステノスに挨拶をして席を立った。
「ユリちゃんは大体10日に一度くらい、ギルドで納品のあとにここに来るよ」
店を出る直前、ミキタがこっそりレンドルフに耳打ちして来た。ユリとは特に約束もしていないし予定を聞いていたわけでもないので、会えるわけではないと最初から思っていた。が、レンドルフはほんの少しだけあった期待を見透かされていたようで思わず顔が熱くなるのを感じた。
「…ありがとうございます」
肌の白さからすぐに顔に出るレンドルフはごまかすことを諦めて、ほんのりと頬を紅潮させたままミキタに軽く頭を下げると店を後にした。
「若いっていいわねえ」
彼の広い背中を見送りながら、ミキタはうっとりとしたような溜息を吐いたのだった。