442.思わぬ再会と任務
しばらくすると、馬車の外で何やら騒がしい音が聞こえた。馬の嘶きと馬車の車輪の音、そして人の話し声や金属の触れ合う音だ。話し声は内容までは聞き取れなかったがただ普通の会話をしているようで声を荒げている気配はなく、金属音は武器や防具などが当たる音ではあるが剣戟ではないのは確実に分かる。
「到着したようです。挨拶に出ますので、レン殿も支度を」
「は、はい」
レンドルフはよく分からないが言われた通りに外套を着込んで、レンザよりも先に馬車を下りた。一応これまで同行をしていない人の気配が複数しているので、用心の為に馬車の扉を自身の体で塞ぐような形で地面に降り立つ。
「え…!?」
「あ!レンドルフ先輩!」
外に出た瞬間に真っ先に視界に飛び込んで来た、着込んで元の体型が分からないほど丸くなってはいるが見知った顔を見つけてレンドルフは動きを止めた。相手も同時にレンドルフの存在を確認して、実に明るい口調でブンブンと手を振って来た。
「ショーキ!?何でここに」
「私達もいるのだが」
「そうそう」
そこにいたのは同じ第四騎士団で隊を組んでいる後輩のショーキだった。そしてその後ろには隊長のオスカーと先輩のオルトもいる。これでレンドルフが合流すればそのまま部隊全員が揃うことになる。そして更に後方には見たことのない騎士が少なくとも10人は並んでいる。目を凝らすと、冬用の装備にアスクレティ大公家の紋章が刺繍されている。彼らは大公家専属の騎士団のようだ。
「え、と…どうしてここに」
「遠征の任務だ。今年は積雪が早く、雪雷魚の対策が不十分なままに雪の季節になってしまった。それを討伐しつつ、必要な箇所に雪雷魚避けの魔道具を設置していく任を第四騎士団が請け負った。我らはこの付近の集落を担当している」
代表してオスカーがレンドルフに説明しながら、懐から封筒を取り出した。レンドルフに確認させるかのように封蝋を上にして、その紋章は騎士団の正式な任命に使われるもので、封蝋の色は濃い紫をしている。
「これは、統括騎士団長の…」
それはレナードが使用している封蝋の色だ。紫の系統は王家の色なので王族直系以外は使うことは避けられるのだが、レナードは長年の功績によってその髪色と同じ濃い紫の封蝋の使用を許されている。
戸惑うレンドルフにオスカーが中を確認するように促すと、恐る恐るといった風情でレンドルフがその場で手で封を切った。何となく解雇通知ではないかと思って覚悟して中を見たのだが、そこには予想外のことが書かれていた。
「任務への、現地合流…?」
「ああ。それに問題がなければ同封されている誓約書にサインをしてくれ。それをすぐに鳥で飛ばすからな」
書かれていた内容はオスカー率いる部隊の遠征任務と、人手不足を補う為にちょうど護衛任務の為に同じ方向に向かう大公家の騎士団と共に北の地に向かうこととあった。そして現地でレンドルフに任務遂行が可能かを確認して、合意が取れればその場で休暇を即時終了して任務の現地合流を命ずると綴られている。
つまりこれを了承すれば、王都に戻るまでの日数を個人休暇で賄うのではなく、任務としてカウントされるということだった。そうすれば最大限考慮しても二ヶ月には満たないくらいの長さだったレンドルフの個人休暇が、約ひと月近くはそのまま残ることになる。それならば解任されることもなくなるのだ。
「団長が…」
レンドルフは、先程馬車の中でレンザが「彼の苦肉の策」と言っていた意味をここでようやく理解したのだった。
「レン殿。私は迎えに来てくれた大公家の護衛の皆様と王都に戻ります。どうぞレン殿は任務にお戻りください。レン殿の荷物を積んだ馬車は…サミーに任せましょう。こちらに混じってしまっている荷物は、クロヴァス家のタウンハウスに届けるよう手配しておきますので」
「大公家の専属の騎士殿の護衛ならば、この先は安心ですね」
「名代として過分な配慮を頂いたようです」
過分も何もレンザは大公家当主なのだからどれほど手厚くてもやり過ぎではないのだが、あくまでもレンドルフの前では「子爵家執事のアレクサンダー」であり「大公家と縁のある薬師」の一人という態なのだ。
オスカー率いる部隊はレンドルフが最大攻撃力を有して先陣を切って行く連携を主としているので、攻撃の要のレンドルフが抜けると討伐任務を請け負うことは難しい。その替わり技巧派や斥候や後方支援、新人へのフォローに長けたメンバーで固めてあるので、レンドルフがいない間はそういった任務も多い為に仕事には事欠かない。
本来ならばレンドルフが抜けた状態で討伐任務で北方に遠征するのには火力不足なのだが、そこを「たまたま」同行することになった大公家専属騎士団で補ってもらってここまで来られたのだ。
そこには大公家の専属騎士を出してレンドルフと護衛を交代させることをレンザに依頼したレナードの暗躍があった。
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「あの…!アレクサンダーさん!」
レンドルフと入れ替るように大公家の護衛騎士達が配置に付いて出発する寸前、レンドルフは馬車に乗り込もうとしたレンザに向かって思い切ったように声を掛けた。そして小脇には木の箱が抱えられていた。
「荷物を増やして申し訳ないのですが、これを…その、ユリさんにお渡し願えますでしょうか」
ずい、と少々勢いよく差し出された箱は、あまり重さはなさそうだった。それを頭を下げる姿勢で捧げ持っているレンドルフの耳がうっすらと赤くなっているのをレンザは確認して、その中身が先程話に出ていた送らないまま書き続けていたユリ宛ての手紙なのだろうと察した。
「私がお預かりしても?」
「はい!」
「渡す前に中身を確認してしまうかもしれませんよ?」
「構いません!天地に誓って疾しいことはありませんので!」
そんなつもりは微塵も無いが、つい少しだけ揶揄ってみたくなってレンザは何の気無しに検閲の可能性を告げてみたのだが、予想以上に真っ直ぐな返答が投げ返されて来た為に面食らってしまった。いくらユリを溺愛しているレンザとは言え、ここまで人柄を知ってしまっているレンドルフを疑う気はない。レンザは誤摩化すように軽く咳払いをして、両手で丁重に箱を受け取った。
「いくら何でも他人の書簡を見ることは致しませんよ。ただ、量を調整して少しずつ渡すようになると思いますが」
「それで十分です。ユリさんの負担にならないのであればどう扱っていただっても!」
「あ、ああ…確かに預かった分はユリに渡すよ」
「よろしくお願いします」
これまでの報告と、辺境領への道中の様子を見ていればレンドルフの人柄は疑いようがなく誠実であるのは分かっている。けれど女性への個人的な手紙の内容を見られても一切問題ないと断言するのはどうなのだろうとレンザは思ってしまった。レンザとしては異性からユリに甘い言葉を綴って欲しい訳ではないし、仲を深めようとするのは絶対的に面白くはない。しかしだからと言って全く意識していないというのも、まるでユリに魅力がないようでははいかと思うとそれも腹立たしい。なかなか複雑な心持ちなのだ。
どの程度手紙が入っているかは分からないが、レンザはいっぺんにユリに渡してしまうと読み耽ってしまいそうなので、どの程度の量を渡すべきかにこやかな顔の下で密かに悩んでいたのだった。
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「オスカー隊長?何か気になることでも?」
護衛の交代や馬車の荷の移し替えなどを行うのは、大公家の騎士達の手で行われた。手伝わなくていいのかとショーキは落ち着かない様子だったが、却って後で荷物に不具合があったことが発覚した際に責任の所在がややこしくなるので手を出さない方がいいとオスカーに説明されて、代わりに周囲の警戒を行っていた。
その時に、オスカーが妙に馬車の方を見ているのを目敏く気付いて、ショーキが小さく話しかけた。ベテランのオスカーならば何か気付いたことがあったのかもしれないと確認したのだ。
「いや…あの中に見たような顔がいたからな」
「お知り合いですか?」
「まあ以前に夜会などですれ違ったことがある程度だろう。あちらも貴族だろうしな」
「ああ〜。さすが大公家専属ですね」
オスカーが見ていたのは馬車の中に乗り込んだ平均よりもやや小柄で細身の初老の紳士だったが、ショーキの勘違いを指摘するほどのことはないと微笑んだだけに留めた。それに実力主義とは聞いているものの、大公家の専属騎士になるくらいならばそれなりの身分なことは容易に想像が付いたので、ショーキの言葉も間違いではないだろうからだ。
オスカーは王城騎士団に所属している中では珍しい子爵家の当主だ。王城騎士団は給金もそれなりに良いが、何より様々な補償が手厚いので、爵位や領地を持たない次男以下の就職先としては優良なのだ。その中で当主で騎士になる者がそれほど多くないのは、やはり手厚いと言っても危険と隣り合わせな職務だからだろう。
貴族、それも当主であれば年に二度くらいは王家主催の夜会に参加することが義務のようなところもあるので、オスカーも当然参加している。見覚えのある紳士はそこで見たのだろう。身分を問わず多くの貴族が集まる夜会では、暗黙の了解として下位貴族と高位貴族のいる場所が分かれている。別にそれは明確なラインがある訳ではないので、中には身分を越えて歓談している者もいるが、基本的にはトラブルを避ける為にエリアが自然に分かれるのだ。その中で何となく見かけたことがあるくらいの距離感であれば、下位貴族のオスカーからすれば相手は高位貴族の可能性は高い。直接の知り合いではないのなら、声を掛けるべきではないと判断した。
オスカーが見ていたのはレンザで、何年も前の夜会で実際に王族に次ぐ位置にいたのを人の間から垣間見たことがあったのだ。ただ道中一緒であった大公家の護衛騎士達に「大公家の名代として辺境に向かった人物の迎え」と聞かされていたので、まさかこんなところに大公家当主本人がいるとは全く思っていなかったのだった。
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「レンの旦那。俺はただの馭者として務めますんで、援護はナシってことでお願いしますよ」
「それはいいが…万一の時には自分の身を守ることは忘れないでくれよ」
「そりゃ分かってますって。ただ、あまり人前で魔法は使いたくないんで、せいぜい短剣で応戦するか、あとは単なる鉛玉で対抗しますから」
「それで十分だよ。それにむしろ俺達の方がサミーさんを守る立場だから」
「ありがたいことで」
サミーの属性魔法は稀少な毒属性ではあるが、印象の悪さからあまり人に知らせたがらないものだ。彼の所持している武器は魔力を弾丸のように変換して飛ばす魔動銃で、かなりの威力があるのはレンドルフの前で実証済みだ。しかし他の者には知らせたくないのだろう。そっと耳打ちされたレンドルフはすぐに快諾した。
「ただ、こちらに残って良かったのか?アレクサンダーさん達と一緒に戻った方が安全だったと思うが…いや、俺としては荷が増えたから腕の立つ馭者がいてくれるのはありがたいけど」
「いやあ、実のところ、あんまり早く王都に戻らない方がいいんですよ」
「と言うと?」
「ほら、刺繍糸の件、聞いてますでしょう?」
更に声を潜めてサミーが囁く。
魔力に反応して毒を注入する特性を持つハットジェリーというクラゲの触手を刺繍糸の中に混入させて、王女の使用するハンカチに毒を仕込んだことはレンドルフも聞いている。そしてそれを防ごうとしてユリが代わりに毒を受けたのだ。その件は、毒を仕込んだ犯人に気付かせないように被害が出たことは伏せて、秘密裏に工房や製造場所を探らせている最中の筈だ。
「下手に毒使いが王都にいると、こっちに疑いの目が向くんで。あ、いや、俺はそんな犯人じゃないですよ」
「大丈夫、分かってる」
「そんなんで、調査を邪魔しないようにもうしばらくは王都を離れていた方が都合がいいんでさ。それに、身元のしっかりした方の元にいれば、俺が怪しくないって証言ももらえますしね」
「そんなことでいいなら」
「旦那こそいいんですか?一刻も早く王都に戻りたかったんじゃ」
「……その、多分すぐには会えないだろうし」
冷やかすような口調のサミーに、レンドルフはうっすら耳まで赤くしてボソボソと答えた。こうして至近距離で見ると、まだレンドルフの顔から首に掛けてほんの少し火傷の跡が残っているのが確認出来た。色白のレンドルフが顔を赤くするとそれが余計に目立ってしまうようだ。処方された火傷用の塗り薬を使えばひと月ほどですっかり消えると聞いているので、サミーは相手を心配させない為には多少戻りが遅くなっているくらいが丁度良いのかもしれないな、などとレンドルフの顔を眺めながらそんな感想を抱いたのであった。