444.レンドルフの悩み事
「さっすが」
馭者台から守られる形で戦況を眺めていたサミーが、小さく呟き軽く口笛を吹いた。
目の前はもうもうと細かい雪が巻き上げられて、晴れた空のもとキラキラと光を反射させていた。風に乗って少し離れたところにいるサミーの頬にも細かい雪が当たって冷たさを伝える。
その雪煙がおさまると、レンドルフの大きな背中とその先には大きく抉れた雪の跡があるだけで、見渡す限り蠢くものは見つからなかった。
「俺達がすることねえな」
「オルトさーん、まだ雪雷魚避けの設置が残ってますよ!」
レンドルフ達は、早い積雪の影響で雪雷魚が街道や人里の近くにまで出没しているという報告を受けて、それらを討伐する為に指定された地域を巡っていた。その中で少し山を登ったところにある小さな集落に向かう途中で、かなり大きな群れをなしていた雪雷魚に遭遇したのだ。
一目で100を下らない群れに対して、そこまで大きな個体がなさそうだと判断してレンドルフが一気に殲滅させる為に召喚魔法を使用した。
レンドルフが召喚する土の精霊獣は土で出来た目のない巨大な蛇のような生物で、自身の胴体と同じだけの大きさの口に入るものならば何でも一呑みにしてしまう悪食の特性を持つ。その為小型の魔獣の群れなどには絶大な効果を発揮する魔法だが、口に入らない大きさのものに遭遇するとその場ですぐに消えてしまうのだ。それに属性魔法の最上位の一つである召喚魔法は魔力の消費が極めて大きいので、レンドルフでも後々のことを考えると20秒程度の使役時間しかない。それでも一カ所に固まっているような群れを呑み込ませるには十分であるし、小回りが利かない分打ち漏らしも出るが、相当に有益な魔法であることに変わりはない。
そして今回は幸運にも、精霊獣がその場にいた全ての雪雷魚を呑み込んでくれたようだった。
召喚魔法を使用した直後だとさすがにレンドルフでもすぐに対応出来るとは限らないので、オスカーとオルトがレンドルフの脇で警戒をしていたが、ショーキが木の上から気配を探って見える範疇にはいないことを確認した。
「レンドルフは魔力の回復に努めるように」
「はい、分かりました」
レンドルフの魔力はまだ半分程度は残っているが、それでも一気に消費したので体に倦怠感がまとわり付いている。オスカーに指示されて素直に後ろに下がり、サミーの乗っている馬車の傍で護衛役を務めることにする。
ここは舗装されていない小さな道ではあるが、この先の集落を繋ぐ大切な道である。集落を行き来する人や馬車に大きな被害が出る前に雪雷魚の群れを殲滅出来て幸いであった。
木の上からショーキが周囲を索敵魔法で調べながら、オスカーとオルトが魔獣避けを道の脇に沿って設置して行く。これは雪雷魚が忌避する匂いを染み込ませた軽石で、数ヶ月は効果を発揮するものだ。使い捨ての道具なので、一度置いてしまえば回収しに来る手間もない。それに元は脆い軽石なので季節が一つ過ぎるくらいには土に還っている。高価な物でもないため大量に街道付近に撒いてあるので、近隣の者が勝手に拾って自分の家の前などに置いても咎められたりしない代物だ。
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彼らの作業を眺めながらも、レンドルフは腰に下げた大剣の柄に軽く手を添えながら周囲を警戒していた。指先に当たっているタッセルの感触は分厚い手袋に阻まれてよく分からなかったが、時折無意識に指先で革のフリンジ部分を摘んでいた。
レンドルフは意識が戻ってからレンザにタッセルの仕掛けの話は聞いていた。その時に、ユリがレンドルフの性格を鑑みて秘密にしていたことに関しては絶対に非難めいたことはユリに言わないで欲しい、とレンザは繰り返し口に出していた。レンドルフも自分のことを想ってくれたことなので責める気は一切ないが、それでもそれらしきことは間違っても口に出さないようにと気を付けようと固く誓った。
今は兄ダイスが贈ってくれた上級の回復薬を格納してあるが、王都に戻ったらレンザが特級に交換するのでレナード経由でタッセルを預けるようにと申し出られている。レンドルフとしては上級でも十分だと思って辞退したのだが、そこは受け入れてもらえなかった。基本的に穏やかな態度のレンザからは想像も付かない背筋が凍り付くような威圧を向けられて、レンドルフは冷や汗をかきながら「お願いします」と呟くのがやっとだったのだ。
(きっと買い取りも認めてもらえないだろうな…)
回復薬は通常のものでも、一般的なレストランでのディナーか酒場での一晩の宴席程度の価格が設定されている。ただし品質を保証しているギルド製の正規の保存瓶をギルドや専門の回収業者に持ち込めば半額は返金されるので、実際の金額はそこまで高額にはなっていない。これは最初からあまり安い価格に設定すると、食事替わりに常飲する者などが出ることや、大量購入して転売する者が現れるのを抑止する為だ。そして瓶の回収にはギルドカードなどで身分証明が必要となるので、悪用を防ぐ目的もあった。
そして回復薬は等級が上がるごとに金額も上がり、更に特別な効能も付与されていると個別に上乗せされる。
今回レンドルフに使用した特級の回復薬は、いくらユリが自身で材料を集めて調薬したと言ってもかなりな金額になる。それこそそれなりに高給と言われている王城騎士のレンドルフでも、半年分の給金を全て使っても足りるかどうか怪しいところだろう。勿論それで命拾いをしたのだからユリには感謝しかない。だからこそレンドルフはそれに見合うだけの料金を支払いたいと申し出たのだが、ユリがしたくてしたことだから、と受け取ってもらえそうになかった。ではその代わりに何か別のもので、となるとレンドルフにはさっぱり思い付かなかった。
女性への高価な贈り物は宝飾品やドレスなどが一般的だが、ユリがそれを喜んでくれるかどうかは怪しいとレンドルフは思っていた。既に何度か身に付けるものなどを贈ってはいるが、どれも何となく良いものを見付けたので、というお土産感覚なことが多い。それに婚約者でもないのにあまり高価な宝石の類を贈るのは却って迷惑になりかねない。前にその価値も知らずに国宝級の宝石を贈ってしまって騒動になりかけたが、あれは偶然の産物なので数に入れないことにする。
あれこれと考えた結果、この先ユリと出掛けた時に食べるもの全てを支払う契約でも結ぼうか、というところにまでレンドルフは至っていた。それはそれで何年掛かるか分からないのではあるが。
「レンの旦那、まだ本調子ではないんですか?」
「え…?いや、調子は至って良いよ。まあ魔力が半減しているので、補給無しでもう一度召喚魔法を使ったら身動きが取れなくなるかな」
「もう一回出来るんですか…あれを…」
サミーも認知はされていなくても王族の血を引いているので、魔力量は高位貴族並みに多い。それでも召喚魔法は使う気にはならないし、仮に使えたとしてもおそらく一回が限界だ。魔力量だけでなく、無駄なく繊細な制御力があってこその最上位魔法なのだ。見るからに騎士として剣を鍛えて来たであろうレンドルフが、専門の魔法士にも引けを取らないことに少々引いていた。
「いえね、何か悩ましげな顔をしてたんで、お疲れなのかなって」
「…悩ましげ…まあ、悩んでいたのは確かだけど、体力的なものじゃないよ」
「ならいいんですが」
護衛中に他のことに思考を取られているのは良くないことだ。レンドルフはユリのことは王都に戻ってから考えることにしようと、強引に頭の中から追い出して目の前のことに集中したのだった。
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「ウォルター、呼び付けてすまぬの」
「殿下の命でしたらいつでも馳せ参じます」
「…いつもはすぐに来ないくせに」
「私とて身は一つなのです。陛下の視察などに同行している際は無理でございますよ」
「分かっておる」
無事に王城に戻ったアナカナは、変わり者ではあるが天才だと評されていた立場が、すっかり地に落ちていたのを半日程度で把握していた。何せ無理を言ってキュプレウス王国との共同事業に関わって、自らの軽率な行動で危うく国際問題になりかけたのだ。これまでのことはたまたま良いように作用していただけで、やはり我が儘な幼子であると思われていた。アナカナとしては自身の評価が下がることは願ったり叶ったりなので、むしろ今の状況をより下方に加速する噂をバレないように流すタイミングを考えているくらいだった。
しかしずっと大公家で気を緩めっぱなしだったことが原因なのか、気を張る王城に戻って来た翌日からアナカナは熱を出して寝込んでいた。丸一日高熱が続いたが、それ以降はすぐに平熱に戻って今は療養と称して日なが一日ダラダラしていた。とは言え、見た目はダラダラしていながらも考えることは多く、外部の情報を得る為に近衛騎士団長ウォルターを見舞いを申し込まれた態で呼び付けていた。
ウォルターはアナカナが自ら禁を破って毒に触れてしまったという表向きの理由ではなく、刺繍糸に毒を仕込まれてアナカナの代わりに大公女が毒を受けてしまった真実を知る数少ないうちの一人だ。
被害者であるアスクレティ大公家側はかなりの人数が知っているが、王城側で知る者は騎士団のトップの双璧であるウォルターとレナード、アナカナの専属侍女のシオンとパンジーくらいだ。そして解毒薬の材料採取の為に密かに強力を仰いだレンドルフだけだろう。レンドルフは大公女のユリとも縁が深いので、どちらかと言うと大公家寄りの立場かもしれない。
残念ながら真実を知らされている者の中に、アナカナの近親者の王族が誰も入っていないことは推して知るべし、と言ったところだろう。
「ドレスやハンカチなどには刺繍を使用したものは排除したのじゃな」
「すぐに取り引きを停止すると怪しまれますので、使用はさせずに保管してあります」
「…と言うことは、まだ犯人は捕まっていないということか」
「申し訳ございません」
「慎重で狡猾な相手のようじゃからな。仕方ない…と言いたいが、これ以上被害を広げぬように疾く対処せよ」
「はっ」
戻って来るとアナカナの身につける布製品がかなり入れ替っており、刺繍を施したものが無くなっていた。その代わりに染料などで生地に模様を描いた品が揃えられている。近くで見れば分かってしまうが、遠目で見るだけならば刺繍なのか染料なのか分からない。どこまで通用するかは分からないが、刺繍糸に毒を仕込んだ黒幕にまだバレていないと思わせられるかもしれないという策だ。
もっとも、それだけの難敵ならばとうにアナカナの件の真相は知っているのかもしれないが。
「と、ころで…その、ウォルターは、母上の様子は、見聞きしておるか?」
「大層心配しておいでです。見舞いにも来たがっておりましたが…」
「分かっておる。ヨハネウスに何かあってはコトじゃからな」
「殿下…」
ヨハネウスは、昨年に誕生したアナカナの弟だ。あと数ヶ月で一歳を迎えるが、アナカナは一度も顔を見たことがない。彼もアナカナに負けず劣らず数奇な運命に囚われた子供で、産まれた瞬間に異国への婿入りが確定している。
彼の婿入り先はオベリス王国とは海を挟んだ場所にある別の大陸の歴史ある国で、預言者や占い師などを数多く擁していて、国政にも影響を与える発言力があると伝えられている。その国は女王が治めているのだが、戴冠の義で「王配に水色の髪と瞳を持つ者を迎えると国が安定する」と預言を授かったそうだ。それに従って女王の第二王配に該当する侯爵令息が就いたのだが、数年前に不慮の事故により亡くなってしまった。それ以来その国は気候が安定せず、国民は困難に苛まれているらしい。
しかし国内には該当となる候補者がおらず、そこで女王は国交のあった国に「水色の髪と瞳を持つ未婚の貴族令息を王配として迎える」と通達を出したのだ。奇しくもその通達がオベリス王国にも届いた頃、アナカナの弟ヨハネウスが誕生した。そしてそのヨハネウスは、水色の髪と瞳を持って産まれたのだった。
さすがに産まれたばかりの幼子を、とは思ったが、オベリス国王も国交のある国への不義理は出来ないと形式として報告を返した。が、不運にも通達を出した国には該当者が他に誰もおらず、気が付けばあっという間に話を詰められて生後三ヶ月を過ぎる頃にはヨハネウス王子は異国の第二王配として婿入りすることが確定してしまったのだった。
とは言っても形ばかりの王配であって、実質は他国の王家への養子縁組のようなものだ。幸い今代の女王と第一王配は人格者で知られていたので、養育においては問題はないだろうと目されていた。それにある意味国を救う救世主扱いでの縁談なので、婿入り先では丁重に扱われる筈だ。
当初は国王も返答を渋っていたが、生みの親の王太子正妃が最も乗り気だったことでこの話が纏まったのだった。
王太子の正妃に選ばれたのは、ひとえに先に子を産んだからに過ぎず、家格や後ろ盾の点で考えれば実質王太子側妃の方が圧倒的に上だ。そして側妃には現在三人の王子がいて、ヨハネウス王子は第四王子であり王太子の実子では五人目だ。血統や価値で言えばあまり高くない。あと数年も経てば、正妃の産んだ第一王女と側妃の産んだ第一王子との後継争いが表立って激化して来るだろう。そうなればその中で存在が軽くなるのはヨハネウス第四王子だ。
それに巻き込まれる前に政略の婿入り先が決まっていれば、少なくとも国内でヨハネウスの身の安全は確保される。移動に耐えられる年齢且つ、婿入り先で女王との良好な関係を築く為にヨハネウスは三歳になるのを待って国を出ることになっている。
そんな我が子との短い時間を少しでも多く過ごせるように、王太子正妃はヨハネウスにほぼ掛かり切りだった。そしてある意味最も危険に晒されやすい立場の姉であるアナカナには近付けさせないように手配されていた。アナカナ自身もヨハネウスの安全の為には自分と会わない方がいい、と自らも申し出ていたほどだ。
「ヨハネウスはわらわの弟じゃ。幼い方を優先するのは当然であろ?」
「殿下、しかし」
「まさか母上に泣かれるとは思ってなかったからの。随分心労を掛けてしまったようじゃ。…わらわが詫びていたとだけ、折りを見て伝えて欲しい」
「…確かに承りました」
物心ついた時から両親との関係は希薄で、あまり寂しがる様子を見せないアナカナのことを周囲は最初から立派な王族として自覚があると理解している。しかし長らくアナカナの近くて仕えて来たウォルターには、ただ心配されたことへのほのかな喜びと、見舞いに来てもらえない寂しさと諦観がアナカナの目の奥に混じっているのを確かに見て取っていた。
それをどうすることも出来ないもどかしさを覚えながらも、ウォルターは精一杯丁寧に請け負ったのだった。
お読みいただきありがとうございます!
回復薬の金額としては、通常のものは5千円前後くらい、中級は数万円、上級は数十万、特級は数百万〜数千万という感じだと思っていただければ。金額に幅があるのは効能の差です。一般的に売っているのは上級までで、厳密な効能が数値によって管理されています。特異体質や特化させたい効能がある場合は薬師ギルドにオーダーメイドをするのでその分上乗せされる形です。
特級は基本的に高位貴族や金持ちがオーダーするので、使用する素材やら調薬する薬師への依頼料などで金額の幅が広くなってます。
瓶の回収で返金される割合は、通常のものが半分程度で、等級が上がるほど割合は少なくなっています。特級は瓶もオーダーメイドなので返金は素材代くらいなのでほぼありません。